目が覚めたら、見知らぬ天井を見上げていた。
気がついたら、朝になっていた。
意識がはっきりすると、自分がとんだ失態を犯したことを思い出した。
(酒の飲みすぎで記憶が飛んだなど、初めてだぞ……)
だるい上体を起こし、スランドゥイルは顔を覆いながら、深いため息をついた。
森エルフたちの宴会は昼間から始まり、日が落ちても終わらなかった。
それどころか、空が青からオレンジへ、オレンジから藍へ、藍から黒へと移り変わるにつれて盛り上がっていった。
風が吹けば風の歌を、星が輝けば星の歌を、即興で歌い、舞い、笑う。
即興なだけあって、お世辞にもその歌は素晴らしい出来であるとは言えなかったが、彼らが宴を心から楽しんでいることだけはよく伝わっていた。
屈託のなさがここの民の良さなのだろう、と鈍く痛む頭で考える。
(それにしても……私はここまでどうやって来たのだろう)
昨日の回想は、宴会場にいたところで終わっている。
部屋に戻った記憶はない。
自分で歩いて来たのか、誰かに運ばれたのか、それすら覚えていなかった。
(あまり醜態を晒していないといいのだが……)
父の身内のいる初めてあった一族たち。
その彼らの前でそうそうに公子たる己がみっともない振る舞いをしては、ドリアスの名に傷がつく。
昨日の宴は無礼講であり、自分達を歓迎するためのものであるのだから、多少羽目を外しても咎められるものではないだろうが、限度というものがあるだろう。
「はぁ……」
スランドゥイルは金色の頭を軽く振ると、寝台に腰掛けるような状態になるようにゆっくりと身体の向きを変えた。
「シリンデ? 誰かおらぬか」
頭に響くのであまり大きな声を出さなかったが、ややあって続きの部屋からシリンデが姿を現した。
「お目覚めでしたか、若君」
「ああ、いたのかシリンデ。丁度良かった、着替えをしたい。いや、その前に水を一杯持ってきてくれ」
「承知しました。すぐにお持ちします」
額に指を当てている主に、シリンデは納得したような表情を浮かべると続きの部屋に戻った。
居間と寝室はドアで区切られていないので、シリンデが水差しから水を移す、小さな音すらよく聞こえる。どっしりとしたヘッドボードに腕をかけ、ぼんやりとしていると、さほど時間を置かずに副官が戻ってきた。
「シリンデ、宴の途中から記憶がないのだが、私はどうなったのだ?」
カップを受け取りながらスランドゥイルは聞いた。副官は主の体調を考慮してか、静かな声で答える。
「若君は月が天頂にかかった頃、急に後ろに倒れられたのですよ。ああ、そうは申しましても隣にいたエレナカレン様がすぐに気づいて受け止めてくださいましたので、どこもぶつけてはいないようです」
「……それで?」
「若君がすっかり酔いつぶれていたため、わたくしとタルランクとでここまでお運び致しました」
「そうか。それで……」
「はい?」
口ごもるスランドゥイルを促すように、シリンデは返事をする。
「私は何かこう、みっともない真似をしてしまっただろうか? ……というよりも、エレナが隣にいたことすら覚えていないのだが」
最初は父とエレナと自分とが並んでいたのだが、途中で何度か席を変わったのだ。いつから意識が飛んでいたのだろうかとスランドゥイルは肩を落とす。
副官は微笑んだ。
「大丈夫ですよ。眠るように大人しく倒れられただけですから」
「お前は平気だったのか? ここの酒は随分強いように思ったが」
普段通りの平静を保つシリンデに、スランドゥイルは思わず訊ねる。酔いつぶれたのは自分だけかと思ったのだ。
「いいえ、わたくしにもだいぶ強い酒でした。ですから飲むのは控えて、歓談を中心に楽しませていただきましたよ」
「しっかりしているよ、お前は」
頬杖をつきながらスランドゥイルは憮然としていった。
これでは言葉通りに無礼講に興じた己が阿呆のようではないか。
シリンデは小さな笑い声をあげる。
「若君はそれでよろしいのですよ。宴の重要人物のお一人なのですから。ですがわたくしはあなたの副官です。ここはエルフの地であり、しばしの平穏を享受することができるところなのでしょうが、苦難の多い旅の途中であることには変わりありません。気を抜くのはまだ早すぎます」
スランドゥイルは眉をひそめる。
「それではお前が疲れてしまうではないか」
「いつかオロフェア様が新たな国を築いてくださるでしょう。そうなったらゆっくり休ませていただきますので、ご心配なく」
澄まして答えるシリンデに、スランドゥイルは半眼になった。どこまで本気なのか、長い付き合いだがさっぱり読めない。シリンデは窓に目を転じながら続けた。
「それに、ここにはしばらく滞在するそうですから、安全が確信できればわたくしもしばらくのんびりさせていただきます。この森の住人は根っから陽気そうなので、話していて気持ちが良いですよ」
開け放たれたそこからは、笑いさざめく森エルフたちの声が、風に乗って流れてきていた。
着替えて続きの間へ入ると、そこは昨日通された部屋だということがわかった。
自分とシリンデ以外には誰もいない。
父は、と副官に問うと、オロフェアは昨夜から戻っていないということだった。宴は夜明け頃にお開きになったが、まだ話し足りなかったらしく、彼はそのままエレナカレンのところに行ったということだ。
(まあ、つもる話もあるだろうしな……)
スランドゥイルは肩をすくめると、何か気分のすっきりするようなものを頼んだ。
少しして盆を掲げたエルフ乙女が入ってくる。
薔薇色の頬に、弓形の明るげな眉、目は濃い灰色で、唇は笑みを刻んでいた。右側の髪は耳の後ろに引っ掛け、左の髪には細かい編みこみをして垂らしている。
鼻歌でも歌いそうな様子でしなやかに歩く彼女は、スランドゥイルと目が合うとにっこりと笑った。
「おはようございます、若公子様。ご気分はいかが?」
「あまり良くない」
「まあ、ではこちらをどうぞ」
娘は盆のものをひょいひょいとテーブルに置く。水差しにカップ、それに果物を盛った皿。小さな籠には一口で食べられそうなパンが入っている。
娘は水差しを示すと、
「この飲み物にはこの森で取れる実の果汁を少し混ぜていますの。とてもすっぱい実なので、はちみつと水で割るとさっぱりとしておいしいんですよ」
すっぱい、というところで口をすぼめて味の強調をする。おどけた表情がおかしくて、スランドゥイルは小さく噴出した。
「そなた、この屋敷に勤めているのか?」
「はい。普段はエレナカレン姫様付きをしておりますの」
「名は?」
「グラジエルと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
スカートを摘み、優雅というにはいささか敏捷すぎる動きで彼女は礼をした。
「ああ、覚えておく」
スランドゥイルがそう言うと、何がそんなに楽しいのか、彼女はまた笑った。
名が性格をよく現していると、ふと思う。
彼女の名は『笑い』という意味なのだ。
それからスランドゥイルは軽く食事を取り、その後は窓辺でぼんやりと過ごした。
昼を少し過ぎた頃、あらかた頭痛が引いたので、彼はグラジエルを呼んだ。
「昨日のもてなしの礼と宴の途中で退席した失礼を詫びたいのだが、エレナのところへ行っても大丈夫だろうか」
「ええ、もちろんですわ。姫様にも若公子様でしたらいつでもご案内して構わないと言い付かっておりますの」
「では先導を頼む」
「承知いたしました」
スランドゥイルは立ち上がり、シリンデにここで待つよう言いつけると、軽やかに歩く娘の後を追った。
エレナの館はこの森の建物の中では一番立派だといえる規模であるが、ドリアスと比すればそこはやはりたいした大きさであるとはいえない。
もともと住人が少なかったということもあるだろう。今は亡きエレナの兄−ということはスランドゥイルにとっては伯父だ―とエレナと、もしかすると彼女たちの両親と。彼らの世話係を含めても、さしたる人数ではあるまい。
エレナの部屋にはすぐに着いた。
グラジエルは密やかにノックをすると、ややあって扉が開き、やはり侍女の姿をしたエルフ娘が現れる。
「……?」
スランドゥイルは一瞬虚をつかれた。
エレナの部屋ではなく、大きな鏡台を開いたのかと思ったのだ。
すぐにそんなはずはないと思い直す。
しかし現れた娘はグラジエルにそっくりだった。
「……双子なのか?」
スランドゥイルの訪問を、出迎えた娘に話していたグラジエルは、ぱっと振り向いて「そうですわ」と答えた。
もう一方の娘も目元を柔らかに和ませる。
鏡だと思ったのは、グラジエルにそっくりな娘が出てきたからだ。、彼女とは逆に右側の髪を編みこみにし、左の髪を耳に引っ掛けているからだ。向かい合わせになると、丁度鏡に向き直ったような状態になる。わざとなのかどうかは知らないが、まぎらわしい、と彼は心の中で呟いた。
「どうした。誰か来たのか?」
部屋の奥からエレナの声がする。
グラジエルにそっくりな娘は部屋に向かって、「若公子様がいらっしゃいましたわ」と答えた。
「なんだ、それなら早うお入り」
ざっくばらんにエレナは呼ぶ。声は気さくさに溢れており、姿が見えなくとも手招きをされているようだった。
「失礼いたします」
扉の脇に寄った娘をちらりと見やり、スランドゥイルはエレナの部屋に足を踏み入れた。
ほとんど天井付近から床までの大きな窓があるその部屋には、燦々と日が入り込んでいる。その部屋の真ん中あたりに、エレナとオロフェアが椅子に座っていた。二人とも昨日と同じ格好をしている。
「気分はどうだ、スランドゥイル」
肘掛に片肘をついて、オロフェアは聞く。
「もう平気です。昨日はお見苦しいところをお見せして、申しわけありませんでした」
父と伯母に向かって、スランドゥイルは軽く頭を下げる。
「気にすることはないよ、別に暴れたりはしていないのだからね」
エレナはにやりと笑って答えた。
からかわれていると感じたが、大人気なく声を荒げるのはなんとかして堪えた。平静を保ったままのような振りをして、エレナに向かって微笑みかける。
「そうでしたか、安心しました。何分宴など久方ぶりだったものですから。それに、これほど陽気な酒の席は初めてでしたからね、つい飲みすぎてしまったようです。ですが楽しい宴でした。ありがとうございます、エレナカレン」
エレナは鼻の頭にしわを寄せ、唇を尖らす。
「もう少し伯母上と遊んでくれてもよいではないか」
「からかわれてムキになるほど幼くはありませんので、そういう遊びはお断りします」
「可愛くないのう」
「可愛いと思われても嬉しくありませんのでそれで結構」
「ああいえばこういう」
「エレナ、私に喧嘩を売りたいんですか?」
やけに絡んでくる伯母に、スランドゥイルは辟易とした。
「いや、別に? ただ、夕べとは随分な違いだと思ったまで。昨晩、そなたが倒れたあと、シリンデたちが運ぶまでの間、わたくしの膝を枕にしていてね、大人ぶっているようでも寝顔はあどけなくて、大そう可愛らしかったから」
エレナはくすりと笑う。
「なっ……!」
そんなことがあったとは。スランドゥイルは顔に血が昇るのを感じた。
「ほ、本当ですか……?」
オロフェアは父を見やる。彼はあっさりと頷いて肯定した。
額に手を当てて天を仰ぐ息子に、彼は首を傾げる。
「だけど、それだけのことだよ。特に暴れたり騒いだり絡んだりしてはいないし。静かなものだった。皆も微笑ましく眺めていたし」
「眺めないでください、そんなこと……」
がっくりと肩を落としてスランドゥイルは嘆いた。所詮自分など、上古から生きている彼らにすれば、まだ殻をつけたひよこも同然という事だろうか、と、物悲しくなってくる。
ふと気がつけば、グラジエルともう一人の娘が自分達の会話を聞いて肩を震わせていた。
さすがに主たちの話に口を挟むような無礼は侵していないものの、どうにも笑いをこらえきれないでいるらしい。
「エレナ、父上、この話は終わりにしましょう」
「ま、そなたがそうしたいのなら、いいよ」
深追いをするつもりがないようで、エレナはあっさりと承諾した。
「グラシエル、椅子をもう一つ持ってきておくれ」
そしてスランドゥイルに向かって微笑む。
「この部屋に三人以上集まるのは珍しいことだよ。兄上がいなくなられてからは始めてだな」
他に住人もいないことだし、と彼女は付け加える。
なんと返してよいか迷っているうちに、スランドゥイルのための椅子が運ばれてくる。
運んできた娘は右側に編みこみを作っている娘だった。すなわち、グラジエルではない方である。
「聞き間違いかと思ったのだが、そなた、グラシエルというのか?」
答えたのはエレナだった。
「そうだよ。グラシエルとグラジエル。双子の姉妹で、二人そろってわたくしに仕えてもらっている。グラシエルの方が姉だ。よく働くし明るい性格でわたくしはとても気に入っているのだけど、あまりにそっくりで近くに寄らないと見分けがつかないので、髪形を変えてもらっているんだ」
「右と左なだけではないですか」
名前までそっくりなのに――グラシエルは『喜び』という意味だ――、唯一の見分け手段が髪の編み方だけとは。
「しかし、わかるであろ?」
「微妙です。覚えるまで混乱してしまいそうですよ」
「ならば早く慣れるのだな。侍女といえど、名前を間違うのは失礼だぞ」
スランドゥイルは小さくため息をつく。
「そうします。では、私は用件が住みましたのでこれでお暇いたします」
エレナと話していると妙に疲れる。悪いひとではないと思うのだが、彼女の調子は独特で、それこそ慣れるまで時間がかかりそうだった。幼少時に親しかったとはいえ、その彼女とよくぞずっと話していられたものだ、とスランドゥイルはオロフェアに尊敬の念を覚える。
「もう戻るのか?」
そのオロフェアは息子が踵を返したのを引き止めにかかった。
「ええ、私は昨日の礼と侘びを申しに参っただけですので」
「律儀だな」
エレナが混ぜ返す。
「姉上、話が進まないので少し黙っていてください。スランドゥイル、私たちはここより東の地についての話をしていたところなんだ。お前も事情を知っておいた方がいい。残りなさい」
「何か、ありましたか?」
問うと、オロフェアはわずかに眉を寄せ、頷く。
「ああ。姉上の話だとどうやら、クウィヴィエーネンがなくなってしまったらしい」
あとがきは反転で↓
森のおねーさんズ二人登場。
どれくらい活躍してくれるかはまだ未定(←おい…)
書いているこっちも紛らわしいのですが、
姉:グラシエル(glasiell)→訳せば『喜子』さん的な名前になる。右に編みこみあり。
妹:グラジエル(gladhiell)→訳せば『笑子』さん的な名前になる。左に編みこみあり。
です。
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