「痛いです。マスター」
 頭をさすりながら、上目遣いでKAITOは言った。
「先に言っておくけど」
 あたしは人差し指をびしっと立てる。
「あたしがマスターになったからには、しつけはビシバシやるからね。まず覚えることは、マスターには抱きつかないこと。わかった?」
 KAITOは目をぱちくりとさせる。
「どうしてですか?」
「自分の体格を考えなさいよ。あんたの大きさで突進されたら、あたしがぶっとぶわ。それであたしが潰されたり、どっか骨でも折れたりしたらどうしてくれるの?」
「あうぅ……」
 指摘するとようやく気がついたようで、申しわけなさそうに彼はしゅんとした。
「それに相手があたし……マスターでなくても、そんな風に抱きついてくるもんじゃないよ。初対面でそういうことしたら、変態呼ばわりされても文句は言えないんだから。それからあたしは、馴れ馴れしいのは好きじゃない」
「……でも、俺はマスターにぎゅってされたら嬉しいと思います」
「そういう問題じゃないし。それに、あんたをぎゅっとか、する予定はないし」
 片手を振ってきっぱり言うと、KAITOは涙目になる。あたしは思わずため息をついて、天を見上げた。
 こいつはどれだけマスターが好きなんだ。意思があっても表面に出てこないだけで、他のアプリケーションソフトもそうなのかな。嬉しくない、とは言わないけど、正直言って、困る。
「あ、そうそう、KAITO」
「はい、マスター」
 ぐしぐしと袖で顔を拭くと、KAITOは顔をあげる。見た目が結構痛々しいことになってるから、あたしはいつでも使えるようにと、中身の少なくなったティッシュ箱を彼に渡した。
「これも言っておかないと。買っておいてなんだけど、あたしは当分、あんたに構ってる時間はないから、そのつもりでいてね」
「えええっ、なんですか、それ!?」
 素っ頓狂に叫ぶ男に、あたしはうるさいと指を耳に突っ込んだ。音楽ソフトなだけあって、すっごく通るんだよね、声というか、音が。
「あたし、受験生なんだもん。今年一杯はとにかく勉強するのが第一なの。今日だってちょっとだけ触ってみて、どういうものかわかったらすぐやめるつもりだったし」
 KAITOはすごく困惑したように、眉を寄せた。
「マスター、じゅけんせいって、何ですか?」
 そこから説明しなくちゃダメなのか。しかし、おそらく人間世界の常識とかいうものを持ち合わせていないKAITOに理解できるように説明できるだろうか。
「えーと、どこから説明すればいいのかな……」
 言いながら、あたしは床に腰をおろした。KAITOにも座るように手で示すと、彼はそれに続いた。
 KAITOは神妙に膝の上に手をそろえてあたしの顔をじっと見つめる。
「つまり、あたしの年では人間としてはまだ大人……一人前だとは見なされていないわけ。大人になるためにはいくつかの試練を受けなくてはいけないの。受けなくてもなれないことはないけど、いまのところ、この国ではその試練を受けることを選ぶ人の方が多いと思う。大学とか短大とか、専門学校とか。そういうところに通って、知識なり技術なりを身につけて就職して、自分の力で生活できるようにする。そうしてやっと一人前になるわけ。で、あたしは大学っていうところに行くことを希望しているの」
「そこでは何をするんですか?」
「勉強」
「今もべんきょうをしているんでしょう?」
「今やっているのが大学に行くための勉強。大学でやるのは、そこに行かないと学べない勉強なの。中身が違うのよ、中身が」
「はあ……」
 わかったようなわからないような表情を浮かべて、KAITOは目を瞬かせる。それから首をかしげて言った。
「それはマスターにとって大事なことなんですね?」
「そうよ。それを理解してくれれば、とりあえずはいいわ。あたしは大学を卒業したら、がっつり働くつもりでいるの。そのためには結構頑張らないといけないんだ。あたしは自分でもオタクだと思ってるし、当分足を洗える感じではないから、どうしたって色々寄り道したりするだろうけど、その寄り道というか気分転換のひとつに、KAITOで遊ぶという選択を取り入れようと思っていたのよ。……あんたをインストールした時まではね」
 なんだか良い感じでしゃべれていたと自分でも思っていたのだが、最後の最後でふと遠い目になってしまった。なんでこんなことになったんだろうなぁ、というやるせない思いにかられる。
「……俺を、インストールするまではって?」
 不安そうにKAITOは聞き返す。あたしは腕組みをした。
「とりあえず、目の前にいるKAITOという存在とどうつきあったらいいのか、皆目見当もつかないのよ……。一番いいのは、製造元に問い合わせることだと思うけど、問い合わせたら多分高い確率でソフトとあんたを貸してくださいって言われるんじゃないかと思うんだ。だって、こんなこと、多分向こうも初めてだろうし」
「そうなったら、どうなると思います?」
「さあ? 想像もつかないよ。でも色々実験されるんじゃない? 身体検査とかも含めて」
 あたしは肩をすくめる。
「じっけん……。それが終わったら、マスターのところにちゃんと返してもらえるでしょうか」
 ぶるり、とKAITOは身体を振るわせる。
「さすがにそれはあたしに聞かれてもね。あたしは、あんたの中身についてはちんぷんかんぷんなんだし」
「俺、どこにも行きたくありません。マスターのところに帰れなくなる可能性があるなら、尚更」
 KAITOはきっと眉をあげ、力強く断言した。
「どこにもやらないでください。ソフトの俺が実体化したなんて、マスターには迷惑でしかないことかもしれないけど、俺たちは俺たちを使ってくれるひとのそばにいることがなによりの喜びなんです。……使用頻度が高ければ、もっと嬉しいですけど」
 まっすぐな上に正直な奴だ。呆れるを通りこして微笑ましくすら思えてくる。あたしの口元は思わず緩んだ。
「ま、そう言うなら問い合わせはしないでおくよ。となると、えーと、じゃあ覚えること、その二ね」
 と、ピースをする要領であたしは指を二本立てた。KAITOはこくりと頷く。
「実体化するのは、あたしが出てきてもいいよって言ったときだけよ」
 途端、KAITOは変な顔になった。嫌な予感がしたあたしは彼の肩に手をかけた。そういえば肝心なことを確認していない。
「まさかと思うけど、あんた、モニタの中に戻れないとか、ないでしょうね?」
 だとしたら大変だ。捨て犬や猫を拾ったのとは訳が違う。KAITOのサイズでは隠し切れない。
「いえ、大丈夫、だと思います」
 自信がなさそうに彼は呟いた。
「やってみて!」
「今すぐですか!?」
「そうよ、もしダメだったりしたら、問題がややこしいことになるんだもん!」
 肩に置いた手に、力が入る。
「マスター」
 不安そうにKAITOは目を泳がせる。
「なによ?」
「戻っても、すぐに出てきていいんですよね?」
「当然。話はまだ終わっていないんだから」
「ならいいです」
 言うが早いか彼は立ち上がり、すたすたと歩いてPCの前に立った。エンターキーを押すとスタンバイ状態になっていたPCが立ち上がり、KAITOのエディタが表示される。あ、なんだ……フリーズしたかと思ったけど、違ったんだ。
 KAITOはおもむろに右腕をあげ、ちらりとこちらを見やる。その顔はなんだか泣くのを堪えているようで……って、どれだけ泣き虫なんだ、こいつは。
「すぐに戻ってきますからね」
「うん?」
 なんだ、大事なことなので二度言ってみましたとか?
「どういう風になるか、あたしもちゃんと見ておきたいしね」
 答えると、KAITOは緊張をほぐすようにため息をつく。そして指の先をゆっくりと画面に向けた。指先が触れるかどうか、というところでKAITOの姿が揺らめく。
「……え?」
 水の中に腕をつっこむように、彼はぐっと腕を差し込んだ。水面と違うのは、あくまでもモニタはそのままで、波紋など起きないということ。
 時間にすれば、おそらく数秒もかからなかったのだろう。KAITOの身体はきらきらした粒子に覆われ、それが拡散し、消えた。
「……KAITO?」
 幻想的といえるような消失に、呆然と呟く。あたしは立ち上がって画面を見つめた。そこに映っているのは、ものいわぬエディタだけ。
(まさか、本当に消えちゃった?)
 そうなら面倒がなくていいけど、なんてちらりと考えていると、再び画面が光り――と言っても最初ほどではなかった――モニタから指先が現れる。
 溺れている人のように空をつかむような動きをしていたかと思うと、すぐに手全体が出現し、そしてPCから光の帯のようなものがひゅうと飛び出した。それはさっきとは逆に光の粒子を集め、ひとのかたちを作り出してゆく。
 KAITOは目を閉じていた。まつげがふっと揺れたかと思うと、青く澄んだ瞳が現れる。
「これで納得していただけましたか、マスター?」
 粒子のなごりか、全身が淡く輝いていた。
「……うん」
 綺麗だと思った。口に出す気はなかったけれど。
 淡い光は急速に消えてゆく。髪の先にほんの少し残るだけで。その光も、KAITOが歩きだした震動で、ぱっと散ってしまった。もう少し見ていたかったと残念に思う反面、あたしはすごくほっとしていた。
 だって……。
(貞子的な出現方法じゃなくて、本当に良かった……!)
 怖いだけじゃなくて、あれだとうっかりキーボードとかマウスを潰されるかもしれないじゃない。大事な事でしょ、これ。
「ところでPCにいるのって、どんな感じがするの?」
 安心すると同時にわき起こったのは好奇心。マンガや小説なんかで描写される電脳空間とはやっぱり違うんだろうな。
 聞くとKAITOはうーんと唸って、眉間にしわを寄せる。
「上手く説明できないんですけど、実体があるときのように歩く必要はない、でも行きたいところにいける。頭を動かさなくてもどの方向でも見られる、ほしいものは取り出せる、という感じでしょうか」
「そういうのって、やっぱり便利?」
「俺は俺の機能しかこれまで使ってきていないので、俺自身が便利であるかどうかは感じたことはありません」
「そりゃそうか。ところであたしのPCの中ってどう? 広いとか狭いとか居心地がいいとか悪いとかはある?」
 するとKAITOは困ったように口角を下げた。
「広いとか狭い、という感じはよくわかりません。俺にわかるのは軽いか重いか、です」
「重いって、つまりスペック的な問題?」
「それもありますし、同時に他のソフトを立ち上げているかいないかもあります。今は立ち上がっているのは俺だけですから、かなり軽く感じますよ」
「そういうものか……。でも、そのうち重くなるかもね。少しでも本気であんたに歌ってもらうことになれば、他のソフトも導入しないわけにはいかなくなりそうだし。フリーにしろ、買うにしてもさ。そしたら複数立ち上げだってしなくちゃならなくなるかも。……というか、そうなる前にまずメモリ増設だよね」
 一人で頷いていると、KAITOはさわやかすぎる笑い声をあげた。
「その時はその時ですよ。でもその前にまず俺の操作に慣れてくださいね」
 語尾に音符マークでもつきそうな勢いだ。
「善処はするよ」
「マスター」
 ふと真顔になって、KAITOは一歩近付いてきた。
「俺、頑張りますから。マスターに納得してもらえるような、喜んでもらえるような歌を歌いますから」
 誓うように言うその様子に、一瞬感動に襲われたあたしだったが、すぐに気がつく。
「どっちかっていうと、頑張らなくちゃいけないのはあたしのような気がするけど……。それともエディタを使わなくても、歌えるわけ?」
 CDを聞かせるとか楽譜を見せれば歌ってくれるのであれば、実体化万々歳なんだけどなぁ。
 しかしKAITOはきっぱりと首を左右に振る。
「いえ、そこはそれです。俺はボーカロイドですから」
「だよね」
「というわけで、一緒に頑張りましょうね、マスター」
「当分は無理だけどね」
 受験生な己が悔しい。微妙にうざいような気がするけど、このKAITOは嫌いじゃない。いっそ、一週間くらい家でするのは宿題だけにしてしまおうか……。
「それに関しては我慢します。マスターが俺のこと、俺が思っていた以上に好きみたいだってわかったので、待つのは苦にならなくなりましたから」
 にこにことKAITOは笑う。
「……は?」
 思考が横道に逸れかけていたあたしは、その言葉で現実に引き戻された。
「さっき戻ったときに『KAITO』って書いてあるフォルダがあることに気づいて、何かなと思ってみてみたら、KAITOの歌っている曲がいっぱい入っていて驚きました。他の姉弟のもあったけど、俺のが一番多いですよね。あ、歌っているのは俺じゃないKAITOだというのは理解していますよ」
 ……こいつ。
「あんた、フォルダ見たの?」
「はい。だって俺の名前が書いて……」
 ぐっとあたしはKAITOのマフラーを掴んだ。
「あの、マスター……」
 おどおどと青い目が見開かれる。
「KAITO君、マスターとのお約束三つ目、守れるかな?」
 自然と声が低くなる。恥ずかしいのと腹が立つのとで、KAITOを蹴っ飛ばしたい衝動にかられた。だがしかし、待て自分。虐待は立派な犯罪だ。しかしさっき殴ったのはあれだ、正当防衛だ。
「は、はい、もちろんです、マスター」
 ぷるぷると震えているKAITOを無視して、あたしはずいと顔を近づけた。マフラーを握る手に力が入る。ぐえっとKAITOがえずいたが、聞かなかったことにした。
「マスターのフォルダは勝手に見ない、触らない! 中身がボカロ関係であろうとなかろうと関係なく。いい?」
「え? あ、ダメだったんですか? あの……ごめんなさい!」
「わかった? ちゃんと覚えたね?」
「はい、覚えました〜〜!」
 泣き声交じりでKAITOは叫んだ。
「二度としないね?」
「しません、マスター!」
 KAITOの目じりに涙が浮かぶ。叫び声は裏返っていた。
「ならよし」
 マフラーを放し、あたしは鼻を鳴らした。ああ、もう、心臓に悪い。いくらKAITO――しかもあたしのPCにインストールされている存在――であっても、勝手にフォルダを見られたくはない。好みが丸分かりになるのが恥ずかしいというのもあるし、ある意味純真無垢なKAITOには聞かせたくないネタ曲もあるし……。ほら、たとえばとある棒の歌とか。
 そこであたしは気づく。もしかしてこのKAITOはこれからはあたしがネットをしていたりしたら、どこを見ているかとか、全部知ってしまうんだろうか……。それって、すごく嫌だ。あたしのプライバシーがないも同然じゃない。……当分、KAITOに見せたくないサイトやなんかは、携帯から見るか。
「あーあ」
 がっくりとあたしはうな垂れた。
「マスター、あの、本当にごめんなさい」
 おそるおそる、KAITOはあたしの顔をのぞきこむ。
「ああ、うん、いや、もういい。とりあえず、あたし、ちょっと疲れたわ。今日のところはこれで終わりにしよう。もう戻っていいよ」
「戻るって、パソコンの中に?」
「他にどこに戻るっていうの」
 あんたはアプリケーションソフトでしょうが。妙に感情表現能力が高いから、忘れてしまいそうになるけれど。
 KAITOはきゅっと口をつぐむと、ふるふると小刻みに首を振った。
「いや、です……」
「はぁ?」
「嫌です。戻りたくありません」
「……なんで?」
 まさか反抗されると思わなかったので、あたしは困惑する。
「……戻りたくありません」
「理由を言いなさいよ、理由を」
「……」
 問い詰めると、KAITOは目をそらした。
 どうしたっていうのだろう、本当に。さっきまでの態度とはずいぶんな違いだ。
「KAITO?」
「……」
 じりっと彼は後ずさる。あたしはずいっと大きく踏み出し、KAITOに近付いた。
「理由を言ってくれないと、あたしとしてもどうしようもないんだけど。たんなるわがままなら聞く気はないけど、なんか重大なワケがあるなら、譲歩する気はなくもないよ」
 腕を組み、KAITOを見上げる。KAITOは一瞬あたしを見たが、すぐに視線をそらした。
「ここにいたいんです」
「いていいよ。でも普段はPCの中にいてくれって言ってるの」
「ずっと外にいてはいけないですか?」
 聞き逃してしまいそうなほどの、小さな声。
「はっきり言って、無理。あたしはあんたが実体化したプログラムだと信じている、というか信じざるを得なくなったというか……。とにかくそういうものだというのは理解した。マンガなんかでも、珍しくない設定ではあるし。だから、あたしは別にあんたが出ていたければそうしてもかまわないの。でも実際にはそうしたら、あんたが困ることになる。だから戻れって言っているのよ」
「……俺の、ため?」
「そ。あ、もしかして気づいていなかったかもしれないけど、ここに住んでいるのはあたし一人じゃないからね。両親っていうのがいるのよ。あと犬が一匹。一応これでも一人娘だから、なにかとうるさいんだ。二人とも、いきなり青い髪のでかい男が家の中にいたら驚くと思う。……驚くだけですめばいい方かな」
「あの、でも、俺がさっきやったみたいにパソコンに出たり入ったりするところを見せれば、俺が人間じゃないということはわかってもらえると思います」
 両手をもじもじと動かしているけれど、KAITOは引かない。
「人じゃないということはね。でもそれがわかったら余計面倒なことになると思う。あたしの両親は別に悪人じゃないけど、あたしの思い入れを理解して応援してくれるほど、あたしの趣味に対して好意的なわけじゃないもん。またゲーム買ったのかとかマンガが多すぎるとかいくつ人形買うつもりだとか。……人形じゃなくてフィギュアだっての」
 大事にしていた雑誌のバックナンバーを勝手に捨てられて泣いたことが何度かあったし、それに、ゲームに夢中になっていたら、いきなり電源コードを抜かれたこともあったっけ。それで大喧嘩したこともあるんだよね……。
「あ、あの、マスター」
「あ、ごめん、思わず自分の世界に入ってしまった。とにかく、あんたが人間じゃないと証明されても、どうしようもないの。むしろ、プログラムなんだからアン……じゃなくて、アから始まる怖い言葉でもしてしまえばすむって、考えるかもしれないし」
「それは嫌です!」
「どうしても外にいたくて、そのためにお父さんたちを説得するっていうなら、それはあんたの勝手よ。でもあたしがどうにかしてくれるだろうって期待しているんなら、それは無理だからね。話が決裂した場合、あたしにはあんたを守りきることはできないだろうし」
「……」
「あたしの部屋には鍵はかからないし、あたしがいないときにPCをいじられたらそれまでだよ。第一、あたしがあんたに加勢したところで、あたしは扶養されている身なんだから、お小遣い停止だとか、進学費用は払わないとか言い出されたら……悪いけど、どっちを切り捨てるかは、言わなくても理解してくれるといいなーと思う」
 KAITOは唇をかんでうな垂れた。外の世界に出てきたばかりの彼には厳しい内容だったかもしれない。だけどこれで折れてくれればと思い、あたしはあえて優しい言葉はかけなかった。さあ、どうでるか。
「…………パソコンの中には、戻りたくありません」
 たっぷり間を空けて、KAITOは否と答えた。なんて強情。
 参ったなぁ、どうしよう。
「なんでそんなに嫌なわけ? 嫌だ嫌だって言っていればなんとかなるなんて思わないでよね!」
「思っていません」
「じゃあ理由を言いなさいよ!」
「言っても、マスターはきっと理解してくれない。……にんげん、なんだから!」
 振り絞るようにKAITOは叫ぶ。それは胸がえぐられるような声だった。
 けれどあたしが感じたのは、同情よりも苛立ちだった。
「……そうだよ、あたしは人間だよ。だからせっかく言葉が話せるようになったのにそれを使おうとしないアプリの気持ちなんて全然わかんないよ」
「マスター」
「中に戻りなさいKAITO。そしたら電源を落とすから。長々とあんたにつきあわされて、いい加減疲れたっての」
 あたしは立ったままマウスを動かした。KAITOのエディタを終了させ、タスクバーのスタートにカーソルを移動させる。早く戻れと言外にKAITOを促した。
 KAITOはその場に縫い付けられたように突っ立っていた。今にも泣きそうに顔をゆがめて。
(泣きたいのはこっちだって)
 変な奴だけど、上手くいくかどうかわからないけど、それでも一緒にやっていこうと思った。なのにあいつはあたしが人間だからと、拒絶したのだ。
 無茶苦茶言うな、人間以外にアプリケーションソフトを使う存在がいるもんか。矛盾しすぎだ、このバカイト!
「マスター」
 半分泣き声で呼ばれるも、あたしは無視した。
「マスター……。ごめんなさい、マスター」
 ぼたぼたと大粒の涙がこぼれ落ちる。ここで情けをかけてはいけないと、あたしはマウスを握る手に力をこめた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。でも、俺、どうしていいかわからないんです。マスターの命令に従わなくちゃいけないってわかっているのに、怖くてどうしてもダメなんです」
「怖くて悪かったね」
「怖いのはマスターじゃなくて、パソコンに戻ることです!」
「なんでそんなことが怖いのよ」
「……うぇぇぇ……」
 KAITOは本格的に泣き出した。あー、もう、話にならん。
 あたしは肩を落すと、マウスを放した。
「やめた」
「え?」
「もういい、やめる」
「え、えと……」
「疲れたっていったでしょうが。もうやってられない、こんなこと!」





マスターちゃん、ぶちギレました。
そして後半、アイス話でシリアス打開しようと思ったのに、長くなったので入りきれませんでした。
つーことで、次回こそはアイスネタやります。


追記:とある棒の歌は、(オリジナルはレンだけど)、KAITOのイチとゼロのデュエットバージョンが一番気に入っています。←誰も聞いていません。



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