ふ、と私は足を止め、耳を澄ました。
 ともすると聞き逃してしまいそうなほど微かな声だったが、こと彼女に関して私が間違えるはずがない。
 がオペラ座に来ている。
 珍しいことだ。
 聞こえてきた方向と彼女の交友関係を考えると、マダム・ジリーの部屋にいるのだろう。他にわざわざ訪ねる相手もいないのだから。
 私は薄暗い隠し通路を引き返した。
 ただ、マダムたち教師陣は、会議中だということを私は知っている。主不在の部屋で一体誰と会っているのか……。
 まあ、あれだ。メグ・ジリーあたりがまた勝手にマダムの部屋に入り込んでいて、そこをと鉢合わせしたとかだろうが。
 せっかくだから、彼女と一緒に家へ帰ろう。上手く小娘を追い払えるといいのだが。
  が『ファントム』と関わりを持っていると知られるのはまずいから、あまり思い切ったことはできないが……。
 それにしても、一体彼女は何をそんなに驚いていたのだろう。
 砂糖だぞ。
 彼女は間違いなく砂糖にびっくりしていたのだ。
 そんなものであれだけ驚けるということに私は驚いている。
 訳がわからないながらも、私はマダム・ジリーの部屋の裏側まで歩いていった。


☆  ☆  ★  ☆  ☆



 ……何を、やっているんだ?
 マダムの部屋をそっとのぞくと、案の定そこにはメグ・ジリーがとぺちゃくちゃおしゃべりをしていたところだった。
 だが、しかし、それは普通の状態ではなかったのだ。
 は髪を解いて、鏡に向かっていた。メグ・ジリーはその後ろに立って、彼女の髪結い役をしている。
 それだけではなく、メグ・ジリーはトレードマークとも言うべき頭のリボンを外していたのだ。外したまま、ブラシを当てたりはしていないようで、髪には束ねたあとが残っている。そしてリボンは化粧台の上だ。
 ……何事だろう。
 いや、髪を結っているのはわかるのだが、なぜこんなことになったのだろうか。
 なにか、やってみたい髪型でもあるのだろうか。
 それなら遠慮せずに、私に相談してくれれば良かったのに。実際に女の髪を結ったことがあるわけではないが、図なり写真なり見せてくれれば、だいたいはなんとかなると思うのだが……。
 それにしても、メグ・ジリーめ、私だってまだ撫でたことくらいしかないの髪にしっかり触りおって。
 くそう。
 私は腹の中で毒づいた。
(命拾いをしたな。マダムの娘でなければ、数日も経たないうちにオペラ座になどいたくはないという目に遭っていたところだぞ……!)
 よりも年下の小娘に嫉妬するなど馬鹿げているとわかっていたものの、どうしても羨ましさが抜けなかった。
 壁一枚を隔てて歯噛みをしていると、部屋の扉がぱっと開いた。
「お待たせ。あのね、誰かが忘れていったファッション雑誌があったの。ついでに持ってきちゃった」
 ノックもせずに入ってきたのは、クリスティーヌ・ダーエだった。両手に籠を持っていて、そこにはごちゃごちゃと色々なものが入れてあった。
「本当。見せて、見せて!」
 メグ・ジリーは をうっちゃると、さっさと雑誌を広げにかかった。おい……。
「いつの雑誌?」
 そこへ も加わる。……お前もそんな格好でうろうろするんじゃない。
 私は思わずため息をついた。
 は前髪を垂らし、後ろの髪を上と下で別けて、上の髪だけをゆるく巻いてピンで留めていただけだった。下の方はまだ手付かずのままだ。
 メグ・ジリー、何をしている。結うならさっさと結わんか!
 しかし三人の女たちは雑誌を囲んで雑談をするばかりだった。女三人寄れば姦しいとは本当なのだな。特別親しい友人同士だというわけでもないのに(ジリーとダーエは親友同士だが)この賑やかさといったらない!
 黒と栗色と金髪の頭の持ち主たちは、それから十五分以上を話をあちこちへ蛇行させた後、ようやく結論が出たようで、それぞれ頷きあいながら楽しげに準備を始めた。
 は化粧台に背を向けて椅子に座り、マダム・ジリーの化粧用ケープを羽織る。メグ・ジリーはその前に立ち、色々な角度からの顔を覗き込んだ。そしてクリスティーヌ・ダーエは、水差しから洗面器に水を移すと、暖炉に髪ゴテを突っ込んだ。
「いくわよ〜」
 メグ・ジリーはハサミを構えて背をかがめる。
 まさか、切るつもりなのか!?  がせっかく伸ばしていた黒髪を……!
 嫌な予感はすぐさま現実のものとなった。
 じゃき、と切断する音がし、次の瞬間にはメグ・ジリーの手に黒い髪があった。
(あ、あああああっ……!)
 あまりのことに呆然となったまま、私はその場に突っ立っていた。
 そうしている間にも、着々と物事は進んでゆく。は時折目をつぶって、ハサミが目に当たらないようにしている以外は、じっと座っていた。
 メグ・ジリーはさくさくと前髪を切っていっている。ようやく横の髪と一緒に編み上げられるようになった前髪は、眉のやや下くらいの長さになってしまった。
 どう、するつもりなのだろう。 は、納得しているのだよ、な……。
 もし嫌がっているのであれば、それらしい素振りを見せてくれさえすれば、すぐさま妨害にかかってやるぞ!
 私は届くはずもない心の声を、精一杯壁の向こうへと送った。
 前髪は切り終わったらしく、今度はクリスティーヌ・ダーエが動き出した。
 櫛を水にひたし、ゆっくりと前髪を梳いてゆく。
 髪が充分湿ったところで、紙を取り出して巻いていった。
 …巻き毛も作るのか。まあそうだろうな。髪ごてが出ていたのだから。
 巻いた髪にこてを当てると、薄く白い煙があがって水分が蒸発する小さな音がした。
「大丈夫? ねえ、大丈夫!?」
 こんなことは初めてなのだろう、は心配そうな声をあげる。
「大丈夫、大丈夫。怖がんなくていいのよ。たいしたことじゃないんだから」
 メグ・ジリーは気楽そうに言う。
 作業中のクリスティーヌ・ダーエは真剣な表情で、
「今まで何度もやったことがありますから、わたしを信じてください。わたし、自分の頭がこうだから、よく他の子たちの手伝いをするんです。わたしは髪を巻く必要がないから、身支度をする時間が短くて済むので」
「そ、そうかもしれないけど、失敗すると焼き切れることもあるんでしょ?」
 不安が消えないのか、は先ほどとは打って変わって饒舌になった。
「思い出したんだけど、若草物語って本にそういう場面があったんだったわ。四姉妹が主人公で、長女のメグがパーティに出席するために髪を巻いたんだけど、やりすぎて切れちゃったのよ」
「ワカクサモノガタリってなぁに? メグって、それフランスの話?」
 きょとんとしながらメグ・ジリーは首を傾げる。
  ……まさかその本はまだこの時代には存在しないものでは……?
 私は彼女が墓穴を掘ってしまったのかと気が気ではなかった。はしばしの間考え込むように、目を伏せる。
「……確か、アメリカ。南北戦争がどうのこうのってあった記憶があるし」
 南北戦争……それならとっくに終わっている。それなら怪しまれることはあるまい。
 しかし、は嘘が下手だからな。聞いているこっちがひやひやする。
って、英語もできるのね」
「まあ、一応」
 感心したようにメグ・ジリーは目を丸くする。
 一方はというと、口の端がぴくぴくっと動いていた。
 これは彼女が答えにくいと思っていることを言っているときや、その答えにくいことを言いたくないがために、嘘をついているときに出てくる反応だった。
 これを私なりに解釈するとこうなる。
 ワカクサモノガタリとやらは、読んだことがあるのだ。しかし、原書を読んだのではなく、パリに来る前に日本で、日本語に訳されたものを読んだということだろう。
「はい、まずは一つ目」
 クリスティーヌ・ダーエが一歩下がった。こてを外された前髪の一房がくるりと内側にまいている。
 鏡に向き直って、はそっと触れてみる。つん、とつつくと、弾むように髪の房が揺れた。
「いかがです?」
 クリスティーヌは満足げに問う。
「ずいぶんしっかりと癖がつくものなのね」
「ええ。時間が経てば落ちてしまいますけれど」
 はふーっと長いため息をつくと、上向きになって立っているクリスティーヌと目を合わせた。
「ここで止めるのもみっともないから、徹底的にやってしまって。でも、エリック、これ見たらなんていうかしら……」
「エリックさんとおっしゃるの。恋人の方?」
 ダーエに聞かれて、はっとしたようには表情を強張らせた。
「……ええ」
 彼女は慎重に肯定する。いつだったか話をしたが、はマダムとナーディルとベルナール以外の人間には私の素性を極力明かさないようにしているのだそうだ。名前を言ってしまったのは、うっかりしてしまったのだろう。
 しかし、「エリック」という名前は特別目立つようなものではない。このエリックがどのエリックなのかは、クリスティーヌ・ダーエにはわかるまい。
「もしかして、その方も外国の方では? スカンジナヴィアあたりの……」
「いいえ。北仏の生まれで、フランス人であるのは確かよ。だけど、どうして?」
 いぶかしげに、は首を傾げる。ダーエははにかんで答えた。
「いいえ、ただ、エリックという名前はフランスではあまり聞かないものですから。わたしの故郷のスウェーデンではよくあるのですけど」
「え、そうだったんだ」
「知らなかったの?」
 聞いたのはメグ・ジリーだった。
「フランス人の名前でジャンやジュールっていうのはよくあるというのは知っていたけど……、こっちにはそんなに知り合いもいるわけじゃないしね」
 と、は肩をすくめた。
 とかなんとか、そんなことを話しているうちに、巻き毛は一つ増え、二つ増えして、とうとう後ろの髪まで終わってしまった。
 頭の上のほうでまとめた髪だけではボリュームが足りないと、付け毛を足す。その付け毛もウエーブのかかっているものだ。そして最後に正面から観た時にまとめ髪に沿うようにしてリボンを絡ませ、結んだ。
 メグ・ジリーのリボンは淡い水色で、その日が着ていたドレスにはアクセントに青いリボンがついているため、バランスは悪くなかった。
 全体としては、どこか大人しくまとまった感じのしていた以前と比べて、格段と華やかな雰囲気になっている。
 ふむ、さすがはオペラ座の女というところか。子供でもセンスは悪くない。
  の綺麗な真っ直ぐの黒髪は見る影もなくなったが、これはこれでなかなか……。
「結構いいじゃない。じゃ、最後の仕上げをしようか」
 楽しげにメグ・ジリーは眉墨を取り出した。
「化粧はやめて。本当に困るの!」
 断固として断ろうとするに、
「ここまでやっておいて、何言ってるのよ」
 と、メグ・ジリーは意に介さない。
「まあ、あんまり濃くはしないから。気になるならエリックさんとやらと鉢合わせしないようにこっそり家に戻って、顔を洗うといいわ」
「ちょっと、メグちゃん……!」
「動かないでよ。動くと目の周りが殴られたみたいになるわよ。おしろいは勘弁してあげるから、大人しくしてて」
 もじもじと身体を動かしていたは、それを聞いてぴたりと静止した。
 メグ・ジリーは眉墨で目の縁にそって細い線を入れ、まぶたに色粉を乗せる。
 唇に紅を引き、そして「うん、上出来!」と笑った。
(おお……なんということだ)
 呆然としたあまり、私は自分の瞳孔が開いてしまったのではないかと思ったほどだ。目を見開いているのに、はっきりと像を結ばない。
 濃かった。女優や娼婦ならともかく、は堅気の女なのだ。こんなに目の周りを黒く隈取る必要はないし、口紅だって、こんなに赤くなくていいのだ。
  は私に囲われている女ではなく、彼女自身の意思によって私と共に暮しているだけなのだ――この件に関しての反論は許さない――。だから、こんな風に顔を塗りたくる必要など……。
 しかし、美しくなっていたのは、紛れもない事実だった。
 そしてそのことは私に非常な葛藤を強いた。
 つまりだ、化粧品を揃えてやるかどうかということで。
 ここはオペラ座なので、舞台用から個人で持ち込んだものを置きっぱなしにしているものまで、使い古しから新品まで、売るほど化粧品はあるのだ。
 手に入れるのは非常にたやすい。いや、使いかけのものを にあげようというのではなく、彼女は肌が繊細なので、研究用のサンプルとして頂戴しようというだけだ。化粧品そのものは、材料さえそろえば私が作ればいいのだ。しかし、化粧をするのは女優か娼婦だけであり……。


☆  ☆  ★  ☆  ☆



 もんもんと悩んでいる間に、今度はとメグ・ジリーがクリスティーヌ・ダーエの髪を結い始めていた。
 こちらはの髪とは違い生まれつきの巻き毛なので、彼女ほど手をかけることなくボリュームのある結い髪にできる。よほど凝ったものにしなければ、付け毛を使う必要もなさそうだ。まだくるぶし丈のドレスなので、大人っぽく結い上げた髪型は、いささか不釣合いではあるが。
 最後には自分の使っていた飾り櫛を挿した。
「ああ、クリスちゃんは銀色が似合うね。やっぱり濃い色の髪だから、引き立つんだわ」
「そうね。ママの飾り櫛はブロンズ色だから、ちょっと紛れてしまうのよね」
 メグ・ジリーも同意する。そしてにっと笑うと、
「ねえ、。クリスの次の誕生日って、すごく特別な誕生日だと思わない?」
 と唐突に切り出した。
 一体、なにがどう特別なのだ? 特別な誕生日というのは、私が と祝ったもののようなことを言うのではないのか? 普通の少女に、特別な誕生日などあるのだろうか。訳がわからない私とは違い、訳がわかっているらしいは平然と返す。
「そうね。これからは大人として行動しなければならないのだし。その責任と自由を確認する日になるのでしょうね」
 ああ、そういうことか。次の誕生日から大人と同じ格好をするようになるのだな。
 メグ・ジリーもわかっているじゃないと言いたそうに、何度も頷く。
「それじゃあ、その特別な誕生日には、からもプレゼント、贈ってくれるわよね?」
「もちろん、いいわよ」
 自分から――言い出したのはメグ・ジリーであって、本人ではないのだが――贈り物をねだるなど図々しい、と思ったのは私だけのようで、はいたって当然のようにその提案を受け入れた。
 そ、そうなのか?そういうものなのか?
「いいんですか、さん?」
 クリスティーヌ・ダーエは戸惑いながらも嬉しそうに確認する。
「もちろんよ。特別な誕生日ですものね。ところで、プレゼントってどんなものがいい? 自分で選ぶ? わたしに任せちゃう? どっちでもいいんだけど、できればちゃんと喜んでもらえるものを贈りたいから、どういうものがほしいのかは教えてもらえるとありがたいのだけど」
「わ、わたしが選んでもいいんですか?」
「ええ。フランスでのスマートな贈り物の仕方なんて知らないし、型破りなのかもしれないけれど、気に障らないのであれば」
「それなら、あの……やっぱり髪飾りなどが。リボンでも、ピンでも何でもいいのですけど……」
 やはり女は身を飾るものをほしがるものなのだな。
 も、やっぱり女の子ね、などといって笑っている。
「やっぱり銀がいい?」
「銀なんて! そんな高価なものでなくていいんです」
 ふるふるとダーエは頭を振る。そんなに何度も振ると、髪が崩れるぞ。せっかく結ったのだろう?
「じゃあ、これなんてどう?」
 メグ・ジリーの指が指す先には、クリスティーヌ・ダーエの髪に挿されている飾り櫛があった。私がに贈ったものだ。
「何を言ってるの、メグ。これは さんの大事なもので……」
「でも には似合ってないってば。新しい銀の櫛だとさすがに高いけど、これならクリスティーヌだってそんなに恐縮することもないでしょ? はお金持ちの恋人に新しいのを買ってもらえばいいんだし」
 似合ってないだと!この小娘め!!
 は孔雀のように身を飾り立てることを好まないだけだ。派手に装うだけがおしゃれだと思うんじゃない!
 、こんな話、さっさと断ってしまえ!
 そう壁の向こうへ念を送っていると、それはしっかり届いたようで、は躊躇なくNonと答えた。
「これは駄目」
「どうしてよ、ケチ」
 メグ・ジリーは唇を尖らせた。
「ケチじゃありません。これは駄目なの。エリックがわたしに贈ってくれたものなんだから。わたしだって気に入っているんだし」
「ぶーぶー」
 はブーブーいうジリーを放っておいて、ダーエに笑いかけた。
「これは駄目だけど、銀の飾り櫛を贈るわ。それでいい?」
「え、ええ……。でも、本当にいいんですか? 銀の櫛って、高価ですよ」
「宝石がやたらたくさんついているようなものでなければ大丈夫よ。わたし、毎月これくらいまでなら彼に報告もなにもしないでいいっていう額のお小遣いをもらっているんだけど、わたしはあんまり使わないから、毎月余っているのよ。で、それがもう結構な額が溜まっているのよね。だから気にしないで。喜んでもらえれば、わたしも嬉しいわ」
 彼女のような娘にとっては、思いがけないほどの出来事だったのだろう。クリスティーヌ・ダーエは頬を赤らめて礼を言った。
「まだ買ってないんだから、御礼を言うのは早いわよ」
 は笑う。
「ところで、それってクリスティーヌにももちろん選ばせてもらえるのよね?」
 メグ・ジリーが話に割り込む。
「ええ。クリスちゃんもそれでいいのかしら?」
「は、はい。ぜひ」
「それじゃ、今度日取りを決めてお買い物に行きましょう。いつにする?」
「わたしも行くわよ。いいでしょ?」
 とはメグ・ジリーの言だ。
「ええ」
 が頷くと、やった、とジリーは目をきらきらさせた。
 ……決定が早いな。こんなものなのか?
 半ば呆れていると、メグ・ジリーがにじりよってきた。
「ねえ、そのときに、わたしにもリボンを買って」
 語尾にハートマークでもついているような、わざとらしい可愛らしさで彼女は言った。
「メグちゃんも、なにかお祝いがあるの?」
「別にないけど、いいじゃない。お金、余ってるんでしょ?」
 たかりにきたか。さて、はどうするだろうか。
「あなたの次の誕生日に好きなだけリボンを買ってあげるわ。特に理由もないのにメグちゃんにも買ったら、クリスちゃんとの釣り合いが取れなくなるもの」
「ぶーぶー」
「キャンディくらいならおごってあげる」
 にっこりと笑ってが言うが、メグ・ジリーはまだ諦めない。
「一本だけでいいの。ねえ、わたしのお陰で綺麗になれたじゃない。それに、わたしのリボンだって、貸してあげたでしょ」
 貸したというより、押し付けたのではないだろうかとも思ったが、この場にいないことになっている私にはもちろんそのような突っ込みなどできるわけもなかった。
「おしゃれ指南料ってことで、ね。エリックさんがのことを見て、綺麗だとか何とか言ったら、わたしにも買ってよ」
「うーん」
 は腕組みをして難しい顔になった。
 断れ、断れ、断れ。
 私は本日何度目になるかもわからなくなった念を再び送った。
 しかし、今度は届かなかったようだ。
「わかった。じゃあ一本だけなら」
「やったー!」
 メグ・ジリーは両手をあげて跳ね回った。
 それから、買い物日をいつにするか、どこで買うのかを話し合いはじめた。
 メグ・ジリーがデパートに行ってみたいと言い出し、クリスティーヌ・ダーエも同意した。
 ああいうところへは子供だけではマダムは絶対に行かせてくれないのだが――どのみち、馬車に乗らなければならないくらい距離があるので、子供だけでこっそり行くのは不可能だ――は大人なのだから、きっと許してくれるだろう、ということだ。
 断れ!
 私はまた念を送った。
 デパートというところへは、私は行ったことがなかった。薄暗い店の、店番が一人だけいるようなところでならばどうとでも交渉できるものの、いつでもぴかぴかと明るく、客も店員も多いそこへは、行ってみたいなどと思うはずもなかった。
 ので、これは聞いたり読んだりしただけのことなのだが……。
 デパートというのは、その人の多さに比例するように、変質者や痴漢が出没するというのだ。私のがそのような男どもに危険な目や嫌な思いをさせられるかもしれないのに、そんなところへやれるものか。
 以前より美しくなったにならば、花に集まる蝶のように、男が近寄ってくるのは明らかだった。
 ええい、メグ・ジリーめ。よけいなことばかり言いおって! お前の思い通りになどさせるものか。
 私は、帰っても絶対に に「綺麗だ」とは言わないぞ。お前はリボンを手に入れられない。そしてデパート以外で買い物をさせる。これでどうだ! ついでに、勝手に母親のものをいじったのだと、マダム・ジリーに伝えておこう。怒ったマダムはそれはそれは怖いのだということは、娘のお前も知っていよう。目にもの見るがいい。
 わーっはっはっはっは。






自分で書いといてなんですが、やることがちっちゃいなー、このエリック…。





前へ  目次