間が悪いというのは、まさにこのことだと思った。
 ナーディルとの会見の最中に訪問用ベルが鳴ったとき、私はそう思った。


☆  ☆  ★  ☆  ☆



 私は普段の買い物はすべてベルナールに任せており、なにか特殊なものを注文する時にだけ出かけることにしている。
 そのための使用人なのだし、私も不快な目に遭うのを避けられるため、双方にとって都合の良いことだった。
 買った品物は地上の出入り口近くに目立たないように作った物置に置いておく。それを私は適当な時間を見計らって取りに行くのだ。
 しかし、今日の品物だけはそんなところにおいては置けない。
 私は必ず自分で受け取りに行くから、ベルを鳴らすようにベルナールに言いつけていた。出来上がるのは今日か明日だということだったから、ナーディルの訪問とかち合ってしまうのではないかと危惧していたのだが、まさか本当にそうなるとは。
 案の定、あいつは私がなにか良からぬものを購入したものと思い、しつこく探りを入れてきた。小舟がこちら側にある以上、あいつを置いて地上に行くわけにもいかず、私は渋々連れ立って光り輝く地上へと向かった。

 ベルナールは私が出てくるのだとばかり思っていたのに、ナーディルのやつが顔を出したものだから面食らったように目を見開いていた。続いて現れた私に気付いて頭を下げる。
 私は犬でも追っ払うかのようにナーディルを遠ざけ、絶対に盗み見られないような位置にベルナールを呼んだ。これで、あいつが帰ったフリをしたところで、何も見えまい。
「で、品物は?」
 私は単刀直入に切り出した。
「こちらです、先生」
 ベルナールはフロック・コートのポケットからビロートを貼った小箱を取り出した。
 蓋をあけると、強烈な夏の日差しを反射した白い輝きに目を射される。
(美しい……)
 思わず見ほれかかったが、私は厳格な審査員のようにその出来を確認しようと表情を引き締めた。
 そっと取り上げ、上からも横からも下からも眺める。
 傷はない。ゆがみもない。それに、細かいところまで私のデザイン画通りになっていた。
 これを作った職人はとても腕が良いのだろう。
「何一つ問題はない」
 息をつめて見守っていたベルナールは、その一言で肩から力を抜いた。
「それはようございました」
「それで、値段は?」
「こちらでございます」
 ベルナールは明細を渡す。私は懐から財布を取り出し、彼に渡した。後日ベルナールが店に行き、支払いをしてくれるのだ。
「ああ、そうでした、先生。店主から伝言を預かっております」
「伝言?」
 宝飾品店店主の伝言など、またの贔屓を願う媚しかなかろう。だがベルナールがやけに嬉しそうな顔をしているので、さっさと言うように促した。ところがそれは思いもかけないものだったのだ。
「先生のデザイン画は曖昧なところが一つもなくて、とてもわかりやすいのだそうです。幾方向から見た図もついていますので、死角になってわからないというところがない。色や形の指定も明確で、これでおかしなものが出来たとしたら、それは職人の腕が悪いせいだとしか思えないそうで」
「私は素人ではないからな。宝飾品は畑違いだが、大きさが違うだけで建築とそう変わるものじゃない」
 ぶっきらぼうに答えるも、ベルナールは何がそんなに嬉しいのか、にっこり笑って、
「それで、ぜひ金銀細工職人やデザイナーの参考にさせたいので、あのデザイン画を保管させていただきたいとのことです」
 私は意表をつかれて眉をあげた。
「物好きだな……」
「そうでもございませんよ。私もあのデザイン画には非常に感銘を受けました。店主がそう言い出すのもわかります」
「まあ、好きにすればいいさ。だが、あれと同じものを勝手に作るんじゃないとだけ釘を刺しておけ」
「承知いたしました」
 ベルナールは深々と頭を下げる。
「それからもう一つ」
「まだあるのか?」
 私はうんざりとしながら目を眇めた。早くこの男も追い払って、注文の品をもっとよく観てみたかったのだ。
「結婚指輪をご注文の際も、ぜひ当店をご利用ください、と」
「……覚えておこう」
 デザイン画には、刻むべき文字も書き添えていた。形も形だし、何のためのものか、わからないはずはない。
 だが店主の言葉そのものよりも、ベルナールのにやけた顔に無性に苛々して、私は奴を睨みつけた。
 ベルナールは途端に萎縮する。
 ふん、ナーディルに引き続いて、こやつまでに面白がられてたまるものか。

 石畳を鳴らして馬車が去ると、私は改めて箱を開け、中身を日にかざした。
 婚約指輪。
 を飾り、私と将来の結婚という鎖で結びつけるためのものがようやく手に入ったのだ。
 斜めに並べた、同じ大きさのダイヤモンドと真珠がそれぞれ趣の違う輝きを放つ。
 トワエモア。『あなたとわたし』と呼ばれる形式のものだ。宝石の中で最も硬いダイヤモンドを男性に、最も柔らかい真珠を女性に見立てているもの。
 石を支えるのを兼ねた装飾用の銀のライン。そこには淡いブルーのアクアマリンを飾った。それによってより白さや透明さが引き立って見える。
 裏側には私と彼女のイニシアルを刻んだ。それから日付は、彼女が私の前に現れた日を。その日は思いが通じ合った日よりもずっと大切なのだ。なぜならあの日から、私は一人ではなくなったのだから。
 繊細な指輪を傷つけないように箱に戻す。
 さあ、これをどのようにしてに渡そうか。
 私ならば彼女が気付かないうちにこの指輪を嵌めてしまうこともできる。ふと気付いたら自分が見慣れない指輪をしていたと、きっと驚くことだろう。その時の様子が目に浮かぶようだ。
 それとも、やはり大事なことなのだから、ロマンティックに事を進めるべきか。
 ソファに隣り合って座りながら、可愛い素手をちょっとくすぐってやって、彼女の気をそらす。そうして箱を取り出し指輪を見せれば……きっと感激してくれるだろう。そこへ私がすかさず指輪を嵌めてやるのだ。感極まった はきっといつも以上に情熱的に口付けてくれることだろう……。
 うん、やはりそうするべきだな。
 私は指輪が事の成功を祝ってくれているように思えて、愛情をこめて再びそっと摘んだ。
 さあ、指輪よ。お前はこれから私の大事な人の指を飾るのだよ。
 祈るように囁くと、私は箱をしまい、彼女の待つ地下へ降りていった。


☆  ☆  ★  ☆  ☆



「あ、お帰りなさい、エリック。珍しいことがおきたわね。この家でお客様がかち合うのって、あんまりないんじゃない?」
 居間に入ると、通常にはなかった鮮やかな色の塊が目に飛び込んできた。
 だ。
 オレンジ色のパンジャビ・ドレスに白いズボンを合わせ、髪は細いリボンで一つにまとめている。陰鬱な地下にはまるで場違いの格好だ。まるで熱帯の地にいる極彩色の鳥のよう。だが軽やかでかさばりのないその姿はドレスよりもずっと彼女に似合うと思った。
 付け加えると、この格好の時にはコルセットはつけていないので、抱き心地がすこぶる良い。おそらく本人はそのようなことを意識してはいないだろうし、私もせっかくの楽しい機会を逃すつもりはないので、あえて口には出さないようにしている。
「あんまり、もないよ。初めてだ」
 私はやれやれと大げさに肩をすくめて見せた。
  には婚約指輪を注文したことはまだ知らせていない。もっとも彼女が買ってきた、家庭生活を営むための本にはそのことも書いていたから、気付いていなくはないとは思うが。
「そうだったの。もしかして、急ぎの用事かなにか? これから出かけたりする?」
「いや、もう終わったよ」
 言いながら私は首をひねった。
「エリック?」
「いや……どうしたものかと思ってな」
「なにが?」
  もつられて首をかしげた。
「お前が散歩をやめてしまったものだから、ナーディルがうるさくてね。私がとうとうお前を閉じ込めたんじゃないかと疑っていたんだ。それで、お前は暑さに参って、日中は外に出ていない、代わりに私が夜になってから屋上に連れて行っていると言ったんだ」
「その通りじゃない」
 何か問題があるのかと言うように、はますます首をかしげる。
「うん。で、まだ疑っているようだったから、夜になったら屋上を見上げてみろと言ったんだ。端に立てば下からでも見えるはずだから。だが……」
「が?」
「さっき、お前が顔を出しただろう? それでもまだ疑っているのかとな」
「いくらなんでも、それはないんじゃない?」
 は当然の如く答えた。まあ、私もそう思うのだが。
「今夜もまた屋上に行くんでしょう。来てたら来てたで、いいんじゃない?」
「いや、今夜は……」
「行かないの?」
 不満、という文字がの顔に現れていた。
 彼女は屋上での夕涼みが気に入っているのだ。自惚れを承知で付け加えれば、私がいつも同行しているというのもポイントが高いらしい。なにしろ普段は一緒に散歩などできないのだから。
「……行きたいか?」
「うん」
 間髪いれずには答えた。
 婚約指輪は夕食後、居間でと思っていたのだが……。
 あまり明るいところで渡すと、雰囲気が盛り下がるような気がする。
 ああ、いや。こうとも考えられないか?
 たそがれ時のパリ。
 私は彼女にいつもよりたくさん愛を囁く。
 彼女はだんだんとロマンティックな気分になり、私にもたれかかってくる。
 空には星が瞬き、地上には家々や街灯の明かりが灯っている。
 そこへ私が指輪を取り出し、彼女に嵌める。彼女は感激のあまり、私に抱きついてくる……。
 感激ついでに、いつでも結婚しても良い気になってくれるといいのだが、さすがにそこまで望むのは無理だろうか。
 待つとは決めたが、いつになったら決心がつくのだろう。
 いや、しかし、いつかは彼女も白いドレスを着てオレンジの花飾りのついたベールを身につける時が来るのだ。その時の彼女はきっと、とても美しいに違いない。花嫁の誇りと恥じらいに目は伏せられ、頬は薔薇色に染まっているだろう。
「……ック」
 それが済むと次に来るのは新婚初夜。私たちは誰はばかることなく一つになれるのだ……。
 夫婦の寝室は私の部屋を使うにしても、少し片付けないといけないな。時間が余っているということがあるにしても、彼女の部屋はいつもきちんとしてあるのだから、あのままでは夫婦喧嘩が起こりかねない。
「エリックってば!」
 とはいうものの、子供ができるのだけは避けたい。彼女に似た子ができればいいが、もしも私に似てしまったら……。男の私でも何度も死にたくなるような目に遭ったのだ、これでもしも女の子だったりしたら、どれほど詫びても足らぬほどの苦しみを我が子に与えてしまうことになるだろう。どちらに似るかは神の領域だ。私にはどうすることもできない。なれば、最善の策は子供を作らないことだ。
「エリーック!」
 それに、このようなことを言うのは非常に大人気ないとわかってはいるのだが……私はたとえ血を分けた子であっても、彼女の愛情を分割しなければならない事態は許容できないだろう。子が出来れば彼女から私に与えられる愛情は半減し、さらにもう一人増えれば三分の一になる。さらに増えれば……。ああ、そんなことになったら私はどうにかなってしまうだろう。だが、彼女がもし私との愛の結晶をほしいと言ったら、夫としてそれを拒むのも……。

 むに。

「……何をするんだ」
 悩ましい思考を中断され、私は不機嫌に見下ろした。
「ああ、良かった。戻ってきた!」
 は爪先立ちになって、私の頬をつねっていた。
「いたずらはやめなさい」
 私はそっと彼女の手を外した。ところが彼女は頬を膨らませる。
「いたずらじゃないわよ。さっきから何度も呼んでるのに、全然答えてくれなかったじゃない。こっち見ながら固まってたのよ。どうしちゃったのかと思ったわ」
「……ああ、そうか……悪かった」
 そうだった、すっかり彼女と結婚した気になっていたが、まだ婚約するところまでこぎつけただけだった。
 目の前には子を抱いた母ではなく、オレンジ色のパンジャビ・ドレスを着た娘が腰に手を当てて当惑したように立っている。
 自分が妄想の海に落ち込んでいたことに今更ながら恥ずかしさが襲ってきた。私はなにかおかしな行動をとらなかっただろうか。独り言を言うとか、にやけた表情になっていたとか。
 しかし私のそんな内心には気付いていないようで、は心配そうに私の顔を覗きこんでくる。
「あなたさっき外に出たんでしょう? そんな黒い服を着てるからきっと熱中症にかかったのよ。わたし、さっきお茶を作って冷やしておいたから、持ってくるわ。エリックは座ってちょうだい。倒れられても、わたしじゃ運べないもの」
「いや、熱中症などでは……」
「いいから座ってて!」
 は小言を言う母のように胸をそらして叱りつけてきた。
「はい」
 勢いに押されて、私は思わず小僧のような返事をしてしまった。
 はきびすを返してキッチンに向かってゆく。スリットの入った上着が歩むにつれてひらひらと踊っていた。
「あー、氷が足りない〜!」
 少しして、そうぼやく声が奥から聞こえてきたのだった。






【toi et moi】(トワエモア)について
百聞は一見に如かず。↓のアドレス先に飛んでご覧になってください。
http://www.s-russia.biz/edwardian/towae-r.html
(こちらは通販もやっているアンティークジュエリーのサイトですので、直リンクはしていません。また、このページ以外にもトワエモアリングがありますので、探してみるといいかも。そっちは移動する可能性があるので、アドレスは貼れませんが…)
これ以外にも色々探した結果、トワエモアというのは、必ずしもダイヤモンド&パール(ポケモンのようだな、こう書くと)の組み合わせではいといけないわけではないみたいです。ダイヤ&ダイヤ、ダイヤ&ルビー、ダイヤ&エメラルド、アメジスト&シトリンというものもみつけました。
ただ、共通しているのが、2つの石の大きさと形が同じであること。真珠が使われている場合、カットするわけにはいきませんので、対の石(この話の中でいえばダイヤですね)は丸っこくカットされているのですが、両方が石の場合、滴型とか木の葉型なんかにされたのがありました。ダイヤが男性、真珠が女性、というのも絶対ではないように思えます。それでも名前からすれば、片方を男性、もう片方を女性に見立て、それぞれが好きな石を使うとかしてるんじゃないかと…。いや、詳しいことはわかんなかったので、推測ですが(汗)



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