眼を覚ましたら顔の近いところに、鎧を着て、剣をぶら下げている、金髪でひげのおじさんがいたら驚くなって方が無理な話だと思わないですか?














無理もない話












と、いうことで、目を開けて早々、わたしは悲鳴をあげてしまった。
わたしも驚いたけどおじさんも驚いて、でもそれ以上に馬が驚いてしまって、竿立ちになった。
おじさんが馬を宥めている間、わたしは何がどうしたのかわからなくて、周りを見渡した。
どうやら周りには3、40人くらいの男の人たちがいるようだ。くらい、というのは、わたしが緑色のマントですっぽり包まれていて、あまり動けなかったからよく見えないのだ。
男の人たちも皆、馬に乗っていて武装をしている。それだけはわかったけど。
景色といったら冬枯れた草が生えた丘陵地ばかりで、見渡す限り民家の姿は見えない。
「ブレゴ!ドウ、ドウ」
おじさんは馬を落ち着かせると、じいっとわたしを見下ろしてきた。
「そなた、何者だ?」
「それはわたしも聞きたいです。あなた、誰ですか?」
わたしが問うと、おじさんはむっとしたような顔になった。
「ここはマークの王セオデンが納める土地だ。まずはよそ者が名乗るべきであろう。だが礼儀を知らぬ子供には私から名乗ろう。私はセオデンの息子セオドレド。マークの第二軍団軍団長を務めている者だ」
王様の名前がセオデンで、この人はセオデンの息子で…つまり、王子様?
「あ、ええと、わたしはです」
一瞬首をひねりかけて、でも王子様が必ずしも若いわけではないのだと思いなおした。
王が引退していなきゃ、その息子は何歳だろうと王子に決まっている。
?変った響きの名だな。どこの国の者だ?して、このマークで何を致しておる?」
「生まれた国でしたら、日本、ですけど…、何をしているかと聞かれても、どうしてこんなところにいるのがわたしにもさっぱりわからないので…」
しどろもどろに答えると、おじさん…セオドレド殿下の視線はますます厳しいものとなった。
「わからぬ、と?」
「はい…」
「しかし、ここまでどうやって来たのかくらいは覚えていよう?親はどうした、それともかどわかされてきたのか?」
「わたし、さっきまで家にいたんです。お庭の掃き掃除をしていて…、ここに来るまでの間のことは、何も覚えていません」
「その家というのは、ニホンにあるのだな?」
念を押すように殿下は聞いてきた。
「はい」
わたしが頷くと、殿下はしばらく黙り込んだ。
その間、わたしは居心地が悪くて仕方がなかった。
殿下の身体に遮られていたのではっきりと見えているのはあまりないのだけど、周りの男の人たちがわたしのことをじろじろ見ているのだから。
だけど実際、何でわたしはこんなところにいりるのだろう。
時代錯誤な騎士のような格好をして(いや、騎士なんだろうけど)馬に乗ってる人たちなんて。
(ナセ〜。わたし、どうしたらいいの!?)
わたしは心の中で相棒を呼んだ。
こういうわけのわからないことには、大抵ナセが絡んでいるのだから。
しかし、
(…あれ?)
妙だ。と思った。
(ナセの気配が…ない?)
その瞬間、さあっと頭から血の気が引いていくのがわかった。
(嘘…)
マントの下で、わたしは手を組んだ。
心臓が早鐘のように打っている。自分の意思に反して身体が小刻みに震えていた。
落ち着け、落ち着け、と言い聞かせようとする。
きっと何か理由があるのだ。
あのひとの…ナセの気配がしないのは、きっと、何か…
「どうした?」
殿下はわたしの顔を覗き込んだ。厳しい表情は相変わらずだが、こちらを気遣っている様子も混じっている。
「…いえ、なんでも」
何でもないようには見えないだろうが、そう答えるしかなかった。
殿下はふむ、と呟くと、「見よ」と腕を上げ、一点を指差した。
丘陵地の奥のほうに山の中に入り込むような道が見えた。
「われわれはあの先にある角笛城に向かっている。そなたの話は長くなりそうだ。今はこれ以上何も聞くまい。まずはそこへ行き、あらためてゆっくりと話を聞こう」
それでよいな?と目線で聞かれたので、わたしは頷くだけで答えた。
話なんて、後でも先でもどっちでもいいというのが正直なところだけど。
わたしが何より気にかけていたのは、ナセは一体どうしたのか、ということなのだから。
いや、どうかしてしまったのは、わたしの方かもしれない。
そんな暗鬱とした気分で、わたしは殿下に抱きかかえられたまま、馬の背に揺られていた、





気詰まりな沈黙を保ったまま何時間か過ぎると、殿下の言う角笛城が見えてきた。
高い防壁に守られた石造りの建物だ。
かなり古いせいか、その防壁には壊れている場所がいくつか見える。
門から伸びる土手道まで来ると、殿下は馬から降りてしまった。
「ここから先は歩いてゆく」
そういうと殿下はわたしに手を差し伸べてきた。
「わわっ!」
たん、と音を立てて地面に着地すると、その途端に着せられていたマントの裾に足を取られてよろけてしまった。が、殿下はさっとわたしを抱きとめてくれた。
「ありがとうございます」
わたしは軽く頭を下げると、着せられていたというよりもぐるぐる巻きにされていたマントを脱いで殿下に返そうとした。
「いや、もうしばらく着ていなさい」
「でも、寒くありませんし」
「そうではない。そなたの衣服は風変わりすぎて、城の者が不安に思う。今のマークは余所者を受け入れられる状態にはなっていないのだ」
「…わかりました」
波風を立てるな、ということか。
別に来たくて来たわけじゃないのに、といささかむっとしながらもわたしはマントを羽織った。
だったら顔が隠れるまで被ろうかとも思ったけど、生憎フードはついていない型で、これを被ると襟ぐりの刺繍がおかしな具合になってしまうのでやめた。
すねている場合じゃないのだから。
門をくぐるとすでに殿下を待ち構えていたように初老の、しかし現役の戦士という風貌の人が立っていた。
殿下の前まで大股で歩み寄り、彼は恭しく礼をした。
「エルケンブランド。何か変ったことは?」
「ございませぬ。オークどもは静かなものですぞ」
「そうか」
「殿、そちらの娘は?」
エルケンブランドという人は無遠慮にわたしをじろじろ眺める。
「ここへ来る途中に拾った」
「…拾った、でございますか?」
その途端、エルケンブランドさんの表情はそれはそれは胡散臭いものを見るようなものに変った。
「これから検分を行う。そなたも立ち会え」
「承知いたしました」
殿下は部下の騎士たちに明日の昼間での休みにすると言い渡し、馬を馬丁らしき人に預け、わたしについてくるように言った。
検分のための部屋につくまで、すれ違う人々がちらちらと、あるいは近くの人と囁きながらわたしを見ているのがわかった。
そこに好意の色は、ない。



「さて、まず確認をしたいのだが」
連れて行かれた先は、殿下の部屋のようだった。
石造りの城、しかも砦として使われているので当然のように窓が小さい。そのため太陽はまだ低くなっておらず、暖炉には火も入っているのにずいぶんと暗かった。
ついでにいうと湿気も多い。
殿下は背もたれのある木の椅子に座り、エルケンブランドさんはその横に立っていた。
ちなみにわたしも立っている。マントは返した。
「そなたはエルフではないのか?」
「エルフ?」
言われた意味がわからなくてわたしは首をかしげた。
エルケンブランドさんははっとしたようにわたしを見た。
「エルフを知らぬと?」
「知りません。それは何なのですか?人種ですか、職業の名前ですか?」
「ここはリダーマーク。ゴンドールの人間はローハンと呼ぶ国だ。聞いたことは?」
殿下は答えず、別の質問を放った。ちくりと胸が痛む。少しくらい教えてくれてもいいじゃないかと思った。
わたしは首をふった。
「ゴンドールのことも?」
「聞いたことがありません」
殿下はわたしの言葉を吟味するように両手を組んだ。暖炉の火に反射して、灰色の目がきらりと光る。
「そなたの名は。ニホンという国の生まれで、私が見つけたときには眠っていた…というよりも気絶していたのだろうな、その前まで己が家にいた、と」
「はい」
「かどわかされたわけでもなく、己が足でマークに入り込んだわけでもない。では、そなたはどのようにしてこの国へ参ったのか。何の目的があって参ったのか」
確認をするためというよりもエルケンブランドさんに聞かせるために、殿下はゆっくりと口を開いた。最後の言葉はわたしに聞いたわけではないのだろう。薪のはぜる音にかき消されそうなほど小さな呟きだった。
「そなたの言うことは不思議なことばかりだが、にもかかわらずそなたは真実を話している。この国の者は嘘をつかぬ。それゆえたやすく騙されることもない。だが、どうにも不可解なことがことがあるな。そなたは気がつく前には庭の掃除をしていたそうだな」
「はい」
「絹の服を着てか?」
一瞬、何をわけのわからないことを聞くのだろうと思ったが、自分が何を着ているのかを思い出して、殿下が何を聞きたいのかを察した。
「これは巫女の制服のようなものですから」
単は綿だが袴と襲は正絹だ。ここに来る間に見た限りでは、絹の服をきている人は一人もいなかった。殿下とエルケンブランドさんの服も、ものはいいけれど絹ではない。一般家庭の娘が着るには高級すぎる、ということなのだろう。
「ミコ?」
「職業の名前です。ええと、神社、と言ってもわからないですよね?」
殿下は頷き、エルケンブランドさんは怪訝そうな表情になる。
「神様を祀るところなんですけど…」
「ああ、神殿か」
「多分セオドレド様が考えているものとは異なるとは思いますが、とりあえずそれはおいておいて、わたしの家はその神社をやっていまして、わたしはそこの跡取り娘なんです。歴史はそこそこありますけど、規模はそんなに大きくないので家族と親類で切り盛りしているんです。巫女というのは神主…神殿で一番偉い人で、うちでは父が務めているんですけど、その補佐をする役目なんです」
表向きは、という言葉を飲み込んで、わたしは話し続けた。
「社殿は母屋と同じ敷地内にあります。ですから家の庭とはいっても、参拝にいらっしゃる方が出入りしますから、掃除といえども普段着でするわけにはいかないんです。仕事が終われば着替えますし、そのときはもっと動きやすい質素なものになりますわ」
「その格好では動きにくいのか?」
ふっと殿下が面白そうに笑った。
「実はあまり好きじゃないんです。走りにくいんですもの」
笑った殿下はなかなか感じが良かった。
「家業とはいえ、手伝いをするのは感心だ。それに年の割にはずいぶんしっかりしているな」
「…セオドレド様、わたしのこと幾つだと思っているんですか?」
きっと誤解されているのだろうなあと思いながらも、一応の確認をとる。
「十を越したくらいだろう?」
やっぱり。
「十九です…」
わたしは童顔なのだ。やろうと思えば小学生料金でバスも電車も乗れると思う。…切なくなるからやらないけど。
「なんだと!?」
殿下は叫び、
「そなた、やはりエルフではないのか?」
エルケンブランドさんは冷や汗を流していた。
だから、エルフって何なのよ。
「単に童顔なだけです。一応、気にしているんですけど」
むうっと頬を膨らませると、
「これは失敬」
「失礼致した」
さすがに失言だったと感じたのか、殿下もエルケンブランドさんも素直に謝ってくれた。
「だが、まあ十九ならばあまり噛み砕いて話す必要はなかろうが…」
「何が起こっているのかは知りませんけど、この国が何かと戦っていて、わたしはそのスパイかもしれないと疑われていることですか?」
殿下の言葉を遮ってわたしは真っ直ぐ彼の目を見て言った。
「そういうことだ」
殿下は真っ向から受け止めて、にこりともしないで頷いた。
「わたしが仮に十歳だったとしても?」
「その時はその時に考えるだけだ」
わたしは肩をすくめた。この国はわたしの考えどおりなら生まれ育った地球ではない。
どこかに助けを求めるのは不可能だ。少なくとも今は。
「…では、何をすればわたしがスパイではないと証明されるのですか?」
ならばわたしのすることは、身の潔白を明かして当面の生活ができるように取り計らってもらうことだろう。
少なくとも目の前の男性は王の息子だ。彼が敵ではないと認めてくれさえすれば、なんとかなるはず。
「そうだな…。そなた、マークのこともゴンドールのことも知らぬのだったな」
「ええ」
「では、なぜそれほど流暢にマークの言葉を話せるのか答えてもらおう。西方共通語ならばまだわかる。だが、マークの言葉はこの国でしか使われていない。むろんロヒアリムではなくても我らの言葉を理解できるものもいるが、それとて我らと何らかのかかわりを持っているものなのだ。ゴンドールの一部の者や、広域に物を扱う商人、それにさすらい人などだな。そなたはそのどれでもないだろう」
「…それは、非常に説明のしにくいことを聞かれますね」
「聞かれて困ることなのか?」
エルケンブランドさんが腕を組んで見下ろしてきた。
「わたしは説明のしにくいことだと申し上げたのですよ。困ることではありません。わたしがマークの言葉を理解できる理由については、一応の推測はありますけど、それをあなた方が信じるかどうか…」
「言ってみろ」
「わたしが巫女だからです」
「どういう意味だ?」
殿下は怪訝そうな表情になる。
「わたしは、自分自身としては日本語…故郷の言葉を話しています。お二人が話しているのも同様に故郷の言葉として耳に届いています」
「そんなはずはない。そなたはマークの言葉を話している」
殿下は頭を振った。
「ですから、わたし同様のことがお二人にも起こっているのでしょう。巫女は職業としては古いものです。時代によって立場が変り、出来ることにも制限がかけられます。ですが巫女の本分は人ならざるものを見ること、聞くこと。力を借り、時には貸す。それは人の法で縛れるものではありません。でもそれはひとまず置きましょう。
神でも精霊でも、呼び名はどうあれ彼らが必ずしも人の言葉を話すとは限りません。ですから、巫女の才能の一つとして意志を疎通させる能力が求められます。才能も必要ですが、主に修練によって磨き上げるものです。わたしは、自分で言うのもなんですが、巫女としては優秀な方ですから、大抵の相手とは意志の疎通ができます。言葉という形をとらないものとでも、一応は」
殿下はわたしを食い入るように見つめてきた。
「つまり、そなたは…」
眼差しが、冷たい。
「魔女か」
「巫女です」
「だが、魔法を使うのだろう」
「何を持って魔法、というのかによりますが。練習をしてもすべての者が習得できるわけではない特殊技能という意味でしたら、そうです」
「小賢しいことをいうな」
殿下は唇の端だけを上げて笑った。が、すぐに真顔になる。
「何ができる?」
「人ならざるものを呼ぶこと。その力を借りること。でも、ここにはわたしに見えるものはないし、誰の気配も感じない」
わたしは袴をぎゅっと握り締めた。
「誰も答えてくれない。ナセ…わたしの半神の気配がない」
「…呼んだのか」
殿下がぽつんと呟いた。その声にわずかに哀れみが含まれているのを感じて、わたしはとっさに頬の裏を噛んだ。
一気に膨れ上がった感情の昂ぶりに、飲み込まれてしまいそうになったから。
「答えはありません」
「わかった」



結果として、殿下はわたしに客室を用意してくれた。
それからエルケンブランドさんに、わたしが魔女だということを誰にも言わないように口止めしてくれた。わたしにも言わないようにといったが、無論こんなことは誰彼構わず言うわけがない。
だからといってわたしが敵ではないと認められたわけではなくて、ヘルム峡谷の中で騎士の邪魔にならないようにするならどこを見ても構わないが、門の外から出てはいけないと命令された。
つまり、やっぱりエドラスに行ってセオデン王の詮議を待たなくてはいけないということだ。
それもやっぱり無理もない話だと思う。






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