胸が震える。

喜びと不安が入り混じり、
急きたて、追いたててくる。

早く、
早く、
あなたに会いたい。










恋の骨折り損










コルマルレンの野は多くの人々で埋め尽くされていた。
テントがあちらこちらに固まって並び、簡易厩舎や水場、煮炊きするための場所もある。
荷を積んだ馬車に、壊れた武具を治すための鍛冶場もあるようだ。
小さな町が一つできたような賑わいのあるそこを見下ろしながらが向かったのは、黒地に白の木の旗が掲げてある大きなテントだった。
(多分、そこにアラゴルンがいるはず。それに皆も)
高度を下げると、案の定を見つけたらしいホビットたちが空を見上げて手を振っている。
も鳴いて答えるとアラゴルンが聞きつけたらしく、テントから出てきた。
そのまま真っ直ぐ降りようと翼を動かした時、人ごみを掻き分けて金色の光が現れた。
「うわっと!」
何が起こったのか自分でもよくわからないが、気付くとはレゴラスの腕の中にいた。
変身を解きつつ突っ込んだらしく、金色のエルフは驚いた表情でを受け止めていた。
勢いがついていたはずなのだが、レゴラスはわずかによろけただけで少女の身体をしっかりと抱きしめていた。
、会いたかった!」
「レゴラス…!」
張り詰めていたものが切れて、はレゴラスの肩に顔をうずめていた。
レゴラスは少女の震える背中を優しくさすり、涙に濡れる頬にキスをした。
ややあって仲間たちが駆け寄ってくる。
〜!」
はホビットたちの声に我に返ったようにぱっとレゴラスから身体を離した。
?」
レゴラスが呼ぶと少女は一気に耳まで赤くなった。それからわたわたと挙動不審になり、腕から逃れようと身体をひねった。
「ちょ…、?」
「ごめ…離して」
「やだよ。なんで?」
「ごめん、違うの。身体が勝手に…」
は自身の行動に心底戸惑っていた。
レゴラスとはもっと冷静に向き合えると思っていた。
気持ちに答えることができない以上、期待させるような行動は慎むべきなのだから。
しかし、確かにさっきまでのには、近い別れも、世界の違いも、種族の差もどうでもいいことだと思えたのだった。
「勝手に?それはいい傾向だね」
レゴラスはにこりと笑った。
「……」
無言のままエルフの美しい顔を眺めていると、痺れを切らしたホビットたちが早く気付いてと少女のローブの裾をくいくいと引っ張った。
「フロド、サム!」
その場には四人のホビットがそろっていたのだが、は一行が離散した後はじめて再会した指輪所持者と彼の従者に気付くと、レゴラスの腕を抜け出して両腕で二人を抱きしめた。
「良かった…二人とも無事でほんとに良かった…!」
こそ無事で良かった。大変な目にあわせてしまったって、メリーに聞いて…」
フロドは悲痛な表情でを見あげた。
「そんな…わたしの方こそ最後の最後っていう日に役に立たなくて…」
は申し訳なさそうにうなだれる。
「そんなことないよ。にはどれだけ助けられたか。サムとの助けがなかったら、指輪を捨てることはできなかったと思う。ありがとう。それからごめん」
「あ、謝らないでよお。フロドのほうがよっぽど大変だったのに」
はへなへなと力なく地面に座り込んで子供のように泣きじゃくった。



ここではなんだから、とアラゴルンはをテントに連れてゆき―実際に運んだのはレゴラスだったが―落ち着かせるために温めて蜂蜜を混ぜた葡萄酒を飲ませた。
「そういえば、ねえフロド」
目のふちが赤くなったものの、落ち着きを取り戻したは思い出したように尋ねた。
「指輪を持っていなかった時期があったでしょう?直前に衝撃があって、その後二日くらい指輪の気配がなかったもの。あれはなんだったの?」
「ああ、それは、シェロブのせいだ。大蜘蛛だよ。シェロブに刺されたせいで身体が動かなくなったんだ」
「それで、おらはてっきりフロドの旦那が死んでしまわれた思っちまって、旦那の代わりに指輪を捨てねえといけねえって思って、旦那から指輪を外したんですだ」
サムはフロドに続いて口を開いた。
「だけどそれが結果的に良かったんだ。その後僕はオークに連れ去られて身包みを剥がされてしまったんだからね。サムが指輪を外していかなかったら、指輪はあいつの手に渡ってしまっただろうね」
「そうだったの」
はほーっと肩の力を抜いた。
「本当に、あの時くらい絶望したことはなかったわ。もうおしまいだと思ったもの。指輪の影響はなくなったから身体のほうは楽だったけど、かわりに胸がつぶれそうだった。だから、おかしな話だけど、指輪が戻ったってわかったときにはものすごく嬉しかったわ。そっちの方がよっぽど重くて暗くて、相変わらず事態は好転していないわけだからちっとも喜べることじゃないっていうのにね」
その後フロドとは互いに起こったことを報告しあった。
アラゴルンとガンダルフはこの日は急ぎの用以外の仕事はしないことにし、旅の仲間の九人は久々に賑やかな一時を過ごした。
昼食の時間になり、さらに夕食を食べ終わっても、話はまだまだ続いた。
とっぷりと日が落ち、そろそろ寝に戻った方がいいとガンダルフが提案し、ホビットとギムリはおやすみと挨拶をしてテントを出て行った。
アラゴルンは人を呼んで用のテントを急いで立てるように命じた。
「ああ、そうだ、
テントが出来るまで待たせてもらっている間、さっきまでの賑やかさが嘘のように静かになったアラゴルンのテントで、ゆったりとした時間を過ごす。
アラゴルンはパイプをふかし、レゴラスは葡萄酒を、は果汁で割った蜂蜜酒を飲んでいた。
「はい?」
「急いで決めなくてもいいんだが、考えておいてほしいことがある。もうじきミナス・ティリスに帰還することになる。もうしばらくは皆に滞在してもらいたいと思っているが、それでも遠からぬうちに旅の仲間は解散することになるだろう。その後、お前はどうしたいか決めてほしいんだ。お前が望むのであれば、ミナス・ティリスに家を作らせよう。居たいだけいてくれて構わない。もし他に…」
「アラゴルン」
レゴラスが恨めしそうな表情でアラゴルンを睨み付ける。
「なんでそれをあなたが言うんですか!?私の役目でしょう!は闇の森に来るんです。そう約束してるんですからっ!」
憤慨するレゴラスに、アラゴルンは疲れたような表情になる。
「あのな、レゴラス…」
「ねえ、。覚えてるよね?闇の森に来てくれるんでしょう?」
レゴラスの勢いに押されるように、は頷いた。
「えっと、した、と思ったけど…?」
しかしすぐに自信のないように少女は首をかしげだ。
(そういえばきちんと返事をもらう前にハルディアに邪魔されたんだっけ)
正しいところを思い出したレゴラスだったが、邪魔さえされなければは闇の森に行くと言ってくれたはずだ。
「ほら、聞きましたか!?」
そういうことにしてしまおう、とレゴラスは少女の両手を握り締めてアラゴルンに向かって叫んだ。
「レゴラス」
アラゴルンは額に手を当てて大きく息を吐いた。
「私は、『もし他に行きたいところがあるのなら、ゴンドールとわが国の同盟国の領土内なら自由に歩けるようにしよう』と言おうとしたんだ。人の話は最後までちゃんと聞け」
レゴラスはぶう、と膨れた。
は噴出すのをこらえようと肩を震わせる。
「そ、そうね、せっかくだから色々見てまわりたいわ。ホビット庄にも行ってみたいなあ。遠いかしら」
「ホビット庄は霧ふり山脈を挟んで闇の森の反対側だよ」
だから先に闇の森に行こうね、とレゴラスは誘導する。
「ギムリの住んでいるところは?」
「離れ山なら闇の森を通った方が近いよ。せっかくだもの、ギムリもうちに寄っていってほしいなあ。寄ってくれるかな?まあ、いいや。連れてっちゃえばいいよね」
レゴラスはあっという間に上機嫌になってにこにこと笑う。
「…まあ、それはギムリに聞くんだな」
いやだと言うような気がするが。
気の毒なのでそれはさすがに口にしなかったが。
(しかし、まあ…)
レゴラスがを闇の森に連れて行くのは、おそらく父王に結婚の許可をもらうためだろう。あの森の王のことだから一筋縄ではいかないだろうが、とにかくの迎えが来る前に自分の方の問題を解決してしまいたいのだろう。もレゴラスに好意を寄せているようだが、自分の立場というものが邪魔をして、素直になれないようだ。素直になったとしてもそれでの問題が解決するかといえば、まったくならないのがまた厄介ではあるが。
(とりあえず、婚約しなくてはなあ)
アラゴルンはふっと優しい笑みを浮かべて金髪のエルフと栗色の髪の少女を眺める。
問題行動が多いが、レゴラスは大事な仲間だ。できることなら何でもしてやりたいと思う。
や闇の森の一族を説得するのはレゴラスの役目ではあるが、人間とエルフの結婚はただでさえ色々と障害があるのが常だ。反対されそうであるなら、なおさら彼らを支える者が必要となるだろう。
「レゴラス、
自身の過去を思い返しながらアラゴルンは前途多難な恋人たちに向き合った。
話を中断されて、レゴラスとはきょとんとしている。
。もしお前にレゴラスと結婚する気があるのなら、私たちが婚約の見届け人となろう。ここにはイスタリ、エルフ、ドワーフ、ホビット、それに西方の人間たちという多くの自由の民がおり、彼らは喜んで証人となってくれるだろうから」
「うん、それはいいけど」
レゴラスは複雑そうな表情でアラゴルンを見やる。しかしはというと、表情を強張らせてアラゴルンから目をそらし、立ち上がってテントを出て行ってしまった。
?」
「もう寝ます。おやすみなさい」
入れ替わりにのテントの用意ができたと使者が入ってきたので、アラゴルンは追うのをやめた。
使者が立ち去ると、アラゴルンはレゴラスが胡乱な目つきでこちらを見ていることに気がついた。
「…何だ?」
「ドジ」
「は?」
「おっちょこちょい」
「おい」
「軽はずみ!」
「お前に言われたくはないぞ!」
「なんであんなこと今言うんですか!私はまだちゃんとプロポーズしていないって言っていたじゃないですか!」
「何だと?」
アラゴルンはあんぐりと口を開けて固まりました。
「本当に何も言ってなかったのか。お前が?私はてっきりの返事を待っているところなのかと…」
「違いますよ!まったくもう、何もかも台無しじゃないですか!はヴァロマ殿が第一で、それゆえに悩んでいることくらいわかっていたでしょうに。せっかくちょっといい感じになってきたなあって思っていたら!」
「…すまん」
「すまんじゃないですよ、もう」
レゴラスは両腕を組んで仁王立ちになった。
「いいですか、私、明日からを連れて出かけますから。結婚を承知してもらうまで帰りませんからね。皆には適当に言って置いてください」
「あんまり遠くへは行くなよ。サウロンが滅びたとはいえ、まだすべての影が取り払われたわけじゃないんだからな」
「わかってますよ」
レゴラスは肩をすくめるとテントを出て行った。アラゴルンも見送りがてら、外の空気を吸おうと外へ出る。金色の髪が揺れる背中を見送りながら、アラゴルンは猛烈な違和感を覚えてレゴラスを追いかけた。
「ちょっとまて、レゴラス。どこへ行く気だ?」
「テントですが?」
何を当たり前のことを聞くんだと、レゴラスは眉を寄せる。
「お前、『私はテントって好きじゃないなあ。ここの木たちの間で眠ることにしよう。気が向いたらギムリのとこに行くから、私のは必要ないよ』って言っていたよな。ギムリのテントはそっちじゃないぞ」
「わかってますよ。野暮なこと言わせないでください」
レゴラスは頬を赤らめた。
「お・ま・え・は〜!」
アラゴルンは拳を振るわせた。
「時と場所と場合を考えろ、馬鹿エルフ!さっきのセリフはどこに飛んでいったんだ!?口説きたいなら明日にしろ!」
「だって、もう時間との勝負で!」
「やかましい、今夜はそっとしといてやれ!いいな。絶対にのところへ行くんじゃないぞ!」
「ケチ〜!」






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