1913年1月11日(土)
    珍しいことに、ジュディから寄付の願いがきた。

    自分に対して届けられる定まった額の小遣い以外、頑なに受け取ろうとしないのに、他人に対する願いならば

   別のようだ。一応断っておくが、これは嫌味ではない。 

    手紙を読むに、彼女はかわいそうな境遇の人物に対して盲目的な同情心を寄せているわけではないのだ。

    父親は入院し、母親はあまり丈夫ではなく、、小さい子供が三人いて、生活を支えなければならないのは、長
   女である娘だということだ。

    で、ここからがジュディ独特の思考だとは思うのだが、彼女が助けになりたいというのは、その娘と子供たち

   だけで、母親などどうなっても構わないと断言している。

    それというのも、信心深く、ただ座って祈るだけで何もしないからなのだそうだ。 
    その母親というのがどの程度丈夫でないのかわからないが、家庭の切り盛りもできないほどではないという感じ

   が文面からは漂う。それならば彼女の腹立ちも尤もだろう。

    祈るだけで状況が改善するようなことはない。ましてや天からパンが降ってきたりはしないのだ。これは身分の

   上下は関係ない。

    今まさに自らの力で運命を切り開こうとあがいているジュディには、この母親のような人物に苛立ちを感じている

   のだろう。

    百ドルはすぐにでも送ることにする。時期が時期であるし、石炭を買う金もないというのだから、速達を使うことに

   しよう。



    それから、残念な報告が一つ半あった。

    一つは、書き進めていた小説が頓挫したということ。出来の悪さを悟り、屑かごへ捨ててしまったのだそうだ。

    半というのは、体調を崩したということだ。扁桃腺が腫れて、二日間伏していたという。すでに回復しているそうだ

   が、こういうときはやはり気弱になってしまうのだろう。知らせてくれれば、見舞いの花束くらい、贈ったのに…。

   約束に反するのはわかっているが、以前にも一度やっているのだ、怪我や病気のときくらいは大目にみたって

   構うまい。









  
























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* このあたりの展開がちょっと謎なんだよな…。
  二十世紀初頭のアメリカの郵便制度ってどうなっていたんだろう。

えっと、この日記に相当する部分の手紙は、1月9日付けになっているんです。
で、一通り、日記に書いたように窮乏している家族に寄付をしてくれませんか?とか、哲学の授業が大変だ
というような内容がまずありまして、その後になって書き足したのが、扁桃腺が腫れたという話。
それからさらに「翌朝」という段落がありまして、「手紙を読み返したら、ずいぶん陰気臭いものになってしまったけど、
私は元気です(大雑把すぎるぞ…)」という内容が付け足されています。

手紙は、普通に考えればその後に投下されたはずですよね。
手紙を書いた当日の9日に扁桃腺が腫れたのかどうかわかりませんが、9日だとすると、翌10日まで寝ていて、その次の日の
11日に手紙を投函したことになりますよね。
10日に腫れ出したのなら、投函できたのは12日…。

なのに、ジャーヴィスの小切手がついたのは11日なんですよね…。お礼の手紙が12日の日付だから。


9日というのは投函した日付のことなんだろうか…。
でないと、すっごく不自然な時間が発生したことになるのだが…。
でも、これまでの手紙では、別に投函した日付を書いたわけではないっぽいのだが。
よくわからん。

まあ、そんなわけで、苦肉の策でジャーヴィスには速達を使ってもらいました。

あ、12日付けのお礼の手紙に対しては、本当にお礼しか書いていないので、これに対する
日記はとくにありません。