++ 黒でも白でもない灰色の考察 ++




注: ここの考察は春日が読むことのできた19世紀関係の文献を参考に構築していますが、なにしろ原作だけではそうだとも違うともいいきれない非常にビミョーな代物です。また理解に当たってはエリックにはなんにも関係ないような説明がだらだら続くこともあります。
が、基本的なコンセプトは「こうだったら面白いよね」です。


以上のことを了解できた方は、下へお進みください。























オペラザの怪人ことエリックは地下暮らし。
生まれ持った容貌のせいで人との関わりをほとんど持てません。
とはいえ彼も人間です。人付き合いをしないにしても日々の生活というものが自然と発生しているわけです。
いくら超人のようであっても、日々の雑用はしなくちゃならない(掃除とか食事の仕度とか)。
一人暮らしなんだし、全部自分でやってるんだろうなあ、春日は思っていたのですが、それがちょっと違うかもしれない、と思い始めたのが、鹿島茂先生の「馬車が買いたい!」を読んでからです。


で、まあ他の本とかも読みまして、総合して考えてみたところ、こんな結果が出てきてしまいました、
結論から言ってしまいますと、ファントムことエリックには最低2人。あるいはもっと大勢の使用人がいます。
と、いいますか、いなきゃおかしいんですよ!



エリック氏の家計簿〜2万フランの使い道を考察してみた〜

その1 すべては馬車からはじまった。



タイトルが「馬車が買いたい!」ですから、馬車に関することが辻馬車から高級馬車まで色々書いてあります。
角川版でいうところの9章「謎の二人乗り箱馬車」で、エリックはクリスティーヌと馬車に乗ってますが、そのときに「デラックスな高級車」とあるじゃないですか、まあ、デラックスだろうがなんだろうが、別に馬車を持ってること自体は変じゃないんですよ。なにしろエリック、毎月2万フラン(現在の日本円で2000万円くらい)分捕ってるわけですから^^;
ただ、これを現在の車と同じに考えちゃいけないんですよね。
まず、自分で運転できるタイプの馬車ならともかく、そうでないタイプの馬車には御者が必要です。
また、使わないときには馬車を置く場所が必要ですし、動力は馬ですから、その世話も必要です(エリック、オペラ座の馬を盗んでましたけど、それだってクリスティーヌに関わりを持ち始めてからのことです。それ以前は別の馬を使ってたのだと考えるのが自然でしょう。…まあ、馬車はクリスティーヌと乗るために買った、と考えてもいいですけど、あの人、それなりに外出してるみたいだしね)。ケイ女史設定のエリックは動物になつかれる体質みたいですが、いくらなつかれやすくとも、馬の世話ってのは、どう贔屓目に見ても犬猫より手間がかかります。それに一緒に住むわけにはいかない。
エリックが作曲だの発明だのに没頭してしまったら、一体馬の世話は誰がするっていうんです。となるとですね、最低でも馬丁兼御者、もしくは馬丁と御者は必要です。





・馬車あれこれとあいまいな記憶で物を書くなという教訓


自家用の馬車を持っている、というのは現在でいうところの自家用車を持っているということよりもっとすごいことでした。馬車を持っているのは上流階級(貴族階級、新興ブルジョワジー)ぐらいです。そのため上流階級に入り込もうと思ったら、仕立てのいい服と馬車は必要不可欠なアイテムです。
とはいえ一口に馬車と言っても種類は色々あります。

たとえば映画でラウルが最初に登場したシーン。
彼の乗ってた馬車は二輪で、屋根がないタイプで、自分で運転していましたよね。
私、そのときはいいとこの家の人間が乗る馬車っていうのは、必ず御者が手綱を取ってるものだと思っていたので、ラウルが貴族だということ、紹介されるまで気づかなかったんですけど…あれはおそらくチルビュリーかキャブリオレと呼ばれるタイプの馬車なのです。

…とか書き始めたのですが、アップする前日になって何気なくパンフをめくっていたら、ラウルの初登場シーンの写真が載っていて…ものすごい勘違いをしていたことに気づきました。

ラウルの馬車は四輪でした…

や、このあと、

いきなり聞きなれないカタカナが出てきてしまっては戸惑うばかりでしょうが、チルビュリーもキャブリオレもどちらも二輪で屋根のない(折りたたみ式幌のついている)タイプの馬車だということは同じです。
二輪タイプの馬車というのは、構造上、御者席が作れないので、乗員数は通常御者を含めて二人だけです(4人乗れるタイプもありますが、これは結構特殊な形をしているので、省きます。ちなみに名称としてはドッグ=カールといいます)。
こういうことですので、「運転は主人の隣の席の御者に任せるか、あるいは馬車を御すのが好きな男は自ら手綱を握ることになる」のだそうで、ラウルはきっと自分で運転するのが好きなんでしょう。
現代でいえばさしずめ二シーターのポルシェかフェアレディZといった独身男性専用のスポーツカーにでも相当するのだそうで。こういわれればなんとなくイメージ掴めませんか?
ちなみにこれらはの馬車は天気のいい日中に使用するもので、夜の訪問や観劇には使えません。



………。
と続ける予定だったのですが、そもそもの前提が間違っていたわけですので、ラウルの馬車はキャブリオレでもチルビュリーでもありません…。
あああ、大嘘書いてしまったああっ!
でもとりあえずアップ前で良かったああっ!

再度写真を見ながら消去法で馬車の種類を特定してみると、四輪二人乗り、折りたたみ式幌付き、御者席なし、後ろに従者用立ち台あり、ということで、残ったのがデュックかプチ・デュックというタイプのものだと思います。あまり大きくないので、プチ・デュックの方だと。
このデュックという馬車は第二帝政期の新しい支配階級が好んで乗り回したものだそうです。高級馬車の部類のようです。





では、話を続けましょう。天気の悪い日や夜に使う馬車というのはどんなものか?
これはいわゆる「馬車」と聞いたときに連想するような形のもので、主にクーペ、ベルリーヌと呼ばれる四輪有蓋タイプの馬車です。
この2種類は原作にも登場していますが、訳され方によってはどれがそれに相当するかわからない、ということもありますので注意が必要なのですけども、角川版では「14章 切り穴の好きな男の名人芸」に「クーペ型の二人乗り四輪馬車」「ベルリン馬車」というふうに訳されて登場しています。
この「クーペ型〜」というはクーペの特徴を言い切っていますので、もう説明が必要ないようにも思えますけど、つまりクーペというのは2人乗り(外に御者席がある)箱馬車なのです。
ベルリーヌは四人乗りです。もともと先にあったのはベルリーヌで、それを半分に真ん中から切った(クーペした)馬車がクーペなのです。

鹿島先生が言うには、「一般に、クーペは今日の日本車でいえばクラウンとかセドリックなどのセダン・タイプの自動車に相当する格を持つと考えていいが、一口にセダン・タイプといってもセルシオからコロナまであるのと同様に、その車格はピンからキリまである。ただ、原則的には今日の3ナンバーに相当する高級車と見なしてさしつかえない。これに対し、ベルリーヌはセルシオというよりもむしろリンカーン・コンチネンタルとかあるいはロールスロイスという感じで、多少厳しく、いささか大時代がかかった大型馬車である。十九世紀の前半にはすでに自家用よりも、儀礼用の貸し馬車に用いられることが多くなっていたようだ。大貴族でも、大型すぎるベルリーヌよりも贅をこらしたクーペのほうを好む傾向があったらしくラスチニャックがド・ボーセアン夫人の屋敷の中庭で見た「三万フラン(三千万円)だしても買えそうにない」大貴族の贅沢な馬車というのも、このクーペである。小説の中で午後から夜にかけて、たとえば劇場へ出かけるときに登場する高級馬車ときたら、まずクーペだと思って差し支えない。」
(春日注:ラスチニャックというのはバルザックの「ゴリオ爺さん」「幻滅」「あら皮」「浮かれ女盛衰記」に登場する人物です)

で、原作に戻りますが、14章でのクーペの持ち主はカルロッタ、ソレリ、フィリップで、ベルリーヌはラウルが用意したもの。これはこの公演が終わった後、駆け落ちする予定だったので、荷物が多かったからでしょう。

値段のこともちょっと出ましたけど、三万フラン(三千万円)だしても買えそうにない馬車がある一方、では安いものなら?というと、馬が三頭とチルビュリー、クーペで九千フラン(九百万円)だという例があったので、単純に馬三頭、チルビュリー、クーペで3等分にすると三千フラン(三百万円)くらいでしょうか。



・で、エリックの馬車ってのは?


さてようやく本題に入れます。
エリックの馬車はどの種類なのか。
もうお分かりですね。9章のタイトルは「謎の二人乗り箱馬車」です。
てことは、クーペです。
や、理詰めで考えれば当たり前のことなのですけど、クーペが二人乗り箱馬車の代表的なものとはいえ、他にも二人乗り箱馬車はあるのですよ。(それに、この馬車は必ずしもエリックの持ち馬車ではないかもしれない、という危惧があったので…。辻馬車にもフィアークルという、クーペタイプの馬車があったので、それとか…。)そこで万全を期すために原書を買いました。これのためだけにですよ。なにをそこまで、とか思わないでください。私が一番そう思っているのですから!(あ、ちなみに原書の表紙は前はモノクロ映画のものだったらしいですけど、今のは05年版で、ドンファンの場面でした。)

はい。クーペです。
間違いなくクーペでした。
しかもここの場面、ラウル視点で、そのラウルがエリックとクリスティーヌの乗っている馬車を見て「デラックスな高級馬車」だと捉えていますし、その次の章ではこのときのことを当てこすって「遊んで暮らせるとはいいご身分だな。」と言っています。クリスティーヌには彼女を遊んで暮らさせるだけの財力のあるパトロンがついたと思ったわけです。ラウルは名門貴族ですから、目は肥えているはずですし、そのラウルが言っているのですから、エリックの馬車というのが、レンタルのクーペ(ベルリーヌがレンタル用にあるということはクーペだってあるんじゃないかと)ではない、と判断して差し支えないと思います。いえそれどころかそれこそ「3万フランだしても買えないような馬車」である可能性だってありえます。
で、こういった馬車にはちゃんとしたお仕着せの御者というのがいないと格好がつかないものなのです。


ここで、最初の考察結果の「エリックには召使がいなきゃおかしい」という私の主張を少しは理解していただけたでしょうか。
一人は馬の世話や御者、それ以外にも雑用をこなす男性使用人が一人は必要です。そしてそれと同じくらい女性使用人もやっぱり必要なんです。(だから最低二人必要、と言ったのです)
そんでもって、この御者の名前はジュール・ベルナールでも構わないと思ってます…^^;




で…。
………。
…………。
うーむ、これを言ってもいいものか。
ココから先はちょっと飛躍しすぎてるなあと自分でも思ってるのですけど、まあ聞いてください。
仮にエリックに使用人が複数いたとなるとどういうことになるかというと、使用人というのは基本的には都市部のアパルトマンでもない限り同じ屋敷に住み込んでいるものらしいのですが、エリックが使用人をオペラ座の地下に住まわせているとは思えないので、通いかなにかになるということになります。が、それでも馬車の問題が残るわけです。
馬車だって、オペラ座の地下に置くわけにはいかないじゃないですか。
大きさもありますし、手入れをしなくちゃいけませんし、万一見つかったら驚かれるだけでは済みません。
普段は別のところに置いていると考えたほうが自然だと思います。
で、そうなるとどこに?ということになると思いますが…。飛躍しているのは百も承知、でも木を隠すには森、といいますし、高級な馬車が置いていておかしくないのは、それ相当の屋敷だと…。


たとえば、
お金持ちなら本宅のほかにも別宅というのを持ってることがあるじゃないですか(愛人囲ったりして、まあこれは一種のたとえですが)。そういう上流階級の別宅を装った屋敷を一軒持ち、使用人はそこに住み込み、馬車もそこに置いておき、必要なときに用事を言いつけたりする。というのはどうでしょう。
使用人といえどエリックが仮面を外すとは思えませんが、そこはそれ、なんか後ろ暗い事情があって顔を隠している(その分賃金が高い)となれば多少胡散臭く思っても働いてくれる使用人もおり、彼の生活も十分成り立つんじゃないかなーと。で、その屋敷の立地条件としてはオペラ座に近いことですね。

なにしろエリックは高級なワインを愛飲しているとダロガが言っていましたし、服にもお金を惜しんでいるようには見えません。それになにより、お風呂があるんですよ(当時のフランスのお風呂はすごい贅沢品です。これの解説はパリの水事情にて)。これ、彼一人で全部用意できてるとは…私には思えません。


屋敷を構え、使用人を雇い、高級馬車を持ち、衣食住にも趣味にも十分費用をかける。
といことであれば、月二万フランかかるのも当然、じゃないか、な。






次回は衣と食に関する考察をやろうかと思っています。


お疲れ様でした


主な参考文献
「馬車が買いたい」
詳しいブックデータは参考文献リストを参照してください。