1912年6月10日(月) なんて強情な子だろう!交渉は決裂。私たちは互いに不機嫌なまま物別れをした。 最後まで私は、ヨーロッパ旅行を承諾するように言っておいたのだが…おそらく来ないだろうな、あの様子では。 6月15日(土) 怒りに任せてさっさと旅立とうとしたところ、ぎりぎりのところでジュディからの新しい手紙が届いた。 時期からすれば私と会ったことも書かれているだろう、言い過ぎたと少しは反省しているだろうか…などと考え ながら封を切ったが、それがとんでもなく甘い夢想だと思い知らされた。 ジュディはさっさと荷造りをして、もう仕事先に到着しているというのだ。どうやら、すでに家庭教師業も始めたら しい。さっそく苦労しているようで、それ見たことかと思うのだが、だからといってヨーロッパ旅行に行かなかった ことを後悔している様子はまったくなかった。 とはいえ、こうなったのは私の対応が悪かったせいもあるようなのだ。認めたくはないが。 彼女は、自分はじゅんじゅんに説き伏せられると折れてしまうが、強制的に出られると反攻してしまうと書いて いる。そうしたつもりはないが、確かに私もいい過ぎたと思うし、説き伏せるというよりも、自分の思い通りに彼女 を動かそうとしたのも事実だ。今になってわかったのだが。 だからといって、どうなるものでもない。正解が後にわかったところで、ミスはミスだ。やり直すことはできない。 もうこの夏は彼女のことを考えるのはやめよう。きっとパリの古い町並みが、私の傷心を慰めてくれるだろう。 |