一縷の望み
まんじりともしないうちに朝を迎えた水穂は気が進まないように寝台から起き上がった。
あてがわれた部屋はやはり窓は小さいが広さは充分あり、寝室と居間が別れているものだった。寝台の足元には昨日ここの領主であるエルケンブランドの奥方が用意してくれた娘用の衣服が置いてあった。
昨日の内に巫女装束は取り上げられ、着替えさせられている。
泣きはらしてはいないがほとんど眠っておらず頭はぼんやりしている。しかし身体は切実に栄養を求めていた。昨日は疲労と困惑でとても食事をする気にはなれなかったのだ。
しかしそのためには部屋を出なければならない。
水穂は人見知りをほとんどしない性質だが、それでも好奇にまみれた視線の中にさらされるのはさすがにためらわれた。
のろのろと着替えを済ませ、水差しから桶に水を移して手早く洗顔をした。
冷たい水のおかげで頭が冷えるようだった。
(しっかりしなさい、水穂。あんたは多くの神々とも渡り合った巫女でしょう!ここにいるのは人間なんだから。言葉が通じるんだから!)
最後に頬をぴしゃぴしゃと叩いて気合を入れるた。
「おはよう、ミズホ殿。良く眠れ…なかったようですね」
領主夫人は銀のような白髪の混じり始めた金髪の品の良い婦人だった。目の縁が赤くなり、明らかに寝不足の様相を呈している少女に気の毒そうに眉根を寄せた。
「おはようございます。ヒュイド様。はい、ちょっと…寝心地は悪くなかったのですけど」
「無理もありません、大変な目にあわれたのですから。ですが、さあ、こちらへ。朝食にいたしましょう。普段は女たちは女だけのテーブルで食事をすることになっているのです」
領主夫人の先導で席に着いたテーブルは、どうやらこの城に詰めている騎士たちの家族のようだった。
皆、談笑しながらも水穂をちらちらと盗み見ている。
テーブルの上には焼きたてのパン、ソーセージやチーズ、バター、籠盛りの果物が並び、各自が好きなだけ取るようになっている。
少女がほとんど話すこともなく黙々とパンをかじっていると、斜め向かいに座っていた恰幅のよい中年の女がうずうずとした様子で口火を切った。
「ちょいと、お譲ちゃん」
「あ、はい」
水穂が顔を上げると女はふうん、と呟いてじろじろと少女を眺めた。
「うちの旦那はセオドレド様のエオレドに所属しているんだけどね、エルフのような娘っ子を見つけたって、帰ってくるなり騒いでねえ。で、どうなんだい。あんたエルフなのかい?」
遠慮のない女の聞き方に、水穂は苦笑した。
「いいえ。セオドレド様にも聞かれましたけど、わたしはエルフではないですし、エルフがどんなものなのかも知りません。皆さんがそれほどまでに気にかけるエルフというのは、なんなのですか?」
「殿には聞かなかったのかい?」
「聞きました。でも他にも話すことがたくさんあったので、結局話していただけなかったんです」
女は拍子抜けしたように肩をすくめた。
「そうかい。まあ、あたしたちだって、エルフを見たことがあるわけじゃないんだよ。ここからずっと東にアンドゥインって河があるんだけど、そこのもっと上流にいったところにエルフが住んでいるドゥイモルデーネって黄金の森があるっていわれているのさ。もちろん、本当にそんなところがあるかはわかんないよ。何しろマークの外の国のことだからね。でまあ、そこにはエルフの奥方がいてね、森に入ったが最後、出ることはできないと言われてるのさ。エルフってのは、魔法を使うからね」
「…魔法」
水穂が呟くと、女は快活に笑った。
「ま、だけどあんたは聞くまでもなくちょっと顔立ちが違うだけで人間だってことはわかるよ。褐色人の血を引いてるってわけでもなさそうだしね」
「褐色人?」
水穂が首をかしげると、今度は隣に座っていた女が答えた。
見ると、テーブルに座っている女たちのすべてがさっきの女と水穂のやりとりを興味津々と眺めていたのだ。
「褐色人っていうのはマークにたびたび侵入してきたやつらのことさ。今はもう追い出されたけど、混血の者がアイゼン川とアドーン川の間の地に大勢残ってる。あいつらは肌も髪も黒いんだよ」
水穂は女の口調に棘を感じて困惑した。
「マークの人たちと褐色人は仲が悪いんですか?」
「悪いなんて!」
女たちはそろって声をあげて笑い、男たちはその声に何事かと大勢振り向いた。
「お嬢ちゃん、あんた本当に何も知らないんだねエ」
「まあいいさ、遠いとこから来たっていうんだから。そういやどこから来たんだっけ?」
「…日本です」
「聞いたことないねえ」
水穂は男たちのテーブルにいるはずのセオドレドの姿を探した。
故郷の話を禁じられてはいないが、どうやら世界を超えたらしいということは言わない方が言いといわれていたからだ。水穂としても話す気はないのだが、おしゃべりなおばさんたちに相手に本当に黙ったままでいられるのか、不安になったのだ。
「で、名前は?」
我に返った少女は問われた女に向き直り「水穂です」と言って軽く頭を下げた。
「あんた、貴族なんだろう?」
「いいえ?」
水穂は小首を傾げて否定すると、女たちは信じられないと言う顔になった。
どうしてそう思うのかと水穂が問うと、
「なんていうかねえ、そんな感じがするんだよ。食事の仕方一つとってもそうさ。ヒュイド様みたいに丁寧だし、話しかたもね。それに、あんた、畑仕事や家畜の世話なんて、やったことないだろう?手が全然荒れてないし、指だって節くれ立ってないからね」
と返された。
水穂はぱちくりと目を瞬かせた。
(ああ、ここって、本当に日本じゃないんだなあ)
当たり前のように階級があり、畑や家畜の世話を当然のように行う。
そういう国が地球にもないわけではないが、水穂にとっては長らく知識としてしか存在しなかったことだった。それを目の当たりにして水穂は考え込んだ。
いつの間にか知らない世界に一人いて、どうすれば帰れるのか、まったく見当がつかない。
しかし今日、明日にでも帰れるという甘い考えはさすがに持っていなかった。
となれば、自分も世話になりっぱなしではなく、何か仕事をしないといけないのではないだろうか。
(でも、こういう世界でわたしができそうなことって、何があるかしら。畑仕事も家畜の世話もやったことないし…。あ、機織りなら出来る…けど、やり方、わたしの知ってるのと同じかしら。この際だから最初から覚えたほうが早いのかなあ)
心の中でうなっているうちに、女たちは三々五々に席を立った。これから各自の仕事にかかるのだ。
水穂は食事が済むと領主夫人に角笛城の中を案内してもらうことになった。
一通り見てまわった感想は、ここは戦のための砦だというものだった。
三方を高い山々に囲まれているという立地条件のせいで居住の快適性は高くない。畑はなく、家畜はアヒルや鶏しか見ない。牛や豚などはここでは飼育に不向きなのだろう。武器防具の製造のための広い鍛冶場や大きな食糧貯蔵庫が備わり、高い城壁の内側は騎士たちが日頃訓練するために固く踏み固められ、雑草も生えていなかった。
夫人は門の外には出られない水穂のために城壁の上に連れて行き、西の谷を望ませた。
城壁は背の高い男でなければ向こう側を見ることができないほど高いので、狭間から顔を出す。砦の暗渠から流れ出た渓流がゆるやかに流れ出、はるか先には西の谷の集落らしき家々があった。
「あそこが西の谷です。わたくしたちも平和な時期は領主ともども向こうに住んでいました。今はまだ春が浅くて茶色にしか見えませんが、もう一月もすれば草原も畑も緑になります」
夫人は目元を優しく細めて愛しげに谷を指差した。
「では、平和な時期はここには誰も住まないのですか?」
「いいえ、人が住まぬ家は傷みが早くなりますから、平和な時でも騎士が交代で駐屯します。彼らの世話をする女たちも。ここは西エムネトの本陣ですから、エルケンブランドの殿のエオレドがその役目を負います」
「じゃあ、セオドレド様が連れていた騎士も西の谷の?」
「セオドレド様はマークの第二軍団軍団長ですから、エオレドは西エムネト一帯からの選りすぐりの騎士たちで構成されています。その中には西の谷出身の者も少なからずおりますわ。殿は武勇にも知恵にも秀でており、闊達なお人柄で民に慕われていますのよ。あとは早く奥方を娶られて世継ぎをもうけていただければ、全く問題がないのですが」
「え?セオドレド様って、独身なんですか?」
夫人は頬に手を当てて悲しげにため息をついた。
「そうなのです。もう今年で四十におなりだというのに、恋人もいらっしゃらないのです。いえ、何度か女性と付き合ったことはあるようなのですけど、いずれもご結婚までには至らなくて。幾つもの有力な家の者が自身の娘御を殿に娶わせようとしても、殿は興味をお持ちにならず、そうしている間に娘のほうがいい加減結婚しなければならない年齢になってしまい、断念したということも一度や二度ではありません。セオデン王の息子はセオドレド様しかいらっしゃらないのです。なのに殿ときたら、いざとなったらエオメル様、王の妹姫、セオドウィン様の息子なのですが、あの方がいらっしゃるので大丈夫だ、と言っていくらわたくしどもがお早く結婚していただくようお願いしても、のらりくらりとかわしてしまうのです」
「そうですか。でもちょっと意外ですね。わたしは王家というものは知識でしか知りませんけど、そういう方々の結婚は義務のようなもので、相手が好きかどうかとか、本人が結婚したいと思っているかどうかは関係ないものだと思っていました」
「もちろん政略の目的があって行われる婚儀も過去にはありました。ですが、国内が安定してからはほとんど行われておりません。ロヒアリムはキリオンとエオルの誓いが交わされた以前も以後も、自分たちの領土の外に向かってさらなる野望を持ったことがありませんもの。ですから、王家といえども、己が望む乙女と、もしくは騎士と結婚するのです。セオデン王の父君であらせられるセンゲル王もご結婚は遅かったといわれておりますが、そのセンゲル王よりもさらにセオドレド様は遅いのです。ただでさえ…」
夫人はそこではっと口を押さえた。
「どうかなさったのですか?」
「いいえ、気になさらないで。少々しゃべりすぎたようです」
夫人は取り繕うように微笑んだが、水穂は夫人に向き直って真っ直ぐに目を見つめる。
「先ほど言いかけたことがセオドレド様や王に大きく関わることでしたら、どうか話してください。マークの民ではないわたしが知るのは問題があるのかもしれませんが、これからわたしは王の御前に裁かれに行かなくてはならないのですもの」
「そう、ですわね。遅かれ早かれ知られてしまうことですもの。お話しましょう」
皆知っていることですが、と前置きして夫人は声を潜める。
「今のマークの宮廷には奸臣がいます。王の相談役として側仕えをしている、グリマという者です。王は四年ほど前からお身体を悪くされてエドラスに引きこもるようになりました。それまでは一年に一度は各地域を視察に回るなど精力的に働いていらっしゃったのですが、今ではもう、館の外にも出ようとはなさらないのです。王は徐々にグリマにすべてを預けるようになってしまいました。本来なら王のお言葉によってなされるべき政治も軍事も、グリマの口を通して命じられるようになりました。グリマは王の寵愛をいい事に、自分に逆らうものを処罰したり、時には処刑もしています。公然と口にする者はおりませんが、グリマは王のみならず、エオル王家の人間すべてを自分の支配化におこうとしているようです。もちろんセオドレド様もエオメル様もグリマの増長を防ごうとご尽力なさっていますが、セオドレド様は第二軍団の、エオメル様は第三軍団の軍隊長でいらっしゃるので、王の館にいつもいることができないのです。何より王ご自身がグリマの言葉はご自身の言葉だとおっしゃるのです。これではわたくしたちには手も足も出ないのです」
水穂は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「別に簒奪を薦めているわけじゃないんですけど、王には引退してもらって、セオドレド様が王位を継ぐということはできないんですか?」
「王位の交代は、王の崩御か、王ご自身の意志によって退位する旨を宣言されなければできないのです。たとえセオデン王が退位をお望みだとしても、グリマがさせないでしょう」
夫人は嫌悪の表情を浮かべて両手を強く握り締めた。
「わたし、間の悪いところにきてしまったんですね。わたしを拾ったことがセオドレド様の妨げにならないといいんですけど…」
しゅんとする少女に夫人はぱっと顔を上げた。
「あら、それは大丈夫だと思いますわ。いくらグリマのような者でもあなたのような女の子を警戒するとは思えませんもの。むしろ、あなたを処罰しようなどとしたら、臆病者だといわれるに決まっています。あなたは何の心配もしなくてもいいの。エドラスは人々の心が荒んできているので、特にロヒアリムでない者には居心地が悪いと思いますわ。王のお許しがいただけたらまたここに戻っていらっしゃい。ああでも、ここは若い娘がいるには殺伐としていますから、西の谷のわたくしたちの館に住んだ方がいいかしら」
夫人は柔らかく微笑む。水穂はほっとしたように笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、ヒュイド様。あの、それから、他にもお聞きしたいことが…」
「なんでしょう」
「エルフというのは魔法を使うそうですけど、彼らならわたしの故郷を知っていると思われますか?」
水穂が聞くと、夫人は驚いたように口元を手で覆った。
「わたくしたちは魔法をとても恐れています。エルフに会ったことはありませんので、それがどのようなものか、実際にはわかりません。ですがエルフに頼ろうなどとは思わないほうがよろしいわ」
「…そうですか」
水穂は力なく肩を落とした。少女の落胆振りに気の毒に思った夫人は水穂のきゃしゃな肩に手を置いた。
「エルフのことはわたくしにはわかりませんが、相談をするのならば魔法使いの方がいいと思いますわ」
水穂はきょとんとしたように目を瞬かせた。
魔法が怖いというのに魔法使いがいるのかという疑問がその表情からも見て取れた。
「魔法使いがいるんですか?」
「ええ。灰色の魔法使いと呼ばれているガンダルフと、白の魔法使いと呼ばれているサルマンの二人が知られています。他にもいるのかもしれませんが、わたくしたちは存じません」
「エドラスにいるのですか?」
「いいえ、ガンダルフはいつも旅をしているので一箇所には留まらないのです。頻繁に現れるかと思えば、何年も姿を現さないこともあります。サルマンはオルサンクに住んでいます。ここから北へ馬で一日ほどのところです。そこはサルマンが管理をしていますが、領土としてはゴンドールに属しているのです」
「では王のお許しがいただければ、オルサンクに行けるのですか?」
水穂はすがるような眼差しで奥方を見上げた。
「それは王次第ですので、わたくしには答えられません。わたくしではなく、セオドレドの殿にご相談をなさるとよろしいでしょう」
「わかりました、そういたします」
水穂は頭を下げると、ここにきて初めて晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「セオドレド様?」
夫人と別れた水穂はセオドレドの姿をさがして城中を歩き回った。何度か空振りに終わったものの、今はどうやらここ、厩舎にいるらしい。
外開きの扉を細く開けて、中を覗き込んで声をかけた。
中には何頭もの馬が大人しく馬房につながれている。
「セオドレド様、いらっしゃいませんか?」
キイと扉の軋む小さな音と共に扉を開けて中に入る。
「セオドレド様」
通路には人影がない。
水穂は薄暗い厩舎の中をゆっくりと歩いた。セオドレドは馬の世話をしにここに行ったとのことなので、一頭一頭仕切りの中を覗いた。馬たちは不思議そうに、あるいは興味深そうに水穂を眺めているが、とある一頭が不機嫌そうに高くいなないた。
水穂はびくりとあとずさる。
その馬は耳を寝かせて歯をむき出し、威嚇していた。
(うわ、なんか怒ってる)
水穂はその馬の前をさっさと通り過ぎようとしたが、ふっと気がついて後戻りをした。
一応はつながれているのでいきなり蹴られる心配はないだろうが、艶々と美しい濃いこげ茶の毛並みのその馬に水穂は見覚えがあったのだ。
「あなた…ブレゴよね。セオドレド様の馬の」
ブレゴは頭をゆすり、前足で地面を叩く。
「えっと、もしかして、わたしが耳元で悲鳴をあげたから怒ってるの?うわっ」
ブレゴはひときわ高くいなないて棹立ちになった。水穂はとっさに後ろに下がり、頭を庇った。
「ごめん、ごめんなさい!もうしないから!」
少女が叫ぶと、途端にブレゴは大人しくなった。水穂はほーっと息を吐くと、涙目になってブレゴに食って掛かった。
「悪かったわ、ブレゴ。でもね、いくら雄でも女心の一つくらい知っておいたほうがいいわよ。女の子はね、自分の知らない間に見知らぬ男性に抱えられていたりしたら、悲鳴をあげるものなの。あなたも立派な男なら、そういう時は寛大に受け流すものよ」
びしっと指差されてブレゴは低く唸った。何となく、ふて腐れているようにも見える。
「あなたのご主人様のことなら心配しなくてもいいわよ。大体あなた、わたしにセオドレド様をどうこうできると思ったの?」
「それは無用の心配というものだ。なあ、ブレゴ」
「セオドレド様!」
いつの間にかそばにいたセオドレドが肩をゆすって笑いを堪えていた。
「どこにいらっしゃったんですか?」
馬と喧嘩をしているところを見られた水穂はばつが悪そうに頬を染めた。
「ああ、少し外に出ていたのだ。壊れかかった馬具を見つけたのでな、修繕に出しに。しかしブレゴ、ミズホの言うことも最もだぞ。そなたもメアラスの血を引くのであれば、多少の事態には動じぬものではないか?無論、こちらの娘にもそなたの背の上で叫ばぬようにしていただくがな」
セオドレドはブレゴの鼻面をなでて笑いかけた。
ブレゴは甘えるようにセオドレドに顔を摺り寄せる。水穂は腰に手を当てて苦笑した。
「もちろん、そうします。でもまたブレゴに乗ることがあるのかしら」
「そなたが一人で馬に乗れるのであればそなた用に一頭用意するが。少なくともエドラスに行くために一度は馬に乗らねばならんぞ」
「駆け足くらいならなんとかなるんですけど、長い時間乗ったことはありません」
「そうなると、やはりブレゴに乗ってもらうしかないな」
「そうですか…。だそうよ、ブレゴ」
ブレゴは鼻息も荒くいなないた。
「ブレゴと話ができるのか?」
薄暗いところで話もなんだからと厩舎の外へ出た。
「話というか…意思が飛んでくる感じです。でもわたしの能力がなくても大きい動物はだいたいなんとなくこんなこと感じてるんじゃないかなって、わかりません?」
「そうだな」
セオドレドはふっと笑った。水穂が馬にしり込みしなかったことに好感を持ったのだ。
「ところでミズホ、どうしてここへ?見学か」
「いいえ、セオドレド様を探していたんです」
「何かあったのか?」
「…ご相談があります」
水穂は表情を引き締めてセオドレドを見あげた。
「聞こう」
「魔法使いのサルマンに会ってお話がしたいんです」
「サルマン?」
セオドレドは意外そうな表情になったが、そのまま理由を言うように促した。
「…家に帰りたいんです。でもわたしはこの世界の人間じゃないので、どれだけ探してもわたしの故郷は見つかりません。多分、いいえきっと、わたしの半神はわたしを探しています。いつか迎えに来てくれる。でもその「いつか」がいつなのか、わたしにはわかりません。わたしも家に帰る方法を探したいんです。最初は、エルフが魔法を使うと聞いて、彼らに会いたいと思いました。でもマークの方はエルフを本当に苦手としているようなので…。ヒュイド様に魔法使いのことを伺いました。もしかしたら、わたしの故郷を知っているかもしれません。知らなくても、確かめないうちにはあきらめられません。お願いです、どうかわたしをオルサンクに行かせてください。わたしにできることなら何でもいたします。お願いです、どうか…!」
「ミズホ」
セオドレドは少女の頭に大きな手を乗せた。そのまま犬か子供にするようにぐりぐりとなでる。
「そのように泣きそうな顔をするな」
「セオドレド様?」
「それくらいのことならば、父も許すだろう。あの御仁は塔に篭って外に出ることはめったにないし、彼の考えることは我々が普段悩むような目先のことではなく、もっと先の深く崇高なことなのだ。それゆえ頻繁な交流はないが、関係は良好だ」
セオドレドはあごに手を当てて頷く。
「ちょうどいい。昨今、オークの数が増えてきている。闇の王が復活しつつあることの影響だとのことだ。サルマンはおそらく既に知っているだろうが、互いの情報を交換し合い、今後の対策への助言をいただくのも良いだろう」
「…セオドレド様も行かれるの?」
「道もわからぬそなた一人をオルサンクへ行かせられるか。ましてやどこでオークに遭遇するか、わかったものではないのだぞ。それにロヒアリムは一度係わり合いになった者を見捨てたりはせぬ」
力強く断言するセオドレドに水穂は瞳を輝かせた。
「ありがとうござます、セオドレド様。それで、いつ行けますか?」
「そう急くな。まずはエドラスに行き、父の許しを得るのが先だ。出発までの間、特にすることがないのであれば、馬に乗る訓練を受けたほうがいい。時間があれば私も教えよう」
セオドレドはくしゃりと笑うと、再び少女の頭をぐりぐりとなでた。
和やかな空気の中、厩舎の奥からブレゴの鳴声が聞こえた。
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