視界が高くなる。
身にかかる一切の重さを断ち切って、浮遊してゆく。
羽ばたくでもなく、風に流されるでもない、ひたすらの上昇。
己の背丈より高い幹が、枝葉が、眼下に去ってゆく。
やがて視界が青と緑に分かれた。
空の青と、森の緑とに。
スランドゥイルはほっと息をついた。
ここまでは上手くいくようになった。
目を開ける。
中心地から離れた小さな草地。彼は木漏れ日さす木の幹によりかかっている。
不思議な感覚だった。自分は地上にいるのに、鳥の視点でもものが見えている。その二つの映像は妙にくっきりと区切られており、見たい方がより鮮明に脳裏に映し出されるのだ。
風が吹き、ちらちらとまぶしい陽光が目に降りかかってきた。目を細めてそれをやりすごす。
と、肩に力が入っていると気づいて、ぐるりと回した。そして慌てて意識を頭上に向ける。
大丈夫だ、まだ途切れていない。だが動揺したせいで視界がぶれだしていた。
ゆっくりと息を整えて気を落ち着ける。
しばらくして安定してきたので、スランドゥイルは第二段階に行動を移すことにした。頭上で漂っている視界を広げていくのだ。
やがて脳裏に映るものは刻々と場面を変えてゆく。
妙な感じだった。
歩いたり走ったり、あるいは馬に乗って移動する時とも違う。一方向への視界の変化ではない。前にも後ろにも、左右へも一度に動いているのだ。まるで波紋が広がるように。
やがてかすかに眼下に見えていた中心地もはっきりと確認することができた。木々が途切れた草地に建物が見える。中心地のさらに中心たるエレナの屋敷も、こうして眺めると小さなものだった。そして家の外で思い思いに過ごすエルフたちの銀色の頭があちこちに散らばっていた。
だがこうして中心地を眺めているスランドゥイルの意識には、同時に別のものも見えていた。警備隊の詰め所だった。詰め所は森のあちこちに点在しているが、彼が見ているものは中心地とは逆方向にあるものだった。また、別の方向にあるものも見えてくる。そして細い筆で描いたような川が、見えつ隠れつしながら伸びていた。しかし森そのものは風で枝葉が揺れていようとも、微動だにせずにそこに存在しているようだった。
スランドゥイルは頭上に意識をとどめたまま、その広がった視界を包み込もうとした。それが全体に及べば、結界と呼ばれるものになるのだ。
だが、それはひどく難しい。
思うように手足が動かないような感覚で、視界を広げるのと同様にとはいかないのだ。周囲には何もないのに、何かに邪魔をされているような気もする。
ゆるゆると頭上を支点に、結界を広げる。だが力を込めてもある地点より先に広がらなくなった。額に汗がにじむ。歯をくいしばり、肩にも腹にも力を込めるが、いっかなそれは術には反映してくれなかった。
「……っは」
とうとう押さえきれなくなって、スランドゥイルは視点を手放した。
同時に術が壊れる。
四方八方に広がっていた視界が急速に狭まり、混ざりあう。青と緑と銀がごちゃごちゃになって、一瞬自分が何を見ているのかわからなくなった。
眩暈がする。声にならない声で呻いていると、ふいに額に手が当てられた。ひやりとして心地よい。
上がった息を整えると、スランドゥイルは寄りかかっていいた幹に頭を預けた。
「……あー、上手くいかないものだな」
我知らず呟くと、横から慰めるような声がかかった。
「始めたばかりだもの、仕方あるまいよ。だが最初の最初よりは継続できるようになっている。進歩はしているよ。焦らないことだ」
「だが、私はもっと早く使いこなせるようになりたい」
首を傾けて声の主を見やる。エレナカレンは困ったように微笑みながら彼の隣に座っていた。
「そなたの悪いくせだね。急ぎすぎる。焦って身につけた力では、いざという時に使いこなせないよ」
「わかってはいるが」
スランドゥイルは唇を噛んだ。エレナがくすりと笑いながら、彼の前髪をかき回しだす。その笑みがしゃくにさわって、スランドゥイルはそっぽを向いた。弾みでエレナの手が外れる。
「おや、残念」
あまり残念そうではない口調で彼女は言った。
スランドゥイルは数日前からエレナに魔法を教わり始めていた。
剣だの弓だのといった武器を使う鍛錬は欠かさず行っていたが、魔法を使うそれはこれまでほとんど行っていないことに気がついたのだ。というよりも気づかされたのだ。エレナに魔法を覚える気はないのか、と問われたことによって。
魔法は、かけた相手に混乱や不安を覚えさせ惑わせるような使い方をすることはできても、基本的に直接敵を仕留めるようなことをするには向いていない。できないわけではないのだろうが、それを行える者はごく一部の熟練者だけである。もっとも人の子を始めとする他種族はエルフは誰もが魔法を使えると思っているようなのだが――たとえば口を開かず心の中だけで会話をするようなこととかだ――その多くはエルフが元々持つ能力であってエルフ自身はそれを魔法であるとは思っていない。魔法は、エルフにとっても特殊な力なのだ。誰にでもできるわけではない。
そうであるからスランドゥイルも自分から魔法を覚えてみようという気にならなかったのだ。使えない公算の高いものに時間をかけるよりも、結果が目に見えやすい武具を使っての鍛錬の方がよほどやる気も起きるというものである。
だが魔法には剣や弓の達人であってもかなわない利点がある。
それは複数を相手にできるということだ。
どれだけ剣の腕をあげようと、倒せる敵は一度に一人だ、上手くやれば一度に複数を仕留めることもできるかもしれないが、それはあくまで例外的なことだ。
だが、魔法は違う。魔法は大勢を相手にすることに向いている。
メリアンの魔法帯しかり、エレナの呼子の結界しかりだ。攻撃は最大の防御と言うが、敵に攻撃をされる前にその攻撃を防げれば、こちらが被害を受けることはなくなる。スランドゥイルとしては直接戦う方が好みではあるのだが、戦えない女や子供もいる以上、戦場での名誉だけを求めていてはいけないということは理解していた。ましてや今後、ドリアス並に強固に守られた地で暮らせるとは限らない。国が戦場にならないよう、守りにも力を注がねばならなかった。
それにはまずエレナが使うような、敵かもしれない存在が近づいたらわかるものを覚えられたら便利であろうと考えた。エレナも同意したため早速稽古をつけてもらったのだが、意外なことに自分にも魔法が使えることがすぐに判明したのだ。ただしこれまで一度も自分に使えるとは思わず、また使ってみようと思わなかったため、その力は不安定でごく弱いものだったが。
「それで、どのあたりで苦戦しているの?」
スランドゥイルの正面になるようわざわざ移動したエレナは、甥の顔をのぞき込む。髪を飾る鮮やかな赤い花がひときわ目を引いた。
スランドゥイルは花から視線を外し、地面に目を落とす。
「術を及ぼしたい範囲を特定することまではできるようになりましたが、実際に及ぼそうとすると――伸びないというか。こっちが歩こうとしているのに、後ろでマントの裾を踏まれて前に進めないというか、そんな感じです」
感覚的なことなので、言葉で説明するのは難しい。剣ならばどこに問題があるか、実際に目の前で振るって見ればわかるのだが、魔法は目に見えるものばかりではないのだ。
「範囲を広げすぎているのではないの? まずはほんの少し、それこそ両手を広げたくらいで十分であろうよ。そして範囲指定と術の固定化が完全にできるようになったら徐々に広げてゆけばよいと思うが」
軽く首を傾げつつ、エレナは提案をした。
「……まあ、そうなのでしょうが。しかしエレナ、範囲指定をするにはかなり集中しなければならないが、労力はそれほど必要がない感じがしますが。だから範囲を狭めても、術の固定化に振り分けるだけの力は特に増えないように思います」
スランドゥイルが反論すると、エレナは眉をよせる。
「そなた一体、どの程度まで範囲を広げられるの?」
問われて彼は考え込んだ。見えていたものから大体の位置を推測する。
「半径一リーグ、にちょっと届かないくらいですね」
エレナは目を見開いた。
「……それは……広げすぎなどというものではなかろう。初心者がよくそこまでできるものだ」
「そうなのですか?」
いまいち実感のないスランドゥイルにはエレナの驚きがピンとこなかった。
エレナは感心したように息を吐く。
「さすがはシンダールの公子なだけはあるね。潜在能力はずいぶん高いようだ。ドリアスで学ぶ機会を得なかったのは惜しいことだね。わたくしよりももっと良い教師もおっただろうに」
スランドゥイルは自嘲する。
強力な魔法帯に守られて、それが永続的に続くと思っていたのだ。自分も覚えてみよう、などという気は起きなかった。苦労して覚えても、マイアであるメリアンに敵うはずもないのだから。
「今更ですよ。ドリアスはもうありませんし、他に魔法を教えられそうな方は父くらいしかおりません。だがその父もまだ戻ってきていませんから、私の師はやはりエレナしかいないということになります」
「シリンデも無理なの?」
「多少は使えるようですが、エレナの方が能力が高いでしょう。広範囲に影響を及ぼすようなものは、シリンデには使えないことは私も知っています」
スランドゥイルの返答に、エレナは腕を組んで頷いた。
「やっぱりそういうものか。うちでも魔法が使えるものはあまりおらぬからのう。そなたがここまで才を示したのも、わたくしにとっては大きな驚きだよ。血筋からすればそうであってもおかしくはないにしてもね」
血筋ばかりが全てではないが、王家に連なり、またその血が濃いほど能力が強く現れる傾向があることはスランドゥイルも気づいていた。そして魔法が使えることは、いつか造りたいと思っていた新しい国の守りにも生かせるに違いなかった。もっとも、最近ではこの森から動きたいと思う気持ちがすっかり薄れてしまったのではあるが。
「たしかグラシエルとグラジエルは魔法が使えるのでしたね。どのようなことができるのですか?」
「あの二人もわたくしと似たようなことができるよ。幻術と結界だね。まあ、あの二人はわたくしほど範囲は広げられないけれど、面白いことに双子なせいか、力を合わせて二人で一つの術を使うことができるのだよ」
「……ありなんですか? それ」
そんな話は聞いたこともない。ぽかんとするスランドゥイルに、エレナは声をあげて笑った。
「実際には二人で同じ術を使っているからそう見えるだけなのだけどね。しかし同じ術を同時に使っても、それぞれの力が干渉しあって多少打ち消されるものだけど、あの二人はそれがないので、十分すごいと思うのだけどね」
「なるほど……。それも学んでみる価値はありそうだ」
魔法というものは奥が深い。改めてスランドゥイルはそう思った。しかしエレナは聞き捨てならないと、眉をひそめる。
「術を同調させること? それは、呼子の結界より難しいと思うぞ。互いに互いの力を邪魔しないよう、細かな調整が必要になるもの」
「だが、もしできるようになれば、強力な術を使えるものが一人もいなくてもどうにかすることもできるでしょう?」
たとえば自分とエレナとオロフェアが力を合わせて結界を張れたとしたら、メリアンの魔法帯には敵わずとも、それに近いものを作り上げることができるかもしれないのだ。
エレナは頬に手を当ててううん、と唸った。
「言いたいことはわかるし、理屈の上ではできること、だとは思うがやるとなると非常に難しいな……」
しばし沈黙していたエレナだったが、やおらがしっとスランドゥイルの肩をつかむと、
「だがそういうことはまず、呼子の結界をしっかり作動させられるようになってから言うものだよ。いまのそなたでは千年早いわ」
さあ、もう一度最初からやりなおしだ、とエレナは大きな声でスランドゥイルにはっぱをかけた。
季節は夏から初冬に移り、木々の葉は色を失っていった。常緑性の一部のツタや葉が生命力溢れる濃い緑を保ってはいるものの、じきに森は静けさに包まれてゆくことになる。
時間を見つけては魔法の訓練を続けていたスランドゥイルは、この頃になるとようやく固定化ができるようになってきていた。そうは言っても、その範囲はせいぜい半径三フィートほど。範囲指定をする時に見えるものよりも、だいぶ小さなものである。まだまだこんなものでは、と納得のいかないスランドゥイルではあるが、エレナやシリンデに言わせれば自分は覚えるのが早いほうであるという。そういうものなのかとも思うが、ならばもっと早く、と思ってしまうのは、向上心が高いからか、焦っているからか……。
そして今日もまた、練習をする。
「だからな、こう、枝みたいな目印になるようなものに術を引っかけるような心持ちでまず安定させてな、そこからさらに引き伸ばすような感じで……」
エレナが熱心に『引き伸ばす』という動作をする。
「その引っかけるというのがわかりません。そもそも、これ以上範囲を広げようとしたら引っかけるものに遭遇する前に消えてしまうのに」
スランドゥイルは言い返した。
「引っかけるというのはものの例えだと言っておるだろう。実際には空中だろうとどこだろうと構わぬわ。自分でここと決めたら、それで良いのだよ」
今日の訓練は赤い炎の揺らめく炉が中心にある広間で行っていた。練習内容にもよるが、魔法ならば剣などとは違い、どこででも練習できるという利点がある。
エレナとスランドゥイルは真剣に、しかしどこかもどかしげになんとか相手にわかるように話をしようとしていた。
スランドゥイルは軽く額を押さえて小さく頭を振った。
「見えますが、見えるだけでは無理です。なにも手応えを感じないのだから」
「しかしのう、そうは言われても、わたくしはそなたと違って見えないのが普通だから、見えないからできないと言うのが逆にわからぬよ」
「私としては、見えないのにどうやって範囲指定をしているのだ、と思いますけれどね」
エレナのぼやきに、スランドゥイルはため息をつく。
同じ術を使おうとしているにも関わらず、エレナとスランドゥイルとではそのやり方が違うのだ。感覚に頼る部分が大きいためなかなか気づかなかったのだが、話がかみ合わないところがあったので突き詰めてみたところ、判明した。
エレナは範囲指定をするために意識を飛ばすも、スランドゥイルのように鮮明な映像として見えるわけではないという。それよりも身体感覚――彼女の感覚では、範囲指定は自分の腕がもう一対増えて、それが伸びてゆくというものらしい――を重視して、伸ばせる範囲まで伸ばしてから固定するというものなのだそうだ。そうであるので、彼女はスランドゥイルのように上昇するという感覚もないという。あるのは水平に広がる感覚だけだそうだ。
例えるならば、エレナの呼子結界はふちの高い丸皿の形であり、スランドゥイルのは伏せた椀だ。まったく形が違う。
指導しようにも自分のやりようとはまるで違うのので、それが判明して以降はエレナもお手上げ状態になっている。結局スランドゥイルが自分でどうにかするしかないようだった。
「そなたは意識を上昇させて、高度を保ったまま円を広げるようにしておるのだろう? 高さがある分、地上まで距離ができてしまうから固定させようとする前に限界がきてしまうわけで……。ならわたくしとしてはもっと高度を下げろ、としか言えないぞ」
「高度を下げると、その分範囲が狭くなってしまう。何度やっても、円、というよりも球ですね……半分に割った球の形になってしまうんです」
何度繰り返したかわからない話をまた繰り返す。
エレナは困ったように天井を見上げた。
「そなたの形だと、特に上空に力点を置いているように思えるよ。だが、そもそも上など守る必要はあるか? ドラゴンなどもいるにはいるけれど、あんなものが近づいてきたら、呼子に引っかかる前に気づくであろうに」
「確かに無駄といえば無駄であるとは思いますが、とにかく私は範囲指定をする、となるとどうしても意識が上にいってしまうのです。いくら水平に、と言われても、また自分でそうやってみようと思ってもできません。勝手に上にあがってしまうんです」
「煙みたいじゃのう」
処置なし、というようにエレナは呟いた。
「……なんとかと煙は、とか言いたいのですか?」
スランドゥイルはむっと顔をしかめた。
「勝手に決めつけて、勝手に拗ねるでないよ。別にそんなことは思っておらぬわ」
上手くいかない苛立ちからつい八つ当たりをしてしまったが、さらりと受け流されてしまい、スランドゥイルはばつが悪くなった。
俯くスランドゥイルに、エレナは小さく笑う。
「ま、何度も言っているけれど、ここまでやり方が違うとなると、わたくしも実のある助言はできないからね。練習を繰り返すしかないよ。そもそも一年も経たずに大がかりな術を使いこなせるようになるものではないのだから、とにかく焦らぬようにな――」
「わかってはいますが」
焦るな、とも何度言われただろう。だがどうすれば焦らないようになれるのか、自分にはわからない。
「誰ぞ、おるか!」
ふいにエレナが鋭い声で叫んだ。
その急激な変化に何事が起きたのかとスランドゥイルは顔をあげる。
「いかがいたしましたか?」
「お呼びでございますか、姫様」
二つある出入り口の両方から声がかかる。シリンデと双子の侍女の片割れ――編み込みの位置からするとグラシエルのほうだ――が現れた。
「東南方向に何かひっかかった。警備隊は今はマキリオンが担当中だったね。すぐにそちらへ向かわせてくれ。それと、休暇中のサンディオンたちに招集をかけよ」
「では、わたくしが知らせて参りましょう」
シリンデが動く。
「では、わたくしはお召し物の用意をして参ります」
グラシエルもそう言って去っていった。エレナは呼子に侵入者らしきものがひっかかると、警備隊員と同じ格好で現地まで確かめにいくのだ。用意というのはそのことだろう。
前回の侵入者はドワーフだった。今回は何だろうか。
「エレナ、私も行きます」
自分はこのまま飛び出しても構わないような格好をしているが、エレナは着替えなければならない。
「先にマキリオンと合流しています。前回のような失態はしないよう、重々気をつけますので」
「スランドゥイル」
立ち上がった己を、エレナは下からねめつけた。緑の目が一際強い光を放ち、スランドゥイルを縛り付ける。
「どう……」
「もう一度、呼子をやってみよ」
「こんな時に、なにを言っているんですか!」
思わず声が大きくなる。しかしエレナは赤い唇をにやりとさせるだけだった。
「よいか、そなたは『見る』力が強い。わたくしはそうではないので、警報がする度に確認しに行かねばならなかった。だが、そなたに『見え』ればその必要はなくなることもある。敵ではなければ、特にそうだ。だからわたくしに教えておくれ。なに、固定化させる必要などはない。ようは何が近づいてきているのか、わかればいいのだもの」
「……っ」
「座ったらどうだ。それとも立ったままするの?」
「……いいえ」
エレナの迫力に押され、硬直してしまったスランドゥイルはようやく腰をおろした。急なことで、すっかり動転してしまっている。だが確かに彼女の言うとおりだった。敵か否かが遠くにいる時点でわかれば、その後の行動はより速やかになる。
「やります。結果はわかりしだい伝えに参りますので――」
その間に着替えに行かせようとしたスランドゥイルが最後まで言う前に、エレナは制した。
「構わぬ。多少遅れても問題はない。本当は警備隊らは、わたくしに前線に出てほしくないと思っているのだもの」
それはそうだろうな、と今更ながらスランドゥイルは気づかされた。いくら勝ち気で強引で警備隊に混じって演習に参加するような女王であっても、あくまで女性には後ろで守られていてほしいものだ。警備隊員の気苦労を察して、彼は思わず肩を落とした。
「あなたが出動しないで済む結果であることを願います」
「願うのは構わぬので早う見てきておくれ」
真顔で言い返されて、スランドゥイルは苦笑した。
「では、行って参ります」
スランドゥイルは目を閉じた。意識を半分、身体から離すようにする。
視界が高くなる。もう慣れてしまった感覚だ。
身にかかる一切の重さを断ち切って、浮遊してゆく。
羽ばたくでもなく、風に流されるでもない、ひたすらの上昇。
だがこれまでのように、悠長に体勢を整えている余裕はなかった。半ば強引に、視点を移動させてゆく。
広がる視界。ただ範囲を指定するだけならば、今ではもうエレナと同じだけの距離まで伸ばすことができるようになっている。
上空から見ると、なるほど確かに何かがいるようである。しかし距離が遠くて敵とも味方とも判別できなかった。
もっと高度を下げなければならない。これまで高度を下げるというものは、固定化をする過程で一緒にやっていたので、得意であるとはいい難い。範囲の中心がぶれると周囲の映像も不鮮明になるので、慎重に意識を東南方向にずらしていった。
ややあって、目的の相手がより近くで見えるようになった。高度は、スランドゥイルの感覚では木の天辺に立っているくらいである。
枝葉がしげっていたのであればそれに遮られていただろうが、季節柄、枯れ落ちつつあったのは幸いだった。相手は馬連れで、その乗り手たちはフード付きのマントを身にまとっていた。男か女かもわからなかったが、身体付きからすると、オークやドワーフなどではないだろう。むしろ、放浪のエルフではないだろうか。
(案外、父上かもしれないな……)
敵ではなさそうなことに安堵しつつ、観察を続けると、ふいに一人が顔をあげた。
スランドゥイルは目を開けた。驚いたはずみで範囲を解いてしまったので、もう広間以外の景色は見えない。
正面ではエレナが心配そうにスランドゥイルを見つめていた。
「わかったの?」
「……はい」
「で、何だった?」
「父上たちでした」
顔をあげたのはタルランクだったのだ。少々離れたところから見ていたのだが、少しの間離れていた程度で忘れるような相手ではない。
そしてタルランクがいたのなら、それは間違いなく、クウィヴィエーネンを調査に行ったオロフェアたちの一行であろう。約束の二年より数ヶ月早い帰還。それは何事もなく無事に済んだことの証に思えて、スランドゥイルは喜ぶよりも先に安堵の息が漏れたのだった。
あとがきは反転で。
魔法…。
えーと、エルフの魔法にはどういうものがあるのかよくわからないのですが、一応この話ではエルフなら誰でも魔法が使えるわけではない、という方向でやっていきます。
目が星の光を宿していて光っているとか、テレパシー的なことができるとか、雪の上を沈まずに歩けるとかのあれやそれやも魔法ではなく、種族特有の能力です、ということで。
ホビットだって、石を投げれば必ず的に当たるというけど、それは別に魔法じゃないしね。そんな感じ。
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