1909年9月26日(日)                                                   
    ジルーシャから最初の手紙が届いた。

    授業はまだだが最初の挨拶を、ということらしい。

    なかなか感心なことである。

    さて、この大学は全寮制であるので必然的に入寮しなくてはならないのだが、ジルーシャの部屋をどうしようか

    考えた末、一年生としては特例になってしまうのだが、一人部屋を割り当ててもらうよう大学側と交渉すること
    ができた。奨学生などもいないわけではないが、ここに入学しているのは基本的に中流以上のお嬢さん方であ

    る。授業の間はともかく、自分の部屋でもそういった育ちの娘たちと一緒というのは気詰まりになるのではない

    かと思ったのだ。階級の差は、通常、人が考える以上に大きい。精神的に疲弊して、学業が疎かになっては本

    末転倒である。大学生活を続けていけばおいおい慣れるであろうが、最初の年くらいは新しい世界に身を投じる
    ことになった少女へ避難場所を与えるくらいのことは大した甘やかしにはなるまい。
    そうそう、姪のジュリアもジルーシャと同じ階に部屋を持つことになった。

    これも私の希望ということで、大学側には話を通してある。

    一応、本家の人間として、一族の人間の監督もしなくてはならないが、女子大学を頻繁に訪れるわけにもゆか
    ない。しかし姪と後見をしている娘の二人を同時に監督するというのも難しい話である。

    まあ、ジュリアの方には何かあれば彼女の両親を通じて私に話がくるだろうから、そんなに大変なことではない
    だろうが……。

    私も女の子の後見をするのは初めてなので、いささか気を張っているのかもしれない。

    そのうち慣れるだろう。

    

    しかし、ジルーシャからの手紙がしかつめらしく丁寧な、つまり恭しいがひどく詰まらないものになるだろうとは

    思わなかったのだが、案の定、最初の最初からやってくれた。

    彼女は私が後見人の名であるとともに、手紙の差出人として使うように知らせた名、ジョン・スミスが気に入らな

    いと言ってきたのだ。

    どうしてもう少し個性のある名を選ばなかったのかと憤慨している。

    私としては本名でなければなんでも良かっただけなのだが、ジルーシャの考えでは違うらしい。しかし、手紙の返

    事は書かない、何かあっても秘書を通しての対応のみ、と取り決めた相手の名が個性的であったとしても、それ

    がなんの違いになろう。だが、まあ、ジルーシャが決めた呼び名はそう悪いものでもないのでそのままにしておく

    つもりだが。

    ジョン・スミスの代わりの名は「あしながおじさん」。

    なんだかふわふわ漂っている人のように感じるね。






















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*「あしながおじさん」はページトップにも書いてあるとおり、原書ではDaddy-long-legsといいます。
 で、このDaddy-long-legsは「ガガンボ」のことなのです。ガガンボって、蚊みたいな足の長い虫のこと。
 壁とかにくっついて、追い払おうとしても飛んでったりはあんま、しないじゃないですか。
 だから「漂っている人のようだ」と書いたのですよ。