1911年3月26日(日)
    もうバレてしまってもいいので、ジュディたちをニューヨークに招待した。

    そしてそのことを(ジャーヴィス・ペンデルトンとして)伝えた後に届いた返事がこれだ。

    丁度いいというべきか、授業でハムレットをやっただけでなく、春の野外劇でもシェイクスピアをするということ

   で、ジュディはとても喜んでくれている。

    偶然だが、私も嬉しい。

    それに、ジュディの書いた小説が校友雑誌の懸賞短編小説に当選したという知らせもあった。

    彼女の小説家になるための準備は着々と進んでいると言って良い。

    今度の観劇もその一助になればと思う。

    もっとも、それは後付の理由であって、本当は私がもっとジュディと直接話をしたいということなのだけどね。
    どうしても女子大学では時間ばかり気にして仕方がないのだから。

    















   



















  
























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どうしよう…。
えと、日記の15、16ページで、ジャーヴィスがジュディに初めて会いに行った日を1910年5月27日(金)にしていたのですが。
それは、ジャーヴィスが来たというジュディの手紙が書かれたのが5月30日であるということと、その日が月曜日であることがわかるのです。
そしてジュリアが授業があってジャーヴィスを案内できなかったということですから、金曜日にしたのですが(土曜日にも授業があるのかわか
らなかったので…)。

そうなると、今回の日付がおかしいことになってしまうー!
今回のジュディの手紙は「3月24日」(25日かもしれないと書いてますが、それは置いといて)で、ジャーヴィスと会う日は「次の金曜日」で
「その日は28日」だということが書いてあるのです。
3月28日が金曜日になる年は1913年なのですが、そうなるとまたおかしいところ(※)がでてしまうので、今のままの暦を使って進めようと
思います。

(※)「続あしながおじさん」でサリーからジュディへの手紙で「1910年度卒業のベッシー・キンドレッドさんを覚えてらして?」という一文があ
るのです。
この日を1913年としてしまうと、まだ2年生のジュディたちは10年度卒の人とは面識はないことになると…。

あ、それから多分、今までも何度か日曜日に手紙がついたということにしたことがあるのですが(今回もですが)日曜日が安息日なキリスト教徒
が多いアメリカでは、やっぱり日曜は郵便も休みなのかなあ。
ああ、考えれば考えるほどわからなくなる〜〜〜。