毎日が、愛おしさと楽しさで綴られてゆくというのは、なかなかどうして不思議なことだ。

    少し前まで、私は独身生活を謳歌していた。

    好きなときに好きなことをする気楽さ。誰にも縛られることなく、自分の持つ時間や財産を自由に使えた。

    私の親戚や友人、知人には、結婚してから縁遠くなったり、すっかり元気がなくなったりする者も少なからず

   いたから―見るからに幸せそうになった者ももちろんいるけれど―私は結婚するつもりなど全くなかったのだ。

    必ず『当たり』が引けるとは限らなかったし、私に近付いてくる女性は、多かれ少なかれ、さっさと当主である

   私に身を固めてもらいたいと願っている親類たちの息がかかっているのを知っているからだ。

    だが、今の私は結婚したことに対してすこぶる満足している。

    陳腐な言い回しだが、結婚というのは喜びを二倍に、悲しみを半分にするという話は本当だと思った。 
    

    私の今の生活はこんな感じだ。朝、目覚めるとジュディが隣で寝ている。朝食は一緒にゆっくりと取り、必要が

   あれば会社へ行く。ランチは一緒に取れるとは限らないが、夕食はたいてい共にとる。

    劇場などに出かけることがなければ、その後は居心地の良い居間で過ごす。ジュディとはその日にあったこと

   や新聞で話題になったことを話したり、音楽を聴いたりしている。

    私のいない間、ジュディはどうしているのかというと、彼女の予想に反して家事をする必要がない相手に嫁いで

   しまったので、友人に手紙を書いたり勉強をしたりしているのだそうだ。

    勉強というのは孤児院に関することが主で、孤児を取り巻く法律的な面や実態の調査、また現代的な要素を取り

   いれている孤児院の訪問などをしているのだそうだ。

    親や保護者がいない―生きていてもまともに世話をしてくれない場合もある―、寄る辺のない子供らに、ただそ

   の「寄る辺のなさ」を理由に、かくも理不尽な思いを、扱いをしてもよいのかと、彼女は静かに怒っている。

    自身が何度も悔しい思いをしてきたので、一際熱が入ってしまうのだろう。

    子共時代に楽しい思い出が一つもなかったということが、私には上手く想像ができない。私は本当に甘やかされ

   た子共だったから。

    引き裂かれた子供時代を取り戻そうとしているように、彼女は知識を深めてゆく。孤児院の内側しか知らなかった
   子供は、今では外側の現実を知りつつある大人になった。

    私も彼女の調査結果を見せてもらったが、孤児院には相当の改善余地があると思った。それはジョン・グリアの

   評議員の一人として、月に一度、外側から眺めていただけでは気付かなかったことだ。彼女の学生時代の手紙

   から、あそこが子供の成育の場として問題があるのではないかと気がついたが、それ以上だった。

    ただ問題は、ジョン・グリアを改善するのはかなり難しいということだ。

    なぜならいくら評議員が改善案を送っても、院長が適切に実行してくれないとどうしようもないからだ。

    そういう意味で、リペット院長がいる間は、孤児院の改善は不可能と考えざるをえないだろう。評議員の多くは、

   彼女の指導に特に問題を感じていないのだ。院長を変えるには、評議員の過半数の賛成を得るだけではなく、

   その困難を極めるであろう孤児院改造を継続的に実行させるだけの後ろ盾を院長に与えなければならない。

    つまりは私が評議員長になるのがまず先決なのだ。

    さて、これは難しいことだろうか?

    答えはNoだ。現評議員長のスミス氏―偽名ではない―は最近持病のリウマチが悪化してきたということで、年間

   を通して暖かい場所へ移住しようとしている、と聞いた。交渉すれば新会長になることもできるだろう。

    ただ、まだ確実ではないので、ジュディには伏せておく。良い知らせを届けられるといいのだが。






次へ   目次