「あああっ。エリックいた! 良かったぁ」
 は帰ってくるなり叫びだした。
 彼女はひどく動揺しているようで、それは玄関を開ける前からわかったほどだった。
 小舟をぶつけてしまったらしい音や、櫂を取り落としてしまったらしい水音と彼女の悲鳴、それに岸にも勢いよく降り立ったのだろう、慌ただしい靴音の響きすら聞こえたほどだ。
 お陰で彼女が室内に入った途端、鉢合わせをする仕儀となったのだが、私は迎えに出たのではなく、叱りつけようとしていたのだ。
 彼女はまた遅くまで出かけていたのだから。
 いくら日の長い季節になったとはいえ、門限は門限。六時までには帰ってくるようにといっているのに、三十分も遅れたのだ。
「どうしたんだ?」
 しかし彼女の様子は尋常ではない。
 説教は後回しにして、まずは彼女を落ち着かせることにした。
「エリック……!」
 はよほど気が急いているのだろう。
 スカートを摘んで大股で駆け寄り、勢いのまま前傾姿勢で止まった。だがその先が続かない。
 代わりにひどく複雑な――困っているような、後ろめたそうな、怒っているような――表情になり、口を開け閉めした。
。外で何かあったのか?」
「うん……、あのね……」
 は上品とは言えない呻き声をあげながら額に手を当てる。
?」
 促すが彼女は視線を落ち着きなくあちこちにめぐらせて、ちゃんとこちらを見ようとしなかった。
「……っ駄目。とても落ち着いて話するなんてできない」
 は両手で頭を抱えると自問自答するように小声で呟く。
 あんまり混乱しているようなので、声に出さずにそのようだなと思っていると、彼女はがっしと私の右腕を掴んできた。
「エリック。すっごく大事な話があるの。でも今の状態で話したら訳の分からないことになってしまいそう。だから夕食後にしたいんだけど、いい?」
「構わないよ。どのみち、今夜は特に予定はないからね」
「ありがとう……」
 彼女はようやく安堵したようで、肩から力が抜けていった。背を軽く叩いてやると、はにかむように微笑む。
 私も微笑み返し、ついでにいつまでも被っている帽子を外してやると、は弾かれたように背を伸ばして、着替えてくると部屋に駆けていった。


☆  ☆  ★  ☆  ☆



 そんな訳で、夕食はひどく微妙な雰囲気となった。
 は気を静めようとしているのだが話してしまいたい衝動も強いようで、ちらちらとこちらを見ながらナイフとフォークを動かしている。
 そうなると私もどこかそわそわしてしまって、落ち着いて食事をすることもできない。
 会話も当然弾まない。私が何か話題をふっても、はろくに聞いていないのだ。
 だから食事が済むと片付けは後回しにして居間に移った。食後のコーヒーもここで飲むことにする。
 はカップに口をつけると、ちらりと上目遣いでこちらを窺った。
「それで、話というのは?」
 私は早々に促した。
 待っていてもどうしようもないと思ったのだ。
 彼女の様子からすると、犯罪に巻き込まれたとか、誘惑をされたといった類のことではなさそうだ。地下暮らしが嫌になったとか、私と別れたいということでもなさそうである。
 とにかくひたすら、『どうしようかなぁ』と考えているらしい風なのだ。
 はカップを置き、手を膝に乗せた。真っ直ぐに私を見つめる瞳はランプの放つ陰影で濡れたように光っている。
「わたし、今日万博会場に行ったの」
「ほう? あんな人の多いところに一人で行くのは嫌だと言っていたのに」
 不吉な予感に、心臓が大きく跳ねた。
 だが悟られないように茶化した口調で答える。
「一人ではなかったの。ベルナールさんと一緒。リヴォリ通りに『E・ドゥゾワ』って日本のものを売っている店があるでしょう? 散歩してたら、丁度そこから出てきたベルナールさんに会って……」
 はコトなる楽器が実際はどういうものなのかを説明し、そしてベルナールではらちが明かないだろうからと付いていったのだと言った。
 ということはつまり、彼女は日本人と会ったのだ。
 一気に背筋が寒くなる。
 そのことは私の懸念していたことの一つだった。街中で偶然、日本人に会う確率は少ない。
 しかし万博会場に行けば簡単に会える。各国のパビリオンにはその国の役員や通訳がいるのだから日本館だって同じはずだ。彼女だって、そのことに気がついていないはずはないだろう。
 ああ、だからだったのか? 一人で行く気はないと言っていたのは……。
「日本に帰りたくなったのか……?」
 他にが取り乱す理由は考えられない。
 彼女から見れば過去の人間であっても同胞であることには変わりないのだ。里心がついてしまってもおかしくはなかろう。彼女の時代に戻ることはできなくても、この時代の日本になら行けるのだから。
 こんなことなら、この事は他言無用だとベルナールに口止めしておくのだった。いや、出会った頃ならばともかく、現在のあいつは命じられずとも私のことを誰かに話したりはしないだろう。私に逆らう気力などとうに失っているのだから。
 しかしそんな奴でもだけは別だと思ったのだろうことは想像に難くない。
 だからといって、彼女を手放す気など私にはない。私のたった一つの光明、ただ一つの希望、唯一私の愛情を受け止め、返してくれる人。長い年月の間求めていた、心を通わす相手を。
 自分でも押さえ難い、激しい衝動がこみ上げてきた。
 肯定の返事が返ってこようものなら、彼女を縊り殺してしまいかねない。強く両手を握りしめ、自分で自分を戒めた。頭に血が昇ってしまえば、こんな自制など意味をなさないとわかってはいたけれども。
「あ、そういうことじゃないの」
 は片手を振ってあっさりと否定した。
「なに……?」
 思わぬ肩透かしに戸惑う。 、このやり場のない怒りをどうしたら良いのだ……。
「確かに久しぶりに日本語で話せたのは嬉しかったし懐かしかったけど、友達になれそうにない相手だもの」
「そういう問題なのか?」
 気の抜ける返答に、衝動は雲散霧消した。彼女の思考回路は謎だらけだ。いつになったら理解できるようになれるのだろうか。
「わたしにとってはね。何しろこの時代に海外に来てる日本人って間違いなくエリート層なのよ。それも、単純にいい学校を出ていい職場についているってわけじゃない。幕末の動乱期に関わっている世代、維新を成し遂げて列強に追いつこうとがむしゃらに頑張っている人たちよ……」
 ちらっと笑ってはカップに口をつけた。
「その頑張りがすべて良い方へいったわけではないことをわたしは知っているけれど、だからって彼らのしてきたことを否定することはできない。彼らがいたからわたしの世代の日本は世界の中でも豊かな国の一つになったの。明治になってからの百三十年間というのは、日本の歴史の中では類を見ないほど変化した時代だと思う。その変化は役人や政治家だけの力だけで起こったわけではないけれど、やっぱり彼らが大きな原動力となってぐいぐいと引っ張ってくれたからだと思ったわ。話していてそう感じたの。エネルギッシュで前向きで……」
 話しながら遠くをみつめるような眼差しになっていたは、愛しさと誇りの混ざったようなため息をついた。だが次の瞬間、表情は一変した。ひどく疲れたように重いため息をつく。心なしか憔悴しているようでもあった。
「そういう、気力も血の気も情熱もたっぷりある人たちと合うはずもないわよ。わたしは肉体的にも精神的にも甘やかされた二十一世紀の日本人なんだもん。……情けないけどね。正直言って、ついていけそうにない。話してるだけで気迫に圧倒されてしまうんだもの」
 なるほど、世代間のギャップ、というものだろう。
 ならば彼女は本当に帰りたいと思っているわけではないようだ。良かった。
 多分、久しぶりに日本人と話をして、興奮しているだけなのだろう。バクマツというものは、彼女の時代ではセンゴクやヘイアンという時代に並んで小説などの題材に好んで取り上げられているそうだから、誰か彼女にとっての有名人にでも会ったとかいう話なのかもしれない。ならば気が済むまで付き合ってやるか。
「で、ここからが本題なんだけど」
 気を緩めかけた私に、は探るような眼差しを向けた。
「わたしが専ら話をしたのは、万博関係のお役人とかじゃなくて、公使館の人だったの。鮫島公使って方」
 思わず身体が強張った。では、あの事も知られてしまったということか?
 外交官まで駆り出されていたなんて、うかつだった……!
「どういうこと?」
 皆まで言わずには詰め寄ってくる。誤魔化しは許さないというように、アーモンド形の目が細められた。
「待ってくれ、誤解なんだ!」
 あまりにも間抜けな台詞に自分でも愕然とした。これでは三流のメロドラマだ。
「誤解? 誤解ですって!? 勝手に決めていたくせに、よくもそんなことが言えるわね!」
 は衣擦れの音も鋭く立ち上がる。もう終わりだ、と思った。
 いくら彼女が私を愛してくれているとしても、結婚となると別だろう。彼女は自分で望みさえすれば地上で暮してゆくことができる。それこそ、真っ当な仕事をしている相手と結ばれることだって可能なはずだ。
 なのに、自分が知らぬうちに幾多の罪を犯した化け物と婚姻の誓いで縛られようとしていたと知ったら……。卑怯な振る舞いだと、見下げ果てた奴だと私を見限っても仕方がない。
 だが、これでを失うわけにはいかないのだ。なんとしてでも彼女を繋ぎとめなければならない。
「すっごく怖かったんですからね。尋問されたって訳じゃないけど、色々聞かれて! 両親のこととかパリに来る前までの生活とか。前もって決めていたことだけではとてもじゃないけど足りなかったわよ。でもあなたはあなたで何だか『設定』に勝手に追加しているんだもの、話が食い違ったら困るのに、あなたが何を向こうに伝えたのかわからない。ベルナールさんはわたしが未来から来たって知らないから全然助けにならないし。本当に、生きた心地がしなかったわ! なんとか誤魔化したけど、絶対不審がられたはずよ。どうしてくれるの!?」
「……そのことを怒っているのか? 『設定』の追加を言わなかったから?」
 思ってもいなかったことだったので、私は面食らう。
「他になにがあるの?」
 は憤慨のあまり滲んだ涙を拭うと、再びソファに座った。
「……勝手に結婚の話を進めていたこととか」
 個人的な意見だが、設定変更などよりこっちの方がよほど大きな問題だと思うのだが
 だが返ってきた反応と言えば、
「結婚って、まさか本気だったの?」
 と目を丸くすることのみだった。
「本気でなければ、なぜわざわざ公使館などにベルナールを行かせたと思っているんだ」
 さすがにむっとしてしまい、不機嫌な口調になる。はようやく理解したのか、気まずそうに目をそらしていた。だがその頬は怒りのものとは違うもので赤らんでいる。
「だ、だって、ベルナールさんが公使館に行ったの、五月だっていうし、わたしたちが付き合い始めたのってその後じゃない。だから結婚っていうのは口実で、単にわたしの身元を証明するような書類とかを用意しようとしたのだと思ったのよ。普段はそんなもの必要ないけど、エリックは形式的なことには結構まめだから……」
 私は大げさに息を吐いた。
「いくら私でも、そんな理由で外交官と接触しようとは思わんよ。私のことを調べられる可能性もあるというのに、その危険を冒してまで使うあてのない書類など申請するはずもなかろう。そもそもだな、私は単に、日本人と結婚する場合にはどうすればよいのか、聞きに行かせただけだ」
 は横を向いたまま膨れた。
「どうしてエリックが文句をいうかなぁ。大変な目にあったのはわたしだっていうのに! だいたい、それならどうして私のいもしない父親のことなんて問い合わせてるのよ」
「頼んだわけじゃない! 向こうがお前に興味を持って、調べようと言い出したんだ。ベルナールはお前がこの時代の日本人でないことを知らないのだから断るはずもない。報告を受けた時に私が何とも思わなかったとでも思っているのか?」
 はきっと睨みつけてくる。
「威張らないでよ! 断るくらい、次の日にでもできたでしょうに!」
「そんなことをしたら怪しまれるだけだ!」
 言い負かされては唸った。だが、すぐに反撃に転じた。
「で、それならそれとして、どうしてわたしに言わなかったのよ? ま、その頃は一緒に住んでいるっていうだけだったから言えなくても仕方がないけど、わたしと付き合うようになってからも黙っていたのはどういうこと?」
 一瞬、言葉につまる。
「……いくらなんでも性急すぎだろう。それに、これまでが上手くゆき過ぎていて……なんというか、反動が来そうな気がして、それが怖かったんだ。未来から来たということばかりが理由ではないだろうが、私の素顔を目にしてもお前は逃げ出したりはしなかった。それどころか私を愛してくれるようになっただなんて……。もちろん、本当にお前が私の妻になってくれるとしたら、これに勝る喜びなどない。プロポーズをしたいと何度も思った。だが、そこでウィの返事をもらったとき、お前はちゃんと私の前にいてくれるだろうか。神か悪魔か、それとも運命にか、お前を取り上げられたりしないだろうか……そんな考えが浮かんでしまう。そうでなくとも、私はお前の夫にふさわしいとはいえまい。もう年寄りと言ってもいいくらいの年だし、この顔だ。それに私の手は血で汚れすぎている。それなのに幸福になれるはずなど……。どこかに落とし穴があるような気がしてならない」
 後ろ向きな考えだとは思う。だがどうしても私は私の運命を楽観視することができなかった。彼女が私の元からいなくなる状況は色々考えられる。それでもこの時代に留まっている間は取り戻すこともできよう。だが現れたときのように、ふいに元の世界に連れ戻されたりしたら……。私の手は二度と彼女には届かなくなる。それは地獄の炎で永遠に焼かれることよりも恐ろしいことだった。
 彼女はためらうように一瞬目を伏せた。
「考えすぎだとは思うけど、その気持ちはわたしにも少しわかるような気がする。わたしだって、この時代のあなたのところに来てしまったのは何かの力が働いているのか、それとも偶然なのかって考えることがあるもの。でもね、それでも一つだけはっきりしていることはある」
 の口調は、初めは弱かったが徐々に力強さを増した。私を見つめる眼差しにも堅い意思が宿っている。
「この時代に連れ込まれたのが誰かの思惑によるものだとしても、わたしがあなたを好きになったのはわたしの意志よ。あなたと過ごした日々がそうさせたのだもの。神様や悪魔や運命がわたしの気持ちを作り上げたわけじゃないわ。違う?」
……」
 きっぱりと言い放つ彼女は神々しいほど輝いて見えた。これまでにも彼女の言葉に、仕草に、幸福を覚えたことは多々あった。だが今日ほど身に染み渡るほどの喜びを感じたことはない。この喜びを抱えたままならば死んでも悔いはない¥……。
「そう、だね。たとえ出会いが運命だったとしても、そこから先は私たちが育んだものだ」
「そうよ」
 はにっこりと笑った。
 なんだかとても良い雰囲気になり、気負っていたものが溶けてゆくように感じた。
、改めて言わせてくれ。私と……結婚してほしい。もうお前のいない人生など考えられないんだ」
 気がつくと計算するよりも前に言葉の方が先に飛び出していた。いつもの私ならば、拒絶されたらどうしようという思いから逃れられないはずなのに、それすらも感じなかった。
 は数回瞬きをするとうっすらと頬を染め、
「ごめんなさい。もう少し時間がほしいの」
 と答えた。


 どういう、ことだろう。
 この展開で振られたのか、私は……。


 あまりのことに呆然とする私に、彼女は慌てて言い訳をしだす。
「あ、違うの! 嫌だとかそういうんじゃなくて……。エリックのことは好きよ。でもわたしたち付き合い始めて一ヶ月くらいしか経っていないじゃない。全然心の準備が出来ていなくって……」
 それはさっきの私の言い訳と同じではないか。
 なぜ言わなかったのかといっておいてからに、自分はまだ早いというのか……?
「だから……、つまり結婚って、好きだから、とか一緒にいたいから、という理由だけでするものじゃないでしょう? 幸い、というかわたしたちはどっちにも身内はいないから親族がらみのいざこざは起こらないにしても。結婚するって生活するってことだもの、簡単に決められないわよ」
「それはそうだが……」
 しかし、すでに一緒に暮している私たちに、結婚は生活だからというのは妥当な理由になっているのだろうか。
「それに……それに、わたしはあなたとは逆なのよ」
「逆?」
 は深刻そうに頷く。
「そう。結婚するって決めてしまったら、そして本当に結婚してしまったら、もう元の時代には戻れない、そんな気がして仕方がないの。それこそ考えすぎって言われればそれまでのことよ。だけどわたしにはまだ元の時代と決別する勇気がないの」
「あ……」
 私はなんて愚か者なのだろう。
 彼女だって不安を覚えないわけはない。どうしてそこに思い当たらなかったのか。
 いつかもとの時代に戻れるのか、戻れないのか。
 戻ったとしてもどうなっているのか。
 そして、戻れないとしたら、どうするのか。
 思い悩むことは多かろう。
 自分の行動一つで未来が変わってしまうかもしれないという恐怖。
 ある意味では彼女の恐れは私のものと同じなのだ。
 時を越えて出会ってしまった相手を愛してしまったが故に起きたのだから。
 本当のところ、彼女がどうしてこの時代の私のところへ来てしまったのか、神のみぞ知るというところだ。もしかしたら神でもわからないかもしれない。
 ならば、急いたところで良い結果は出ないだろう。
 少なくとも今の彼女は私を愛しているのだから。そのことに満足しよう。
「わかった。お前が心を決めるまで待つよ」
「……いいの?」
 殊勝に訊ねる彼女に私は肩をすくめた。
「仕方があるまい? そうでもしなければお前は納得しないだろう。それに、正式にお前を妻にするには時間がかかるしね……。お前の出生証明書をなんとかしないと。日本に問い合わせている分はまったく期待ができないからな」
 は乾いた笑いを浮かべた。
「存在しない人の調査をしてるんだもんね。でも、ありがとう。できるだけ早く心の整理をつけるようにするね」
「ああ」
「そうしたらそのときに、もう一回プロポーズをしてくれる? 楽しみにしてるから」
「う、うむ……」
 あまりにも無邪気そうになので、こちらの方が照れてしまった。
 どうして彼女はこういうことをさらりと言えるのだろう。
 しかし、楽しみにされているのなら、同じ台詞は使えまい。凡俗なものも同様だ。何か気の利いた、心に染みるような言葉の一つも考えておかなければ……。


☆  ☆  ★  ☆  ☆



 よく考えてみると、結婚の話まで出たというのに、私たちの関係は進みもしなければ後退もしていないという妙な具合になった。
 まあ、それでもいいかと冷めかかったコーヒーを飲んでいると、が「あ!」と叫んで動きを止めた。
「忘れてた。あのね、公使に言われたのよ。一度二人で公使館に来てくださいって。半分は社交辞令かなとも思うんだけど、わたしの身元の件もあるし、それにエリックにも興味を持ってるみたいなのね」
「私に? どういうことだ、それは」
 私は社交嫌いだという触れ込みで事を進めさせたのだ。できるだけそっけなく、聞きたいことの答えだけをもらうようにとベルナールには命じたのだが……。あいつめ、余計な愛敬でも振りまいたのか!?
「エリックの経歴のせいよ。最初に問い合わせたときにベルナールさんがこう言ったんですって。外国で主に活躍していた建築家で、パリでの最大の成果はオペラ座。語学に堪能で音楽に造詣が深い。だからね、いくらあなたが社交嫌いだろうと引退していようと、何かこう、便宜を図ってくれるだけの力があるとか、人脈から有力者の一人でも紹介してもらえたりするんじゃないかなと、考えているようなのよ」
「便宜? それに人脈だって?」
 そのようなものが私にあるものか。
 まともな人間付き合いができるのであれば、地下での生活など選んではいない。
 しかしこれであの時の公使館側の対応に納得もゆく。大方私に恩を売っておけば後々有利になると思ったのだろう。
「向こうはエリックがどうして長い間外国にいたのかなんて、知らないから。わたしがいくらエリックは本当に人間嫌いなんですって言っても、わたしと結婚しようとしてるくらいなんだからそれだってたいしたものではないと思ってる節があるし」
「……」
 まあ、確かに、社交嫌いの人間嫌いが結婚しようとするというのは、いささか無理があるかもしれない。
 は腕を組んでしみじみとため息をついた。
「日本って、この時代はヨーロッパとかアメリカに追いつこうと必死になっているから……。留学生を派遣するだけじゃなくて、日本に学者とか技術者を招いて技術や文化を吸収しようとしているの。エリックのことを有能な建築家だと思ったから面識を得ておきたいのでしょうね、きっと」
「う……む」
 認められるのはどんな形であれ、嬉しくないこともないが……複雑な気分だ。
 彼女も私の気持ちをわかってくれたのだろう。困ったわねというように苦笑した。
「とりあえず、ここで避けたりして変に怪しまれても困るし、一回くらいは顔を出そうかなぁと思っているの。あなたが追加した『設定』を教えてもらわないと。それから、あやふやにしているところもどうにかしたいな」
「行くのか?」
「気は進まないけどね。仕方がないでしょう?」
 やれやれとは肩をすくめた。
「わかった。私も行こう」
「でも……」
 心配そうなに、私は大丈夫だと力づけた。
「お前一人に不安な思いはさせない。なに、社交的訪問のひとつくらい、私にだってできるさ。それに、私を利用しようなどとは二度と思わせんようにしてやろう」
「……あんまりいじめないであげてね」
 彼女は地上を案じるかのように、天井をちらりと見上げたのだった。





さあ、大変なことになりました。
公使館関係の話題は出したかったのですが、エリックを乗りこませるつもりなんて全然なかったんだもん…!
収拾つけられるか、私!



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