戦いは勝利のうちに終わったが、それでめでたしめでたし、になるわけではない。
残された者にはやらなければならないことがたくさんある。
鎮魂歌
出発する頃になってようやく、亡くなった兵士たちの埋葬作業が始まった。
角笛城の前にある広場になっているところに二つ、大きな塚が築かようとしている。
片方には東の谷から来た兵が、もう一つは西の谷の兵たちが葬られるというのだ。
戦場となった地のこととはいえ、各人の塚を築くことができないのだというやりきれなさに、はそっと唇を噛んだ。
塚はもう一つあった。
角笛城の陰に隠れる場所にぽつんと離れて作られたそこは、まだ遺骸に土をかけられていないまま、王たちを待っていた。
もエオメルたちと共にそこへ向かう。
そこへ近づくと、少年が一人、塚の前に黙然と立っていた。
その子供には見覚えがある。
一年前よりも背が伸びていたが見間違えるはずはない。
少年はハレス。近衛隊長ハマの息子である。
塚の主となる者は、その彼であった。
ハマはヘルムの門の前で討ち死にしたという。
生き残った息子は、王たちが塚の前に近づくと、幼い顔に翳りを帯びたままそっと下がる。
セオデンはハレスのまだ細い肩に手を置いた。
「我が近衛隊長が失われたことは、マークにとってひどい損失だ」
ハレスは目を伏せる。
泣くまいと堪えているようだった。
セオデンはハマに追悼の言葉をかけ、自ら塚に最初の土を被せた。
次にはエオメルが、慕っていた近衛隊長に別れを告げた。
三番目はハレス。
その次にはセオデンに付き従ってアイゼンガルドへ赴く者たちが、かつての仲間に敬礼を送る。
彼は人望の厚い隊長だったのだ。
最後の随員が土をかけ終ったので、これで終わりなのだろうかとは思った。
ガンダルフたちは彼らに倣うのだろうか、そして自分もやっていいのだろうかと、逡巡する。
と、は背中に手を当てられて我に返った。
「、お前も…」
エオメルが暗い瞳で促すので、
「いいの?」
そっと問い返すと、いつになく力ない様子で頷いた。
「そうしてやってくれ。ハマも喜ぶ」
そう言う声にも覇気がない。
ハマの喪失はエオメルに再び強い悲しみをもたらしたのだろう。
だが男と女の差か、単に騎士としての矜持か、その顔からは磊落さは失われているが、涙は浮かんでいなかった。
は塚に近づくと、周囲に寄せられていた掘られた土を両手一杯に掬い、ハマの上にかけた。
その土は胸の辺りに落ちて、ハマの鎧を隠した。
血が拭われた近衛隊長の顔には、大きな傷はない。
表情も眠っているように安らかだ。このまま起き上がっても不思議ではない。
自分が何かひどいことをしているように感じて、は思わず顔を伏せた。
それから出発となった一行は、葬儀の余韻を引きずり、沈痛な雰囲気のままヘルムの門を出た。
外には未知の森が威容を晒し、森と角笛城の間には、オークの屍骸が山と積まれていた。
その光景にも、の愛馬たるブレードは少しも動じた様子はなかった。
まだ若い娘を思わせる細い鼻面をしっかりと上げ、金色の毛並みを引き立てる白い鬣を揺らして飛蔭の後ろをついてゆく。
彼女は軍馬ではないが、基礎的な訓練は受けている。
マークでは人間の女も雌馬も、戦場が何たるかを知っているのだ。
は自分の不甲斐なさにため息をついた。
ここで動揺しているのは自分だけだと感じたのだ。
オークの亡骸の横を通る時には、見たくもなかったが、目が勝手にそちらを向いてしまう。
向いたところで嫌悪感しか覚えないが。
顔の部品の数も、手足の数も人間とは何も変わらないのに、青白い肌とそれに反するように筋肉が隆々とした身体は、どこかホラー映画の作り物染みていた。
これらとほんの数時間前まで生死をかけて戦っていたのだとは、にわかに信じ難い。
そういえば、こうしてじっくりとオークを目の当たりにしたのは初めてだったとは気付いた。
エドラスにいた頃は毎日のように会話の端に上がってきていたので自分でもよく知っているような気になっていたが、戦場には縁遠かった彼女は実際に見たのはこれが初めてだったのだ。
鷲の目で一度上空から見ているのを除けば、だが。
かつて、敵として地上を歩いていた者たちにも待っている者はいるのだろうか。
死んだ彼らに哀れみを覚えない自分は、心の冷たい人間のように思えて、はまた気分が滅入ってきた。
そこを通り過ぎると、森は目の前だ。
獣道もないほど密集した森は、歩かなければならないだろう。
しかしガンダルフは飛蔭から降りる気配もなく淡々と進んでいった。
すると、魔法使いの進み先に道が現れたのだ。
元々そこは角笛城とアイゼンの浅瀬からエドラスを繋ぐ道へ続いているところだ。
森たちは静かに枝を上げ、道を塞ぐ幹は脇に移動し、通行人を妨げないようにして待っていた。
枝葉が触れ合う音以外、何の物音もしない。
ガンダルフが先頭に立ち、レゴラスがギムリと一つ馬に乗って魔法使いの後に続いた。
ドワーフは森を怖がってあまり見ないようにぎゅうと目をつぶるが、一方エルフは興味深そうにあちこち見るのに余念がない。
彼らの後にはアラゴルンとセオデン、エオメルが続き、やはり好奇心と共に若干の不安を覚えながら進んでいた。
はそのすぐ後ろである。
彼女の後ろには随員たちが続いているので、丁度列の真ん中で守られている形になった。
そのは周りを取り囲む木々の圧迫感に息が詰まりそうになっていた。
どこにも目はないのに視線を感じる。
一挙一動を見張られているとしか思えない。
冗談でも列を離れたら、二度と日の目は拝めないだろうとさえ感じた。
この木々たちから受ける印象を感情に例えるとしたらそれは「怒り」だ。
それは自分たちに向けられているものではないのかもしれない。
エント森を離れてここまで来てくれたのだから。また、自分たちを黙って通してくれたのだから。
しかしどこまで続くともしれない緑のトンネルをくぐっていると、自分たちの小ささ、寄る辺のなさに恐ろしくなるばかりだ。
彼らがちょっと気まぐれを起こしただけで、自分たちは跡形もなくなってしまうに違いない。
そんな風に思い悩んでいると、前方から涼やかな風にも似た響きがの耳に届いてきた。
どうやら前方では、レゴラスがこの森を見て回りたいということをしゃべっているようだった。
それに続くは岩を転がすようなドワーフの声。
ギムリはこの森は好きになれないときっぱり言うと、もさんざん聞かされた洞窟の話をしだしたのだ。
話に熱中するあまり、ギムリは恐怖心を忘れてしまったらしい。
喋喋と弁じる間に洞窟嫌いの森エルフも心を動かされた様子で、仕舞いには彼に一緒に洞窟の中に行く約束を取り付けるまでにいたった。
レゴラスの方からも、ファンゴルンを見て回ろうという約束を取り付けられてしまったが。
しかし彼らのやり取りを聞いている間は、もずいぶん落ち着く事ができ、そうこうしている間に森の外れに着いてしまった。
森を抜けると、浅瀬へ通じる街道を西に曲がる。
左右を固めていた木々の列がなくなったために緊張が和らいだ王たちは、馬足を少し速めた。
しかしすでに日は山の向こうに没し、空と地の交わるところが赤く染まっているだけだった。
急ぐとはいえ、しゃにむに進まなければいけない訳ではない。
の体力でも余裕を持てるだけの速度で、一行は西へ西へと進んでいった。
太陽と入れ替わりに空には満月に近い大きな月が浮かんでいる。
ために、地上は先が見えないというほどの暗さではなかった。
月の動きから計算して四時間ほどになろうかという頃、は暗がりの中にも見覚えのある景色を見つけて鼓動が強く打った。
浅瀬が近い。
傾斜の緩い上り坂をくだると、今度は長い下り斜面となる。
(この先だ。もうすぐそこ…)
が始めてアイゼンガルドへ向かうためにここを通ったのも春まだ浅いこの季節だった。
再び訪れたこの時が、緑の濃い季節だったら気がつかなかったかもしれないが、運命は一年後にここへを呼び寄せたのだ。
しかし、その時共にあった人はすでにない。
瞼の裏に涙が集まりかかっているのを察して、は目をつぶった。
泣いては駄目だ。
少なくとも今はいけない。
は強く頭を振って、きっと前を見据えた。
何を見ても騒いではいけない。
自分はオマケとして同行を許されたのであって、のためにここに立ち寄ってくれたわけではないのだ。
「ここは侘しい場所になったな」
繰り返し自分に言い聞かせていたは、隣を進むエオメルの呟きにふと目を転じた。
「この季節は元々川の流れは少なくなるが、これほどまでに水が絶えるのは解せない。オルサンクはアイゼンの源の水をも飲みつくしてしまったというのか?」
セオドレドや同胞の亡骸が多数眠っているであろうことを言っているのかと思ったが、そうではないようだ。
は記憶を探る。
確かにこの距離ならば、川の流れる水音がするはずなのだ。
しかし蹄の音と枯れた草がこすれあう密かな囁き以外は聞こえてこない。
は両の鐙(あぶみ)に体重をかけて立ち上がった。
前方は背の高い馬たちと、同じく背の高い男たちに視界を阻まれてしまったが、隙間からきらきらと光るものが見えた。
川の流れが月光を反射しているのではない。
干上がった川のむき出しになった砂や砂利が月の光に煌いているのだ。
さらに、水量がなくなったせいで記憶にあるよりも小高い位置にある浅瀬の小島には、穂先を天に向けた槍がたくさん植えられていた。
瞬間、の身体は凍りついた。
覚悟はしていたものの、こうもいきなり目に入ってくるとは予期していなかったのだ。
「。!座れ、座るんだ!そのままでは落馬するぞ!」
脇から鋭く叱責されては我に返った。
前を行くセオデンたちもエオメルの声の激しさに振り返る。
「だ、大丈夫です」
は訳もわからず言い訳をしたが、自分が立ったまま呆けていた事にようやく思い当たる。
エオメルを見やると鬼のような形相で唇を引き結んでいた。
だからついてくるなと言ったのに、という言葉をようやく飲み込んでいるかのようだった。
「すみません」
は顔を伏せた。
情けなさで手が震える。
「…俯いたままでいいから、目だけはちゃんと開けていろ。前の馬についていれば、迷子になることもない」
ぶっきらぼうにエオメルは告げた。
そうしている間にも、一行は中の小島にたどり着いた。
「見られよ。味方の力戦奮闘した跡を」
ガンダルフが塚の前で止まる。
「この場所の近くで討ち死にしたマークの人間たちが全員ここに眠っておる」
セオデンはガンダルフの横に雪の鬣を進め、無言で見下ろす。
「彼らの槍は朽ち錆びようとも、彼らの塚は崩れることなくアイゼンの浅瀬を守りたまえ」
エオメルは呟いた。
あまりに小さな声だったので、以外には聞こえなかっただろう。
「ガンダルフよ、これもまたそなたがやってくれたことか?」
セオデンはガンダルフの答えを聞く前にそれを確信しているように先を続けた。
「一晩のうちに、そなたはよくもたくさんのことを成し遂げたものだ」
王の顔は悲しみの中にも感慨が含まれていた。
二度目に行われた浅瀬の合戦は、マークの軍が敗走する形で終わった。
セオデンはここで、獣や鳥に食い荒らされた民の姿を目にするものと思っていたのだ。
民が失われるのは悲しい。しかしそれ以上に、亡骸の尊厳を冒された様子を目にするのは許せるものではなかった。
だがどうだろう。
簡素ながら塚には小石が盛られ、周囲を大き目の石が囲んでいる。
浅瀬は守られたのだという実感がようやく沸き起こった。
「王、エオメル殿、、こちらへ」
ガンダルフは塚の前からゆっくりと移動する。
呼ばれた三名は列を離れて魔法使いについていった。
向かう先は小島の北端。
そこには剣が突き刺さった小さな塚がある。
見覚えのある剣に、誰からともなく呻き声があがった。
「セオドレドの塚じゃ。二度目の合戦で少しばかり崩れたが、直しておいた。剣も奪われてはおらぬ」
オークの軍勢は、死んだ者から鎧や冑、剣などを盗み去ってゆくということはローハンでは知られていた。
特に大将格のものは、首級代わりに何もかも剥ぎ取ってゆく事もあるという。
考えてみれば、ここは角笛城まで遠征してきたあのオークの軍勢も通ったのだ。
それが失われなかったことに、は不思議さを感じた。
剣はセオドレドではないが、彼の一部であるものが敵に蹂躙されるのを許せるほどは寛大ではない。
「ありがとうございます」
思わず口をついた言葉は、魔法使いに向けられたものか、少女は自分でもわからなかった。
しいて言えば、この地を守ってくれた者に対してた。
やはりというか、目を凝らしてもセオドレドの魂らしきものは見えない。
だが、それでもいいのだと思えた。
きっと彼はセオデンがここにいるのを知って、喜んでいるだろう。
マークは守られたのだから、と。
「しばらくここにいるかね」
セオデンはに問いかけた。
顔を上げた少女の目は、涙で潤んでいて悲しげではあったものの、どこか吹っ切れたようでもあった。
「陛下はどうなさいますか?」
「余は先に進む。サルマンとの話し合いは、急がねば」
「でしたら、わたしも進みましょう」
「良いのか?」
はしっかりと頷いた。
「いいんです。ここで泣いていても、セオドレドが困るばかりでしょうから」
「そうか…」
セオデンは憂いを帯びた眼差しで、少女を見つめた。
それから一行は沈黙したまま馬を進めた。
浅瀬からアイゼンガルドまでは古い公道が通っているので、さらに速度を速めることができた。
しかし真夜中になるとさすがに疲れも見え、一行は夜が明けるまで休む事にした。
彼らは公道の近くで休むのを避けて、水のない川床の側を野営場所に選ぶ。
見張り以外は皆、思い思いに座ったり横になる。
眠っている者は少ししかいないようだ。
アラゴルンやギムリは、旅慣れているせいだろう、すでに深く眠りついている。
セオデンやエオメルは、座ったまま、物思いに耽っているようだ。
レゴラスは立ったまま、星空を見上げていた。
は皆から少し離れ、荷袋を枕に横になったが眠る事はできなかった。
身体を休める事で頭が活発に動き出したような気がする。
数時間前に見たものを、何度も何度も反芻してしまうのだ。
闇雲に悲しみを覚えることはなかったが、胸の中に補いようのない空洞が開いたのを自覚しないわけにはいかない。
そこはきっと、セオドレドがいた場所なのだ。
の心のほかの部分は、時間が経つことに新たな思い出を刻み込む。
しかしそこだけは、二度と動き出す事はない。
思い出が増えることはない。
それを寂しいと思った。
眠れないまま過ごしていたが、ふと気配が近寄ってきたのでは片目を開けた。
するとレゴラスがのすぐ近くに腰を下ろしていたのである。
何か用かとも思ったが、エルフの青年は無言のままだ。
が気づいている事にはすでに気付いている。
少女が目を開けたとき、一瞬目が合ったからだ。
しかし彼は星のように光を帯びた目を瞬かせただけで、何も言わない。
夜の闇に窺える表情は穏やかだが陽気の色は見えなかった。
真顔のようだが、淡すぎる微笑を浮かべているようにも見える。
すべてが朧で、そこにいるのに、いないようだった。
見守ると言うほど強いものではない、無関心といえるほどそっけないものでもない。
そっと隣にいるだけだが、それがかえってを安心させた。
(イルカが隣にいたら、こんな感じかもしれない…)
安心したら眠気が襲ってきて、はまどろみに身を委ねようとした。
しかし、
「何か来る!」
レゴラスの気配が一瞬にして鋭いものに変じた。
彼は咄嗟に弓を構え、を背に庇うようにして立つ。
その声にも起き上がった。
周囲を見渡せば、眠っていたものも皆、動き出している。
「何事だ!」
アラゴルンが叫ぶ。
「何かが近づいてきている。オークじゃない。もっと大きいものだ」
アラゴルンはレゴラスの返答に、腹ばいになって地面に耳を当てた。
マークの騎士たちは一様に不安の色を浮かべる。
彼らには、いや、にも何も見えないし聞こえないのだ。
「重々しい足音が近づいている」
アラゴルンは腹ばいになったまま呟く。
「ここから遠くない」
ようやくにも重たい振動が感じられた。
それも、一度や二度ではない。
騎士たちは一斉に剣を抜き、音のするほうへ構えた。
ギムリも斧を取り、しっかと地面に両足を踏ん張る。
馬たちは怯えて飛蔭の側に集まっていた。
「そのまま動くな!」
叫んだのはガンダルフだった。
「剣は収めよ!待っているんじゃ、通り過ぎるだけじゃから!」
魔法使いが言っている間にも音は近づいてくる。
は恐々と立ち上がり、レゴラスの後ろから不気味な響きのする先を見つめた。
月は山の向こうに隠れ、あたりを照らすのは星の輝きだけだ。
ズシン、という音と共に星が見えなくなった。
次の音ではさらに空が隠れる。
巨大なものが近づいてきている。
訳が分からず、不安と恐怖で気が狂いそうになった。
巨大な影はたちのいる前で二手に別れた。
ただ黒い塊にしか見えないものが、脇を通り過ぎてゆく。
それらはたちを踏み潰すきはないようだ。
しかし、見上げてももう空は見えず、代わりに黒い影からはざわめきのようなものが聞こえてきた。
何を話しているかも聞き取れない。それがさらに不安をいや増した。
「エントだ…」
レゴラスの呟きが耳に入る。
「…え?」
反射的に問い返すと、レゴラスは柔らかな微笑を浮かべて振り返った。
「これはエントたちだ。彼らは帰るところなんだよ。自分たちのいた場所にね」
「帰る…」
「そう、角笛城から、エント森へ、ね。だから心配することはない。怖いことなど何もないのだから」
そしてそっとの手を取った。
はっとして、赤面した彼女は後ずさった。
無意識の内に彼女はレゴラスの服の端を握っていたのだ。
(は、恥ずかしい…。それにしても、ここのところ立て続けにレゴラスに甘えていない?わたし…)
喪に服すべき婚約者がこれでは、セオドレドも草葉の陰で泣いてるだろう。
はぴしゃぴしゃと頬を叩いて気合を入れると、もう一歩レゴラスから離れた。
エントの行進が終わってから夜明けまでの間に、他に変わったことがあるとしたら川の水が元通りに流れ出したことだ。
このことはますますセオデンやエオメルを不審がらせることになった。
上流では何かとてつもないことが起こっているようだと、出発前に王は言った。
一行はまた急ぎすぎない程度に馬を走らせた。
そのかわり途中の休憩はなく、オルサンクが見えるところまでたどり着いた時にはすでに正午を過ぎていたのだった。
「一体…何が…」
エオメルは警戒の色を強めて呟いた。
も一年前とのあまりの違いに息を飲んだ。
地面がぬかるみ、あちこちに水溜りがあるのはまだいい。
川の流れと関係あるのだとしたら、おそらく朝方に流れ出したそれは、今までここにあったのだろう。
どういう理由でかはわからないが。
さらに奥の塔付近からは、遠くからも見えた蒸気が今も勢いよく噴出している。
周囲は瓦礫だらけ。
生き物の姿は自分たち以外にはなく、アイゼンガルドの入り口は雑然とした荒地と化している。
一行は門に近づいた。
堅牢な、岩の形を生かして作られたそこも破壊されていた。
一年前にはセオドレドと、それに彼に付き従う騎士たちもろとも閉じ込められた鉄の扉は、むしり取られたように地面に転がり、岩を穿った強固なトンネルもあちこちが割れている。
今度は何の邪魔もなく奥へと進めたことには戸惑いを隠せない。
本当に、何があったというのだろう。
一行は驚嘆しながら門をくぐった。
「あれ?」
もうじき外というときに、レゴラスは首をかしげる。
「レゴラス、どうした?」
エルフの背中にしがみついていたギムリは友人を見上げた。
「うん、すぐにわかるよ」
レゴラスはにこっと笑って友人の問いをはぐらかした。
門の外へ出た一行は、やはり瓦礫塗れのオルサンクの姿に沈黙する。
「ようこそ、みなさん!」
「アイゼンガルドへー!」
一行を出迎えたのは、場違いなほど陽気な声だった。
瓦礫に腰掛けていた若者二人は、顔を赤くして大笑いしている。
背はエオメルを基準にすれば半分を少し超える程度。
二人とも巻き毛だが、片方は茶色、もう一人は金髪だった。
そしておそろいの灰色のマントを身に纏っている。
さらに彼らの周囲には料理の載った皿だの瓶だのが並んでいた。
瓶の中身は酒だろう。彼らの様子はどう見ても酔っ払っていたからだ。
あまりにも予想外の光景に、ロヒアリム一同はどう反応すればよいかわからず、そろって魔法使いに視線を送ったのだった。
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