Episode 12:雲ひとつない青空 の続きです




 さっきの光景が目に焼き付いて離れない。
 あれは事故だったのだから忘れようとしたけれど、無駄だった。
 あまりにもインパクトがありすぎて。
 
 洗面所から引き上げたわたしは、ぐったりとソファに倒れこんだ。
 よくよく考えてみれば、カイトのあの髪の色は染めたわけではないのだ。人としてはあり得ない色だが、カイトは人ではない。あの真夏の空のようなくっきりとした青色を持って彼は生まれてきた。生まれてきた、というのも変な言い方かもしれないけれど。
 まつげも眉毛も青い。髪よりも濃い色なので、意外と近くでじっくり見ないと違和感を覚えることはないけれど。
 そして腕とかすねとか、たまに見える部位の産毛も青いのだ。ただそれは色がかなり淡いので、ぱっと見では生えているとは気づかないけれど。気づかないだけでなく、肌がすごく綺麗に見える。うっすらとした青が肌の白さを引き立てているのだ。
 が、見た感じがそうだというだけで、カイトのことを剥いてじっくり見たことなどないから、実は服で隠れている部分は毛深いのかもしれないのだけれど。毛深いカイトというのはなんだかちょっと嫌だけど。まあ、あれでも男なんだしね。
(……男、なんだよねぇ)
 わかっていたけれど、あらためて突きつけられた事実に、わたしは打ちのめされてしまった。
 マネキン人形じゃないんだから、ない方がおかしいのだろうが、うん、奴にはちゃんとついていた。しかも、その周辺に生えているものまで青い。髪と同じ色だった。どっちかというとそっちの方にびっくりしたぞ、わたしは。
(違和感ありすぎるだろう……)
 動画とかで見た各国のお菓子で、何を使って色をつけているんだ、というようなものを見たことがある。真っ赤だったり真っ青だったり、蛍光色なんてものまであった。
 そういうものを見たときに感じた驚きと似ている。菓子がそんな色でいいのか、と思ったように、人体のその部分は青いものじゃない、とわたしの中の『常識』が声をあげる。
 しかしそれでも、この目で見たものを否定することはできない。カイトのは……青いのだ。
(何度も考えるんじゃない、わたし〜〜)
 頭をかきむしりながらも耳だけはそばだてて、カイトがまだ浴室にいることを確認する。
 カイトがこっちに来たときには、平静にしていなくては。こんな事でこれほど動揺しているだなんて、カイトに知られるのはすごく悔しい!
(でも、わたし、特に免疫がないってわけでもないはずなんだけどなぁ)
 子供の頃は父とお風呂に入ったことは、普通にあるし。
(でも確か、小学校に入学したあたりからはもう親と一緒っていうのはなくなったから……記憶が定かじゃないな)
 いや、しかし、BLだって、わたしは嫌いじゃない。そんなにたくさんは持ってないけど。それと、カイトが出てきてからは、いつ蔵書を見られるかわからないからさすがに買うのを控えているけれど。
(でもマンガにしろ小説にしろ、平面に描かれているものだしね。立体で見るのとはやはりインパクトが違……って、何考えているんだ、わたしは!)
 いい加減、この手のことばかり考えるのはやめよう。いつまで経っても動悸が止まらないじゃないか。きっとこんな風に頭から離れないのは、わたしに彼氏の一人も今までいなかったからなのだ。見慣れてさえいれば、特になんとも思わなかったに違いない。ということで、別にカイトだから、とかいうわけではないはずなのだ。
(そうよ、そうに違いないんだかから。ということで、考えるのはヤメ!)
 わたしは火照った頬をぺちぺちと叩き、なんとかして平静を取り戻そうとした。
 立ち上がってキッチンへ行き、水を一気飲みする。少し落ち着いたような気もするけれど、油断してはいけない。
 さて、それからどうしよう。荷物の整理は終わった。洗濯はカイトが上がってからでいい。今行ったらまたばったり、なんてことになるかもしれないし。
(こんな時にはネットよね)
 お気に入りのサイトや動画巡りをしていれば、気も紛れるだろう。帰省中はPCが使えなかったので色々チェックしないといけないし。
 さっそく電源を入れて立ち上がるのを待つと、では早速と特にお気に入りのサイトに向かった。というあたりで、洗面所の方から浴室のドアが開く音が聞こえてくる。
(上がったのか……。いや、考えない考えない)
 わたしは頭を振ると、モニタの方に視線を集中させた。
 それから気がつくと、三十分以上が過ぎていたようだった。振り返るも、カイトはいない。ただ洗面所の方からドライヤーを使っている音が聞こえてくるのだった。
(なんでこんなに時間がかかっているんだろう?)
 わたしですらそんなにかからないのに。
 不審に思って洗面所に様子を見に行くことにした。心配のしすぎかもしれないが、カイトはお風呂に入るという一連の行為は初めて経験するのだし。
 とはいえちゃんと服を着ていることを確認してからでないと覗く気になれないので、先に声をかける。ノックするのも忘れない。
「カイト?」
「あ、はいマスター、なんでしょうか」
 ドライヤーの風音に混じって、カイトが返事をする。
「ねえ、服、着てるよね」
「着てますけど、あの……」
 着てるなら大丈夫だろうと、わたしはドアを開ける。
「なんでこんなに時間がかかっている……の? え、カイト?」
 カイトの異変に、思わず目を見開いた。
「ちょ……マスター、見ないでぇ!」
 そこには、髪の毛がもふもふと膨らんだカイトが、半泣きで立っていた。
「これはまた……」
「ううううう……」
 カイトはドライヤーを握りしめて、わたしから目を逸らす。
「上手くできなかったのね?」
「さ、最初はちゃんとできてると思っていたんですけど、気がついたら後ろの方がはねてきちゃって。それを直そうとしたら今度は別のところがはねるし、そうしている間にも全体的に膨らんできちゃって……」
「まあ、慣れないと結構ブローって、難しいからね。とろあえず、危ないからドライヤー抱くのはやめなさいよ。火傷するかもしれないでしょう」
「あい……」
 スイッチを止めると、カイトはドライヤーを定位置に戻し、すがるような目でわたしを見つめた。
「マスター、助けて……」
「はいはい。髪のセットが上手くいかないくらいで、この世の終わりみたいな顔するんじゃないわよ」
「マスターにはみっともない俺は見られたくないんですよ」
 もそもそとカイトはうつむき加減で答える。
「みっともないあんただったらとっくに見慣れていると思うんだけど」
 最近こそ減ったけど、よく鼻水垂らして泣いていたし。今だってへたれ顔だし。そう言うとカイトはますます情けなさそうな顔になった。
 わたしはドアの枠によりかかりながら、カイトを見上げる。
「ま、それだけもさもさとなってるなら、少なくとも乾いてはいるでしょう。一度PCに戻ればまたセットされるだろうし……あー、でも」
 カイトってPCに戻る時には、一回全裸になるのだった。その間、自室にこもっていれば目撃することもないというのはわかるけど、どうも思っているよりダメージがあったようで、たとえ見えなくてもカイトが全裸になっているのだと思うだけで、頭がくらくらしてくるようだった。
 生身の人間の男と一緒に暮らしているのなら、そんなことは日常茶飯事にあるだろうに、カイトだというだけでこんなに動揺するとは、わたしって案外純情だったんだなぁ。
 わたしは一つため息をつくと、自分の寝癖直しスプレーとスタイリング剤、ブラシをつかんだ。カイトにはドライヤーを渡す。
「ブローのやり方教えるから、リビングに行こう。ここだと狭くてやりづらいから」
 カイトが満面の笑みを浮かべたのは、言うまでもない。

 テーブルに鏡を置き、ソファにカイトを座らせる。寝癖直しをたっぷりと吹き付け、青い髪を湿らせると、それは水気を含んで色を濃くした。
 ドライヤーはわたしが持って、実演してみる。わたしとカイトとでは髪の長さはだいぶ違うが、基本は変わらないだろう。説明しつつ作業を進めていると、鏡越しにカイトが真剣な眼差しでわたしの手元を見つめた。
 しばらくして、毛玉のように広がっていたのがほぼまっすぐになる。セットされていない前髪が目に覆い被さってしまった。
「結構長いよね」
 と前髪を一房摘むとカイトが目だけをあげて指の動きを追った。
「そうですね。もう目の前がみんな青く見えます」
「だろうね……」
 苦笑しながら手を離すと、わたしはスタイリング剤を手のひらにとって、カイトの髪になじませた。
「いつも通りにできるかどうかはわからないから、それなりに格好がつけばいいってことでいい?」
 無造作に見えて、結構計算しているところがある、と思うのだカイトの髪型は。完全再現はわたしには無理だろう。
「いいですよ。マスターにお任せします」
 ふにゃっと笑ってカイトは背もたれに身を預ける。構われたがりのカイトのことだから、頭をいじってもらえて嬉しいのだろう。わたしもわたしで、トリミングをしているようだ、なんて思っているのだけど。
「それにしても、小次郎もあんたくらいおとなしくお風呂入ってくれるといいのに。あの子、お風呂もドライヤーも嫌いんだもん」
 カイトは声をあげて笑う。
「すごい勢いで暴れますからね。俺はお湯を浴びるのは結構好きだと思いましたけど。温かくて気持ちいいですね。どうして小次郎さんはあれが嫌なんだろう」
「動物にはお湯に入る習慣が基本的にはないからね」
「そういうものなんですか」
 脇の髪をなでつけてみた。いつも耳はほとんど髪に隠れているけれど、こうすると少しすっきりした感じになる。
「こういう感じとかどう?」
「横がすーすーします」
「それは嫌だということ?」
「いいえ、ただの感想です」
「ふうん」
 嫌ではないのか。ならば。
「オールバックにしてみよう」
「え? ちょっとマスター!? いきなりの冒険はー」
「うるさい」
 焦ってわめくカイトを後目に、わたしは前髪もいじり倒した。……あ、なんだか回復してきたみたいだ。カイトのまぬけな表情を見てると、心が落ち着く。
 諦めたような顔でカイトはため息をつくと、鏡越しに上目遣いでこちらを見上げた。
「ところでマスター、どうして一日早く帰ることになっちゃったんですか?」
「ああ、それね……」
 今度はわたしがため息をつく。
「急に海に行くことになったのよ。親戚連中そろって。あんまり暑いし、はっきりいって、お祖父ちゃんの家のあたりって、なんにもないからみんな暇を持て余しているのよね。最初の頃はおしゃべりしまくってるし、夜には酒盛りしているけど、逆にいえばそれしかやることがないというか……。いくらのんびり休む、とかいっても、限度があるのよ」
「へぇ」
「別に海に行くだけならいいのよ。わたしだって時間に余裕があれば行ってたし。水着はないけど」
「それは大変です」
 カイトは少し目を見開く。わたしは苦笑した。
「まあ、そのときには行きがけに買うか、波打ち際で遊ぶかすればいいだけだけどね。バーベキューとかもするっていっていたし。それよりも、お祖父ちゃんの家って、新幹線降りたあとは電車とバスを乗り継いで、バス停についたら二十分くらい歩かないといけないようなところなのよ。バスも電車も、一時間に一本とか二本とかしかないし、時間はかかるわ接続悪いわで、本当に大変なんだもの。直接車で新幹線駅に送ってもらった方が早いくらいなのよね。実際、向こうに行くときにはそうしてもらったし」
 父たちがすでに向こうについていたので、そうしてもらったのだ。
「でも明日だと車が出払っちゃうのよ。途中で新幹線駅まで送ってもらおうにも、逆方向だから嫌だって言われたし……。今日だったら送るけど、明日だったら自力で駅まで行けって言われてさ」
 未成年だが子供という年でもない。駅まではもちろん一人で行ける。だけど、ちょっと冷たくないかと思うのはわたしの甘えだろうか。
「マスター、お気の毒です」
 同情するようにカイトは眉を下げる。前髪をなでつけていたわたしは、その様子を可愛く感じて、よしよしとなでた。たちまちカイトは相好を崩す。だらしなく頬が緩んだ。
「ん〜、こんな感じでいいか」
 オールバックは意外に難しかった。ただスタイリング剤をつけて後ろに梳けばいいわけではないみたい。これではオールバックというよりも、単に全体的に髪がサイドに流れているという感じだ。これはこれでありだと思うけど、それも顔が良いからおかしく見えないだけなのだろうか。
「これがオールバックですか?」
 なんとも不思議そうな顔でカイトは尋ねてくる。
「うん、失敗した。でもそう変でもないから気にしないことよ」
 わたしはデコピンをすると、反射的にカイトは目をつぶる。
 使い終わった道具を片づけるていると、カイトは頭が気になるらしく、鏡を見ながらつんつんと指で突いていた。
「そうそう、カイト。冷蔵庫におみやげのゼリーが入ってるから。食べてね」
 驚き顔で動きを止めて、カイトはぺこりと頭を下げる。
「え、はい、ありがとうございます! あ、冷蔵庫で思い出しました。そういえば夕飯の材料になりそうなものが全然ないんです。悪くなりそうなものは俺、全部食べてしまいましたので」
 それは冷蔵庫を開けたときに気がついていた。出発間際になっても賞味期限があまり長くないものが残っていたのだが、カイトがいるので自分の分の食事を作るかもしれないし、作らないとしてもどうにかしてくれると思っていたのでそのままにしていたのだ。そして実際、予想通りになっていたのである。冷蔵庫はからっぽだった。
 いや、それだけではない。わたしの帰省中に掃除すると宣言したとおり、カイトは家中をぴかぴかにしていた。冷蔵庫の中までも、である。
 迎えにこなかったカイトに腹を立てていたものの、家に入ってすぐにわたしはカイトの仕事ぶりに気づき、思わず息を飲んでしまった。だって、入居時より綺麗になっていたのだもの。一体どこまで力を入れたのだろう。時々無性に苛つくが、カイトは間違いなく働きものだ。あとでお礼を言わないといけない。
「わたし、今日は焼き肉食べたい気分だな。バーベキューできなかったからその代わりに。だから食べにいこう」
「わかりました、じゃあ帰りにスーパーに寄りましょうね。朝食の食材、買わないといけませんから」
「ん、いいよ」
 カイトはにっこりというよりも、にへり、という感じで笑う。髪型が変わっていつもよりもすっきりとした雰囲気になっていたのに、妙に暑苦しかった。


♪・♪・♪



 思い切り肉を食らった次の日の朝。
 ちょっと胃もたれを起こしたわたしに、カイトはあっさりめの朝食をだしてくれた。
「はい、マスターどうぞ」
 食べ終わるとデザートに、おみやげに持ってきたゼリーをお皿に移してわたしの前に置く。
「あっ……」
「どうかしましたか、マスター?」
 思わず顔がひくつくわたしに、カイトは不思議そうに小首をかしげる。
「カイト、これはあんたへのおみやげだから、あんたが全部食べていいんだからね」
 言いながら、わたしは皿をカイトの方へ移動させる。
「でも、たくさんありましたし、俺ひとりだけっていうのも……」
 たしかにゼリーは結構数がある。サイズは小さめだが、一箱十二個入りなのだ。だが……。
 わたしは腕を伸ばしてカイトの手を取る。この思いよカイトに届けとばかりに力を込めた。
「わたしはカイトに食べてほしいの。無理?」
 カイトはぽかんとしたかと思うと、一気に耳まで赤くなる。
「無理じゃないです。いただきます。全部いただかせていただきます!」
 言うやいなや、カイトは自分のとわたしの分のゼリーを掻き込み始める。いや、食べてくれとは言ったけど、そんな食べ方では味がわからないんじゃないか?
(こっちにとっては好都合だけどね)
 そっと心の中で呟く。
 実はこのおみやげゼリーは、祖父宅に送られてきたお中元の余りなのだ。しかもこのゼリーの送り主は毎年同じゼリーを送ってくるので、祖父一家は皆食べ飽きている。それでも「いらない」と言えないところが、人付き合いの難しいところだといえよう。
 かくいうわたしも、毎年夏休みには向こうに行っていたので、子供の頃にはおやつとして出され、食べていたのだが……。正直いって、甘みがくどくてあまり好きではない。ゼリーの他にも、そういう貰い物の、あまり好評ではない甘味系が祖父宅にはいつもなにかしらあったりするのだ。
 それでも食べ物を捨てるのはもったいないということで、気は進まないながらも食べてはいたようだが、今年は友達なりバイト先なりに配れ、とこれを貰った、もとい押しつけられたのだ。
(いくら子供の頃から行ってるお祖父ちゃんの家だからって、他所の家の冷蔵庫なんてうかつに開けるものじゃないな。いや、開けるだけならともかく、奥にあったこのゼリーを引っ張りだして、今年もコレ来たんだ、なんて言うんじゃなかった……。ああ失敗した)
 しかし、こんな微妙な味の代物を周りに配って微妙な顔をされるのはわたしだって本意じゃない。どうせ貰えるなら、洗剤とか調味料のセットがよかったのに。
「喜んでもらえて嬉しいよ」
 ごめんカイト、利用してるようで。というか、しっかり利用しているけど。
 心の中で謝りながらも、このまま騙されたままでいてくれないかな、などと思うのであった。






目次