グリムボルド。西の谷の大将。わたしがこの国に来てすぐに会った人の一人だった。
ホルン。近衛隊の若者。大きな身体でとても力が強いけれど、愛嬌のある人だった。
ドゥンヘーレ。馬鍬砦のある一帯を治める族長。義父エルケンブランドの甥で、つまりわたしにとっては義理の従兄だった。数えるほどしか会ったことがないが、静かな炎を抱いているような人だった。
セオデン。マークの王。一度は闇の誘惑に屈したものの、ガンダルフの癒しにより力を取り戻した。そして自ら兵を率い、角笛城の合戦では勝利を得た。そのため人びとはエドニュー(更正せる)と彼を呼ぶようになった。そしてわたしにとっては、愛した人の父。この世界でのもう一人の義父となる人だった。だが思い返してみれば、真実向き合って話ができたのは、ほんの数度だけ。結局わたしは、どれほどの力にもなれなかったのだ。それが悔やまれてならない。

だが、どれだけ嘆いても彼らはもう戻らない。
皆、ゴンドールへ戦いに赴き、戦場に散ったのだから。










とんびアタック










黄金館の入り口に立って遥か彼方を見やっていたエオウィンとは、空の青と草原の緑の境にちらちらと動くものを見つけたように思った。
それはゆっくりと近付くにつれ、長大な列となって現れた。
色とりどりの旗が風になびき、冑や鎧の金属が太陽の光を反射している。
先頭を行くのはマークの一行だ。王旗を掲げた馬車のまわりには人間世界の二人の王と飛蔭に乗ったガンダルフが付き添っている。
その後ろにはエルフの一団が、ゆったりと馬に揺られていた。細くなよやかな彼らは、夏の明るい日差しの元では陽炎のように見える。そして最後尾にはゴンドールの騎士や大将たちが控えていた。
ゴンドールから旅してきた一行は、歓呼の声で迎えられた。馬車は門の前でとまり、そこから先は王直属の兵によって棺が運ばれる。それは大広間に葬儀までの間安置されることになった。
この日のためにと、黄金館はどこもかしこも磨きたてられている。壁は特別美しい壁掛けで覆い、床は清められ、また明かりがないところはなかった。
だがゆっくりと館に入城する人びとを迎えながら、は部屋が足りるかと内心では心配になってしまった。やはりエオメルには今日から王の部屋を使ってもらわないといけないだろう。そしてこれまで彼が使っていた部屋はお客様用にするのだ。念のためにと清掃しておいて良かった。
そんなことを考えていると、見知った顔が近付いてるのに気がついた。向こうもに気がつき、にこやかに笑って片手をあげる。そしての前で立ち止まった。
「やあ、レオフォスト」
「レゴラス。それにギムリさん。お久しぶり。お二人とも無事で良かったわ」
「あなたも。レオフォスト姫」
レゴラスと一緒にやってきたギムリは慇懃に頭を下げた。
屈託なく微笑むレゴラスの顔には傷一つない。戦場を駆け回ってきたとは俄かには信じられないほどだ。一方ギムリは角笛城の戦いで負った傷はもうすっかり治ったようだ。傷跡も豊かな髪で隠れてしまったようである。
挨拶を交わしているをじっとみつめていたレゴラスは、濃い青の目を細めた。
「レオフォストはずいぶんと変わってしまったね。人の子の成長は早いっていうけれど、本当にそうだ」
「そんなに変わりました?」
は頬を押さえた。一時期、心労でやつれてしまったのだが、まだ回復していなかったのだろうか。
だがレゴラスは小さく笑い声を立てると、そうじゃないと頭を振った。
「悪い意味ではないよ。綺麗になったと私は言いたかったのだもの。大輪に開く花の蕾のよう。まだ悲しみの影は去っていないけれど、そのうち明るい光と風が、あなたを癒してくれるだろう。その時こそあなたが花開くときだろうね。楽しみだなぁ」
「…ありがとう」
一応褒められているようなのでは礼を言った。しかしよく考えてみるととても恥ずかしいことを言われたように思える。
ギムリは少女が戸惑っていることを察して、友に合図を送った。
「さあ、後ろがつかえているからもう行かないと」
「そうだね、行こうか。じゃ、また後でね。レオフォスト」
「ええ…。また」
レゴラスは軽く片手をあげて去っていった。も何気ないように振舞っていたが、顔を赤くなるのだけは止められなかった。










朝を待ってセオデンの葬儀が行われた。
マークの代々の君主が眠っている塚原はエドラスの門に続く道なりに続いている。西側には第一家系の塚が九つ、東側には第二家系の塚が七つある。そして第二家系の塚原の一番端には新しい塚穴が用意されていた。
は王家に連なるものの一人として運ばれてゆく棺についていった。その隣を歩くのはメリーだ。彼は身長に合わせたマークの正装を着ている。そうしているメリーは貴公子のように見えるのだが、いつもの快活さは潜んでしょんぼりとしていた。
沿道からはすすり泣く声が聞こえてくる。
外にも先王との別れを惜しむ人びとが大勢連なっていた。
棺が室に入れられ、エオメルやエオウィンの手によって故王の持ち物が一緒に入れられた。
最後に石で蓋がされ、土をかけられる。こうしてできた八番目の塚は緑の芝やシンベルミネの白い花で覆われた他の塚に比していかにも黒々としていた。それでもしばらくすれば、同じように緑と白で覆われることだろう。
そして世界は新しい時代へと変わる。
ローハンは第三家系となるエオメルの血筋となるのだ。彼の築き上げるマークはどのような国になるのだろうか。
王家直属の騎士たちが歌うセオデンを讃える歌を聞きながら、はじっとエオメルの背中をみつめた。





埋葬が終わると、人びとは黄金館に集まった。これよりセオデンの追悼会とエオメルの戴冠式が行われる。
エオメルが玉座の前に立ち、その両側にはアラゴルンとガンダルフが並んだ。
エオウィンが進み出てエオメルに杯を渡す。
と、マークの伝承家が立ち上がり、歴代の王の名を順に告げた。
エオル、ブレゴ、アルドール、フレア、フレアヴィネ、ゴールドヴィネ、デオル、グラム、ヘルム。
ここで一度途切れた。
続いてフレアラフ、レオファ=ブリッタ、ヴァルダ、フォルカ、フォルクヴィネ、フェンゲル、センゲル、そして「セオデン」と呼ばれるとエオメルは杯を飲み干した。
参会者にも杯が渡され、全員起立する。
新王エオメルへの祝福の言葉とともに乾杯となった。
エオウィンとともに持て成し役を言い付かっていたは、エレスサール王となったアラゴルンやガンダルフといった面々に挨拶をしにゆこうとしたが、彼らはすでに大勢の人に囲まれていて近づけなかった。エオメルも同様である。
そこではその場を離れ、次なる目的の人物たちの方へ行った。
「メリー」
人の波に紛れてしまい見分けにくかったが、ようやく見知った小さい人の一人を見つけ、声をかけた。
「レオフォスト姫」
メリーは立ち上がってを迎える。そこにはメリーだけではなく、小さい人たちが全員そろっていた。まだ踊りだすほど酔っ払っていないようだが、すでに顔は赤くなっている。
しかしメリーの顔が赤いのは酔いのせいばかりではなかった。葬儀で号泣した彼は目の周りが腫れてしまっているのだ。
「よかったわ。ご挨拶がしたかったの。少しいいかしら?」
「ええ、もちろん、どうぞ」
メリーが快諾すると、残る三人も立ち上がった。初めてあったホビットは二人だが、どちらがフロドなのかはすぐにわかる。メリーとピピンより一回り小さく、ふくよかではない方のホビットだ。彼には指が九本しかなかったから。
「では改めまして。エドラスへようこそ、皆さん。フロド・バギンズ殿、サムワイズ・ギャムジー殿にはお目にかかれるのをとても楽しみにしておりました。皆様の功はここローハンにも届いております。今日という日があるのは、あなた方のおかげ。民の一人としてお礼を申しあげます」
は膝をついて頭を下げる。
「どうか顔をあげてください。僕はただ、自分の使命を果たそうとしただけなのですから」
「あっちこっちで大きい人に頭を下げられてしまって、おらたち困っていますだよ。フロドの旦那はそうされてしかるべきだと思いますだが…」
「サムったら。そうじゃないよ。僕はお前の支えがなければ使命を果たすことはできなかったんだから」
「でも、旦那…」
二人のやりとりが微笑ましくて、は思わずくすくすと笑ってしまった。そこへピピンが割り込んでくる。
「ねえ、姫さま。ぼくの功のことも聞いたの?」
「ええ。ゴンドールの兵となって黒門前での戦いでトロルを倒したのでしょう?」
言うと、ピピンはぱっと顔を明るくした。
「そうなんだ。山のようにでっかいやつをね。自分でも驚きだよ」
「つぶされたけどね」
メリーが混ぜ返す。
「つぶされた!?」
は思わずピピンを凝視した。ピピンはメリーを肘でつつく。
「倒したトロルがぼくの方に倒れてきちゃったんだ。それで、下敷きになっちゃってね」
「ええ!?」
「大丈夫だって。ほら、ぴんぴんしてるでしょう?」
ピピンはくるっと回ってみせる。皆が皆それぞれ大変な思いをしているはずなのに、どうしてこんなに屈託がないのだろうか。ホビットの不思議な強さには感心した。
「本当に、あなた方は皆、大きい人でもできないようなことをやってのけたのね。そうだ、メリーにもお礼をいわなくては。エオウィンを助けてくれてありがとう。彼女まで失ってしまったらマークはどれほどの悲しみに沈んでいたか」
するとメリーは決まり悪げに鼻の頭をかいた。
「たまたま、エオウィン姫がセオデン王をかばっているところに出くわしただけなんです。後はもう夢中で…。それからあなたには謝らないと。とても心配していたって、エオメル王に聞きました。勝手に飛び出てしまってごめんなさい」
はきょとんとするとすぐに噴出した。
「もう気にしていなかったのに。あなたもエオウィンも無事だったのだもの。それに、聞かせてもらったもの」
くすくす笑ってホビットたちに顔を近づける。四人はなんだろうとの周りに集まった。
「エオウィンの恋の取り持ち役をしてくれたんでしょう?ねえ、ファラミア様って、どの方かしら。ボロミア様と似てる方を探していたのだけど、こう立派な方が多いと誰がどの方なのか、わたしにはわからなくて」
「姫様、ボロミアさんを知ってるの!?」
四人は仰天して叫んだ。
「ええ。だってボロミア様、裂け谷へ向かう前にここに寄ったのだもの」
「そうか。ゴンドールとローハンって、同盟国だもんね」
納得したようにピピンは頷いた。メリーは懐かしそうな顔なる。
「ボロミアさんとファラミア様は、顔はあんまり似ていないんだ。でも、どちらもとても親切な人だよ」
「そうだね。それに二人とも、立派な大将だ。…ボロミアにもここにいてほしかったな」
フロドが言うと、
「そうですだね」
サムも同意した。


はメリーたちにファラミアを見つけてもらうと、挨拶をしようとホビットたちと別れた。
しかし人が多くて見失ってしまった。どこへ行ったのかと周囲を見渡していると、ぽんと背中を叩かれた。
「レオフォスト!ようやく見つけた。どこへ行っていたの?」
レゴラスが太陽の光もかくやという笑顔で寄ってきた。目線が同じになるようにレゴラスは背を屈めてくる。さっきとは逆だとはおかしくなった。
「ホビットたちとお話をしていたの。ところでレゴラス、あなた酔ってるの?」
いつもより笑みが緩いような気がする。だがレゴラスはまさかぁ、と笑い飛ばした。
「これしきで闇の森のエルフが酔うなんてありえないよ」
「そう。なんだか浮かれているように見えたのだけど」
「嬉しいことはあったよ。ね、ギムリ!」
エルフはぐるんと振り返る。そこにはレゴラスの背に隠れていたがドワーフもいたのだ。
「嬉しいことって?」
「あのねぇ」
「レゴラス、それは私から話すから少し黙っていてくれないか?」
ギムリはレゴラスを制すとの前に立った。多少は酔っているようで、浅黒い肌はほんのりと染まっている。それに隠し切れない喜びの表情が交じり合い、浮き足立った雰囲気を醸し出していた。
「実はですね、燦光洞を覚えていると思われますが、先ほどエオメル王から正式にドワーフ族が移住して良いという許可がいただけたのです」
「ギムリさん、燦光洞に引っ越していらっしゃるの?」
「ええ。我がドワーフ族の王の許可も得なければなりませんが。姫君は西の谷の領主殿のご息女だと窺いましたので、ご挨拶をしなければと思いまして」
「そうだったのですか。だけど良かったですね。ギムリさん、本当にあそこを気に入っていましたもの。それで、ドワーフ王の許可はいただけそうなのですか?」
「実をいいますとね、ローハンの人間とドワーフの間には少々確執があるのですよ。そのせいで難色を示すかもしれないのです。ですがなんとしても説得してみせますよ。なんと言っても、燦光洞の素晴らしさを知って尚、抵抗できるドワーフなどいるわけがないのですから。ともあれ、私たちがかの地に住まうことになればあなた方とは隣人同士ということになる。どうぞよろしくお願いしますよ」
ギムリが朴訥にお辞儀をしたので、も返した。
「こちらこそ。越していらっしゃる日をお待ちしています。だけどそうなると、レゴラスも寂しくなるんじゃない?せっかく仲良くなれたのに、ギムリさんとはなかなか会えなくなってしまうものね」
地図でみる限り、闇の森はローハンよりもずっとエレボールの方が近いのだ。そのギムリがこちらへ来るのだとすると、友人に会うためにはお互いにずいぶんな遠出をしなければならない。しかしレゴラスは少しも気にしていないどころか、むしろ浮かれ調子をさらに加速させていた。
「平気だよ。私も引っ越すつもりなんだもの」
「レゴラスも燦光洞に来るの?」
「ううん。私はイシリアンだよ。あの辺りに闇の森の民を率いてこようかと思って。アラゴルンの許可はもうとっているんだ。父上の許しも必要だけどね」
「イシリアンって、確かファラミア様が領主になったところですよね?それならエオウィンとご近所ということになるの?」
「そうだね。彼は町に住むだろうし、私は森だけど、そんなに遠くないから。それに、これからはちょくちょくミナス・ティリスに行くことになるし。アラゴルンに都の植樹を頼まれたんだ。あそこは石造りの建物ばかりで、緑がとても少ないから。それにギムリもね。彼は壊れた建物を修復したり、新しく造ったりするんだよ」
「そうなんです。だからこれからとても忙しくなりますよ。しかし楽しみでもある。これほど大掛かりな仕事は久しぶりですからね」
ギムリは声をたてて笑った。
「それで、レオフォストは?」
当然のようにレゴラスが聞いてきたので、は首をかしげた。問われる意味がわからない。
「わたしですか?」
「そう。あなたはこれからもずっとエドラスにいるの?本当はここの国の人ではないんでしょう。どこにも行かないでって言われてるの?」
「そういうわけではないですけど…。でも、当分はここにいることになると思います。とりあえずはエオメル王がご結婚なさるまでは。そうでないと一応とはいえ、王家の女性が全然いなくなってしまうんですもの。だけど…」
話しているうちに不都合なことに思い当たり、は軽く顔をしかめた。声を潜めるために口元に手を当てたので、レゴラスはますます背をかがめ、ギムリは顔を寄せるために爪先立ちになった。
「王妃さまを迎えられたら、わたしはここにいない方がいいとおもうの。なにしろエオメル王のお妃ならわたしとそう年が変わらない姫が来るだろうし。そうしたらその方、わたしの扱いにとても困ると思うの」
エルフとドワーフはふんふんと頷いた。
「そうなったらどうするの?西の谷に戻る?」
「そうなるかもしれません。今思いついたばかりなので、わたしにも決めかねているんです」
「そうでしょうなぁ」
ギムリは理解をしめして頷いた。だがレゴラスは青い目を瞬かせたかと思うとにっこりと微笑んだ。
「それならレオフォストもイシリアンにこない?」
「…わたしがそこに行ってどうするんです。新婚家庭のお邪魔をする気はありませんよ」
唐突すぎるエルフの発案には面食らう。
「まあ別にファラミアのところにいてもいいんだけど。私は森のことを言っていたんだけどな」
「レゴラスのところに、ということですか?」
「そう」
思いがけない申し出に、はしばし考え込んだ。面白そうではある。しかし、
「エルフに興味はなくはないですけど、でも人間がわたし一人だけとなると…」
「私のとこは裂け谷やロリアンとちがって、普通に人の子と交流を持ってるから、心配するようなことはないと思うけど。それに、ずっとイシリアンの森にいる必要もないよ。ミナス・ティリスやローハンにもちょくちょく行くことになるだろうしね」
無邪気に言うレゴラスに、は苦笑した。どうやら彼は自分の行くところにを置いておきたいらしい。
「ギムリさん、あなたの親友って困った方ね。ずいぶんと強引だわ」
「慣れれば仕方がないと思うようになりますよ。とりあえず悪気だけはありませんから」
ギムリがしれっと答えたので、レゴラスはむくれた。
「私は大好きな人たちと一緒にいたいだけなのに」
「まあ、ありがとう」
どうしてここまで懐かれてしまったのかしらないが、本気で自分のことを気に入っているらしいので、はレゴラスを宥めにかかった。しかし、レゴラスははっと真顔になる。
「もしかして、通じていないの?」
「なにが?」
がきょとんとすると、衝撃を受けたようにレゴラスはよろめいた。
「通じていない!」
「だから…何が?」
エルフの喜怒哀楽についてゆけないは、目でギムリに助けを求めた。ギムリも首をかしげる。
「だから、私はあなたが好きなんですよ」
「わたしもあなたが好きよ?」
たまについていけないけれど、と心の中で付け加える。
「そうじゃなくって、ああ、もう!あなたを愛しています。これでもわからないの?」
「………」
とギムリはそろって絶句した。
「私はエルフだし、あなたは人の子。別れの時は避けられないけれど、だからこそできるだけ一緒にいたいと思っているんです。駄目?」
「だ、駄目って…」
あまりのことに頭が回らず、は口をぱくぱくさせた。
「少なくとも私なら、あなたを置いていなくなることだけはないよ。それは絶対だから」
なにしろ、エルフだからね、というレゴラスの腕をギムリは引っ張った。
「レゴラス、少しは場所を考えたらどうかね」
ギムリの声音は切羽詰っている。
「場所って…」
レゴラスはぐるりと周囲を見渡した。と、目に入ってくるのはこちらに注目する人間たち。よく通るレゴラスの声は喧騒のなかにあっても周りにはよく聞こえたのだろう。黒髪の人間たちは興味深そうに見守り、金髪の人びとは苦々しげに睨んでいた。
「あらら」
ちょっとまずかったかな、とは思ったが、あまり深刻に受け止めずにレゴラスは肩をすくめた。
「ほら、姫が困っているじゃないか。もうよした方がいい」
しかしギムリがどうしても腕を放さないので、この場は引っ込むことにした。
まだ放心している少女に優しく声をかける。
「返事は急がないから。次に私がエドラスに来た時でいいよ」
「あ、はい…」
しかし呆然としていたにはレゴラスの気遣いは届かないのだった。





は告白の衝撃も冷めないまま、ふらふらと歩き出した。
なにをしようとしているのか自分でもわからないまま、気がつくと一段と煌びやかな人びとの側に来ていた。
、どうしたんだ?なんだか揺れているぞ。飲みすぎたか?」
我に返ると、エオメルがを支えるように両肩を押さえていた。
「陛下…」
見回すとそこは各国の王家に連なる人びとが集まっている。エオメルにエオウィン、アラゴルンにファラミア、一際美しい濃い金色の髪のエルフは、ロリアンの女王ガラドリエルだ。その隣には冴えた銀髪のケレボルンが複雑な表情でを見ていた。
「アルウェン妃は…?」
ようやく自分がアルウェン王妃を探しているのだと気付いて、は誰にともなく訊ねる。
彼女ならばエルフの気持ちも女の気持ちもわかるはずだ。こんなわけのわからないことを相談できるのは、彼女をおいて他にいないととっさに思った。
「彼女は外に行ったよ。義父上と最後の別れをするために。何か急ぐ用事でも?」
アラゴルンはの様子に心配そうになる。彼は以前とは打って変わって身奇麗になり、上等の衣服に身を包んでいた。そうするとなるほど、王者らしい風格が何倍にも増していた。
「急ぐわけではないですけど…」
やっとまともに頭が動き出したのと同時には泣きたくなった。どうしてこう、次から次へと事件が起きるのだろうか。この世界にいる限り、自分は穏やかに過ごすことなど無理なのかもしれない。
「エレスサール王。王はレゴラスとは長い付き合いなんですよね?」
「レゴラス?まあ、そうだな。彼が何か?」
アラゴルンは義理の祖父母となったロリアンの領主夫妻をちらりとみやった。二人はもう彼女の異変の原因を知っているようだった。ケレボルンが咳払いをして前に進み出た。
「ずいぶんと気に入られてしまったようだね」
困ったように秀麗な眉をひそめる。
「ええ…。どこまで本気なんでしょうか?」
すがるようにはケレボルンを見上げた。しかしガラドリエルが美しい唇の両端に笑みをたたえて止めを刺す。
「どこまでも本気ですよ。エルフは冗談で愛を語ったりしませんもの」
「愛!?」
ぎょっとしたのはエオメルとアラゴルンだ。
「一体レゴラス殿に何を言われたんだ?」
エオメルはの肩をゆさぶる。その勢いが強くて頭がもげそうになった。
「…イシリアンの森にこないかって」
「あいつは…」
の答えに、アラゴルンは天を仰いだ。
「結婚の申し込みをされたというのか?」
エオメルはなんとか落ち着こうとしたが、どうしても唇の端がヒクついてしまう。
「それは…されたような違うような…」
ケレボルンは頭が痛いというように、こめかみに指を当てた。
「申し込んだと考えた方がいいね。それにしてもうかつだな。こんな場所で話をするなんて」
「受け入れるか否かに関わらず、あっという間に広まることでしょう。…どうするの?」
ガラドリエルはおっとりと優雅な首を傾けた。
受け入れるなんてとてもできない、とはとっさに思った。だがレゴラスは自分を置いてゆくことはないとはっきり誓った。肉体を破壊されてば『死んで』しまうとはいえ、人間よりも強靭な不死の一族の彼ならば、その誓いが破れることはなかろう。その事実はをおおいに悩ませた。セオドレドを失った痛手は癒えていないというのに、揺れ動いている自分自身に嫌気が差してくる。結局自分は、強く求められた方へ引きずられているだけなのだろうか。
俯いているの頭上では、エオメルが青ざめていた。酔いなど一気に吹き飛んでしまっている。同時に無神経とも思えるエルフの所業に苦々しい気分になった。
「…一体、レゴラス殿は彼女のどこをそんなに気に入ったのか」
平静を装おうとするが、エオメルの声は震えていた。
ガラドリエルは朝日のように清しい笑みをエオメルに向ける。
「出会いは起こるべくして起こること。愛しさを覚えてしまえば、相手が誰であろうと関係ありません」
「私たちはレゴラスの血縁ではないから、どうこうすることはできないが、スランドゥイルは頑固者だ、一筋縄にはいかないだろう。その時には…」
ケレボルンの視線を受けてアラゴルンが力づけるように頷く。
「私とアルウェンが力になろう。いつでも相談に来るといい。手紙でも、直接にでも、な」
「そう、ですね。…よろしくお願いします」
どうしてはっきりと断れないのだろうと、自分の弱さを情けなく思いながらも、はアラゴルンを見上げたのだった。






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