1911年8月1日(土) 7月中待っていたが、ジュディからの手紙はこなかった。 本来ならば、毎月手紙を書くという約束を破ったのだから、私は彼女に不快である旨を表明し、改善の見込み がなければ援助を打ち切ってもよい立場にあるのだ。 しかしその原因は、私がジュディの楽しみにしていたことを取り上げてしまったことに起因するに違いなく、これが 彼女の意思表示であることは疑いの余地はない。 ジュディの怒りはまだ解けていないのだ。 私たちの意見の相違は夏休みの過ごし方に端を発した。だから大学が始まるまでは大目に見よう。 私も夏休みに入り、これから自動車旅行に出発する。いつまでどこに滞在するかは決めていないので手紙が 届いても読むことはできないし、途中でロック・ウィローに寄るのでジュディの様子も見ることもできるのだから。 しかし、新学期が始まってのへそを曲げたままなら…さすがに放ってはおけない。その時は厳しく対応する つもりだ。 8月7日(月) この日記を持ってゆくかどうか決めあぐねていたのだが、書きたくなければ書かなければ良いだけと思い、 結局持ってきた。 自動車旅行も早々に飽きが来たので、農園に向かおうと思う。 どのくらいの期間、滞在するかはまだ決めていない。しかしジュディの楽しみを奪った穴埋めはきちんとする つもりだ。 アディロンダックに行かなくて良かったと思えるようにしなければ…。 |