ジョーさんがローラさんを連れてうちに来るよ、とマスターが言ったのは、二日前のことだった。
 それから俺は、部屋中をぴっかぴかに磨いて、初めて部屋の中まで入れるお客さんを迎える用意をしたのだった。

「おお、KAITOだ」
 午前十時過ぎ、到着したジョーさんは俺を見た途端そう口にした。VOCALOID KAITOの正装をした俺を見たいというジョーさんの要望をマスター経由で伝えられていたので、俺は朝から着替えずにいたのだ。
「どうですか?」
 俺はくるりと回ってみせた。青いマフラーがたなびき、白いコートの裾がひらりと広がる。
 マスター以外の人にこの格好を見せたのは初めてだけど、ジョーさんは俺の正体を知っている。だから俺は心の底から堂々とできた。隠し事をしなくていいって、やっぱり気が楽だなぁ。
 ジョーさんの視線は上から下に移動した。頭のてっぺんから靴の方までまじまじと俺を観察する。
「やっぱりパッケージと同じものを着ているんだな」
「そりゃあ、そうですよ」
「足んとこ、こうなってたのか。スニーカーだったんだな」
「ええ、パッケージだと、見切れてますからね」
 全身がわかるようなちらしもあるようなんだけど、ジョーさんは見たことがないらしい。
 俺は片足を上げた。ズボンの裾が少し持ち上がり、はいているものがしっかり見えるようになる。
「それにしても微妙だな」
「マスターにも褒められなかったです……」
 独り言のようなぼそっとした呟きに、俺は少し肩を落とした。マスターとジョーさんの二人に言われるということは、俺の靴ってやっぱりイマイチなのかな。いや、でも、コートはマスターに気に入られているからいいんだ!
「カイト、立ち話してないで、早くジョーさんたちに入ってもらってよ」
 気を取り直そうとしているところへ、背後からマスターの突っ込みが入る。
「あ、そうでした。ジョーさん、ローラさん、中へどうぞ!」
 二人が部屋にはいれるように、俺は後ろに下がる。ジョーさんの背中に隠れていたローラさんの顔が見えた。ハローなんとかと彼女は言ったが、最初の一語以外、俺には聞き取れなかった。
 そんなローラさんはバイクに乗る人が着るような黒い革ジャケットを着ていた。サイズが大きいようだけど、袖のところをたくしあげたりして、格好よく着こなしている。インカムはなかったが、これら以外は今まで通りの正装のようだった。
「え、えーと、こんにちはローラさん」
 前以上の迫力に、俺はちょっと気圧されてしまった。日本語で挨拶をしたのだけれど、意図はわかってもらえたのだろう、唇を綺麗な笑みの形にして、彼女は俺に何か言った。なんて言ったのかは不明だけど、たぶん元気かとかなにかそういうものだろう。
「ローラ、格好いい!」
 マスターは目を見開いてはしゃいだ声をあげた。
「すごく似合ってる! ジョーさん、やっぱりわたしの服じゃ無理がありますよ。系統が全然違うもん」
 それから先輩に抗議する。
「白シャツとか、そういうのでいいんだがな」
「サイズが合うわけがありません」
 きっぱりとマスターは言う。そうですね、誰がどう見ても、サイズは全然違いますね。そう思ったけれど、横から口を挟んで邪魔をしなかったので、マスターはそのままジョーさんとの会話を続けた。
「一応、ウエストゴムのスカートとか、ゆったりめのカットソーとかは用意してますけど……期待しないでください」
「悪い、面倒かける」
 ジョーさんは片手をあげて苦笑いする。
「それと、すまん」
「何がですか?」
 マスターはきょとんとして聞き返した。
「本当に、新聞紙程度で構わなかったんだが……。やっぱり音とかあるしな。こっちとしてはありがたいが、結構金を使わせてしまったみたいだな」
 ジョーさんは悪いことをしてしまったという顔になっていた。
 玄関からリビングまでの歩けるスペースには、普段はないものがある。複数のキッチンマットにバスマットと玄関マット。それと車の窓のところにつける日除け用の銀色アルミのシート。それからレジャーシートなどが敷き詰められているのだ。ジョーさんからの事前連絡は他にもあって、ローラさんは靴を脱いだらそれが消えてしまうから、新聞かなにかを敷いていてほしいと頼まれたのだ。家の中でも靴を脱がずにすむようにと。
「あ、大丈夫です。全然お金はかかっていませんから!」
 俺はジョーさんの誤解を解こうと慌てて口を挟んだ。
「でもよ」
「買ったものじゃないのは確かです。これ、全部カイトが懸賞で当てたものですから」
 マスターは腕を組みながら複雑そうな笑みを浮かべた。
「懸賞?」
 軽く目を見張って、ジョーさんが聞き返す。俺は勢いよく頷いた。
「そうです。俺、懸賞はがきを書くのが趣味なんです。ネット応募もしますけど」
「当たったはいいものの、使わないものも結構あるんですよね。この中では車用の日除けが特にそうかな。車なんて持ってないから」
 マスターは小首を傾げつつ補足してくれた。
 そしてうちでは新聞を取っていなかったので、汚れを防ぐために新聞紙を敷くということができなかったのだ。マスターはニュースのチェックはパソコンですませているから。
 とはいえ、新聞くらいコンビニに行けばいつでも売っている。だけど数百円とはいえ、わざわざお金を出すよりも、まずは家にあるものでどうにかできないかとマスターに提案されたのだ。そして色々探してみたらこれだけあったというわけ。
「意外な趣味だな」
「実益を兼ねています。結構当たるんですよ、俺」
 ぐっと親指を立てて威張ってみた。昨日もペットボトル入りのお茶が一箱届いているのだ。
「へー。これ全部当たったやつなのか」
 当たるものなんだなと彼は感心したように言った。
「ところで本当に土足していいのか? あ、もちろん俺は脱ぐが」
 床を指差してジョーさんは問う。いいですよとマスターは明るく言った。そして布を差し出す。それはローラさんの靴の裏を拭うための雑巾だった。
 リビングに二人を通し、とりあえず適当に座る。……はずだったけれど、小次郎さんに気づいたローラさんが「何これ?」という顔でケージに近づいた。きっと本物の犬を知らなかったのだろう。もしかしたら映像などでもまだ見たことがないのかもしれない。
 マスターはローラさんに嬉々として小次郎さんを紹介しはじめた。英語でしゃべっているから確かじゃないけど、ここで他に何を話すというのだろう。
 マスターはケージを開けて小次郎さんを外に出した。ローラさんは少しひるんだ様子で後ろに下がる。マスターは小次郎さんを抱き上げて、ローラさんに近づけた。ローラさんはちょい、と小次郎さんの前足をつつくように触れる。彼女の指先の匂いをかごうと、小次郎さんが身を乗り出そうとしたので、ローラさんはびくっとして手を引っ込めた。そんなローラさんにマスターが大丈夫だよというように笑顔で小次郎さんをなでる。ローラさんは再度真剣勝負でも挑むように、小次郎さんに近づいていった。
 二人が落ち着くまで長くなるかもと、俺は先にジョーさんをおもてなしすることにした。
「ジョーさん、何か飲みますか? マスターは未成年なのでお酒の買い置きはありませんが」
「んじゃ、冷たい茶」
 俺は冷やしていたペットボトルを人数分持ってきた。それを飲みつつ男同士で時間をつぶす。
「綺麗にしてんのな。いつもカイトがやっているのか?」
「そうです。初めてのお客様ですから、いつも以上に頑張りました」
 マットだのシートだので隠れてしまった部分も大分あるけれど。
 俺の返答にジョーさんは太い眉を訝しげに寄せる。
「まじで。友達呼んだりしないの?」
「俺は友だちと言える人はいませんし、マスターは外で会ったりマスターが出かけたりして、こっちには呼ばないように調整しています。学校から結構距離があるから、どうしてもうちに来たいという人は今のところいないようですよ」
 家に呼んでしまうと、俺たちの生活の不自然さに気づく人が出てくるかもしれないからって。けど、いくら俺でもお客さんがいる時にパソコンに出入りしたり、検索したりして自動的にパソコンが動いているように見えることをするつもりはないけれど。でも、そういうことをしなくても、普通の人間が二人で住んでいる部屋としてはおかしい点があるのかもしれない。だけど俺では、そのおかしい点があるのかどうかもわからなかった。
「ふうん」
 ジョーさんは相づちを打った。
「ジョーさんはどうするんですか?」
「俺?」
「はい。ローラさんがいても気にせずにお友達を呼びますか?」
 ふと疑問を覚えたので、俺はたずねてみる。ジョーさんは一瞬黒目を上にして、考えたようだった。
「ローラは今のところずっとパソコンから出ているわけじゃないからな。当面は誰かが来た時は戻ってもらうことになるだろうな」
「そうですか」
 こういうのはそれぞれのマスターの考え方次第だ。ローラさんがないがしろにされているわけじゃないはず。俺は自分にそう言い聞かせる。
 俺にとってはマスターとの生活が「普通」で「幸せ」だから、俺たちのやり方と違うことをしようとしているジョーさんを見ると、ちょっともやもやとしてしまうのだ。だけど俺たちみたいな存在と暮らすための正解なんてあるものではないだろう。俺が幸せだと感じることをローラさんも幸せだと感じるとは限らない。実体化させてしまった時の彼女がまさにそれだ。俺は余計なことをしたり言ったりしないように気をつけないと。
「あ、そうだ、ジョーさん」
「なんだ?」
 それはそれとして、ジョーさんならこの部屋に不審なところがあるかどうか、判断できるはずだ。マスターたちはまだ小次郎さんを構っているから、その間にちょっと見てもらえないかな。
 マスターもお友達を呼びたいときには呼んでほしい。どういう人がいるのか、俺も少しは知りたいんだ。その間、俺がいることが気になるなら、パソコンに引きこもってもいいし、外で時間を潰してもいいから。でもできれば同席させてもらえると嬉しいな。
 俺はジョーさんにお願いをすると、彼はマスターが了解するならと言った。なので少し興奮ぎみにしゃべっているマスターの気を無理矢理引いて、同様のことを伝える。マスターはしばし俺が言いたいことが飲み込めなかったようだったけれど、理解してからもなかなか返事をしてくれなかった。しばらく唸ってから、クローゼットなどの物をしまっているところを開けないなら、という条件で許可が出た。
 それならすぐに終わるよね、と俺はジョーさんを連れて部屋の中すべてを見せて回る。
「どうでしたか?」
 わくわくしながら聞くと、ジョーさんは唇を歪めて難しい顔をした。
「ちょっと気になる部分はあった」
「どこですか?」
「けど、人によってやり方が違うところだから、スルーしてもらえるとは思う」
「へぇ。で、どんなところですか?」
「後でに言っておく」
「なんで俺には言ってくれないんですか?」
 もったいぶった口振りに、俺は不満の声をあげる。
「お前に言ってもどうしようもないからだ」
「どうして?」
「改善しようとするなら、金がかかるからだ」
 ジョーさんの返答は明快だった。なるほど、それは確かに俺の管轄外だ。
「いくらくらいですか?」
 でも念のため、聞いてみる。
 ジョーさんはしつこい俺にうんざりとした視線をよこした。うう、でも、気になるんだもの。
「値段はピンキリだろうが、一万円より安くすませるのは難しいだろうな」
 そこまでお金がかかるようなところが不自然なのか……。これは、マスターのお友達を呼ぶのは難しいかもしれない。
 頭を抱えて葛藤する俺の肩をポンポンとすると、ジョーさんはマスターの方へ話しかけた。
。部屋にあった服がローラに貸す予定のやつ?」
「あ、そうです。先に着せてみますか?」
 小次郎さんを構うのは一段落ついたらしく、マスターたちはローテーブルの周りに座ってペットボトルのお茶を飲んだりしていた。
「そうだな、他にもやることあるし、さっさとすませてしまうか」
「わかりました」
 マスターがローラさんに話しかけ、二人とも立ち上がった。ローラさんはマスターの寝室に入る前に革ジャケットを脱ぐと、ジョーさんにそれを渡す。
 そしてリビングには俺とジョーさんと小次郎さんが残された。全員男だけど、全員種族が違う。それがなんとなくおかしくて、笑えてきた。こんな珍しい組み合わせはそうそうあるものじゃないだろう。
「どうしたカイト、にやけて。気持ち悪いぞ」
「なんでもありません。あ、そうそう、ローラさん、似合ってましたね、それ」
 俺は革ジャケットを指差す。
「予想以上にな。間に合わせのつもりだったんだが」
 季節が季節なので何か上着だけは着せる必要があると思ったのだそうだ。もしも夏なら、ローラさんのビジュアルならそういうスタイルが好きなだけの人として通用しそうだったがとジョーさんは笑う。
「こんな住宅街じゃ浮くだろうがな。いや、今日も浮いてたけどな」
「あの格好に合わせないといけないなら、どうしたってそうなりますよね」
 ローラさんは時間で言えば夜っぽい格好をしているからなぁ。そんなローラさんだから、俺の「服を買いに行くための服」を買ったお店にあるようなカーディガンとかセーターではちぐはぐすぎて似合わないのだろう。女の人の服装に詳しくない俺でも、それくらいの想像はつく。
 でもそのせいで、ずいぶん高そうな革ジャケットを用意しないといけなくなったのだろうけど。
 だがあれを買うくらいなら、俺の時みたいに安くてもよいからとにかく一式買ってしまえば良かったのに。着てみたらどうにも似合わない、ということもありえるけどね、俺の時みたいに。
「これは元々俺のだよ。ローラのために買ったわけじゃねぇ」
 素直な感想を告げると、ジョーさんは気づかなかったのかと驚いた顔になった。
「そうだったんですか? すごくしっくりしていたから、サイズ選びだけ失敗したんだと思っていました」
 それはそれですごい。でも、そうかぁ。ローラさんだと自分のマスターの服が着られるんだ。
「いいなぁ……」
「革ジャンに興味あるのか。お前ってどのくらい服代を出してもらってんだ?」
「一回の買い物にかけていい金額というのは特に決まっていないです。マスターのお財布の中身次第なので。秋冬ものはだいたいそろえてもらいましたけど、冬用コートは次の機会でってことになっています」
 だけどコートって他の服と比べると値段が高いものが多いんだよね。それに俺自身は気温に体調を左右されないような造りになっているようなのだ。夏には暑いと感じたけれど、それだけであって汗はかかなかったから。だから冬にコートがなくても問題なさそうではあるけれど、真冬にコートもなしなんて見ている方が寒いからやめてくれと言われている。だからそのうち買うことになるのだろう。
 なるほど、とジョーさんは頷いた。
にはローラの服を買うときにつきあってもらう約束になっているんだ。その時はどうせカイトも来るんだろ? よければ見繕ってやるよ。はこういうのは詳しくなさそうだしな」
「あ、ええと」
 俺はふるふると頭を振る。
「なんだ?」
「いいなぁっていうのは、そのことじゃなくって……その……」
 こんなことを言ったら、きっと呆れられるだろう。でも本当にうらやましかったのだ。俺にはできないことだったから。
「マスターの服を着られるローラさんがうらやましいなあって。だって、すっごく仲良しって感じがするじゃないですか」
 ジョーさんは変なものを見る目つきで俺を見た。
の服が着たいのか?」
「無理なのはわかっていますけど。俺の方が大きいですから」
「サイズの問題じゃなくないか。女ものだぞ?」
「いけませんか?」
 大きさや細かい部分は違うけれど、俺とマスターは似たような服を持っている。デニムとか、綿シャツとか。そういうのならありじゃないかな。はいるならスカートでもいいけど。でも、やっぱり変なんだろうな、この思いは。
「……」
 ジョーさんはローテーブルに突っ伏しそうになっている。ああ、やっぱりそうなんだ。だけど、
「俺の服をマスターが着るのもいいんですけど、俺の着ている物って脱ぐと消えちゃうし……。なら、仲良し服交換をするにはマスターのものを俺が着るしかないじゃないですか。でも、サイズが合わないし……」
 カーディガンなら伸びるし前開きだからできそうな気がするけど、伸びっぱなしになってマスターに怒られそうな気がするから、着るに着れない。
 ふう、とため息をついていると、ジョーさんはお茶を一気に半分ほど飲み干して、息切れしたのか肩を大きく上下させた。それから眉間を揉んで小刻みに頭を振る。それから彼は顔をあげた。その表情は取り繕ったような平常さだった。俺はどうやらとことん彼を面食らわせてしまったようだ。反省。
「消えるのはその正装だけだろ。普段着ている服でやればいいじゃないか」
「でもこの衣装以外の服って全部マスターが買ってくれたものだから、あまり「俺の物」って感じがしなくて。これなら間違いなく、「俺の物」だと思えるんですけど」
 俺はコートを摘みながら説明する。
「ああ、一応、お前なりにこだわりがあって言っているんだな」
 安心したように、ジョーさんは呟く。それからテーブルに肘をついて、んー、と唸った。
「正装アイテムって、どの程度身体から離したら消えるんだ?」
「え……。どうなんでしょう」
 どうせ消えるんだからって、毎朝着替える時にはぽいぽい放っているんだよね、俺。
「ちょっと外しただけで消えるんじゃ、不便だろうが。手に持っている間はそのままなんじゃないか。試してみろよ」
「そうですね」
 俺は立ち上がってコートを脱いでみた。でも脱いでみただけ。右手か左手のどちらかは必ずコートに触れているようにした。
「消えない!」
「まあ、そんなもんだろ」
 予想できたことだとジョーさんは感動の少ない口調で言った。
 次に俺は素手で触っていなければいけないかどうかを確かめるために、コートを腕にかけてみた。これも消えない。そうか、服越しでもいいから、身体の一部と接触していれば、消えないんだ。こういう細かいところまでは、気にしていなかったからなぁ。新しい発見だ。
 俺はごそごそとコートを着直す。
「――ということがわかったのは良かったですけど、マスターに着せても俺が手を離したらすぐ消えることには変わりないんですよね、きっと」
 じゃあやっぱりマスターには着せることができないと、俺は落胆する。
「まったく不可能ってわけじゃないだろうが」
「そうですけど……、やれてもほんの少しの間だけですよ」
 コートを着てもらうためには俺がずっとマスターにくっついていないといけないんだもの。頼んだところで絶対イヤだって言われるのは目に見えている。
 でも、俺のコートを着たマスターか……。見てみたいな。きっとぶかぶかなんだろうなぁ。可愛いだろうなぁ。でも断られるんだろうなぁ。……はぁ。
「自分のコートが無理で、手持ちの普段着もちょっとっていうなら、ペアルックとかは?」
 代案をジョーさんが提案してくる。
「それも悪くはないですけど、自分用のものがその人も着られるっていうのがイイんですよ。その上似合えば最高ですね」
 俺はぐっと拳を握って力説した。ローラさんという例を見たばかりなので、俺の熱意はますます高まってゆく。
 でも、それと同時にわいてくる、醜い感情。
「自分のマスターの服だけじゃなくて、俺のマスターの服まで着ているローラさんがうらやましい……っ。不公平だ、俺には無理なのに……!」
 ローラさんはこっちの世界に出てきて日が浅い。おまけに自分が望んでそうしたわけではなく、俺が引っ張りだしてしまったせいでこうなったのだから、手助けできるところはしないといけないとわかっている。けれどうらやましいものはうらやましいのだ。
 俺はキッとマスターの寝室に続く扉をにらみつける。ああ、あの中で二人してキャッキャウフフってしているんだろうなぁ。マスターってば、ぶつくさ言いながらも結構ノリノリでローラさんが着れそうな服を探していたもんね。いいなぁ。あそこにいるのがローラさんじゃなくて俺だったら良かったのに!
「ジェンダーファクターをいじってみたらどうだ。お前ならKAIKOになれそうだ」
 ジョーさんが本気なのかどうか疑わしい口調で言う。俺は頭を振った。
「他のパラメータも併用してKAIKO声もショタイト声も作ったことがあります。でも見た目の変化はありませんでした」
「なら、性別関係なく使えるフリーサイズのもので我慢しろ。ガタイのでかさはどうしようもないんだから。マフラーとかさ。お前のトレードマークだろ」
「それくらいしかないですよねぇ」
 はぁ、と大きなため息をつき、俺は肩を落とした。
 もう秋冬用のマフラーは買ってもらっているから、マスターのと俺のと、たまに交換してもらうくらいならいいよって言ってもらえるかな。あとでお願いしてみよう。

 それからも俺たちはマスターたちが部屋から出てくるまで色々な話をした。マスターの学校での様子を聞いたりとか。とにかく話の内容にマスターが関わらないものがなかったので、しまいにはジョーさんから「お前、どんだけ が好きなんだよ」って感心したように言われてしまった。でも、どれだけなんて、それを言い表せる言葉は、俺の中にはないのだ。
 ジョーさんが知る限りでは大学にはマスターのことが好きそうな男の人はいなさそうだった。でもジョーさんはサークル活動を通してでしかマスターとはつながりがない。学年も違うし、学部も違うのだから。
「やっぱり俺、大学祭に行けばよかったかなぁ」
 少し前に終了した学祭の話が出てきたのもあって、思わずそんなことを呟いてしまう。一年生はサークルの仕事を色々押しつけ……じゃない、任されることが多いので、俺の相手をしている時間がとれるかどうかわからないと言われていたのだ。マスターがどんなところで勉強しているのか、興味はもちろんあったのだけど、マスターの邪魔をするのはいけないことだから、今年はあきらめたんだ。一年生じゃなくなれば、きっと一緒に見て回れるだろうと思ったし。
「来れば良かったじゃないか。身内とか友達、彼氏彼女が来たからって、ちょっと断れば抜け出すのも許されていたんだぞ。一日中忙しいわけでもないからな」
「……」
 初耳だ。マスター、詳しく話してくれなかったんだもん。
 俺、もし時間が取れそうだったらメールくださいって言ったんだけど、メールは来なかったから、忙しかったのだろうなと思っていたんだけど。
「そういや、従兄は来ないのかって言ってた奴がいたな、確か」
 ぽろっと、ジョーさんがこぼす。
「そうなんですか?」
 俺は驚いて聞き返した。
「新歓の時のお前、相当インパクトあったし、サークルの中でも覚えている奴、結構いるんだぜ」
 と、新歓の時にほんの数分会っただけの俺を覚えていた人はそう言って笑った。
「やっぱり、俺ってマスターの恋人だと思われています?」
「ああ」
 軽い感じでジョーさんは頷く。
「従兄妹っていう説明はしましたけど」
「あんまり関係ないな。いとこなら結婚可能な間柄だから、従兄妹同士でかつ恋人関係なんだと解釈されるだけだし。珍しいとは思うけど、ありえないほどでもないからなぁ」
「うーん……」
 犬の散歩仲間のひとたちにはそう思われているのは知っている。けれどほんの少し会っただけの人たちも、やっぱり俺たちのことをそう考えるのか。ならやっぱり、大学祭の時に連絡がなかったのは、俺を呼びたくなかったからなんだろうな。サークル以外のマスターの知り合いにも遭遇してしまうだろうから、これ以上誤解されたくないんだ。……ということは、俺は来年も大学祭には行けないのだろうか?
 と、それは置いておいて。
「このままだと、マスターがちゃんとした人間の彼氏を作るのは無理そうですか?」
「厳しいだろうな」
 そうか。なんとなくそんな気はしていたけれど、過去に恋人がいたことがあるジョーさんが断言するなら本当に厳しいんだろう。
「好きになるのは気持ちの問題だから、相手に恋人がいても好きでい続けることもあるだろが、恋人から奪ってでもってなると、そこまでするのはどの程度いるんだか」
「少ないですか」
 いや、奪われたくはないけどね。
 でもマスターは本当は俺の恋人というわけではないから、俺がいるせいで出会いがつぶれているというのならそのことは申し訳がらないといけないのかもしれない。でもやっぱりマスターは俺のマスターだから他の人、特に男の人は近づかないでって、思ってしまうんだ。
 悩む俺に、ジョーさんは続ける。
「それに奪うにしても、相手の彼氏なり彼女なりよりも自分の方が勝てるって思わないと行動は起こしにくいと思うぜ。だから、よけいにな」
「?」
 意味がわからなくて、俺は首を傾げる。
「カイトの見た目がなぁ……。遠目からだと、お前って上等の彼氏に見えるんだよ。中身を知っちまえば、そんなことはないってわかるんだけどな。でもなかなかそこまで気づけないだろうな、大半は」
 多分、褒められてはいない。
「むしろ相手がならって、蹴落とそうとする女が出てきそうな気がするけど、そっちは大丈夫なのか? まあ、女っていっても、お前の知り合いはおばちゃん中心みたいだけど」
「蹴落とすって……」
と別れて自分とつき合わないかと言ってくるようなのがいないかってことだよ」
「いませんよ」
 飼い主仲間の人たちは俺とマスターが仲良しなのを応援してくれるもの。
「ジョーさん、俺、マスターの本当の恋人になりたいです。周りの人にそう思われるだけじゃなくて、マスターの一番になりたい。どうしたらそうなれますか?」
 そうしたらマスターはもう彼氏ができないと嘆く必要はなくなるし、俺も誤解をそのままにしている罪悪感で胸がちくちくしなくなるだろう。そしてなにより二人とも幸せになれるのだ。
「おまえの方は大好き状態みたいだから、がおまえのことを好きになればいいんじゃないか」
 そりゃあ、そうだろうけど。
「マスターは俺のことが好きだと思うんですけど、でも恋人にはしてくれないんですよね。これって、好きの種類が違うからだと思うんですけど」
 マスターの持っているマンガとか小説を読んで、そういうものだと感じたのだけど。
「そうだろうな。いや、正直な話、カイトがその点を理解しているんだかどうか気になっていたんだよ、俺」
 ジョーさんは安心したとほっと息をつく。
 馬鹿にされているのかなと気になったけれど、ここは経験者の意見を知りたいと、俺は不満を飲み込んだ。
「ジョーさん、恋人に対する好きって、どういうものなんですか? どうしたらマスターは俺のことをそう思ってくれるんだろう」
「んなもの、言葉で説明できるものじゃねぇよ。それに意図的に他人の感情を動かすって、難しいんだぜ。でも、まあ……」
 ジョーさんはふと言葉を切った。それから、
「カイトの場合、押しすぎなところがあるよな」
「おし、すぎ?」
「好きって思いを伝えすぎ。しつこいくらいにな。ああ、伝えるのは悪くないんだよ。でも、ものには限度ってものがあるからな。やりすぎなんだよ、おまえ」
「え、でも、そうしたらこのあふれる思いをどうしたらいいんですか?」
 だって、勝手に出てきてしまうのに。塞き止めたらきっと、破裂してしまう。
「セーブしろよ」
 さっくりとジョーさんは切り捨てた。
「あと、慣れってものもあるしな」
「慣れ?」
「そう。好きだと繰り返し言われると、それが当たり前になって、なんとも思わなくなるってことがあるんだよ」
 思い当たる節はある。ということは、俺はマスターに好きですという事を言ったり態度に表してはいけないということなのだろうか。難しいことだ。
「押してだめなら引いてみなって言葉があるくらいだし、少し控えめに……いや、お前の場合はそっけなくするくらいが丁度いいんじゃないか?」
 抑えるだけでも難しいのに、マスターにそっけなくする……?
 好きになってもらうために好きじゃないふりをしないといけないなんて、人間ってややこしい!
 でも。
「頑張って……みます」
 他によい考えがあるわけではないのだ。試すだけでも、試してみよう。
 ごくりと唾を飲み込んで、俺は拳を握り締めた。







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