1909年10月19日(火)
    ジルーシャより手紙が届く。手紙は月に一度で良いと伝えているのだが……。

    彼女は自分の名前をジュディに変えた。もちろん、名簿ではそのままだが。

    彼女は自分の名を好きではないようであるし、(電話帳と墓石から取られたのだそうだ。それなら気に入らなく

    ても不思議はない。しかし、もう少し気を利かせられないのだろうか?リペット院長という人は)なにより本人の

    希望でもあるので、これより先は私もジュディと呼ぶ事にする。

    もっとも、手紙の返信を書かないので、この日記の中でのみとなるだろうが……。



    学業については、国語の教師より作文を褒められたとある。非凡な想像力がありということだそうだ。

    思っていた通りである。
    しかし、今回の手紙はその報告がメインというわけではない。

    今まで私が援助してきた少年たちは、ほとんどジョン・グリア孤児院への要望―文句と言ってもいいだろう―

    を書いてきたことはなかった。私が評議員であるということが最大の障壁になっていたには違いないが、それ
    でも気付けなかったのは我が身の不明である。ジュディはそのことを私に教えてくれた。
    ジュディは、そして今現在ジョン・グリアにいる者も出て行った者も、そこにいなければならないということだけ

    でとても傷ついているのだと。

    親がいないのはあの子たちの責任ではない。

    孤児であろうと、人並みの幸福を手に入れる資格はあるはずだというのが私の考えである。

    ただ……。ジュディは慈悲をかけられることに苦痛を感じているようなのだが、しかし、では何もせずに放って

    おけば良いとでもいうのだろうか?

    何も与えず、何も教えず、一瞥もせず、捨て置いた方が良いとでも言うのだろうか?

    いいや、ジュディ。これには「NO」と強く言おう。

    繰り返すが孤児であるのは孤児の責任ではない。しかし、現実は変わらないのだ。

    怒りや屈辱を感じても、その中で生きてゆかねばならない。ジョン・グリアの評議員として、またジュディの後

    見人として、私にできるのは手助けのみである。

    ジュディは自らの過去を友人に知られるのを恐れているが、真の友情があるならば、不要な心配であるだろ

    う。今は本当のことが言えないのだとしても、いつか真実を伝えられるようになることを祈っているよ。

    

    

    本当なら、こういう手紙には返信をした方が良いと思うのだが……。

    難しいものだ。






















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