行かなくては…










指輪不所持者










は仰向けになっていた寝台から身体を起こした。
窓の外は暗闇がわずかに薄れており、じきに夜が明ける刻限だった。
少女はふらりと寝台から降りると、よろよろと力のない足取りで扉まで歩く。
「う…わっ!」
内開きの扉を開くと、メリーが背中から転がり込んできた。
どうやらずっと寝室の隣の部屋にいたようで、毛布に包まって扉に寄りかかるように眠っていたらしい。
、もう起きたの?」
しぱしぱと瞬くメリーをは無表情に見下ろした。
?」
しかし少女はホビットには興味はないというようにふいと視線を戻し、メリーをよけて歩き去っていった。
「…どこに行くの?」
メリーは起き上がると走ってに追いついた。はここ三日の間、食事をするのもままならない状態だったのだ。出歩くこともぱったりと途絶え、睡眠もとっているのか怪しいくらいだった。
そんな彼女が急に動き出したのだ。メリーはなにかあるのではないかと思い、の隣を歩きながら懸命に話しかけたが、少女は小さい人の声など聞こえないといった様子で、足も止めず、一瞥も与えなかった。
時刻が時刻なため、療病院の中を横断する時にもほとんど人と遭遇しなかった。はふらふらと療病院を抜けて第七階層に上がってゆく。
少女は寝巻きのままで、足は裸足だった。寝乱れた濃い茶色の髪が頬や肩にまとわりついている。顔色は良くなく、目は据わっている。
明らかに様子のおかしい少女に、門や城壁に詰めている警備兵は不審そうな眼差しを向ける。イムラヒルによってミナス・ティリスの門のすべてを自由に通行してよいとされているため、止めようとする者はいなかったのだが。
大広間へ至る通路を脇にそれると、執政執務室へとたどり着く。ふらふらと身体を揺らしながら扉の前に行くと、不寝番をしていた衛士たちが一体何事かと誰何してきた。
「フーリン公はここにいるのでしょう?」
かすれて生気のない声では答えた。
下から睨めつけるように見上げる少女に、衛士は背を震わせた。暗闇に覗き込まれたような気がしたのだ。
少女の異様な気配に圧されながらも、己が役目を思い出し、衛士は生唾を飲み込んで扉の前に立ちはだかった。
「は。フーリン公は執政執務室からお出になってはおりませぬ。しかしこのような刻限でございますので、おそらく執務室奥の仮眠室のおられるのではないかと存じます」
「起こしてください。急ぎの用があるのです」
衛士は遠まわしに出直すように言ったのだが、はにべもなく撥ねつけた。
彼はもう一人の不寝番にどうしたものかと目で問うた。しかし彼はメリーとぼそぼそと話をしていたのだった。
そして結局。
「少々、お待ちください」
これは自分たちの手にはあまることだと判断し、現ミナス・ティリスの最高責任者を起こしに行ったのだった。

「これは、アルフィエル殿。如何なされた」
フーリンはシャツの上に上着を羽織った姿でとメリーを迎え入れた。どうやら着替えもしないまま眠っていたらしい。年はイムラヒルより少し若く、ゴンドール人らしい黒髪と灰色の瞳の偉丈夫だ。
「わたしのローブはどこですか?」
出し抜けには口を開いた。
「ローブ、ですか?」
椅子を勧めようとしていたフーリンは立ち止まって、まじまじとをみつめた。
メリーの顔からは血の気が下がって、青くなっている。
「わたしはガンダルフに渡しました。ガンダルフは持ってゆかなかった。あなたはこの都を指揮する方。ガンダルフから託されているか、隠し場所を聞いているかしているのではありませんか」
口調は丁寧だが隠すのは許さないというように、はフーリンに詰め寄った。
「知っています。しかし私はアラゴルン殿、ミスランディア殿にあなたにローブを渡さないよう誓いました。お渡しすることは出来ませぬ」
「返してください。あれはわたしのものです」
は片手を出してフーリンを睨みつけた。
!」
駄目だよ、とメリーは少女の寝巻きの裾を握り締めた。
「アルフィエル殿、あなたは疲れていらっしゃるようだ。療病院にお戻りになって休まれるのがよろしいでしょう」
「必要ありません。返しなさい」
「返したら、どうなさいますか」
暗黒を湛えた瞳を見据え、フーリンは拳を握り締めて対峙した。
白の魔法使いと王の末裔からこの少女に起こるだろう異変については言い聞かされていた。彼らが出陣して七日目になって、とうとう事態は差し迫ったところにきたようだ。
「那背の君の元へ行きます」
当然だというようには答えた。
「えっ!?そっちだったの!」
メリーは驚いて大きな声をあげた。
「そっち…?」
「あ、ええと、ナセの君っていうのは、の故郷にいらっしゃる方です。とても強い力を持っている方で、レゴラスはサウロンよりも強いはずだっていってましたけど、のことを護っていたんです。一年以内に迎えに来るとは言っていたんですけど・・・」
フーリンはが異世界から来たということまでは説明されていなかった。話が複雑になる上、時間もなかったので、ただ「遠いところ」としか聞かされていない。
「その方がいらしゃったのですか?」
「愛しい方がわたしを呼んでいる。ここにはまだ来れない。だからわたしが行く」
はさらにもう片方の手を伸ばした。
それなら帰したほうがいいのかもしれない、とフーリンは思った。指輪の力に蝕まれた少女は、日に日にやせ衰えていっているのだ。それが痛々しく、見るには忍びない。助けになるものがいるのなら願ってもなかった。しかし、とフーリンは一瞬傾いた心を建て直して少女に向き直った。
それにしてはの様子は尋常ではない。
指輪が破壊されたわけではないのだから、相変わらず少女を心身ともに苛んでいるには違いないだろうが、エルフの口をして冥王よりも力ある存在が近くにいるのだとしたら、なぜこうも生の輝きがないのだろうか。喜びも安堵も希望も見えないのはなぜだ。瞳に昏い狂気が見えるのはなぜだ。
フーリンは一つ咳払いをすると、恭しくに礼をした。
「お帰りになるのだとしても、そのお姿のままというわけにはいきますまい。服を用意させますので、続きは着替えをすませてからにいたしませぬか?」
フーリンは仮眠室にをつれてゆくと、侍女を呼んで着替えさせた。
その間、外の衛士にファラミアに来てくれるよう伝言を持たせ、メリーからのことについて色々と聞き取った。


が着替え終わる前にファラミアとエオウィンが執政執務室に到着した。
療養中の二人は実に規則正しい生活をしているため、すでに起床していたのだ。しかしファラミアはともかく、エオウィンが外出するのはまだ許されていなかったのだが、ことがに関係があると知った彼女は頑として同行させてくれるよう求め、院長は渋い顔をしながらも許可をしたのだった。
朝早くから呼び出したことを丁寧に詫びたフーリンは、ファラミアに事情を説明した。
「それはやはり、お渡ししない方が良いでしょう」
話を聞いてファラミアは断言する。
「いよいよ猶予ならざる時が来たと見てよいでしょう。ローブを渡してはいけませぬ。渡せば殿はサウロンの元へ飛ぶことでしょう。指輪のありかを知らせるためです。このことは殿ご自身が危惧していたことなのですから」
「ですが、殿。は愛しい方の元へ行くと言っていたというではありませんか。もしも本当に迎えがきているのだとしたらどうなさるのです?中つ国のために、彼女を犠牲になさるおつもりですか?」
「そうですよ。僕もそれが心配なんです。本物の迎えかどうかなんてわかるんですか?」
エオウィンとメリーは口々に不安を言い立てた。
「フーリン殿も気付いておられるようですが、殿を呼んでいるのは敵の手によるものでしょう。会えばはっきりすることです。敵の仕業は、見るものに嫌悪の念を呼び起こすものなのですから。それに、『愛しい方が呼んでいる』。これに似た言葉を、私はイシリアンで聞いています。あれはひどく醜悪な姿と邪悪な性質を持った生き物だった。あの危険なものを長年所持していたと、フロド殿は言っていました」
「ゴラム!」
メリーは叫んだ。
ファラミアは厳しい表情で頷いた。
「メリアドク殿、殿は遠き世界から来られた方ですので、お身内の方がいらっしゃらない。旅の仲間であるあなたを最も近しい身内として、お許し願いたいことがあります。殿を療病院よりお身柄を移して、昼も夜も兵によって見張りをつけようと思う。なぜなら我々はけして敵に武器のありかを教えるわけにはゆかないのだし、かの乙女を良く知らぬ者が不用意に彼女に近づける状況は好ましくないからです。殿は魔法を使う方ですので、殿によって操られる者が出てくることを、私は恐れているのです」
「それって、牢屋に入れるってことですか!?駄目です、そんなの!!」
「牢ではありません。第七階層の奥には賓客用の部屋があります。出入り口と窓には見張りをおきますが、居心地は病室よりもいいですよ。浴室もついております。ただ、外出は一切させられませんが」
ファラミアの口調は淡々としているが、瞳には深い心労が現れていた。もとより悪くなることはあっても良くなる見込みはほとんどなかったのだ。メリーはがっくりとうなだれる。「僕はそこにいてもいいんですか?」
諦めたように呟くメリーに、ファラミアは首を振った。
「申し訳ありません」
メリーの目から大粒の涙がこぼれた。
エオウィンはメリーの隣に座り、小さな背中をさする。しばらくの間、執政執務室にはメリーのしゃくりあげる声だけが響いた。
やり場のない怒りを堪えるように、ファラミアは強く目をつぶっていたが、意を決したように立ち上がると、仮眠室に通じる扉に向かって大声で呼ばわった。
「そういうことになりましたので、殿。もう着替えもお済でしょう、出てきてはいただけないか?そこにこもったままでも構いませんが、それでしたら女性がい易いように片付けをいたしますが?」
ファラミアの言葉が終わるや、すうっと扉が開いた。
中から出て来たは、裾と袖口に草花の刺繍の施されている若草色のドレス姿になっていた。髪も綺麗に整えている。しかし若々しく華やぎのある装いも、憔悴した様子を隠してはいなかった。
「余計なことをしてくれる」
冷ややかな眼差しをファラミアによこし、は憎しみの混じった声で呟いた。
の後ろから恐々と侍女たちが顔を覗かせる。彼女らはファラミアやフーリンに礼をすると、脱兎の如くその場から立ち去った。それらを無感動に見送って、はファラミアの方へ一歩踏み出した。
「わたしの邪魔はしないでちょうだい。ねえ、ファラミア。望みは費えた。滅びは近いわ。だけどそれですべての種族が死に絶えるわけじゃない。当然でしょう?奴隷は必要ですもの。でも王の末裔も執政も必要じゃないわ。大公も、姫もね。民を率いる者は災いのもとになるもの、真っ先に処分されるでしょうよ。だけど、わたしにローブを返してくれるのなら、あなたとエオウィンは生かしておくよう進言しても良いわ。せっかく助かった命をむざむざ捨てたいの?」
揶揄するような眼差しで、軽く首をかしげる。ファラミアは拳を握り締めた。
、本当に囚われてしまったのですね。戻す術はどこにもないのでしょうか。アラゴルン卿にしても、ミスランディアにしても、どうすることもできないとは!あなたはボロミアの意思を受け継いでミナス・ティリスまでお越しくださったというのに、ボロミアと同じ運命をたどられるのか!?いや、あなたに当たっても仕方がないことだ。あなたの不快なその言葉は敵が言わせているものなのだから。だから私はあなたを罪人のように縛り上げ、牢に入れたりはしない。心の奥底に眠ってしまわれたの良心よ、お聞きなさい。我ら自由の民は最後までかの敵に屈したりはしませんぞ!」
はファラミアの覇気に追い詰められたようにじりじりとあとずさった。聞きたくないと顔を歪めて耳を押さえる。
フーリンは二人のやりとりを気遣わしく眺め、そっと話に割って入った。実務的なことは今はまだ彼が采配をとらねばならないのだ。
「着替えや食事の世話はどういたしましょうか。侍女たちのあの様子ではとても無理でしょう。かといって、男にさせるわけにはまいりませんし…」
「わたくしがいたします」
「エオウィン」
ファラミアははっと振る帰った。エオウィンはすっくと立ち、美しい青い目をひたと合わせる。
「何を言うのです。あなたの腕はまだ治っていないのですよ」
「その間は他の女性にも手伝っていただきますが、わたくしの怪我はもうじき治ります。わたくしはのように魔法が使えるわけではございませんが、少なくとも彼女よりは腕の力はございます。病人のお世話も慣れております。わたくしにさせてくださいませ。わたくしはを恐れたりは致しませぬ」
「それでは今度は自ら檻の中に入ってゆくというわけなの、エオウィン。あなたがあれほど拒み、自棄とみえる行動に走らせた鳥籠よ。あなたの影はまだ去ってはいない。でも魔法使いはもう助けになんてこないわ。アラゴルンもこない。彼らは黒門の前で死ぬんですもの!」
は哂った。
「毒ある言葉を紡ぐのはおやめなさい。わたくしの影が去っていないことはわたくし自身が知っていることです。なんて痛ましいこと、愛する方々の死を笑うなんて」
エオウィンの目に涙が滲んだ。





上手くいかない。

早く指輪の主の下へ行かねばならないのに、ローブは戻ってこない。
どこかに隠しているのは確かなようだが、これからは見張りが厳しくなるだろう。直談判などという莫迦なことをするよりも、こっそり探し出した方が良かった。
それに八日前の自分にも腹が立つ。魂の浮遊をさせない呪いさえなければ、物事はもっと簡単に済んだのだ。紙人形に魂を移すか、そのまま浮遊してしまえばいいのだ。戻る時のことを考える必要はない。抜け殻となった身体には用などないのだから。
必要なのは、指輪を破棄するのを止めることだ。そのためには指輪がどこにあるのかを伝えなければならない。指輪の主は今もまだ、あれはアラゴルンが持っているものと思っているのだろうから。
(くそっ!)
焦りが募り、はいらいらと爪を噛んだ。
フーリンは人を呼び、次々と指示を出して新しいの部屋を用意させ、同様に見張りも選んだ。
その間、食事にしようと料理が運ばれてきたが、食べる気など起こらなかった。
どうしたらサウロンの元へゆけるか、それしか頭になかった。
食事が済むとはファラミア、フーリン、エオウィン、メリーに囲まれて用意の整った新しい部屋へ移るために執政執務室を出る。
外は太陽が昇り始め、灰色の雲の間を縫って赤い光の筋が見え隠れしている。
一度中庭に出ると、そこは視界には不自由しない程度に明るかった
苦虫を噛み潰したような気分でいたはちらりと庭に目を向けると、雷に打たれたように立ちすくんだ。
(なぜ気付かなかったんだろう)
の目は中庭や第七階層に至る門よりもさらに先にある大岩の突端に釘付けになった。
この大岩はミナス・ティリスの真ん中から南と北を二分するように突き出ており、一番高いところは第七階層と同じ高さにあるのだ。胸壁で囲まれているものの、よじ登れない高さではない。その先は、第一階層まで遮るもののない、絶壁だ。


身体から出られないのなら、壊してしまえばいい。
ロ−ブなど、必要なかったのだ。
こんな簡単なことに気付かなかったなんて。


殿、どうしました?」
歩みを止めたをファラミアは怪訝そうに覗き込んだ。
は口の端を歪めて笑うと、囲みを抜け出て中庭に向かった。
?」
メリーがすぐ後ろについてくる。
歩きながら後方をちらちらと見ると、何がしたいのかといぶかしんだ表情でファラミアとエオウィンは顔を見合わせていた。
はにやりと笑って、一気に走り出した。
!?」
「どこへ行く、待つんだ!!」
エオウィンとファラミアはのただならぬ様子に後をついて走り出した。フーリンは近衛兵にを捕らえるよう大声で叫ぶ。メリーはわけがわからないながらも少女の後を懸命に追った。
門を出ようとしているのかと思っていたファラミアだったが、がそこには目もくれずに走り去ると、いよいよ何をしようとしているのかに思い当たった。
、止まりなさい!敵の武器の捕らわれて、自ら死ぬつもりですか!?」
ファラミアの叫び声に、メリーは一瞬ぎょっとして振り返った。
「メリアドク、を止めなさい!捕まえて!!」
状況を理解したエオウィンも必死になって叫んだ。
言われる前にすでにメリーはのドレスの端でも捕まえられないかと懸命に手を伸ばしていたのだが、ひらひらと逃げてしまってままならない。
三日の間ろくに食事を取っていないので体力はほとんど尽きているだろうに、それでもホビットとはコンパスの差があるせいで追いつけないのだ。
胸壁にたどり着いたはよじ登ろうと腕をかける。そこへメリーがしがみついてきた。
「邪魔をするな!」
はメリーを突き飛ばした。どこにそんな力が残っていたのか、ホビットの小さな身体は簡単に吹き飛んでいった。
!」
メリーはすぐに起き上がる。は両腕で胸壁に身体を持ち上げている。足はすでに浮いていた。胸壁は幅があるので一度しっかり昇らなければならないのだ。
メリーはを引き摺り下ろそうと立ち上がろうとした。
「メリアドク、動かないで!!」
そこへエオウィンが叫ぶ。次の瞬間には空を切る音とともに、胸壁に音を立てて突き刺さるものがあった。
剣であった。
美しい柄飾りのある小型の剣がのドレスの裾を胸壁に縫いとめ、彼女の動きを止めていたのだ。間に合いそうにもないと思ったエオウィンが、少し遅れて走っていたフーリンの腰の鞘に目を留め、断るのもそこそこに抜き放ち、気合と共に投げたのだ。
バランスを失った少女は奇妙な叫び声を上げて背中から落ちた。弾みで裾が破ける。
そこへメリーが覆いかぶさった。起き上がろうとするはメリーを押しのけようとする。そうはさせないとメリーは必死になってしがみついた。
「よくやりました、メリアドク殿!」
ようやく追いついたファラミアはメリーの下からを引きずり上げた。
「離して。離しなさいよ!!」
「駄目です」
ばたばたと暴れるをファラミアは持ち上げた。そこへ続々とエオウィン、フーリン、近衛兵が追いついてくる。
到着した近衛兵にの身柄を渡すと、ファラミアは座り込んで荒い息を繰り返した。回復しつつあるとはいえ、矢傷を負い、黒の息に侵されていたのだ。そのような状態の時に全力疾走をし、少女相手とはいえ取っ組み合いをしたのだ。一気に消耗しても無理はない。
近衛兵に両側から押さえられているは怒りと憎しみに満ちた目でファラミアを睨んだ。
開放を望んでは喚く。愛らしかった少女の変貌振りにその場にいるものは皆、哀れみの表情を浮かべていた。
「離せ!!」
「失礼いたします、
ファラミアは立ち上がると、の頬を挟み込むように叩いた。
乾いた音の後、少女は呆然とファラミアを見あげていた。
「哀れなことです。このような品とかかわったばかりに、己を失くされてしまうとは。元に戻せる方法があるのなら、どんなことをしてもお助けいたしますのに。ですが、そのような方法もなく、今のあなたの存在は危険すぎる」
「殿」
「ファラミア様!?」
エオウィンとメリーは不安そうにファラミアに目をやった。
ファラミアはの前に膝をつく。
「私は危険を承知で重荷を分かち持ったあなたの勇気に敬意を表しますし、そうせざるを得なかったことにも同情します。善き魔女、堕ちる以前のあなたならば、私の行為をお許しくださいますね?
敵に利用させるためにあなたを死なせたりははいたしませぬ。あなた自身にあなたを殺させたりはいたしませぬ。両手両足を縛り、舌を噛まぬよう猿轡をさせていただきます」
ファラミアは立ち上がると固い声で命令した。
太陽が昇る。
しかしそれは雲の間に隠れ、地上には薄い光しか届かなかった。







を新たな部屋に移し終えると、意気消沈したエオウィンとファラミアは療病院に戻っていった。二人は言葉少なく中庭を逍遥し、時折東の方や第七階層を気遣わしげに眺める以外には何をする気力も起こらなかった。
しかし正午になる前に激しい風が起こって光遮る雲を吹き飛ばしていった。大いなる影は去り、陽光を映して銀のようにアンドゥインが輝く。都ではその源がなにかはわからないまま、人々の心にはふつふつと喜びが沸き起こった。

(終わった・・・)
薄暗い客室の寝台に縛られたまま寝かされていたは、突然重荷の気配が消え去ったことに気がついた。と同時に元の自分を取り戻したことも。
それは奪われたわけではなく、消滅したのだと心が告げていた。
開放された。
フロドは任務を全うしたのだ。
堪えきれない喜びに、窮屈な思いをしているのも忘れては透明な涙を流した。






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