「二人とも、お帰りなさい。アイゼガルドはいかがでしたか?」
厩でセオドレドとが協定を結んでいたところにエオメルとエオウィンが姿を現した。
「…駄目でした」
軽く肩をすくめてが答えると、エオウィンは、まあ、と気の毒そうに眉をひそめた。
「セオドレド、早馬からの命の件ですが…」
声を落としがちに従兄に報告をするのはエオメルだ。
「ああ、エオメル、グリマを訪ねて来た者はいたか?」
「グリマを訪ねてきたかどうかまでは確認が取れなかったのですが、今朝方、城門の近くまで来て様子を探るようにうろついていた者が一騎おりました。従兄上のお言いつけでしたので、深追いはしなかったのですが…。頭巾を目深に被っていましたので、人相まではわからぬのですが、馬の扱いを見ると、わが国の人間ではないようです」
「その時グリマはどうしていた?」
「少々騒ぎになりましたゆえ、様子を見に来たというように館からは出ましたが、それ以上外へでることはありませんでした」
「そうか…」
セオドレドは口を強く引き結び、従弟の報告を受け取った。
「何事かあったのですか?」
「ああ。それも予想以上の大事だ。父上にすぐにでもご報告しなければならない。お前も立ち会うだろう?」
「そのつもりでお帰りをお待ちしておりました」
エオメルは力強く頷いた。
「よし。では行くぞ。」
セオドレドはに手を差し伸べると、少女は硬い表情でその手をとる。
留守番をしていた兄妹はいぶかしげに顔を見合わせた。
難題 また 難題
「お帰りなさいませ、セオドレド殿。アイゼンガルドの賢人は殿にどのような知恵を授けたのですかな?」
セオドレドがと共にセオデンの前へ進み出ると、グリマが立ち上がって口火を切った。
その表情にはどこか探るようで、ふてぶてしさの中に怯えが見え隠れしていた。
大広間の両脇にはいつものように廷臣たちがずらりと並んでいた。エオメルもすでに立ち位置につき、エオウィンはセオデンの後ろに控えている。
セオドレドはグリマに一瞥をくれると、父王に向かって礼をした。も同時に頭を下げる。
「ただいま戻りました、父上。この度のアイゼンガルドへの訪問はまこと有意義なものでございました。これほど多くの益となる知らせを持ち帰ることができようとは。それも、知らねば確実に破滅へ向かって行くこととなっていた事柄です」
「ほう」
セオデンは興味深そうに身じろぎをした。
グリマは平静を保とうとしているが、警戒していることがわずかに落ち着きのない目線でそれとわかる。
「その前に、本来の目的である、の件からご報告したいと思います。結果としては、サルマンはニホンを知ってはおりませんでした。そこで、彼女の身の振り方を決めなければならなくなりましたが、わたくしはエルケンブランドにを養女にするよう頼みました」
途端に大広間にざわめきが走る。
「エルケンブランドか。承知したのか?」
「はい。彼には娘はおりませぬゆえ、快諾してくれました」
セオデンは驚きを表したものの、すぐに了解を示した。
「よいだろう。仕方がないことだったとはいえ、あれには気の毒なことをしてしまったのだから」
は王の言う「気の毒なこと」が処刑されたエルケンブランドの息子、会うこともなかった義理の兄のことだと察した。胸の中に苦いものが満ちてくる。
しかしそれもグリマの大げさな嘆き声にかき消された。
「なんということ、このような横紙破りをお認めになられるのですか、陛下。エルケンブランド卿はマークでも一、二を争う力のある領主です。その方の下へ、ロヒアリムでもない者を養女にするなど、いくら王の息子といえども許されるものではございません。汚れなき白妙に墨を混ぜるようなものです。セオドレド殿、貴殿はこの小娘にたぶらかされておいでか?身の程知らずの高い地位をねだられましたか?」
この品のない発言に嫌な顔をした廷臣は一人や二人ではなかった。
エルケンブランドの養女というのは優遇に過ぎると考えていた者もそれですっかりに同情するようになった。
セオドレドは冷ややかな眼差しでグリマを見据え、堂々と言い放つ。
「口を慎め、グリマよ。ああ、まったく貴様のその愚劣な考え、耳が腐るわ。彼女は貴様など足元にも及ばぬほどの機知と情とを兼ね備えているのだ。私は恩義には恩義でもって報いようとしただけ。お聞きください、父上、我が王よ。彼女はわたくしとエオレドを守るために、わが身を省みず犠牲にしようとしたのです。幸い難は逃れたものの、この高潔なる意志に対してたかだか貴族の養女というのが、それに見合うほどの返礼になりましょうや?」
「犠牲に?それはどういう意味だ、セオドレド」
父王の問いかけに、セオドレドは大きく息を吸った。
「アイゼンガルドは、われ等の敵になっておりました」
「何?」
「まさか!」
セオデンはいぶかしげに眉を寄せ、グリマは悲鳴のような叫び声を上げた。
広間はざわめき、収拾がつかない。
セオドレドは口調を押さえ、静かに語りだした。
「わたくしが見たものを、ここにいる全ての者に見せてあげたいものです。緑豊かだったアイゼンガルドが不毛に荒れ果て、清き流れは泥と化していた。アイゼンガルドは戦の用意をしています。密かに、速やかに、しかし確実に…」
セオドレドはアイゼンガルドでの出来事を一部始終話して聞かせた。
と魔法使いのやり取りもだ。
ここで下手に隠してしまえば、敵になったはずのオルサンクから無事に逃げ出せた理由があいまいになってしまう。それでは信用が得られない。
できれば言いたくなかったのだ。時間がないながらも、厩で最低限の打ち合わせをした時に、が魔女であることを伏せる方向で話を進めようかと申し出た。謂れのない悪意から少女を守りたいと思ったのだ。それはあまりにも不当なことだから。
しかし彼女は断った。それでは意味がないのだと笑ってさえいた。
だが案の定、が魔女であることに警戒をあらわにする者が続出しているようだ。
声には出さないものの、顔に不信感が広がっている。
セオドレドはさりげなく周囲を見渡した。
エオウィンは驚いたようにをまじまじと見つめている。
エオメルはひどく困惑したように腕を組んでいた。
仕方がないか、と内心で呟いた。
は突き刺さる視線の中でじっと前を見据えて立っていた。こうなるだろうということは予測していたが、それで居心地の悪さが変わるわけではない。
だが、ここを超えなければセオドレドの目的は果たせなくなる。
協力すると決めた以上、足を引っ張るような真似をするわけにはいかない。
ともすると火照りそうになる頬を引き締めて、は正面を見つめ続けた。
そこにいるのは、目を覚まさせなくてはいけない王と、排除しなくてはならない敵だ。
「、そなた、魔女というのはまことか?」
「はい、陛下」
セオデンの眼差しは冷ややかだった。
「なぜ、はじめにそうと言わなかった?」
「それはわたくしが…」
セオドレドが庇おうとするのをさえぎり、は答える。
「マークの方は魔法を好まないと聞きましたので、波風を立てない方が良いと思ったのです。申し訳ございません、軽率でした」
「まったくだ。陛下はお前が気の毒な身の上と思われたからこそ、ご厚情をかけたというのに、こんな大事なことを隠すとは。そしてセオドレド殿もそのことをちゃんとご存知のご様子。陛下、どうやらセオドレド殿は魔女にたぶらかされたのではなく、自ら手を組んだと思ったほうがよさそうでございますなあ。そうでなくて、西の谷のご領主の養女(むすめ)という高い地位を授けるなど、正気の沙汰とは思えませぬ」
「うむ」
蛇の舌の粘つくような声が広間に響き渡る。
セオデンはグリマの憤慨に引きずられるように気分を害していくようだった。
「このことがわかった今では、サルマン殿が敵に回ったという、セオドレド殿のお話も疑わしくなってきましたな。裏切りの画策をしているのは一体誰なのやら。オルサンクに目を向けさせ、われらが見当違いの方向を向いている隙に、偉大なる父王を玉座から追い落とそうとでも?」
「グリマ、貴様がそれを言うか!」
叫んだのはエオメルだった。
が魔女だということに衝撃を受けてはいたが、敬愛するセオドレドが庇う以上、考えがあってのことだと思ったのだ。
それにエオメルは少なからずと話をしている。
変わったところがあるとは思ったが、それは単にマークとは違う土地で育ったせいであるのだろう。とにかくエオメルの知っているという少女には陰湿なところは少しもない。
健やかに育ったのがよくわかる、気持ちのいい娘だった。
そのに、そしてセオドレドに裏切りの濡れ衣を被せようとするグリマにエオメルの怒りが爆発した。
「陛下の耳に偽りを吹き込み、何人もの罪もない騎士を死なせただけでは飽き足らず、今度はセオドレドを陥れるつもりか!裏切り者はどっちだ!?」
「我が妹の息子エオメルよ、口を慎め!余の相談役に無礼は許さぬ」
「陛下!」
セオデンの制止にエオメルは絶望をにじませて叫んだ。
いつもこうだ。自分やセオドレド、何人もの忠節の臣下がグリマを糾弾しても、セオデンが遮ってしまう。自分たちにとっては自明なことが、セオデンには届かないのだ。
「エオメル」
悔しさを露に唇を噛んだ従弟に、セオドレドは落ち着けと目で合図した。
「…ご無礼、お許しを」
エオメルは渋々頭を下げた。
「父上、お疑いはご最も。しかしわたくしは偽りを申してはおりませんし、いたって正気です。サルマンは間違いなく戦の準備を進めております。オルサンクの目的がマークでないにしても、彼はすでにわれらの善き隣人ではありません。しかしわたくしの考えでは、サルマンはマークも己の物にしたがっていると思っております。その証拠に、彼はこの宮廷に己の間者を送り込んでおります。そう、陛下の足元にいる男です」
「な…何を言われるのです、セオドレド殿!」
今度はグリマが叫ぶ番だった。
「グリマが…?」
セオデンは玉座の下にいる男に視線を落とした。
「からくりはわかってしまえば至って簡単なものでした。グリマとてはじめからこのような男ではなかった。そのことを覚えている者はここに大勢いるでしょう。父上がご体調を悪くされた頃から、グリマもずいぶん変わりました。その理由はサルマンに会ってわかりました。寝返ったのか、誑かされたのかは知りませぬが、子が親に似るように、弟子が師を真似るように、グリマはサルマンに似ているのです」
セオドレドはじろりとグリマをにらみ付ける。
青くなったグリマは息を荒げ、脂汗を流した。
「わ、私を陥れるおつもりですか、セオドレド殿。私がサルマン殿に似ているのだとしても、それが裏切りの証拠になるのですか?私とて賢人として陛下にお仕えしている者、足元には及ばぬでしょうが、賢人団の長たる白の魔法使いに似ていてなんの不思議があるというのです。非難される理由にはなりませんぞ!」
「ほう。しかしサルマンと同じ魔法使いだというのに、ガンダルフはサルマンには似ておらんが?」
セオドレドは動じない。
「あのような災いの前にしか来ぬような者が二人といてたまるものか。サルマン殿がガンダルフなどに似ていないのは幸いなことだ!」
グリマは吐き捨てる。
「さすがに飼い主の悪口はいえないか、グリマよ」
「二人とも止めよ!」
セオデンの一喝に二人とも口論をやめた。
しかしグリマはすぐに哀れっぽい声を出し、セオデンに向かってひざまずき、懇願するように手を合わせた。
「ああ、殿。わたくしは今まで殿とマークの御為だけを願って殿に尽くして参りました。しかし世継ぎの君はグリマめを誤解しておられるようでございます。殿に忠実なるグリマが裏切りものだとお思いになっていらっしゃる。これほど悲しいことがありましょうか!殿よ、ご子息を愛するあまりに心から殿に忠節を誓っているグリマをお疑いにならないでくださいまし!」
「余はそなたを信用しておる、グリマよ」
「おお、殿!」
涙を流さんばかりの喜びでグリマの顔は輝いた。
セオドレドは落胆を隠し切れなかった。
「セオドレド」
「は」
「そなたの見聞きしたことも疑ってはおらぬ。サルマンが戦仕度をしているのは事実なのだろう。が、しかしそれがマークに敵対するためだとは余には思えぬ。余はそなたよりも多くサルマンと会うたことがあり、彼の性格はそなたよりもわかっておる。彼の高潔な心が変節するなど、ありえぬことだ。彼の目的は、彼が言うようにモルドールなのだろう。美しきアイゼンガルドが見る影もなくなったというのは悲しいことだ。それがそなたに大いなる衝撃を与えたのだろう。そなたは麗しい思い出が無残に砕けてしまったせいで、ありもせぬ裏切りをサルマンの背後に見たと思い込んだだけなのだろう」
「父上、わたくしは…」
「もうよい、ご苦労であった」
再び説得を試みようとするセオドレドをセオデンは制する。
「さて、。そなたはどうしたことか」
「わたしを野放しにするに抵抗があるのでしたら、どうぞ牢にでも閉じ込めて下さって結構です。ですが誓ってわたしはマークに敵対する気はありません。わたしが魔女であることは変えようのないことですが、それだけで不実な人間だと思われてしまうのですか?わたしは恥も恩も知っています。この胸には良心があります。恩ある方に平気で牙を剥くような、外道な真似がどうしてできますでしょうか」
凛とした声が広間に響き渡る。
背筋を伸ばし、前を見据え、率直に語る少女にセオデンは嘆息した。
「よい、わかった。この件は不問にしよう。そなたのことはセオドレドに任せ、セオドレドはそなたをエルケンブランドの養女になるよう決めた。なればそなたはエルケンブランドの娘だ」
「ありがとうございます」
は目を伏せる。
だがセオデンの話はそこで終わらなかった。
「しかし、エドラスであれ西の谷であれ、マークの領内で魔法を使うのは禁ずる。よいな」
「…はい。承知いたしました」
は一礼するとセオドレドをちらと見上げた。
今回はここまでだな、と彼は目で返してきた。
「夜にエオウィンの部屋で待て」
報告が終わり、それぞれの役目に戻るために人々は三々五々に散っていく。セオドレドも自分の務めに赴く前にの耳にそう囁いて出て行った。
そして夜。
「えーーーと。……ごめんなさい」
気まずい空気に、は思わず頭を下げた。
「いや…まあ、気持ちはわからんでもないが」
「たしかに、とても驚きましたけど…」
エオメルとエオウィンは困ったように顔を見合わせる。
ここに集まるように言ったセオドレドはまだ来ない。どう話をしたものかわからず、エオル王家の兄妹と異世界の少女は先ほどから互いに視線をぎこちなくやり取りしているのだった。
「…まあ、セオドレドは知っていたわけなのだから、害はないと判断したんだろう。だったらそれでいいと私は思う」
「わたしが言うのもなんですが、ずいぶん簡単ですね、エオメル様」
は信じられないと目を丸くした。
「私はセオドレドを信じているからな。だが、これ以上の隠し事はなしにしてくれ。もう、何もないだろうな?」
「…さしあたっては。でもどこまで話をすれば隠していないことになるのかがよくわからないんです」
エオメルは頬をかいた。
「まあ、生まれてから今までのことをすべて話すわけにもいかんからな。とりあえず、そうだな、実はエルフでした、というようなことは…」
「それはないです。ええ、もう、絶対」
は宣誓するように右手を上げた。
なごやかな雰囲気になった頃、控えめなノックとともにセオドレドが入ってきた。
「すまない、遅くなった」
「お疲れ様でございました、セオドレド」
エオウィンは立ち上がって水差しから注いだ蜂蜜酒をセオドレドに差し出した。
それを半分ほど飲んでから、セオドレドは3人をぐるりと見渡す。
「今日の話し合いの結果は、五分といったところだ。グリマを追放できなかったのは痛いが予想の範囲内、それにを何の処分もなく認めてくださったのだから幸先は悪くはない」
はこくこくと頷いた。
エオメルはそんな少女を横目で見ながら、
「セオドレド、一体に何をさせようというのです。彼女が危険な目に合うとわかっていたのでしょう?」
と心配そうに聞いた。
「わたしも早く知りたいです。具体的なことは何一つおっしゃってくださらなかったから、この件を引き受けるのをものすごく悩んだんですもの!」
「まあ、そうでしたの?」
エオウィンは意外そうに声を上げた。
「無論、には父とグリマを見てもらいたいのだ。そなたの目に映っている世界は、われらの知る世界とは随分違うようだからな。そなたの能力は存分に生かして欲しい」
テーブルに肘を着き、軽く両手を組んでセオドレドは軽く微笑んだ。
「父の不調の原因、もしくはグリマの裏切りの証拠。どちらでもいい、誰の目にもはっきりとわかるものを探り出して欲しい。それは必ずあると私は睨んでいる。そのためには父にもグリマにも近づいてもおかしくない立場が必要だと考えている」
「…それで、をエルケンブランド殿の養女にしたと?」
エオメルの問いにセオドレドは首を振る。
「いや、これはそのための布石だ。エドラスではエドラスでの立場が必要となる。エオウィン、近々をそなた付きの女官とするよう取り計らうので、ユルゼと共に彼女の教育を頼みたい」
エオウィンは従兄をじっと見上げる。
「…そうおっしゃると思いましたわ。他に叔父上のお側に寄れる方法はありませんもの。王家の傍仕えになれるのは、貴族でなければならないというのが慣例。セオドレド、最初からを巻き込むおつもりでしたのね」
ははっとセオドレドを見やった。
「それは誤解だ。私は何度も危険だということを伝えた。関わるからには客でいることはできない、マークの民として生死を共にすることになるとな。それでもやると言ったのはなのだ」
「ですけど、が関わることを選ぶよう、仕向けたのではありませんか?セオドレド、あなたは本当にこの事態をわかっていらっしゃるの?わたくしの侍女というだけではを危険から守ることはできません。今のところ処刑こそされていませんが、あの男はすでにわたくしの侍女を数人、エドラスから追放しているのですよ。ですが今日従兄上はを腹心だと宣言したも同然のことをなさいました。民として生死を共にするどころか、このままではは間違いなく殺されます!」
エオウィンは激しい感情を抑えきれずに、責めるような口調でセオドレドに詰め寄った。彼女の剣幕には口を挟むこともできずにおろおろと二人を見比べるしかなかった。
「わかっている。そしてエドラスを離れる機会の多い私では、いざというとき彼女を守れないということもな」
「でしたら…!」
「私はと結婚したいと思っている」
「………は?」
エオウィンは言われたことの意味がわからないというように聞き返した。
それはエオメルも同じで、聞き違いかとセオドレドを凝視した。
はというと、あっけにとられたように口をあんぐりと開け、固まっている。
「が私の妻になれば、彼女はエオル王家の一員だ、グリマといえど手出しはできなくなるだろう。は誰の目にも明らかな健康な女性で、その彼女にもしなにかあったら、いの一番に疑われるのは避けようがない。なにしろ私と奴は敵対しているのだから」
「…ああ、偽装結婚ですね」
ぽんと手を打って、は明るく答えた。とはいえ、口の端はまだひくついている。
「いや、従兄上のお年を考えると、それはムリだ。もう四十歳だからなあ。本当にセオドレドの妃になってもらうことになると思うぞ。これが宮廷の者たちに受け入れられるかどうかは別の話だが」
エオメルは思案するように顎に手を当てる。だが顔には冷や汗が浮かんでいた。
「…いい案です。いい案だと思いますわ。にとって初耳であることを除けば、ですが」
エオウィンは真剣な表情で頷いた。そしていたって真顔でセオドレドに問う。
「愛はあるのですか?」
「無論だとも」
「ちょっと待って〜〜!!」
なんだかこのまま放っておくと話がどんどんオソロシイ方向に進みそうな気がしたは、絶叫しながら立ち上がった。
「何考えてるんですか、セオドレド様!どうしてそういうことになるのっ!?」
「理由は今言ったが?」
「そうですかど、そういう理由で決めないでください!なんのためにいままで独身でいたんです?好きな人と結婚するためなんでしょう!?」
「私はそなたを愛しているぞ」
セオドレドはにこやかに答える。
「〜〜〜〜〜〜!!」
は額に手を当てると崩れるように椅子に座った。
エオウィンは「あらあら」と呟くとの杯に蜂蜜酒を注いだ。はそれを水を飲むように飲み干した。
「…セオドレド、疑うわけではないのですが、一体いつから…?」
エオメルは混乱する少女に助け舟を出すつもりで従兄に聞いた。
伊達や酔狂でこんなことを言い出す従兄ではないとわかっていても―なにしろ、この年まで頑として独身を貫いていたセオドレドなのだ―彼にしても従兄が特別の感情を少女に寄せているようには見えなかったからだ。
「サルマンと対峙しているを見たときからだ。外見のせいか、見かけほどか弱くはないとわかっていても、どうしても風にも耐えない乙女だと思ってしまってな。だがサルマンと真っ向から向かっていたの清冽な清さとしなやかな強さをもつ意志に胸を打たれた。…その時はじめて愛しいと思った」
はうつむいて口を開こうとはしない。しかし覆いのように顔を隠す髪の間から見える肌は熟れた果実のように真っ赤だった。
「はあ…なるほど」
エオメルはがしがしと頭をかく。
「それでしたら、どうしてもっと早く告白なさらなかったの?それに、そのそっけない口調!それではどんな乙女といえど、従兄上の本心を信じることなどできませんわ」
ロマンチックさが足らないと、エオウィンは不満そうに頬を膨らませた。
「…私とて照れはあるのだぞ、エオウィン。弟と妹の前で愛する乙女を口説けるほど図太くはない」
するとエオウィンは大げさなほど驚いたような表情になると、
「まあ、わたくしったら気がきかなくって。二人きりにした方がよろしいですわね」
と兄の腕を引っ張って、今すぐにでも出て行こうとする。
もっとも、ここはエオウィンの部屋なのだが。
セオドレドは苦笑して、エオウィンに座るように合図した。
「それは後でいい。」
呼びかけられて、少女はあからさまにびくっと身体を強張らせた。
「先に断っておくが、これは強制ではないよ。そなたの身を守るという意味では、これが最良だとは思っているが、それでも私との結婚についてだけは命令する気はない。覚悟やら割り切りやらで決められては、さすがに私も悲しいのでね。そなたにすれば二回りも年が離れていて、まったく眼中になかったのだろうが、少し考えてはくれないだろうか」
は真っ赤になったまま、はいともいいえともつかないことをもごもご呟くだけだった。
「セオドレド…今日は…」
エオメルが少女を気遣うようにとりなすと、セオドレドはわかっている、と頷く。
「すまなかった。できればもっと落ち着いているときに話したかったが、状況が状況だったからな。今日はもうお休み。だが、明日から私はそなたを口説きにかかるからね。恋する男としては、そうしないではいられないのだから」
そういい残してセオドレドは部屋を出て行った。後を追うようにエオメルもいなくなる。
残されたは放心したようにテーブルに突っ伏した。
そのままずっと動かないので、エオウィンは大層困ったという。
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