++ 結婚への道 19世紀フランス編 ++




彼女が私たち(引用者注:警察長官とラウル)に手短に話したところによると、エリックは完全に恋に狂ってしまい、彼女が彼と結婚し、市役所に婚姻届を出し、教会で、それもマドレーヌ寺院で式をあげることを承諾しなければ、みんなを殺し、自分も死ぬ覚悟を決めていた。
(角川版原作 377頁)

『私は、世間の人たちとおなじようなものの言い方はしない!世間の人たちとおなじようなことはやらない!……しかし、私はもうあきあきしているんだ!……もう、うんざりだ!……家の中に森があったり、拷問部屋があったりするような生活は、もうたくさんだ!……いかさま師みたいに、二重底の箱の中で暮らすのは、もういやだ!……もう、うんざりだ!うんざりなんだよ!……私だってみんなみたいに、ふつうのドアや窓がある静かなマンションに住みたいんだ。貞淑な妻といっしょにね!……クリスティーヌ、おまえには、私の気持ちがわかっているはずだ。ことあるごとに私がそう言わなくてもね!……私は人並みに結婚したい!結婚したら、妻をかわいがって、日曜日にはいっしょに散歩して、一週間ずっと、面白い事を言って妻を笑わせてやるんだ!』
(角川版原作 391頁)



…エリックって、結婚に対する願望が激しいよなぁ…。
と、いうわけで、今回は「結婚までの道」をまとめてみたいと思います。
今回の主要な参考文献は『仏蘭西法律書』『現代フランス情報辞典』『フランス式結婚・日本式結婚』『アンシアン・レジーム期の結婚生活』です。
直接引用をしている場合は、タイトルの色が各引用元となっています。
なお、『仏蘭西法律書』は、明治時代に書かれた本でして、本文が旧字とカナでかかれており、文体も古いです。そのまま引用してもわかりづらいですので、意訳していることをお断りしておきます。



◎ 結婚できる条件

結婚できる年齢は女性で15歳、男性で18歳。女性の場合、未成年なので親、もしくは親権者の同意を必要とする。

これは、19世紀も同様です。
「女性の場合、未成年なので~」というのは、フランスでは18歳から成年となるからです。
この成年になる年齢は19世紀当時から変わっていないのかはわからないのですが、それとは別に成年していても、満25歳以下の男子及び満21歳以下の女子は父母の承諾が必要という条件もありました。
この、「満25歳以下の~」というのは、その昔、未成年者が親に内緒で勝手に結婚してしまうということが普通にあったようで、それが庶民ならまだしも、貴族階級で行われると、財産の流出というのが起こるので、それを防ぐために設定されたのだそうな。
面白いのが、名門貴族階級の初婚平均年齢というのが、男性で21歳、女性で18歳だというのに、それ以外での17、18世紀での初婚平均年齢は男性で27~28歳、女性で25~26歳で、19世紀になってもそれは変わらなかったということです。
上流階級では跡継ぎ問題やらなんやらでさっさと結婚をする(というよりもさせられる、だな)のですが、それ以下の人にとっては結婚するということは独身時代よりもお金がかかること。だからある程度お金が貯まるまで結婚を控える…現代日本でも増えてきたこうした晩婚化はフランスではすでに2、3世紀も前から始まっていたというのです。





◎ 民事婚を行うための事前準備

制度上、日本と異なるのは、役所での結婚が必ず先行しなければならないことの他に、結婚予告がある。これは結婚式の前10日間、役所と教会の前に誰と誰が結婚する、という予告が貼り出される。その昔、重婚を避けるためだったというが、この間に異議申し立てがなければ結婚できる。


↑の文章は現代のことを言っていますので、19世紀とは少し事情が違います。
役所での結婚が先行しなければいけないという規定はありませんでした。
春日が気付かなかっただけかもしれませんがしかし、『ボヴァリー夫人』では先に教会へ行って、その後役所へ行ってましたし。だから多分この頃は規定はなかったんじゃないかな。

そして、結婚予告に関しては、以下のような規定がありました。

・結婚予告は夫婦となる者の住所のある役所で行う事
・現在の住所に居る期間が六ヶ月未満の時には以前の住所の役所でも告示すること
・身分吏は婚姻を行う前にその役所の門前に八日を隔てて二回の結婚予告の告示を出すこと。
ただし、告知期間のうち一日は必ず日曜日に当たるようにすること。
その告示書には、夫婦となるものの姓名、住所、と成年か未成年かを記し、父母の姓名、職業、住所とを記すこと。またその証書には告示を出した日付及び場所を記すこと

などです。
この「八日を隔てて」と言う部分、一回の予告期間が八日間だということかなとも思いましたが、そうなると次の「告知期間のうち一日は必ず日曜日に当たるようにすること」が不要になります。八日もあれば必ず一日は日曜日がきますから。
で、これはもともとナポレオン法典が制定される前の教会婚のやりかたから来たものですので、教会での結婚予告と考えかたは同じだろうと春日は解釈しました。八日間というのは、最低限の期間なのだと思います。
その数え方というのは、結婚予告は相次ぐ三回の祭日にわたって行われることになっており、祭日というのは日曜だけではなく、祝日もそれに当たります。ですから日曜と日曜の間に祝日があれば八日間で済むことになる。
ナポレオン法典では告知は二回ということになってますので、こういうことではないかと。

      
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23


上は2006年の7月のカレンダーです。フランスには海の日はないけど。

結婚予告を1日に張ったとすると、2日と9日が日曜ですので、9日まで公示する必要がある。期間は1日~9日の9日間。
3日に告知をするとなると、日曜が9日と16日ですので、期間は14日間かかります。
しかし10日に告知をしたとすると、16日が日曜、17日が祝日なので10日~18日の8日間で済む。

ということだろうと。
現代の告知期間が10日なのは、このような告知日によって告知期間が増減するのがわずらわしいとかで一律にした、とかではないのかな。
詳しい方、情報求む。

また、青字の部分で結婚予告は「その昔、重婚を避けるためだった」とありますが、他にも「近親結婚を避けるため」という側面もあったそうです。
近親結婚とか言いますと、ドキッとしますが、カトリックの言う近親というのは現代日本人からするとすごく範囲が広いのです。
教会法でいう血縁の四親等間及び姻戚の四親等、さらに代父母までが対象になります。
教会法での一親等は一世代に相当するそうで、四親等というのは、じー様のじー様が同じということなそうです。さらに姻戚関係も対象になりますので、かなり幅が広い。じー様のじー様なんて、私は名前も知らんがな…(-_-;)
これもナポレオン法典では大きく変化し、うだうだ書かれていますが平たく言いますと、いとこ同士からならOKということになりました。





◎ 民事婚


まずは市町村役場で民事婚を執り行う。この制度は1792年に制定された。極めて簡単なもので、市町村長や助役が式を執り行う。式次第は、出生証明などの提出書類のチェック、ついでこの結婚に反対する人がいないことを確認、そのあと民法の212条から215条までを読み上げる。即ち配偶者の義務と権利に関する項目である。その上で二人の意思を確認。双方「ウイ」の返事で結婚が成立する。戸籍原簿に記入。新郎、新婦双方に証人(最低2人、最高4人)が必要。教会での結婚をしないカップルはこれだけで結婚が成立する。

これは、19世紀でもほとんど変わりがありません。
ただ、証人の数は『仏蘭西法律書』を読む限りは「四人」と書かれてありましたので、そこだけが違うようです。
余談ですが、原作のエリックはそうなると、この結婚式をするための証人をどうする気だったのかがとても気になります。
エリックが集められそうな証人、そんなにいないと思うのだが…。
クリスの知人を当てにしてたんだろうか。
しかしなークリスの知人もあんまりいないように思えるのだが。


長くなりました。次へ行きましょう。

・身分吏は婚姻をしようとする者に出生証明書を提出させること。

という規則があります。日本でも婚姻届を出すときには戸籍謄本は必要ですしね。
そして婚姻証書を書くわけですが、その時に以下のことを記します。

・夫婦の姓名、職業、年齢、出生の地、住所
・夫婦が成人している事、または未成年であること
・父母の姓名、職業、住所
・父母、祖父母の許諾及び親族の許諾が必要な時はその許諾
・父母に婚姻の許諾を乞う証書があるときはその証書
・各地の住所において行われた告示
・婚姻の差し障りがあるときには、その理由、無い時には無いということ
・婚姻をしようとする者の、互いに夫婦になることを欲する旨の申し述べ、及び官吏より婚姻を行う旨を言い渡したこと

・証人の姓名、年齢、職業、住所

この辺は、日本人にもわかりやすいですね。

また、上記にもありますが、民事婚は役所で行われます。
でもって結婚式の際には、「扉は開かれたままでなければならない」のだそうです。「開かれた扉はまさに、この結合によって権利を著しく侵害される恐れのある者がだれでも抗議できることを象徴しているのです。それだけではありません。だれでも中に入って、新郎新婦とともに喜びを分かち合えるようにとの配慮も示しているのではないでしょうか」だそうで、とにかくだれでも入れるという特徴があるようです。

尚、ゾラの小説『居酒屋』において、この役所での結婚式シーンというのが短いながらも書いてあります。結婚をするのは新郎新婦ともども労働者階級なのですが、雰囲気が知りたい、という方はぜひ一度読んでみてください。



◎ 教会婚


役場での結婚のみで結婚が成立するので、教会での結婚式をするのは約半数という。入場は新婦が右腕を父親に預けて先頭にたち、ついで新郎とその母、新郎の父と新婦の母。双方の祖父母、証人、親戚、招待客の順で入場するか、全員入場した中に新婦とその父が入場する。新郎の招待客は右側、新婦の客は左側に並ぶ。ミサが行われ、新郎・新婦に祝福が与えられる。指輪は新郎が新婦の左薬指にはめてやり、新郎は続いて自分の指に自分ではめる。そのあと署名室で教会原簿にサインをする。これで儀式は終わり、正式に神の祝福を受けたカップルが誕生する。


教会婚ですから、やることは今も昔もそうそう変わるものじゃないでしょう。
家族、親戚、友人の教会式結婚式に参加されたことのある方も多いと思われます。(厳密に言えば、日本のホテルや結婚式場にあるのは本物じゃないんだけども、式次第はあまり変わらないと…。いや私も本物のカトリック教会の式に参加したことはないのだけども)

さて、この教会婚、現在では教会婚を行うものは約半数、だとありますが、しかし現代においても宗教婚をしていないと「不完全な結婚」だと見られる風潮は残っているのだそうです。
民事婚+教会婚=完成された結婚
という図式がある。
ましてや、現代よりも敬虔なカトリック信者の多かった19世紀のことならば、「人並みな」結婚がしたいエリックとしては外すことはできないでしょう。
それと、教会婚でも証人が必要になります。
その数は2人ないし3人だそうです。


また、余談ですが日本と違って、あちらの国では宗教は身近なものです。生活に密着していますし(現代では信仰心は薄まってるかもしれませんが…。)自分の所属している宗教がわからない、というのはまずないと思われます。
カトリックのカップルがユダヤ教会で結婚式をすることはありえませんし、その逆もまたしかりです。
だから、日本人がチャペルで結婚式をあげたがるのは、フランス人(でなくても)にとっては奇異に映るものだそうです。
海外のチャペルで結婚式をあげる場合…。夫婦となる二人か最低片方だけでもカトリック信者でない場合、カトリック教会での挙式は原則としてできない、というのが現状のようです。キリスト教徒でない人が教会で挙式する場合、その教会はまずプロテスタント系だと思ってください。プロテスタントは結婚を秘蹟と見なしていないので、比較的簡単に教会で挙式が挙げられるのです。


話は変わって教会婚につきものの、指輪の交換ですが、昔の人はこんなことを言っていたそうです。
『新郎が新婦の指に上手にリングをはめられなければ、かかあ天下』と。(笑)

がんばれーエリックー。





◎ ついでに


万が一、出生証明書がない人がいた場合、どうしたらいいのか?
現代においてはまずありえないことですが、ちょっと昔にはこうした人はそれなりにいたんじゃないでしょうか。ちゃんと規定がありました。

・もし出生証明書がないときにはその出生の地または住所の治安裁判所より渡す「ノトリエテー(証書がないときに、証人をもちいて官吏の前で申し述べること/事実公認の証書ともいうらしい)」の証書を出して、それを出産証明書の代用とできる
・「ノトリエテー
(もしくは事実公認証書)」の証書には、男女、血族、血族でない事を問わず、証人7人の申し述べるところと、婚姻を行うものの姓名、職業、住所及び知ることができるのなら父母の姓名、職業、住所かつ、婚姻をするものの出産の地及び、知ることができるのであれば父母の出生の地。出生証明書を出すことができない理由を記す事
・「ノトリエテー」の証人は、治安裁判役とともに「ノトリエテー」の証書に姓名をサインするべし



二次創作の日常シリーズその13で、エリックが言っていた「出生証明書がない場合は云々~」というのがこれのことです。








……以上で結婚への道のり フランス編は終了です。
次のページがありますが、これは「日本人がフランス人と結婚する場合」という内容です。
ので、日常生活シリーズをお読みでない、原作やミュージカルが好きだ!エリックがクリスティーヌ以外の女と結婚する話なんぞ読みたくないわ!という方は決して進まないでください。





戻るわ  はいはい、次行きますよ♪




参考文献:「仏蘭西法律書」
     「現代フランス情報辞典」
     「フランス式結婚・日本式結婚」
     「アンシアン・レジーム期の結婚生活」