1909年2月3日(水)                                                   

    いちいち書くのも面倒くさいのだが、これは日記である。

    のちに読み返したときに何があったのかがわかるようにしなくては書いたかいもあるまい。

    本日は定例の評議員会に出席するべく、ジョン・グリア孤児院を訪問した。

    あそこには常時百人前後の孤児たちがいる。リペット院長はよくやっているとは思うのだが、もう少し違うや

    りかたがあるのではないかと思うのだが、どこをどう、というのが私にはわからない。

    いずれはっきりした考えが浮かんだら、院長に提言しよう。

    
    さて、本日はいつもの視察の他に話題が一つでてきた。

    ジョン・グリア孤児院では子供は十六歳になると自活の道を探さねばならないのだが、学業がよくできたため

    に特別なはからいで高校に進学させた女の子が一人いるということだ。 

    その子は十七歳になった。これからをどうするか、というのがその内容である。

    一般的な家庭において、という意味では、女の子は家政を学ぶのが普通であろう。

    しかし孤児の場合は身寄りとなる親族がいないので、女の子であっても就職するしか道がない。

    だが、特別な訓練を受けたことがないので、あまり良い就職先を見つけられないのが現状だ。

    これは男の子であっても同じようなものなのだが……。

    しかし、男の子の場合は、学業を修めさえすれば、かなりのところまで道が開けるのである。

    私はこれまで数人の男の子たちを大学に入れてきたが、これを女の子にも適用させるかについて、少なから

    ず頭を悩ませてきた。

    もしかしたら今回のことは良い機会になるかもしれない。

    それくらいの思いで、私はその女の子の調書を読んだのだ。

    その子は、特に国語の成績が良かった。参考にと一緒に綴じられていたのは、我々が毎月一度訪れる日(つ

    まり評議員会のある日)の憂鬱を語った詩であった。

    これが面白かったのである。

    私はとても楽しい書物をめくるような気持ちで、その子の調書を読んだ。

    そしてその子には想像力があるという確信を抱いたのである。

    現在の社会はどの階級に生まれたかによって一生が決まると言っても過言ではない。

    自由の国アメリカ、とはいっても、底辺から這い上がり、名をあげることができるのはほんの一握りなのだ。

    しかし、一つだけ生まれに左右されない職業がある。

    「作家」という職業が。

    あるいは芸術家などもそうなのだが、このような想像性や創造性が必要な職業につくのは、つきたいからという

    だけでは無理なのである。政治家などは法律を学べばなれないことはない。職人も、親方の下で修行を積めば、

    いつかは独り立ちができるだろう。しかし作家や芸術家は生まれもった才能が必要なのである。才能がなければ

    どんな高貴な身分のものであっても、決して作家や芸術家にはなれないのである。作家や芸術家を保護すること

    はできても……。

    私はその子に作家になれる素質があるのではないかと考えた。

    そのために必要な事は、より多くのことを学ぶことである。

    学業だけではなく、世間一般のことも含めて。

    私はその子を大学に進学させることを決心した。






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