自分の聞いている言葉が信じられなかった。



「楽園にないものがこちらにあります。わたしはそれを欲しいと思っている…のだと思います。確定は、まだ、していないんですけど」

月光の下、白い服をまとった二人の女性が並んで座り込んでいた。
金色の髪のエオウィン。騎士国マークの盾持つ乙女。
濃い茶色の髪の。異世界ガイアの白鳥乙女。

、いまはしがらみを考えずに答えてほしいの。もしもあちらかこちらかを選ぶことができるとしたら、あなたは帰りたいと思う?残りたいと思う?」

エオウィンが問うた。
彼女は、なんと答えるのだろう?

「今ならまだ帰る方を選びます。でも、時間が経てば経つほど、残りたいという思いが強くなるのだと…思います」
「楽園を捨てることになっても?」
は目を伏せた。
「ええ。多分」



夢を見ているのだろうかと思った。
こんなに都合のいいことが、こんなに都合よく起こるわけがない。
バルログに遭遇した時よりもさらに強い衝撃に襲われて、私は動くことができなくなった。

だって…そうだろう?
どう聞いたって、どう考えたって。
これは愛を告げる言葉だ――









すれちがう思い










勢いも手伝って、レゴラスはに愛を告白するべく仮小屋を飛び出していった。
彼女はエオウィンの部屋に今日の寝床を作ってもらっていた。離れた場所にあるそこに向かうべく早足で歩いていると、目指す乙女の声が聞こえる。
起きているだろうとは思っていたが、こんな時刻に表で何をしているのだろう。
不思議に思って声のするほうへ向かうと、大きな白い鳥がばたばたとぶきっちょに翼を動かし、懸命に飛ぼうとしているところだった。白鳥が羽ばたくのに邪魔にならないように離れて立っているのはだ。
レゴラスの頭に大きく疑問符が浮かんだ。
(…あれは誰?)
と白鳥が同時に存在している状況は、ひどく奇妙に思えた。一瞬、彼女が二人に増えたのかという莫迦な考えがよぎったが、すぐに頭を振って否定した。
あれはエオウィンだ。
が一生懸命飛び方を彼女に教えていた。姿かたちはの白鳥と同じだったが、よくよく見ると、目の色が違う。
しばらく様子を見ていたが、彼女たちは大層熱心に練習を繰り返していたので入り込める雰囲気ではなかった。出直そうかと思ったが、今を逃したら今度はいつ告白できる機会がくるかわからない。
レゴラスは近くの木に寄りかかり、楽しげな乙女たちの声を耳にしながら終わるのを待つことにした。



「………」
月が傾き、彼女たちが部屋に戻った後も、レゴラスはしばらくそこから動けなかった。
実際に耳にした、の言葉が信じられなかった。

ヴァロマ殿への愛は、女の愛ではない?
楽園にないものが欲しい?
楽園を捨てても、残りたいと思うようになるかもしれない?

で激しい感情を内に秘めていたのだ。
苦しいときにも微笑みを浮かべる、気丈な彼女らしい。全然、気が付けなかった。
愛の言葉にほかならないそれは、誰に向けられてのものだろうか。
可能性だけなら、が中つ国に来てから出会った男性すべてにある。
はっきり否定されたエオメルと、やんわり拒否していったハルディアは抜かすにしてもだ。
それからローハンの騎士たち。彼らは大勢いたのでの方であまり個人個人を認識していないように思う。
いや、もうごまかすのはよそう。
彼女の想い人は旅の仲間のうちの誰かだ。
の口ぶりからその相手は生きているのだとわかるから、ボロミアではないだろう。
メリーとピピンも除外していいように思う。あの子達と戯れる様はまったくの子供同士のものにしか見えない。
同じくギムリもだろう。お互いに礼儀正しい友人の域を出ているようには見えない。
サムはとはフロドを介してしかほとんど会話はしない。フロドの従者という立場から遠慮していたんだろう。

フロド―指輪所持者。
たいして深く考えたことはなかったが、が彼の持つ重荷を請け負うことを決めたのは、彼女の優しさと義務感からだけなのだろうか。フロドはホビットだ。小柄なよりもさらに小さい。が、それが恋の障害になるかどうかというと、絶対ないとは言い切れない。
ベレンとルシアンだって、前例のない恋だったのだ。ホビットと人間だってありかもしれない。

アラゴルン―エレンディルの末裔。
彼は人間で、王の末裔だ。アルウェンという婚約者がいるが、それは想いを止める理由にはならない。は時にははっきりと、時には言葉に出さずに彼を気遣い、はげまし、支えている。これは友情からだけなのか。

ガンダルフ―魔法使い。
おそらく人間が魔法使いを恋愛対象としてみることはまず有り得ないと思う。普通の人間ならばだが、は「普通の人間」とははっきり言って言えない。ガンダルフとは時に驚くほど意思が通じ合っているのだ。何も言わずとも互いが必要なことを読み取っている感じだ。それにガンダルフに対する彼女の信頼の高さは、他と比べるべくもない。彼女の育った環境がそうさせているのだろうが、だとしたらがガンダルフに恋することは有り得るかもしれない。

では、自分はどうだろうか。

私―レゴラス―闇の森のエルフ。
共に過ごした時間は九人の中で一番長いのは確かだ。彼女への恋を自覚する前からずっとそばにいたのは自分だ。はじめのうちこそ自分が触れるのを嫌がっていたけれど、今では抱きしめても口付けてもさほど嫌がらなくなった。これを進展と見るか、慣れと見るか。
それから、信頼はされていると思う。なんと言っても彼女が弱音を吐いたことがあるのは自分に対してだけだ。そこに居たのが自分だったからという懸念はあるにしてもだ。

(あの時ロリアンで、私がいなかったら、は誰も呼ばずに一人で泣いていたのだろうか。追跡行の夜、起きていたのがギムリだったら、彼に弱音を吐いたのだろうか)

レゴラスは腕を伸ばして己の両の手を見た。
何もないが、存在を感じる。未だ切れていない異世界の魔法。
深い意味があるわけではないかもしれない。しかし、意味があるのかもしれない。
縋れるものがあるとしたら、これだけだった。

考えてもわかるものではなかった。
の心のことだ。彼女にしかわからない。

(確かめなきゃ…)
レゴラスはふらりと立ち上がると夢見るような足取りでエオウィンの部屋へ向かう。
ぐるぐると渦を巻く頭は何を考えているのか自分でもわからないほど千々に乱れていた。
希望と不安が交互に襲い、心臓が口から飛び出そうな錯覚がして気持ちが悪いほどだ。
…)
レゴラスは我知らず祈っていた。
…)
彼女の想い人が自分であるように。
…)
時が彼女を此の地へ留めるように。





こつこつと扉を叩くと、中から誰何する声がした。
「レゴラス」
答えるとすぐに扉は開いた。
はすっかり寝る仕度が済んでいて、身体の線が露になる簡素な白の寝巻き姿だった。
「どうかしたの、レゴラス。敵襲!?」
レゴラスの表情をどう受け取ったのか、彼女は真剣なまなざしで問い返してきた。
「エオウィン殿は?」
室内をざっと見渡すが、狭い室内にいるのは一人だった。
「エオウィン姫はやらなくちゃいけないことがまだあるんですって。彼女、ここの責任者だから。…大変なのよ、色々と」
は「色々」という部分に力をいれた。
「エオウィン姫に用事なの?」
「ううん。に。聞きたいことがあって」
「なに?」
「…誰のことかと」
「え?」
何のことかというように、は首をかしげた。不思議そうに瞬いた、大きな瞳が愛らしい。
「楽園を捨ててもいいと、君に思わせたのは誰?」
の顔が一瞬にして真っ赤になった。
「っ…!聞いていたの?」
責めるような口調のに、レゴラスは軽く目を伏せて謝った。
「ごめん。聞こえたんだ」
そう言うと、は口をぱくぱくさせたが、エルフ相手に怒っても仕方がないと判断したのか、きまり悪そうに目を背けただけだった。
「ねえ、教えて。誰のこと?」
務めて冷静にレゴラスは聞いた。少しでも感情を昂ぶらせたら何をしてしまうか、自分でもわからなかった。
痛いほどの沈黙の中、はゆっくりと顔をあげてレゴラスの目を見る。
よほど不本意なのだろう。表情は強張っていた。それでも逃げ出したりしない彼女の気高さに圧倒される。
「言えないわ」
硬い声だった。
はそう言うと扉を閉めようと動いた。そうはさせじとレゴラスは扉の縁を押さえ、力任せに身を乗り出した。
エルフの力に叶うはずもなく、小さく悲鳴をあげてが手を離す。その隙をぬってレゴラスは部屋の中に入り、後ろ手で扉を閉めた。
「ちょっと…!」
明かりのない室内は途端に真っ暗になった。だが星の光を宿したエルフの瞳には、焦った少女がじりじりとあとずさるさまがよく見える。
「答えて。誰のこと?」
請うようにレゴラスは一歩踏み出した。
気配を感じ取ってはさらに後ろにさがる。
「言えないわ」
声は小さくなったが、頑なに拒むの声は変わらずに硬い。
レゴラスはさらに一歩前に出た。ほっと息を吐く。胸の内側で心臓が暴れまくり、苦しくて仕方がなかった。
「タマノオの術、まだ解いていないよね。機会はいくらでもあったのに…。私たちはもう別れて行動することはない。必要ないはずだよね」
は答えなかった。
口はきつく結ばれ、全身からレゴラスを拒絶する気配を発している。
「私に望みはあるの!?」
レゴラスは叫んだ。
否とさえ言われなければいいのだ。言われなければ答えはその反対。偽りを言えない彼女は沈黙ですら答えになる。しかしその沈黙の時間が恐ろしいのだ。
「お願いだから、答えて。私はが…」
「言わないで!」
悲鳴のような声をあげて少女はエルフの口に手を伸ばした。レゴラスの口をふさごうと伸ばされた小さな手は、しかしレゴラスの口に届く前に自らの意志で止められていた。
手を伸ばしたままうつむいているの顔は耳まで赤くなっている。
驚くよりも先にレゴラスは理解した。
これが彼女の答えなのだと。
レゴラスを男と意識し、彼の想いを理解し、そして受け入れない。
彼女がレゴラスを想っていてもだ。
「帰って。お願い、帰って」
伸ばされた指先は震えているが、はあくまでレゴラスには触れようとはしない。
涙混じりの声は切迫した響きを帯びていた。
レゴラスは身じろぎせずにその場に立ち尽くしていた。
はじめは拒絶された悲しみゆえに。それから徐々に理不尽だという怒りが溢れてきて。
レゴラスはの細い手首をつかむと己の唇をその手の平に落とした。
は反射的に引こうとしたがレゴラスは許さなかった。長い長い口付けが終わると眼を強く瞑った少女の身体をゆっくりと引き寄せ、耳元で囁く。
「愛している、
逃げ出せないよう少女の腰に腕を絡めた。布越しに伝わる熱く柔らかい肌の感触に血が沸き立ちそうだった。
の身体がびくりと震える。
「愛してる、。何度でも言いたい。君の口からも聞きたい。答えて」
レゴラスはのまなじりに唇を落とした。
さっきから彼女はレゴラスを見ない。嵐が通り過ぎるのを待つ花のように身体を強張らせてじっと耐えているようだった。
彼は頑なに沈黙を続ける少女に苛立ち、腕に力を込めた。その強さの分だけ、想いが込められているというように。
「望みがないわけではないのでしょう?そうなら、は違うとはっきりと言うはずだもの。言わないのならそれは肯定に他ならない。違う?お願いだから答えて。こんなのはひどすぎるよ。まるで生殺しだ。進むことも、引くこともできない」
「苦し…レゴラス」
レゴラスの腕の中でが身じろいだ。はっとして力を緩めると、彼女は空気を求めて大きくあえいだ。レゴラスは片方の腕をつかんで逃げられないようにしながらも、少女を寝台に座らせて落ち着くまで待った。
膝をついての柔らかい茶色の目を覗き込む。
「帰らないでほしいと思っていたんだ。がいなくなったら、慣れ親しんだ森の王国も私にとって喜びの場所ではなくなり、不死は恩寵の意味を失う。が望まなくとも、私の心はすでに君につなぎとめられているのだから。だから、私がガイアに行くよ」
は反射的に顔をあげて驚いたようにレゴラスを見た。
「私がガイアに行くよ。ヴァロマ殿が許してくれなくても構わない。無理やりにでも連れて行ってもらうから。の気持ちが私にあるなら、それでいいんだ」
「そんなの…無理よ」
呆然と、そんなことを言われるとは夢にも思わなかったという表情では呟いた。
「どうして?」
微笑みを浮かべてレゴラスは問い返した。
「どうしてって…」
はこれまで中つ国で生きてこれたじゃないか。私がガイアで生きるのも無理なことではないよ」
「でも、レゴラスはエルフだわ。ガイアにはエルフはいないの。わたしは人間よ。永遠にあなたのそばにいられるわけじゃない。同族が一人もいないガイアで、わたしが死んだあと、マンドスにも行けずに一人残されることになるわ。莫迦なことを言うのはやめて」
ガイアに行くという発言は、彼女の怒りを買ったらしかった。先ほどまでの怯えた様子は今や欠片も見当たらない。
「莫迦なことではないよ。こんな簡単なことに思い至らなかったのは不覚だったけどね。ロスロリアンでが言っていた事、ちゃんと覚えているよ。君とヴァロマ殿の婚姻は君が心から望んだ伴侶を決めるまでの形だけのものだということをね。だったら、その相手が私でいけないどんな理由があるというの。エルフでなくても、君を得た者は君に置いていかれることに変わりはないじゃないか。まさか、ガイアの神々は定命だなんて言い出すんじゃないだろうね?」
「…それはないよ」
「だったら」
「でも!」
はきっとまなじりをあげてレゴラスを睨みつけた。
「でも、わたしはレゴラスにガイアに来てほしいとは思わないわ」
取り付く島もなく拒絶されてレゴラスは傷ついた。嫌われているのなら、なんとも思われてなくての拒絶ならばここまで悲しいとは思わなかっただろう。望みがあるだけにの拒絶は不可解だった。ここまで彼女が自分を拒む理由がわからないので諦めようにも諦められるわけもなく、かわりに意地になる少女を屈服させたいという凶暴な衝動がふつふつと溢れてきた。
レゴラスはを寝台に押し付けると、噛み付くように彼女の唇を奪った。エルフの細身だがしなやかで強靭な身体の下で少女は暴れたが、レゴラスは意に介さない。
深く、きつく、請うように、乞うように、ひたすら唇を合わせ、舌を絡める。
やがてぐったりと力の抜けた少女の身体から身を起こすと、片手で動きを封じながら空いた手で頬にかかった髪を払った。火照った頬に唇を落とし、そのまま喉へすべらせた。
「や…だ…。レゴラス、やめて…」
切れ切れに懇願する声は涙に濡れている。
レゴラスの手は寝巻きの上から腰に触れ、の女性らしいまろやかな曲線をゆっくりなぞってゆく。
背中に腕を回して心持ち少女の身体を持ち上げれば、反らされて強調された胸がレゴラスを誘った。酔いにも似た浮遊感に流されるまま、布一枚でしか隔てられていないそれに口づける。
の嗚咽は聞こえていたが、止められなかった。

《男は毒だ。穢れよりも尚悪い》
でも、あなたはここにはいないんだ、ヴァロマ殿。

「で、具体的に何がどうなるわけ?」
そう言ったのはエルロヒアだったか。
何がどうなる?そんなこと、知るものか。

とめどなく衝動が押し寄せ、欲がレゴラスを支配した。酩酊した意識の中、一部研ぎ澄まされた部分が残り、やめろ、と警告する。きりきりと頭が痛んだが構っていられなかった。
がほしい。
もっと、もっと、彼女を感じたい。
「やだ…やだぁ…っ!」
寝巻きの裾をはだけ、ふくらはぎからふとももへ手を這わせると、恐怖に駆られたはめちゃくちゃに暴れだした。
レゴラスは手を動かすのを止めると、の寝巻きを思い切りよく捲り上げて袖だけ抜かずに脱がしてしまった。脱がせた寝巻きでの両腕を後ろに回して巻きつけ、抵抗を封じてしまう。戒めを外そうとはもがいた。大きな両の目から大粒の涙がはらはらとこぼれ落ちる。
生まれたままの姿のは美しかった。
うっとりとため息をついてレゴラスは少女の肌に唇を寄せ、きつく吸った。上等のクリームのような色の肌に赤い花びらのような跡がつく。二度、三度と花びらを散らすと、喉元から笑いが込み上げてきた。
「このまま私のものになってしまえば、帰らなくて済むかもしれないね」
「そんなことでどうにかなることだったら、わたしだってこんなに悩むもんですか!」
が叫んだ。
「…それは、どういうこと?」
動きを止めた一瞬をついて、はレゴラスの下から抜け出そうと身をよじった。
慌てて引き寄せようとしたが、できなかった。先ほどから切り切りと痛んでいた頭がさらに痛みを増し、全身が引っ張られる感覚がしたからだ。
「うわあっ!」
ばちんという音がしなかったのが不思議なほどの衝撃を受けて、一瞬目の前が真っ暗になった。
「…っ痛。一体、何が…」
さっきの頭痛が嘘のように引いていく。
…。?」
は苦しげに表情を歪め、きつく目を閉じていた。
がくがくと身体が震えているのは、レゴラスと同じ衝撃を受けたせいか。
ぴたぴたと頬を叩くと、大儀そうに目蓋を開けた。意識はあるようだ。
戒めていた腕を自由にすると、は自分で自分を抱きしめて荒く息を繰り返した。
(どうしよう。どうしたらいいんだ。さっきのは一体…)
一気に体温が低くなったように感じて、レゴラスも身体を振るわせた。と、ようやく自分に起こった変化に気がついた。
「…解けてる」
呆然とレゴラスは呟いた。
目には映らず、動きを妨げるわけでもない、ただそこにがいるような感覚がしていた繋ぎの術。彼女にかけられて以来絶えず存在していた術の気配が綺麗さっぱりなくなっていた。
「わたしが…解いたんじゃ…ないからね…」
荒い息の下、切れ切れには言った。
「…私のせい?」
男の心は毒。の生命力を弱らせる穢れよりも性質が悪い。そう釘を刺されていたが、これがそのせいなのだろうか。
「一度かけた術はね、必要がなくなって自然に消えるのを待つか、手順を踏んで解かないと、術者に跳ね返ってきてしまうのよ。無理に解こうとした者にも」
額には汗が浮かび、相変わらず苦しげだったが、すっかりしょげ返っているレゴラスには意外なほど優しく微笑んだ。
「巫女はね、誓約した神の物なのよ。仮初めであっても、わたしは吾が神の物なの。他に目を向けたら、わたしは巫女の資格を失って、一切の術は解ける――」
「――それじゃあ、フロドにかけたのも」
ようやく事の次第を飲み込めたレゴラスは蒼白になった。ただでさえ指輪の魔力を引き受けていたのに、それが全部に返ってきてしまったのだろうか。
は小さく声をあげて笑った。
「もしそうなら、今頃わたしはもう幽鬼になっているわよ」
「大丈夫…なの?」
「フロドの方はね」
レゴラスは息を吐いた。どうやら最悪の事態は避けられたようだった。だが、この事態を招いたのは自分だ。
は?」
「もうほとんど大丈夫。繋ぎの術の中でも双方向性ですらない、一番軽いものだから。…驚いたでしょう?」
「結構痛かったよ。…あの、ごめん。
今更ながら、己の暴走ぶりに恥じる思いだった。許してもらえなくても仕方がないだろうに、彼女はすでに落ち着きを取り戻し、罵倒の言葉すら投げつけようとはしない。
「私にできることは、ある?」
「ええ」
「何?なんでも言ってよ」
はよろめきながら身を起こすと、放り投げられていた寝巻きを手繰り寄せて、身体を隠した。隠しきれていない胸の谷間に、レゴラスのつけた跡が見える。その姿がやけに扇情的に見えて、また凶暴な欲求がもたげてきた。己の意志の弱さにほとほと呆れてしまう。
「今すぐここから出て行って。それから、明日もいつもどおりに振舞うこと。でも、わたしには触らないで」
彼女の要求は実にはっきりしていた。普通に怒られていたほうがはるかにましなような気がするくらいだ。
はそれでいいの?」
「皆に知られたくないわ」
「そうだろうけど」
「だから、そうして?」
何もなかったことにする。皆の前だけでなく、二人の間でもそうであるよう振舞うのだろう。承知したくはなかった。だが今のレゴラスに拒否できる余地はない。
「…わかった」
レゴラスは立ち上がると、もう一度謝って部屋を後にした。

ぱたんと軽い音をたてて扉が閉まると、はふうっと後ろに倒れた。
実際のところ、術の強制解除は非常に負担のかかるものだったが、ここがガイアだったらここまでひどくはなかったはずだ。今回のものは軽い術だったとはいえ、強烈な疲労としてに返ってきた。起き上がるのも骨が折れるくらいだったが、最後にレゴラスに強がってみせたのは、魔女としての自尊心からだ。「ガイアだったら」という言い訳は使いたくなかったのだ。
さっさと解除しておくべきだったかとも思ったが、たとえ過去に戻ることができたとしても、やはり解除はしなかっただろうと思い直して苦笑した。
結局のところ、も術を通して繋がっているレゴラスの気配を心地良いと感じていたからだ。
いつのまにか芽生えていた恋心はの胸の中にがっしりと根を下ろしている。
愛するひとに愛を告げられるのは、普通ならばこの上ない喜びなのだろう。
そして自分も思いを返し、晴れて恋人同士となる。
普通だったら。
だが。
「ごめん、レゴラス。言えないの」
愛しているとは。
絶対。







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