は足に当たる固いものに意識を向けた。
彼女はいつでも引き抜けるように右の太ももに短剣を括り付けているのだ。
ずり落ちないように紐で固く縛りつけたせいで、血液がそこで止まっているような気がしている。
しかし裾が長く、たっぷりとしたスカートのお陰で外からはわからない。
剣を使う女はエドラスでは珍しくはないとは言っても、剣を持ち歩いている女がいるわけではないのだ。
スカートの中に隠せなければ、短剣を持ち歩くことはできなかっただろう。
いつもは動き辛くて不便だと感じていたドレスに、今日ばかりは感謝の念を禁じえなかった。

何気なく歩きながら、は視線の端で一人の人物を追い続けた。
グリマ。
彼女が殺すはずの人物を。










復活の日










はエオウィンの手助けをしながら機会を待った。
彼女はセオデンの世話をするために王の傍に控えている事が多く、王の傍にはグリマの姿があったからだ。
しかしエオメルとの約束も甲斐なく、昨日は何もできなかった。
機会がなかったわけではない。
問題は彼女の方にあった。
行動を起こそうとするたびに、恐ろしくて動けなくなってしまうのだ。
は焦っていた。
早く決着をつけたくて仕方がない。
何度かスカートの布越しに短剣に触れて、気持ちを奮い立たせようとする。
しかしこれが最善だと言い聞かせているものの、行うのは殺人…。
気分のいいことではなかった。
時折、口から飛び出そうなほど心臓が早鐘のように打つ。
手の平には汗が滲み、頭から血が下がってゆくような感覚もあった。
だがそれをエオウィンは―そしておそらくはグリマも―がまだ本調子に戻っていないせいだと考えているらしく、部屋に戻って休んでいていいと言う姫の申し出を、彼女はやんわりと断らなければならなかった。
朝食が終わって少し経ち、時間が過ぎるのを苛苛と待っていると、困惑しきった様子の兵が広間に入ってきた。鎧の形から彼が門衛であることが見て取れる。
「陛下、ご報告がございます」
「何事だ?」
セオデンが口を開くより先にグリマが答える。
門衛の眉毛がぴくりと動いた。
しかしそれ以上に態度が変わることはなかった。
「門前に旅人が四名参っております。エオメル様から借りた馬を帰しに参ったそうです。彼らの名は、アラソルンの息子アラゴルン、エルフのレゴラス、ドワーフのギムリと申します。そしてもう一人が、ガンダルフです。彼もまた飛蔭と共に戻って参りました」
は一瞬、門衛の言ったことが飲み込めなかった。
「…ガンダルフ?だって、彼は…」
思わず声に出したに門衛は視線を移した。
「大層くたびれた様子でしたが、間違いなく魔法使いのガンダルフでした」
「しかし、奴は死んだのではなかったか!?」
激昂したグリマは叫ぶ。
「そうではなかったということでしょう。兄上は話を聞いただけで、実際に見たわけではないのですから」
エオウィンは静かに反駁した。しかし彼女の顔にも困惑が滲み出ている。
門衛は王の返答を待ってじっとしていた。
「陛下、今このときにガンダルフになど関わっている場合ではございませぬ。またもや奴は禍と共に参りましたぞ。マークに更なる災厄を呼び込まれる前に、さっさと馬を置いて出てゆくように命ずるのが一番です!」
吐き棄てるようにグリマは言った。
はセオデンがグリマに同意する前に反論をしなければと咄嗟に思った。
何かが変わる気がする。
理由はわからないものの、そんな予感がしたのだ。
それに、何も起こらなかったとしても自分の予定が変更になるわけではない。
ガンダルフたちの用が終わるのを待てばいいだけだ。
「陛下、わたしは彼らと会うべきだと思います。エオメル様はは彼らを見誤らなかった。誠実な申し出に誠実に対応したのです。その彼らに対して、馬を置いて出てゆけとは、あまりにも不遜ではありませんか。この国の礼儀が落ちたなどと囁かれても宜しいのですか?それにガンダルフにしても、飛蔭がなぜあのように荒れてしまったのか、理由を知りたく存じます」
殿、差し出がましい口出しは謹んでいただけますかな」
グリマは苛ついたように睨んだ。
はそれには答えず、セオデンを見つめる。
「陛下、偉大な王にふさわしい、寛大なお心をお示しください」
セオデンはじっと少女を見詰めたが、ややあって「会おう」と言った。
「陛下…」
未練がましくグリマは言い募る。
「話は聞こう。だがもしあれが何らかの要求をしてこようと、飲むつもりはない。いい加減あの御仁にわが国をかき回されるのはうんざりなのでな」
そっけないセオデンの言いに、は何かが起こるなんてやっぱりただの気のせいかもしれないと思った。
グリマも安心したらしく、「それならば…」と口の中で呟いている。
「承知いたしました」
門衛はセオデンの返答に頭を下げる。
さっそく旅人たちに伝えるべく踵を返しかけた男に、グリマは声をかけた。
「待て。よいか、その者たちに武器を館の中に持ち込ませてはならん。入り口にすべて置いてゆかせるのだ。剣も弓もナイフも、ただの杖であってもだ。魔法使いもその手下も、信用できるものではない」
グリマはそう言うとセオデンを振り返った。
セオデンは無言で頷く。
それでようやく気が済んだようで、グリマは襟を正して王の足元に座った。






何かが起こるかもしれない。
ある意味では、その予感は当たった。
僅かに残った廷臣たちの間でことの成り行きを見守っていただったが、彼女はそこでの出来事に瞬きをするのも忘れて見入った。
ガンダルフは三人の旅人を従えて堂々と歩いて中に入ってくる。
魔法使いの最初の挨拶にグリマが嫌味で答えると、これを怒鳴りつけて退け、杖を掲げた。
「杖を持ち込ませてはならぬと言ったではないか!」
グリマは叫んだ。
灰色のマントが翻ると、真っ白の衣に包まれた魔法使いがそこにいた。
音はなかったが雷が間近に落ちたような衝撃が走り、あたりは光に包まれる。
は思わず目を細めた。
強い魔法が使われたのだとすぐにわかった。
セオデンを中心にマーク中に張り巡らされた蜘蛛の糸が焼き尽くされるようだった。
清浄で強い光輝に、はまた己も浄化されたように感じた。

光が静まると、グリマは床に這いつくばり、セオデンはぼんやりとガンダルフを見つめていた。
膜が張ったような王の目に理知的な光が戻ってくる。
だが変化はそれだけに留まらない。
実年齢以上に老けて見えた顔からは深い皺がなくなり、白髪だった髪には金色が戻っている。
「センゲルの息子セオデン殿。殿はわしの助けをお求めかな?」
呆然としたままのセオデンにガンダルフは静かに声をかけた。
セオデンの目がゆっくりと瞬く。
「ガンダルフよ…」
「お立ちになられよ、殿。そして外の空気を吸われるとよい」
ガンダルフの顔は辛抱強い慈愛に満ちている。
セオデンはゆっくりと立ち上がった。
「余はずっと暗い夢ばかり見ていた…」
後方で控えていたエオウィンは驚きに目を見張る。
セオデンが誰の手も借りずに立てたことはついぞなかったのだ。
「だが、ここはそう暗くはない」
寒さを防ぐために何枚も重ねていた毛皮を引きずり、セオデンは歩いた。
ゆっくりとだが、徐々に力強さを取り戻している。
ガンダルフはセオデンの後ろを守るように付いていった。
旅人たちは王と魔法使いのために脇に移動する。ちょうどの反対側である。
その中にはやはり見覚えのあるエルフの青年がいた。
「その通り。一部の者からそう思い込まされておいでのほど、老齢が殿の肩に圧し掛かっていたわけではないのです」
の目の前を通り過ぎる頃には曲がっていた腰は伸びており、真っ直ぐ立った王はセオドレドと同じくらい背が高いのがわかった。
近衛が扉を開けると、広間の奥にも冷たい風が吹き付けてくる。
しかしそれにも関わらずセオデンは歩みを止めなかった。
呪縛が解けたのだ。
は王に起きた事をはっきりと悟った。
病は癒せても心に吹き込まれた悪意は消せなかった。
それは長い間に渡って植えつけられていた毒で、またサルマンの息もかかっていたものだった。
しかしそれは消え去った。元のセオデンに戻ったのだ。
老いさらばれた王しか知らないにとって、今のセオデンは二十も若返ったように見える。
しかしこれが本来のセオデンなのだ。
今の王の様子をセオドレドに見せてあげたい。そうが思っていると視線の端で黒いものが動いた。
何とはなしに目をやると、グリマが這いつくばりながらも後じさり、逃げ出そうとしているところだった。
「逃がさないで!止めて!」
反射的に叫ぶと、誰かがすぐに走り出した。
それはガンダルフと共に来た旅人の一人で、一番背が低くて豊かなひげを持った男だった。
男はグリマに追いつくと背中を踏んづける。
潰された蛙のような悲鳴がグリマの口から漏れた。
グリマの悲鳴にセオデンが振り向く。
相談役の顔を改めて見つめたセオデンの顔は瞬く間に険しくなった。
「誰ぞ、我が剣を持て!」
威厳に溢れた王の声に、ハマが動いた。
「お前の治療とやらは、余から力を奪い、獣のようには地をいつくばって歩かせるということだったのか?」
セオデンはグリマに向かって進む。
背は低いが力が強そうな男に踏まれたままのグリマは、手足をばたつかせて喚いた。
「そのようなことは、殿!わ、わたくしは誠心誠意、殿にお仕え申し上げだけで…!」
「黙れ!その不実な舌を引っ込めよ!」
セオデンの一喝にグリマは縮こまった。
「殿、古より伝わりしご名刀、ヘルグリムでございます」
そこへハマが息せき切って戻ってくる。
セオデンは剣を取り鞘から抜くとグリマの目の前に振り下ろした。
「客人よ、どうかその足をどかしていただけんか?」
セオデンの要請に男は頷く。
だが重しがなくなってもグリマは起き上がれないでいた。
「こやつを立たせよ。我が館を裏切り者の血で汚したくはない」
王の命令に、ハマと彼の近くにいた近衛兵が両脇からグリマをつかんで引きずっって行った。
扉の外まで行くと、階段めがけて放り投げる。
石段の下に向かってグリマは転げ落ちた。
憤怒の形相のセオデンはグリマを追い、痩せた身体目掛けて剣を振り上げる。
「待たれよ、殿!」
剣がグリマに刺さる寸でのところで魔法使いの杖が遮った。
「邪魔をせんでもらおう、ガンダルフよ」
「いいや、わしは邪魔をするぞ。この蛇は斬って捨てるが当然じゃろうが、こやつも元来こうだったわけではない。この者なりに陛下に奉公したこともあるじゃろう。こやつを望むところに行かせてやるが良い。その行き先でこやつを判断なされよ」
セオデンは激しい怒りと苛立ちを込めてガンダルフを睨んでいたが、徐々に剣を握る手からは力が抜けていった。
セオデンはグリマを見下ろし、
「どこへなりと行くが良い」
と言った。
グリマはぶるりと震える。
「だが、もし再び会い見えることがあれば余は容赦せぬ。さあ、行け!」
グリマはあたりを見回し、もうどこからも助けはないと悟ると脱兎の如く逃げていった。
何事かと家々から出てきた人々は、グリマが近づくや慌てて道を空ける。
男の背はだんだん小さくなってゆくが、最後まで見送らずにセオデンは館へ向かった。
セオデンが目を上げると、階段の上では近衛に混じって旅人と姪がいるのを認めた。
そしてその隣に、ロヒアリムではない娘がいることも。



セオデンが戻ってきたので、道を空けるべくは脇に移動した。
だがセオデンは通り過ぎずに少女の前で立ち止まる。
「そなたは…」
王の青い目がを見下ろす。
です」
は悲しい思いで頭を下げた。
王とはこれまで何度も言葉を交わしたことがあった。婚約の事も承知してくれた。
しかし本当にのことを認識したのは、これが初めてなのだと悟る。
セオデンもそのことに思い至ったに違いない。
「…すまぬ」
セオデンは潤んだ目に手を当てた。










それからは一気に慌しくなった。
エオメルが牢から出され、王やガンダルフと言葉を交わす。
近衛たちは嬉しそうにその様子を眺めていた。
も、予想より遥かに良い形で決着が着いたことに安堵を覚える。
これで罪を犯す必要もなくなった。
だが喜びが過ぎ去るとの心には次々と疑問が生じてきた。
その疑問はもっぱら王を救った魔法使いから発しているのだ。
できれば誰にも邪魔されずにガンダルフと話をしたいが、そのような時間があるのだろうか。
ぐるぐると考えていると、誰かが顔を覗きこんできた。
「ねえねえ」
「は…い!?」
あまりの近さに思わず飛びすさると、彼はきょとんとした顔になった。
それは白皙の美貌の人、レゴラスであった。
「ごめんね、驚かせちゃったかな」
綺麗な形の眉が済まなそうに寄る。
「いえ、こちらこそ、ぼんやりしていたものですから…」
レゴラスは興味深げにを眺めている。
何がそんなに楽しいのか知らないが、口には笑みも浮かんでいた。
「何か御用ですか?レゴラス」
問うとレゴラスはぱあっと表情を明るくさせて満面の笑みになった。
美人には慣れているはずのも、思わず気圧されてしまいそうだ。
「レ…レゴラス!?」
「やっぱり、あなたなんだね!」
レゴラスはがしっとの手を取って上下に振った。
「は…?え…?あのー?」
困惑するを他所に、レゴラスはべらべらと喋る。
「ミスランディアがね、レオフォストは人間の女の子で、エドラスにいるけどロヒアリムじゃないっていうからきっとあなただと思ったんだよ。だけど声を聞かないと本当にそうなのかわからなくって。そうしたらやっぱりあなただった!私のこともわかるんでしょう?声も同じだし。だけど少し掠れているみたいだね。目の周りも赤いもの。もしかして病気とかってものになったの?大丈夫?それで戻ってきてくれなかったの?私、ずっと待っていたのに。ねえ、レオフォス…ぐう!」
レゴラスは後ろから引っ張られて最後まで話すことができなかった。
手を握られたまま圧倒されていたは、ようやく我に返る。
レゴラスの首に腕をまわして羽交い絞めにしていたのは、黒髪で背が高い方の旅人だった。
もう一人も呆れたようにレゴラスを見上げている。
「申し訳ない、娘さん。この馬鹿エルフが失礼なことを…」
黒髪の男は頭を下げる。
レゴラスは暴れていた。
「あ、いえ…大丈夫です。少し驚きましたけど」

「放して、アラゴルンー!」


「そういえば、レゴラスはわたしがあの鷲だとはわからなかったんですよね」
「まあ、そうなのですが、ガンダルフから鷲の子はロヒアリムではないと聞いていたので、予想はついていたというのが本当のところです」
「あらまあ」

「アーラーゴールーンー!」


「あの、わたしがレゴラスと会ったときに眠っていた方ですよね?」

「放してったらー」


「ええ、そうです。私はアラソルンの息子アラゴルン。彼はドワーフでグローインの息子ギムリ」
アラゴルンの後ろでギムリは頭を下げてきた。
厳つい顔立ちだが礼儀正しい人(ドワーフ)なのだとは思った。
「わたしはです。ローハンの方にはレオフォストとも呼ばれております。呼びやすい方でお呼びください」
はスカートを摘んで礼をする。
「で、そろそろレゴラスを放してあげてくださいませんか?」
こんなに騒がれては落ち着いて話すこともできやしない。
という言葉は飲み込んで、はアラゴルンを見上げる。
アラゴルンは肩をすくめるとレゴラスの首から腕を外した。
レゴラスはひどい目に遭った、と呟きながら首をさする。
「あの、ガンダルフ殿は一体どうなさったのですか?どこで会われたのです?わたしが会ったのも、エオメル様が会ったのも、あなた方三人だけだったのでしょう?亡くなられたと聞いてましたが、そうではなかったのですね?」
「そうだともいえますし、違うともいえます」
落ち着いた声でアラゴルンは答えた。
「それは、どういうことでしょう」
「彼はエオメル殿に伝えたように、モリアの地の底へ落ちたのです。それで、一度死んだと言ってもいいでしょう。だが、彼は戻ってきた…。私たちが彼に再会したのは、仲間のメリーとピピンを探して中に入った、ファンゴルンの森の中でのことです」
「あの森の中で…?じゃあ、やっぱり…。じゃなくて、そうだ、二人のこと忘れてた!」
「メリーとピピンのことかい?」
とレゴラス。
「ええ。森の中で二人を見つけたの。そのことをあなたに伝えようとして戻る途中で攻撃を受けたの。それであなたに伝える事ができなかったの。それに、その後はわたし、術を仕える状態ではなくなってしまって…」
「大丈夫、あの二人なら木の鬚に保護されたから。今は彼らに任せるのが一番だって、ミスランディアが言っていたよ。それで私たち、彼と共にここに来る事にしたのだもの」
は目をぱちくりとさせた。
「木の鬚って…。もしかして大きくて肌が茶色い、木みたいな…?」
「そう。彼のことも見たんだ?私はまだなんだよ、羨ましいなぁ」
「………えーと、では、あの二人はエントに預けて良かったんですね?」
「そうみたいだね」
エルフののんきな口調に、は思わず呆れ顔になる。
しかしギムリは大事なことは聞き逃さなかった。
「攻撃を受けたのだって?」
「そうです。わたしの鷲はエント森…あなた方のいうファンゴルンで攻撃されたんです。白髪の魔法使いだったのでサルマンだと思っていたのだけど、もしかしたら…」
は表情を曇らせた。
「それは、あの日の夜のことなんだね?」
レゴラスは静かに問いかけた。
そうしているといかにも王の子らしい気品がある。
陽気と言うよりも弾け飛んでいるといった感じのレゴラスと今のレゴラス、どちらが彼の本質なのだろうかとは考えた。
「それならサルマンだと思う。私たちもミスランディアに会う前にサルマンらしき老人を見たんだ。森の中でミスランディアと再会したので、実際は彼なのかと思った。だけどミスランディアは、私たちと会うまでは誰とも会わなかったと行っていたから、あなたが会ったのもサルマンなんだろう」
「だけど、それはおかしいわ」
は反論した。
「ガンダルフ殿はわたしのこともわたしの鷲のことも知っています。だから、彼が攻撃してきたなんて、信じられない。だけどサルマンがあの場にいたというのなら、もっとおかしいわ。サルマンの軍はアイゼン川の浅瀬で戦って、王の息子を殺したのよ。サルマンの軍勢はマーク軍全部を合わせたよりも多いと聞いています。もう一押しで完全に勝利を収めることができるのに、その指揮をほったらかしにしなければならない理由がどこにあるというの?」
レゴラスはアラゴルンやギムリを振り返る。
詳しい事情を知っていて、話しても良いのかと訊ねているようだった。
答えたのはアラゴルンだった。
「詳しいことはお話できないが、サルマンは攫われた私たちの仲間を受け取りにあそこまででてきたのと思う。それというのも、彼らはサルマンが喉から手が出るほど欲しているあるものの行方を知っているのだ。彼らが攫われたのも、そのせいなのだ」
は沈黙してレゴラスとアラゴルン、ギムリを順々に見つめた。
彼らは信用できる人物なのかもしれないが、しかしまだ引っかかる。
「レオフォスト?」
「あなた方の同行者に、ゴンドールのボロミア殿がいらしたのですよね?」
「…うん」
レゴラスの目から明るい光が消える。
「彼は、本当に亡くなられたの?」
「そう。メリーとピピンをオークから守って…」
レゴラスから光が消えうせると、この上なく悲しげになる。
アラゴルンとギムリも苦しげな顔をしていた。
辛い事を聞いているのだとは思った。
の声は自然と低くなる。
「ボロミア殿がここに立ち寄ったときに、エルフの国を探しているといいました。不思議な夢を見るので、その謎を解くためだと。その夢の中に出てくる言葉に、小さい人というのがありました。『小さい人ふるいたつべけれ』、と。それはメリーとピピンのことなのですね?」
「いいや。あの二人のことではないんだ」
レゴラスは言葉を濁す。
「…違うんですか?じゃあ…」
「レオフォスト、私たちはこれ以上説明はできないんだ。お願いだ、聞かないで」
は苦しげなレゴラスを見つめる。
そして最後通牒を突きつけるように言った。
「他にもいるんですね。そして、その小さい人はサルマンに狙われているのだわ。そしてゴンドールとも関係がある。もしかしたら、もっと多くのことにも」
三人は黙り込んだ。
それこそが返答だといえた。
「ごめんなさい。もう聞きません。もう充分です」
しかしようやく納得がいった。
あの場にサルマンがいた理由。
そして、セオドレドを殺したというのにいまだにエドラスにサルマン軍が攻めてこない理由が。
魔法使いの軍勢ならば、とうにここまで来ていてもおかしくはないのだが、アラゴルンたちの話から察するに、サルマンは目的があって戦いを一時中断したのだ。
鍵となるのは小さい人。
そしてその人物はゴンドールも巻き込まれるような、強力な『何か』を知っているのだ。
どうやらことは、マーク対アイゼンガルドなどという単純な図式ではすまないようだ。
目に見えない大きな流れが起こっており、マークもその流れに飲み込まれているらしい。
「あなたは何者なのだろうか、レオフォスト殿」
考え込んでいるに、アラゴルンは当惑したように問いかける。
「え?」
「ガンダルフはエドラスの侍女だと…。魔法使いだが人間なのだと言っていた。だが、それだけではないように思える」
「わたしは…」
それだけだと言おうとしたところを、エオメルの声が割って入る。
「彼女は我が従兄セオドレドの婚約者だ。侍女ではない」
セオデンやガンダルフとの話は一段落したらしい。
つかつかと近寄ってくるとレゴラスからを隠すように間に入ってきた。
あからさまな妨害に、レゴラスはむっとした顔になる。
「セオドレド殿というと、セオデン王のご子息の…?」
「そうです、アラゴルン殿」
「しかし、彼は…」
エオメルは沈黙したまま頷いた。
「しかし、彼女が我らにとって敬愛する女性であることは変わらないことです」
エオメルはを振り返ると気遣うような笑みを向けた。
はエオメルの笑みの意味を正確に受け取る。
情報の遮断された牢の中で、彼は今までどれだけ苦しんできたのだろう。
自分の無力さと、セオドレドとへの罪悪感に責め苛まれて。
エオメルはアラゴルンに向き直ると、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、アラゴルン殿。詳しくは申せませんが、あなた方の到着で、エドラスに起きるはずだったさらなる悲しみを回避することができました。これほどまでに早く来ていただけるとは思っていなかった!ありがとうございます、本当に」
エオメルはアラゴルンに握手を求める。
「あ、ああ…。よくわからないが、役に立てたのならば光栄だ」
アラゴルンも手を差し出す。
「アラゴルンばっかり。私たちだって頑張ったのにー」
堅く握手を交わす男たちに向かって、レゴラスはぶつぶつと文句を唱えていた。






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