相当派手でも負けそうにない。
 意外にギャル系もいける。
 カジュアルももちろんOK。
 その代わり、あまり似合わなそうなのは、お嬢様風のファッション。
 それがわたしの、ローラを着せかえ責めにした上での結論だった。

「お待たせー。結構時間かかっちゃったね。暇じゃなかった?」
『やっと終わった……』
 楽しくて胸がはちきれそうなわたしとは逆に、すぐ後ろにいるローラは覇気がない。勝ち気な美貌には疲労の色が濃く、解放されてげっそりしていた。彼女はわたしの後ろをすり抜けると、自分のマスターのところにさっさと行ってしまった。どうやらわたしは彼女を振り回しすぎたようだ。
 ローラに用意した服を一通り着せてみて、さらには着せる予定のなかったものまで着せた上に、数種類のファッション誌をめくってわたしの持っている服の系統以外のもので合いそうなもの検討したのだ。ローラの服はカイト同様、脱いだら消えてしまうだろう。だから自分の衣装の上からわたしの服を着てみる、という状況だったので、なかなか大変だった。サイズが小さいので、どれもこれも途中で引っかかってしまったから。
「おう、お疲れ。どうだった?」
 ジョーさんは駆け寄ってきたローラの肩をぽんぽんしながら、ねぎらいの声をかけてくる。先輩はあぐらをかいてすっかりくつろいでいた。一方カイトはジョーさんの向かい側に畏まって正座している。これではどっちがこの部屋の住人なんだかわからないではないか。
「やっぱり、はいるもの自体がありませんでした。いっそジョーさんの服を着せちゃえばいいんじゃないですか?」
 それならサイズ的に困るということにはならないだろう。ローラは女性としては身長がかなりあるけれど、肩幅も結構あるから、ダボダボとしすぎることはなさそうだし。今日着てきた革ジャンもそうだったもの。
 とはいえ全身男物、しかもサイズが合っていないという格好で服を買いに行ったら、さすがに奇異の目で見られそうだが。
「やっぱり無理か。ま、しょうがねえや。ダメもとだったしな。でも俺の服か……」
「わたしの見立てでよければ、一式買ってきてもいいですけど。サイズは測らせてもらいましたから、その辺はなんとかなるでしょうし」
 服の上からだけど、メジャーをあてさせてもらった。もともと身体のラインがくっきりでている衣装だったから、メリハリのあるボディラインだということはわかっていたけれど、実際に数字を目にしてしまうとそれがいっそうよくわかる。……ため息しかでないとは、このことだ。けれど自分とはかけ離れすぎていて、羨ましいと思うことすらできない。もう、この極上の素材をどう料理したものかと興奮してしまった。そしてその勢いはまだ尾を引いているようだ。
 わたしはカイトの隣に座る。ローテーブルは長方形なので、ちょうど男女が向かい合う形になった。テーブルの上に寝室から持ってきた雑誌を広げ、ジョーさんによく見えるように置く。特にローラに似合いそうと思ったページには付箋を張っておいた。普段自分用に買うのは一冊だけだけど、それだけでは物足りなくて、さらに数冊買い込んでみたのだ。カイトの服を選ぶのも嫌いじゃないけど、やっぱり女物の方が見ていて楽しい。
 わたしがローラに似合いそうな服のポイントを話し、ジョーさんはそれにふんふんと頷きながらページをめくる。彼は時々ローラに話しかけ、彼女の好みを聞き出した。着せかえごっこにうんざりしても、やはりマスターの質問は邪険にできないようだ。
 カイトの時もそうだったけれど、ローラも特に好みの服というものはないらしい。マスターが好むものならそれで良し、それ以外なら自分が元々着ているものと似たようなものが落ち着くのだそうだ。
 話題がローラ中心になったので、わたしもジョーさんも会話は英語に切り替えている。そうなると当然ながら、カイトはおいてけぼりだ。手持ち無沙汰な様子で自分からは逆さまになっている雑誌を目で追いかけるだけ。
 この話が終われば次はカイトの出番だからと、ちょっと気にしつつも、まずは目下の話題に集中する。
 ローラが一番似合いそうなものは、わたしの見立てではあれなのだ。南米の女の人、という感じの原色タンクトップにショートパンツの組み合わせ。そしてブラはつけない方がよい。……けれどもう十一月なのだから、さすがにそれにするわけにはいかないだろう。そしてノーブラというのはどうなのだろうかという葛藤があった。
 わたしの目から見れば、ノーブラタンクトップでも、ローラのような小麦色の肌なら色っぽいというよりも、むしろ健康的だとしか感じないのだが、彼女のマスターはわたしではない。男性目線ではどうなのだろうと思うと、なかなかそっち系は勧めにくかった。
『……で、これからもっと寒くなるわけだから、もうセーターを買った方がいいと思うんですよね』
 その中でも特にわたしがいいと思ったのは、モヘアのセーターだ。色は白系で、襟ぐりが広めのものが素敵だと思う。ローラは鎖骨が綺麗だから、そこは見せた方がいいと思うのよね。重ね着すれば、寒そうとは思われないだろうし。
 ボトムスはショートパンツかタイトスカートにタイツを合わせる。スカートならヒョウ柄を勧めたい。
『セーターなぁ。あれって洗濯面倒じゃないか?』
 しかし気が進まなそうにジョーさんはぼやく。
『うちはホームクリーニング剤で手洗いしていますけど。高いものならクリーニングに出しますけど、普段着るものにそこまでお金かける気にはなれませんから』
『そうなのか? なんか毛糸のやつだと洗うと縮むっていうから、俺、いつもクリーニングに出してた。それが面倒で、あまり着なくなったんだよな』
 わたしとジョーさんの会話を視線で追いかけていたローラが軽く指をあげて、加わるよと合図した。
、手洗いというのは難しいこと?』
『全然。洗剤の容器にやり方が書いてあるから、その通りにすればいいだけだもん。あ、でもそれって日本語で書いているのか……』
 ローラは日本語、読めないよね。そしてカイトの例を思えば、英語で書いていてもわかるかどうか怪しそうだ。
『書いているのを読むだけなら、俺がやってもいいけど。でもどうしてもセーターっていうなら、基本的なやり方くらい教えてくれよ。ローラにな』
 先輩はまったくやる気がないんですね。
 まあ、ボカロとはいえ、異性だからなぁ。わたしも洗濯だけは自分でやってるし。……いや絶対にもう普段の服から下着まで、何を持っているかカイトには知られているのだろうけど、それでも越えたくない一線というものはあるのだ。
『それくらい構いませんよ。ローラ、絶対白が似合うと思う。あ、そうだ』
 わたしは立ち上がり、寝室にマフラーを取りに行った。今年買ったものは白地にグレイのチェックが入ったものなのだ。
『こんな感じになるんです。よくありません、ジョーさん?』
 マフラーをローラの首にかけて雰囲気を伝える。
 彼女の衣装は黒が主体で光沢がある。髪も黒くて背が高いので、硬くて厳つい印象だ。それが真逆の白とふんわりした素材で柔らかい印象に変わる。冬だと暗めの色合いの服が多くなるから、白だと明るくなるということもある。
『へぇ……』
『ね、いいでしょう?』
 実際に見せてみて、ジョーさんの感想が変わったようだ。別にここで買うものを厳密に決めなくてはいけないということはないけれど、どうせなら彼女に似合うものを買ってあげたいじゃない。お金を出すのはわたしじゃないけれど。……いっそのこと、一足早すぎるクリスマスプレゼントということで、わたしからも何かあげようかな。ジョーさんが買ったものとも合わせやすいものがいいよね。
「マスター」
 どんなものがいいかなと、自分の服を選ぶとき以上にわくわくしていたら、横にいたカイトが久々に声を発した。
「何?」
 カイトは拗ねているようだが、それを表情にださないようにしているようだ。真顔に近いがそこはそれ、つき合いが長いので読み間違えたりはしない。ちょっと放置が長すぎたかな。でも今はローラの話をしているんだし。
「どうかしたの?」
「マスター、ちょっと俺のコートを着てくれません?」
 言いながら、カイトは自分のロングコートを脱ぎだした
「なんで?」
 唐突すぎる要求に、わたしは素直な問いを発する。
「マスターのボーカロイドは俺だからです」
 意味がわからない。
 顔に出ていたのだろう、カイトはさらに続けた。
「だから、マスターが一番構わないといけないのは俺のはずでしょう。ローラさんのマスターはジョーさんですよ。マスター、ジョーさんよりローラさんのことを構っています」
 だから釣り合いをとるためにも、俺がマスターに構われるんです、とカイトは真剣な口調で言った。
 回りくどいが、結局、わたしがカイトを放っておいてローラの話ばかりしているのが気に食わないということなのだろう。
「あー、後でね。……て、カイトのコートを着るなんて無理じゃない。だって、消えちゃうんでしょ?」
 今はカイトが自分の腕にかけているから消えていないようだけど。
「俺がずっと触っていれば大丈夫そうなので、やるだけやってみてください」
「えー」
 カイトのコートねぇ……。
 日常的に着られるようなデザインではないものの、きれいな白と青のコートにはやっぱり関心があるんだよね。でもだからって、盛り上がっている話を中断させてまでそれをわたしに要求するなんて、空気を読まないにもほどがある。
「後で。気が向いたらね」
 これでこの話は終わりだよと、わたしは片手を振った。カイトの顔が瞬時に曇る。
「マスター、ダメ?」
「ダメ」
「マスタァ」
 こっちのやりとりにローラが気遣わしげな視線を送ってくる。カイトが彼女の名前を連呼したから、この微妙な雰囲気は自分が原因だと思ったのかも。まったく、カイトってば。
 わたしは何でもないよと、カイトの頭をぺしぺししつつ話を再開しようとした。けれどそれより先に響きわたるカイトの声。
「マスター、ごめんなさい!」
 彼は勢いよく頭を下げる。
「ごめんって、何がっ……。ちょっと、何。やだぁ!」
 ぐいっと腰を引かれ、カイトの腿の上に座らされる。それから腕を取られた。
「ちょっとだけ。ちょっとだけでいいですから。すぐ終わりますから!」
「なー!?」
 どうやらカイトはわたしの背中と自分の胸の間にコートを挟むように広げているようだ。そして必死の形相でわたしの腕を袖に通そうとする。だが羽織ものであっても、着せてもらう心構えなんてできていなかったのだ、ひっかかって上手く袖に通らない。それでも遮二無二押し込もうとするものだから、軽く腕がひねられるような格好になった。
「カイト、痛い。痛いってば!」
「ああ、ごめんなさい、マスター。じゃあ、あの、自分でちゃんとやってください」
 うろたえつつも、腰を放す気はないようだ。わたしの腕こそ自由になったが、こんな無茶な扱いをされて、誰がほいほい言うことを聞くものか。
「ふざけるな、馬鹿!」
「馬鹿はマスターです!」
 怒鳴るとカイトも負けじとと吠える。
 耳のすぐ近くでボーカロイドの本気の大声を聞かされたのだ、びっくりしたなんてものじゃない。一瞬殴られたのかと思うほどの衝撃が頭に加わり、めまいを起こした。
「ああっ、マスター!」
「おい、大丈夫か?」
 ジョーさんが焦った様子で腰を浮かした。カイトは心配そうな声をあげたものの、弾かれたようにわたしを抱えたまま、ジョーさんに背を向けるように身体を回す。
「おいこら、カイト!」
 テーブルのこちら側に回ってきたジョーさんが、カイトの肩をつかんだ。カイトの身体が強張る。抵抗こそしないものの、譲歩するつもりもないようで、彼はふるふると肩を揺らしながらジョーさんと対峙していた。わたしはふらつく頭でどうにか事態を把握しようとする。カイトの頬はもう泣き出す直前のように赤くなっていて、わたしの視線に気づくと、悲しそうに顔を伏せた。
「マフラーくらいはって、思っていたのに……。それすらローラさんが先だなんてひどい、ずるい! 俺がお願いしようとしていたのに。他は無理すぎるからって我慢していたのに……! マスターの馬鹿。鈍感!」
 ……原因はマフラーなのか?
 まるで釈然としないけれど、これはわたしが悪いのだろうか。
「なあ、カイト」
 そこへ心持ち柔らかい、けれども返答を拒否させない強さでジョーさんが呼びかける。
「さっきの話、もう忘れたのか。頑張るんじゃなかったのか?」
 カイトは浮かんできた涙がこぼれないよう、せわしなく瞬きをしながら、震える声で宣言する。
「明日から頑張ります」
 ジョーさんはため息をついた。
「カイト、それは失敗フラグってやつだぞ」
 カイトは居たたまれなさそうに肩を縮める。ぎゅうっと我が身を守るように腕に力を込めたので、わたしはさらに強く抱きしめられる格好になってしまった。頭から背中にかけて密着しているので、カイトの胸の筋肉が細かく動いているのが伝わってくる。泣かないように呼吸を整えようと必死なのだ。こっちは襲われているようなものなのに、肝心のカイトがこれだもの。抵抗する方が悪いような気になってしまう。
「カイト」
 落ち着こうとはしているようなので、刺激をしないよう、わたしは静かに呼びかけた。
「……ごめんなさい」
 しかしごめんと言いつつ、腕の力は変わらない。これは久々にこじらせてしまったようだ。
(どうしよう……)
 この部屋の空気!
 気まずいなんてものじゃない、針のむしろだ。この場をどう取り繕えばよいのだろう。今のわたしの状態だけなら、この野郎とカイトに肘鉄でも食らわせて、ひるんだところを突き飛ばせば脱出は可能だろう。後は寝室に連れていってひとまずの説教をしてからジョーさんたちに謝って、続きは後日にでも、とするのが当たり障りのないやり方だろうか。
(でも、根本的な解決にはならないよね)
 わたしはどう動いたらよいのだろう。どうしたらカイトに響くように納得させられる? 今までだってどれだけ上手くいっていたのか、わかったものじゃないのに。
「KAITO」
 次の言葉を探して頭をフル回転させていると、ローラがすっと立ち上がった。表情の消えた顔はよく出来た彫刻のようだ。ただひたすら整っているだけの、無機質なもの。
 彼女はジョーさんの耳になにやら囁く。ジョーさんはカイトから離れ、場所をローラに譲った。
 ローラはカイトの前に膝をつき、ゆっくりと瞬く。そして再び開かれた琥珀色の瞳は、はっきりとした非難の色が宿っていた。
『あなたはマスターに害を与えることすら許されているの?』
「……えっと」
 ふっとカイトの腕の力が緩む。対応に困ってこっちに向ける意識が弱まったようだ。
『前にあなたがわたしたちの家に来たとき、があなたに対して迷惑そうにしているように見えたの。だからわたしは、あなたはに好かれていないのではないかと思ったわ。だけどマスターが、仲がいいからお互い遠慮なくつきあえているのだというようなことを言った。……だからそういうものだと思っていたわ。けど』
 ローラはかすかに首をかたむける。波打つ黒髪が肩をすべり、胸の前で揺れた。
『やっぱり、わたしには理解できない。確かにマスターとやりとりをするのは楽しいことだわ。けれどやってよいことと悪いことがあると思うのよ。わたしたちはソフトウェア、マスターから指示を与えられて動くものよ。なのに、どうしてあなたがマスターたちを振り回すの? 逆でしょうに。それともカイトは本当に、から何をしても許すという許可を得ているの?』
「ローラさん……」
 カイトは異国の言葉で語りかける同族を見上げ、それからうなだれた。カイトの表情をうかがうと、彼は情けない顔でわたしを見つめている。英語がわかりません、助けてください、と視線で訴えてきていた。
『もちろん、そんな許可は出してないよ』
 カイトの代わりにわたしが答える。カイトに後ろから抱きかかえられたままでは格好がつかないが、どうやらこの男はローラに怒られているということだけは理解しているようで、言葉がわからない心細さからか、また腕の力が強まったのだ。……脱出できない。
『カイトってご覧の通り、取り乱しやすいのよね。最初の頃なんてもっと力の加減ができなくて、何かの弾みで怪我をするんじゃないかと思ったくらいよ。だから、約束させたの。マスターには抱きつくな……必要以上に近づくんじゃないってことをね』
『じゃあ』
 ローラにはみなまで言わせず、わたしは肩をすくめた。
『そ、これは約束違反』
 だから「ごめんなさい」だったんだろう。駄目だとわかってはいたけれど、我慢しきれなかったのだろうな。我慢しきれなかったが、出来る限りは我慢したのだろう。これを前進と見るか、もっと頑張れと捉えるか、難しいところだ。
は許すの?』
『許す許さない以前に、カイトが爆発した理由がどうもよくわからなくて。怒る気にはなれないのは確かだけど。本当、どうしようってところ』
 ローラはしっかりしてよと言いたげに眉を寄せる。
『わたしがやマスターの服を着たから……のように見えたけど』
『そうらしいね。小さい子供がそういう焼きもちを焼くことがあるから、それと似たようなものじゃないかと思うんだけど……』
 弟や妹ができた上の子が、親が以前ほど自分に関心を向けてくれなくなったので赤ちゃん返りを起こした、というものに近いのではないかと思うが。そう言うとジョーさんもその説に賛同してくれた。そして先輩はわたしたちが寝室にいる間にカイトとした会話をざっくりと教えてくれたのだ。だからマフラー云々の意味はわかったけれど、それにしてもわたしの服を着たいなんて何を言っているんだと、思わず頬がひくつく。
 ローラは軽く頭を振った。
『そういうことなら、カイトはわたしが嫌いなんでしょうね。わたしがいなければ、この時間もはカイトと過ごしていたはずでしょう。それをわたしに横取りされてしまったことになるもの』
『どうかなぁ。焼きもちは焼いていても、それがすぐに「嫌い」につながるとは限らないよ。カイトはローラをこっちに世界に引き出してしまったことをすごく気にしていて、あなたがどうなるか、心配していた。その気持ちに嘘はないと、わたしは思ってる』
 甘すぎる解釈かもしれないけれど、カイトは嘘がつけない性格だから。当たらずといえども遠からずだと思うのだけど、単純に考えすぎかな。
 ローラは下唇を軽く噛んで、とんとんとリズムを取るように自分の膝を指で叩いた。
『じゃあやっぱりあなたたちは、マスターが言っていた通り仲がいいということでよいの?』
『そうだね』
『カイトはずいぶん面倒くさそうな男だけど』
 わたしは声をあげて笑ってしまった。
『確かにね。わたしもよく今までカイトのこと、見捨てないでこれたわ。……結局、好きだからだろうね』
 血のつながりはないから家族愛と言えるかどうかわからないし、ときめくわけでもないから恋愛感情でもないけれど。
 わたしは改めてカイトを見やった。青い目はすがるようにこちらに向けられている。青いインナーと、黄色い矢印がはいったズボン姿のボーカロイドは、人間から審判が下されるのを震える唇を引き結んで待っていた。
「マスター」
 恐る恐る、カイトはわたしを呼んだ。この体勢ではどうにもならないので、彼の手首を握り、束縛から逃れる。今度はあっさりしたものだった。それからカイトに向き合い、話し合いの姿勢を取った。
「カイト、あのね……」
 わたしはしゃがみこんでカイトと目線を合わせた。それからローラの誤解について説明する。カイトは何度か頷いて、ローラが嫌いだということはないと断言した。ごめんなさいともう一度謝ったので、わたしはカイトの頭をわしゃわしゃとする。
「わたしも少し無神経だった。でも男物よりも女物の方がデザインとか色とか、種類が多いからなぁ。どうしても力がはいっちゃうのよね」
 でも別に、カイトのことを蔑ろにしたつもりはなかったのだ。わたしとしては女友達とその友人の男性とファッション談義をしていただけという感覚だったので。カイトと話していて盛り上がるのは、また別のものだから比べられるようなものではないし。
「はい、わかってはいたんです。それにマスターが楽しんでいるのを邪魔したかったわけでもないんです。ごめんなさい、いつまでもしっかりできなくて。俺、自分が情けない……」
 また頭を下げようとしたので、わたしはそれを止めた。カイトは頭を上げて、ちらりとローラを見やる。何か? と彼女は片眉をあげた。
「マスター、お願いがあるんですが」
「言ってみてよ」
 聞くかどうかは内容次第だ。
 カイトはごそごそと居住まいを正すと、精一杯表情を引き締める。
「俺、英語が話せるようになりたいです。みんなの輪の中に入れないのがもどかしいです。前みたいにマスターが学校に行っている間に勉強するにしても、何をどうしたらいいのかわからなくて。それで、マスターに面倒をかけてしまいますけど、教えてもらえないでしょうか」
 おお、と言いながらジョーさんが手を打ち合わせる。
「そっちの方が早いかもな。ここは日本だからさ、ローラに日本語を覚えてもらうつもりでいたけど、俺も色々忙しいからなかなか進まないんだよな」
 そう、その予定だったのだ。しかし、
「ジョーさぁん、より手間がかかること、わたしに押しつけてません?」
 そろそろ就活が本格化するのは知っているけど、それにしても、だ。
「嫌なのか?」
 ジョーさんは問う。
「そんなことはないですけど。英語なら、覚えても損はないでしょうから」
「マスター」
 カイトは膝にのせた拳をぎゅっと握りしめた。瞳に光が戻り、安堵と喜びが混じった雰囲気になる。回復したのが丸わかりだ、現金な奴め。でも、この方がカイトらしい。
 そんなカイトを横目にしつつ、わたしはこめかみに指をあてた。名前を思い出そうとするが、しかしでてこない。
「たーしーかー、英語学習ができるゲームソフトがあったはずなのよね。本体は持っているし、よさそうだったらそれ買ってみようか」
 わたしは学習ソフト系には興味がなかったので詳しくはないけれど、結構な種類がでていたはずだ。あとはありきたりだけど、洋画を見たり洋楽を聞いたりとかかな。それに英語しか話さない英語デーというのも作ってみよう。カイトは暇を持て余しているところがあるので、時間がなくて勉強できない、ということだけはないはずだ。あとは本人の努力次第だろう。
「あ、それなら俺、自分のお小遣いから出します!」
 カイトが元気よく手をあげる。
「もらってんのか、小遣い」
 つい、といった口調でジョーさんがつっこむ。
「アイス代三千円と食費の残金が俺のお小遣いです。でも最近クオカードとかスーパーで使える商品券が何度か当たっていて、先にそっちを使っているので、余っている分があるんですよ」
 カイトは自分のものをほとんど買わないからね。せいぜい懸賞で使うはがきとか切手代くらいだ。ネット応募や店頭応募だと、それすらいらないから、まあ、貯まるよね。
にはあげねぇの、そういうのって」
「マスターは図書カード以外はいらないそうなので」
 カイトは基本的に本は買わないからわたしがもらっている。毎月結構な量を買っているので図書カード当選は本気でありがたかった。わたしも現金だなぁ。
「ふーん……」
 ジョーさんは何か考え込んでいるように、唇の端からちらりと舌をだす。
、さっき言ってたゲーム機で勉強できるってやつ、日本語を覚えるためのものもあるのか?」
「どうだったかな。漢字の勉強、とかならあったような気がしましたけど、日本語全般となるとわからないです」
「そうか。まあ漢字もいいけど、先に会話の方だよな。ところでカイト、もしかして、そのゲーム機が懸賞で当たって余っているってことはないか」
「さすがに、それは」
 カイトは困ったように眉を寄せた。
 ジョーさん、たかろうとしていましたか。先輩も現金ですね。いや、本当に余っていたら、あげてもよかったですけど。
「そういうものは当選人数が少ないからなかなか当たらないんですよ。でももし当たったら連絡しますね」
 カイトがにこやかに言うと、ジョーさんは苦笑いして手を振った。
「言ってみただけだって。本気でかっぱらおうとしたわけじゃねぇよ」
 本当だろうか。
 わたしも苦笑する。
「えーと、じゃあ、これからカイトは英語の勉強もするということでいいのね」
 念のため、カイトに確認をとった。
「はい、頑張ります」
 やる気のみなぎったきらきらした目でカイトは頷く。
 ジョーさんは首の後ろに手をやり、ぐりっと回した。
「こっちは、ローラに日本語を教えることと、あと家事全般ってとこか」
「あっ!」
 カイトが顔色を変えて大声を出す。今度は何だと三人の目がカイトに集中した。
「すみません、俺が騒いだばっかりに。もうお昼の時間です。作りますね!」
 この四人の中で一番料理が上手なのはカイトなのだ。だから時々ローラをうちに派遣して、少しずつ覚えてもらおうという段取りでいる。とはいえカイトの「料理上手」がどの程度のレベルなのか、ジョーさんは知らない。だからそのお披露目もかねて今日はうちに集まったのだ。
「何作るんだー?」
 母さん今日の飯は何? という雰囲気でジョーさんは聞く。
「豆乳を使ったパスタです。マスターがバイト先のまかないで出されておいしかったって、レシピを教えてもらってきたものです。あ、豆乳嫌いだったりしませんか?」
 キッチンに飛んでいったカイトはがたがたと鍋やらまな板やらを引っ張り出しながら答えた。
「パスタも豆乳も嫌いじゃねぇよ。でも、お前って本当に……」
 ジョーさんは困惑げに頬をかいた。
「どうかしたんですか?」
 言葉を濁した先輩に何が本当なのかとわたしは問う。ジョーさんはかすかなうなり声をあげたが、いや、と首を振った。
「なんでもない」






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