はセオドレドの部屋で主の到着を待っていた。
セオデンの病の原因についての報告をするためである。
同席しているのはエオウィンとエルフヘルムの二名のみ。
モルドール軍の接近に伴い慌しさを増した今は、戦支度を整えている諸将を一箇所に長時間留め置くわけにはいかないと、事前にから予想を聞かされていた二人だけが集まることにした。エオメルが館にいたのなら彼も参加していただろうが、あいにくの不在である。
の手の中には厳重に蓋を閉めた手の平にすっぽり納まるほどの小さな壷が握りしめられていた。
これを知らせるのは彼女にはひどく気の進まないことだった。
このことを知ったらセオドレドは嘆き悲しむだろうということが容易に想像できるのだ。
彼にしてみれば良かれと思ってしたことなのだから・・・。











皇帝の緑










「すまん、待たせたな」
セオドレドが姿を現すと、三人は立ち上がって礼をした。
彼は座るように言って、自身も椅子に腰掛ける。
「さて、聞かせてもらおうか。?」
セオドレドの声に期待が溢れているのを聞き取って、は一瞬助けを求めるようにエオウィンを見やった。
エオウィンはそっと首を振る。
は小さく息を吐くと、小瓶の蓋を取って、セオドレドに中身が見えるように傾けた。
「これが陛下の病の原因です」
「なんだこれは・・・。色粉か?」
中身は緑色の粉状のものだ。
セオドレドは怪訝な表情になり、壷を取ろうと手を伸ばしてきた。
はそれを押し留める。
「触ってはいけません。これはかなり強い毒が含まれているんです。陛下の寝室の壁紙に使われているものです」
「・・・壁紙?」
セオドレドは初め、何を言われたのかがわからないようにの言葉を繰り返した。
「寝室の壁紙だって!?それが原因だと言うのか!?」
理解が及ぶや、大きな音を立てて立ち上がる。
両腕がぶるぶると震えていた。
セオドレドにとっては思ってもみなかった事態なのだ。
彼はずっと、父親の不調は相談役かその裏切りの相手、サルマンの計略によるものだと思っていたのだから。
はあの壁紙がセオデンの寝室に張られることになった経緯を思い出した。
裏を取りに行く前にエオウィンに聞いておいたのだ。


「あの壁紙は身体の弱った伯父上のために特別に作らせたものです。石造りの黄金館は壮麗な外観を保ってはいますが、築年から四百年以上も経っているのです。それだけの年月を経ているものですから、定期的の修復をしても細かな隙間風だけはどうしようもなかったのです。伯父上の寝室に暖炉があるのはあなたも知っているでしょうけれど、あれは意外に暖まらなくて。最初はローハンでも最も一般的な方法、つまり壁掛けを掛けたのです。ですけど吊っているだけなのでどうしても隙間は塞ぎきれないので、費用はかかるけれど壁紙を寝室の壁という壁に張り、その上に彩りにもなる壁掛けを掛けたのです。誰が言い出したわけでもありません。そうするのが一番良いと、伯父上の当時の様子を知っている者は皆思ったのです。
頼んだのは誰かですって?
セオドレドですわ。皆の意見をまとめて職人に注文しただけですけれど」


その後、壁紙はエドラスに済む装飾職人が実際の作業をしたと教わり、はその者のもとを訪ねた。
丘になっているエドラスの麓に住居と工房を構えていた厳つい赤ら顔の男は、急に訪ねてきた王宮の侍女が一目でセオドレドのお気に入りだといわれる娘だと知るや、なにもかもわかったような満足げな表情で見下ろしてきた。
なにかの作業中だったようで、使い込まれた革の前掛けには細かな屑が付着している。
それを叩き落とすと、少女を迎え入れるように入り口の扉を大きく開けた。
「ようこそ、レオフォスト殿。こんなむさくるしいところにおいでになるとは・・・。何かのご注文ですか?それとも作業の進み具合を見に来たので?」
男は陽気に言って椅子を勧めた。
年はセオドレドと同じくらい。笑うととても気の良さそうな顔になる。
「突然お邪魔して申し訳ありません。ぜひお話を聞かせていただきたいことがあるのです。ところであの、作業って何の作業ですか?」
「そりゃあんた、セオドレド様からのご注文の品でさあ」
「セオドレド様の?・・・また何か注文されたのですか?」
は首をかしげた。
なりを潜めた贈り物攻勢がまた復活するのだろうかと気をもんだのだ。
「・・・もしかして、何も聞いてないんで?」
男はぽりぽりと頬をかく。
「何を注文されたんです?わたしに関係のあるものですか?」
「あ〜〜。いや・・・」
男は気まずそうに明後日の方を向く。
「教えていただけます?」
「いや・・・。知らないのでしたら若君からお話があるまで待ったほうがいいでしょう。俺も若君に余計なことを言ったと叱られたくはありませんのでね」
男は少女に向き直ると、きっと口を結んだ。
彼は職人である。
非常召集がかかれば剣を持って戦いもするが、軍人というわけではない。
それでも幅広の身体は頑健そうで、腕も腿も充分太い。
ロヒアリムはつくづく戦闘向きな身体をしている、とは改めて思った。
「わかりました。ではそのことはもうお聞きしません。わたしは陛下の寝室に張られている壁紙のことでお伺いしたいことがあるんです。宜しいでしょうか?」
「壁紙?あれがなにか?」
男は不思議そうな表情になる。
ともあれわかることなら答えようとの了解をもらってはさっそく質問した。
「あれを作ったのは、あなただけですか?」
「いいや。さすがに量が多かったから、近隣の職人にも手伝ってもらいましたよ」
「材料はどういったものなんですか?」
「あれは麻だ。漉くときに色をつけてなぁ。あんまりやらないことだから大変だったよ」
「麻・・・。てっきり羊皮紙かなにかかと」
の知識ではローハンのように中世ヨーロッパのような雰囲気のところでは、紙はみんな羊皮紙だという思い込みがあったので思わずそう呟いてしまった。
それが聞こえた男は豪快に笑う。
「ま、やってやれないことはありませんがね。それはいくらなんでも高くつきすぎる。簡単に説明すれば、麻を細かくしたやつに水にさらして木枠で掬って作るんですよ。あの時は緑色でという要望があったから顔料を混ぜて。それだって大掛かりなもんだった。何十枚と作らなきゃならなかったからな。普通に布を織ったほうがどれだけ楽かしらねえや」
男はやれやれとおおげさに肩をすくめてみせた。
はくすくす笑ったが、すぐに顔を引き締める。
「その顔料ですけど、よく使う色なんですか?」
「それほどでもないな。好まれる色ではあるが、俺に注文できるのはほんの一握りの人間だけだからな。王家の方や豪族、領主、それくらいか。俺は装飾職人だから実用的なものははっきりいってあまり作らないんだ。使えるものであっても、優先するのは見た目の美しさなんでな」
ぼりぼりと顎を掻く。
「あ、じゃあ、いままでセオドレド様がわたしに贈ったものって、全部あなたが作ったんですか?」
ふと思いついて問うと、
「ええ。その節は寝る間も惜しいほど忙しゅうございましたよ。お気に召していただけたのなら、それも甲斐のあるというものですが」
男はいたずらっぽい表情で恭しく腕を広げた。
は反射的に立ち上がって頭を下げる。
「もちろん気に入りましたよ。わたしの国とはずいぶん違う雰囲気ですけど、でも素敵でした。ありがとうございます」
「それは嬉しいねえ」
素直な反応に気を良くしたのか、男は相好を崩した。
「ところであの、壁紙に使った緑の顔料を見せていただけませんか?」
「そりゃ構いませんが、変わったものに興味を持たれるんですな」
男は立ち上がって奥の作業室から蓋付きの壷を持ってきた。
「これですよ。ああでも、触らんように。毒ですから」
男があっさりと言ったので、は思わず瞬きをした。
「あ・・・やっぱりそうなんですね。・・・砒素ですか?」
「レオフォスト殿のお国ではそういうんですか?俺たちは鼠殺しの毒と呼んでます。鼠退治をするときのエサに混ぜるやつと同じものらしいですんでね」
「毒だとわかっている顔料を装飾に使うのですか?」
思わず咎めるような口調になってしまったが、男はがどうして不機嫌になったのかわからず、不思議そうな顔で、
「絵も壁紙も食べるわけじゃあないんですから、問題ないでしょう?」
と言った。





の話を聞いていたセオドレドは、ここで装飾職人と同じ疑問を口にした。
つまり、
『口に入るわけではない壁紙がなぜ危険なのだと思うのだ』
という問いだ。
セオドレドは壁紙が原因であるというの結論を聞いたときに、それは何者かが(彼の考えではグリマだろう)毒の染みた壁紙からどうにかしてそれをセオデンの口に入れたのだということなのだろう。
意図的に壁を触らせて、その手で食事をさせるなどといった方法だ。
しかしの考えでは、そのような第三者の介入は基本的になかったと思っている。
「わたしの生まれた世界に、昔、ナポレオンという皇帝がいたんです。昔といっても、二百年ほど前なだけですけど・・・」
「その皇帝がどうしたんだ?」
セオドレドにすれば話が見えないといったところだろう、面食らった表情になった。
「彼が死亡した時に、検死が行われて、原因は胃ガン・・・胃の病だとされたんです」
「・・・つまり、死亡原因がよくわからなかったので身体を切り開いてみたら病気だとわかったということか?」
「ええ、そうです」
検死というものがマークでも知られていることなのか自信がなかったが、セオドレドがすぐに理解を示したのでは安堵した。
死体に対する扱いは多分に宗教的な倫理や厳然とした風習があるものだ。
もしかしたらマークでは死体にメスを入れるなどとんでもないと感じる人びとなのかもしれないのだが、にはそれを確かめる術はなかったのだ。
「ですが、彼には敵が多かったので、死亡当初から暗殺説もずいぶん流れていたそうなのです。少しずつ、毒を盛られたんじゃないかって」
「なるほど・・・その症状が父のと似ているというわけか」
セオドレドは納得したように頷いた。
「少なくとも、陛下は胃も患っていますから、共通点はあります。ただ、ナポレオンの毒殺説には幾つか種類がありまして、彼の遺産を狙っての意図的な暗殺であるというものと、彼の周囲にたまたま砒素を含むものがあって、知らずに摂取していたというものがあります。知らずに摂取していた原因として挙げられていたのは飲料水にワインの樽…」
はゆっくり指を折って数える。
「ワインの樽?」
セオドレドは思わずといったように聞き返してきた。
「樽を洗浄する時に砒素を含む水を使っていたんだそうです」
「ほう」
は三本目の指を折る。
「それから壁紙。これには虫除けの意図もあったようですが、その当時シェーレ・グリーンという色が流行っていたのだそうです。ナポレオンも愛好していて、彼にちなんで『皇帝の緑』色と呼ばれていたそうですわ」
「緑の壁紙…」
セオドレドの視線が下に落ちた。
テーブルの上に置かれた左手は強い感情を押し堪えるかのように強く握られている。
そんなセオドレドを見るのが忍びなくて、はそっと顔をそむけた。
それでも話は続けなければならない。
「シェーレ・グリーンに砒素―有害なものが含まれているということは、当時でも知られていたことでした。だけど、壁紙が危険なものだとは思われなかった…。理由はマークの方たちが考えたように、直接口に入れるものではないからです」
「だが、それは間違いだった?」
低い声でセオドレドは呟いた。
は頷く。
「壁紙が湿気を含み、徐々に毒気を空中に撒き散らすのです。そうなると呼吸をするときに口や鼻から少しずつ毒が体内に入り込む。砒素中毒は、急性と慢性がありますが、陛下のような胃腸や呼吸の障害、四肢のしびれなどは慢性中毒の症状として当てはまります。それに、夏と冬に症状が重くなるというのもこれで説明がつくんです。夏は暑いので湿気が多くなります。冬は、暖炉を使うでしょう?どちらにしても陛下の寝室についている窓は小さいですから、こもった空気が外に出ない。そうなると、毒気を含んだ空気はずっと寝室にあったまま。その部屋を使うのは陛下おひとり。エオウィン様をはじめ、侍女が部屋を整えるために入ることはありますが、それにしても長時間ではありません。さらに言いますと、陛下は病気になってからめっきり外出はしなくなったと聞いています。そうなると新鮮な空気に触れる機会も減ったわけです。これでは陛下だけがご病気になるのも、良くならならないのも当然です」
「…剥せば良いのか?」
セオドレドは呻いた。
「そうですね。できれば、陛下には違う部屋に移っていただいたほうが良いと思います。壁紙を剥しても、成分が漆喰の間に入り込んでいるといいますから。それから、外に出る時間を作ってくれるといいのですが…。わたしの知っている限り、砒素中毒やそれに類似する毒に効く特効薬というのはないんです。マークの医療がどうなっているのかまでは、わたしも知りませんが…」
「鼠殺しの毒ならば、マークにも解毒する薬はないはずだ。誤って口に入れてしまったのならば吐き出させるしかないし、空気となるとな…」
答えたのはエルフヘルムだった。
エオウィンも同意するように頷く。
「父上を苦しめていたのは、我らだったのか…」
ぽつりとセオドレドは呟いた。
日に焼けた浅黒い肌が病人のように青白くなっている。
後悔と自責の念が精悍な顔を覆っていた。
「セオドレド…」
エオウィンが気遣うように従兄を見やった。
セオドレドは大きな手で自身の顔を覆うと、肩で大きく息をつく。
しばしの間、重苦しい沈黙が流れた。
「エルフヘルム」
「はっ」
ゆっくりと手を外したセオドレドは、平静な表情に戻っていた。
その涼しげな顔の奥にどれほどの懊悩があるか、想像しただけでの胸は痛んだ。
「父の寝室の壁はすべて取り壊して作り直そう。作業を行う時期はモルドールの動向次第だが、今日からでも部屋は変わっていただこう。エオウィン、どこか適当な部屋はあるか?」
「賓客用のお部屋か、伯母上が使っていたお部屋ならばすぐにでも移動はできますが…」
「そうか…。どちらを使うかは父上に決めていただくとしよう。…
セオドレドはテーブルの上に肘をつき、手を組んだ。
「この件にグリマは関わっていないと考えてよいと思うか?」
金色のまつげの奥で、灰色の目が激情に燃えている。
「…わかりません。積極的に関わっていないということは確かそうですが。その当時のことはわたしよりも皆様の方が詳しいはずでしょう。グリマは壁紙を貼ろうという話が持ち上がったとき、どうしていましたか?」
以外の三人は、途端に顔をしかめた。
「反対はしなかったな」
エルフヘルムが記憶を辿るように呟くと、
「だけど、あの時はまだ今のようなグリマではなかったように思えましたが…」
エオウィンも自信のなさそうな様子で続けた。
「知らなかったのか、知っていて黙っていたのか、どちらなのだろうな。…くそっ、これで奴を追放できると思ったのだが…」
セオドレドは無念そうに歯噛みした。
「だが、あいつは逃げた。後ろ暗いところがなくてどうしてそんなことをする?」
自分に言い聞かせるように言うセオドレドを、は暗い気持ちで眺めた。
以前グリマと話をしたとき、あの男はこう言ったのだ。
『私がエドラスを追放されようと、セオデン王のお加減はよくならん。また、たとえ良からぬものがあったとしても、私を糾弾することはできない』と。
つまり、あの男はセオデンの病がただの病ではないことを知っていた。
そして自分が直接関わっていない自信もあるのだ。
原因をわかっていたかどうかについては、白とも黒ともつかないというのが妥当な見解だろう。本人が真実を言わない限り。
(グリマは本当に逃げたのかしら…?)
の心中に疑いが生じた。
疑いの色が濃いとはいえ、壁紙の件でグリマが処罰される可能性は限りなく低かった。
エルフヘルムもセオドレドも、そしてエオウィンも、ロヒアリムの中では高い教養を持っている人たちだ。その彼らをしても『有害な顔料による空気の汚染』というものは初めて知ったことなのだ。
のいた世界でも、これは新しい知識に属する。科学技術の発達や衛生観念の向上によってようやく広まったものなのだ。
そういうものをグリマが知っていたとしたら、それはどこから得た知識なのだろうかという疑問が起こるのだ。
は腕組みをして椅子の背もたれに寄りかかった。
(ガンダルフは、どこまで知っていたんだろう)
ガンダルフはセオデンに外に出ろと忠告した。
には慢性砒素中毒には転地療法くらいしか効果がないという知識しかなかったが、彼の忠告はまさに的を射たものだったのだ。
いや、引越しをしなくても、原因となるものがなくなればそれ以上悪化はしないはず。
ガンダルフはそこまでわかっていたのだろうか。
もしそうなら、同じ魔法使いであるサルマンも知っていることにならないか?
(う〜ん。ちょっと無理があるかな?)
魔法使いの知識がどれほどのものなのか、にははっきりとしていなかった。
このまま推論を重ねても机上の空論になるだけだ。
これ以上の詮議はやめようと顔を上げたとき、の身体は雷に打たれたように強張った。
少女の脳裏には空に放った八羽の鷲のうちの一羽が見ている映像が映し出されていた。
緑の褪めかかった草原の間でそこだけ草が刈られ、盛り上がった土の上には剣や槍が突き出ている。
まだ新しい。
少女はすぐさま鷲に意識を合わせた。
『見て』いるのは北に向かって飛んでいた式神だとわかると、やりきれない思いに叫びだしそうになった。
(あれはお墓だ…!)
あの下にはグリマを探しに行き、モルドールの尖兵に殺されたという、エルフヘルムの部下たちが永遠の眠りについているのだろう。
エドラスでもヘルム峡谷でも、葬式を見たことはにもある。
だがそこにある死は、人びとを守る門の内側においての一種の穏やかさをたたえたものだった。
死に装束を着せられ、共同墓地へと葬られる。
にとっても理解の及ぶ、人のあるべき最後の姿だと思えた。
しかし、少女の鷲が捉えている映像は、そのような感傷を吹き飛ばすものだった。
どこまでも広がる草原の只中にある墓標は、数年も経てば風化してしまうだろう。
突き立てられている槍も剣も朽ち倒れ、土はなだらかになり、その上には草が生える。
印となるものは見当たらなくなり、彼らを愛した人たちにも、どこに彼らが眠っているのか、わからなくなるだろう。
だが、これもロヒアリムのもう一つの最後の姿なのだ。
そのことに思い至ったはあまりの衝撃に放心した。
剣を持って戦うということがどういうことなのか、最も理解したくない形で突きつけられたように感じたのだ。
(あの土の下には、きっとわたしの知っている人もいるんだわ)
エルフヘルムにはあまり良く思われていないという自覚があったが、彼の部下だからといって全員が隊長に倣っているというわけではなかった。
ただ挨拶を交わすだけの者から気さくに話しかけてくれる者まで様々だった。
今まで偵察や見回りで出かけた騎士が戻らなかったという話を聞いても、気の毒だと思うだけだったが、それがどれほど上っ面の同情であるか。
顔から火が出る思いだ。

―見ていなかったからわからなかった。

そう考えて、即座に否定した。
(いいえ。見ようとしなかったんだ!命をかけなければならないということをまるでわかっていなかった…。こちらに来る前にも危ない目にあったことはあったけど、そんなの、ナセという安全圏の中で危険な遊びをして喜んでいただけにすぎないんだわ)

!どうしたんだ!?」
がくがくと揺さぶられては我に返った。
気がつくと目の前にはセオドレドがいて、両肩をつかまれていた。
「セ…オドレド、様?」
セオドレドは心配そうな顔での顔を覗きこむ。
「呆けたと思ったら、急に泣き出したりして…どうした?何があった」
涙を拭われては自分の頬に手を当てる。
「あれ…?わたし、泣いて…。気付かなかっ」
口を動かすとさらに涙は溢れた。
「やだ、どうしたんだろ…。申し訳ありません、少し、席を外します」
嗚咽しながらは袖で涙を拭う。
セオドレドの手を振りほどき、涙で濡れた顔を隠しながら自室に駆け込んだ。
いつまでも泣き止めない自分が情けなくて仕方がなかった。






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