1913年4月6日(日) 復活祭の休暇にともない、ジュディはマクブライド嬢とロック・ウィローへ訪れたとのことだ。(ジュリアが行かな かったのは、農園のような刺激のない場所を好まないからだろう。) この時期の農園は夏のように暑いことはないし、家畜の出産時期でもあって、にぎやかで楽しいことだろう。 そうそう、卒業後の住まいのことだが、秘書に連絡をとらせたところ、当面はこの農園で暮すことにしたのだ そうだ。もしも彼女が望むのであれば、街中の一軒屋を借りる手配をしようとも伝えたのだが、ジュディは静か な環境を選んだというわけだ。 自ら申し出たこととはいえ、ロック・ウィローに住むということは私を安心させた。あそこは町までかなり時間が かかることでもあるし、センプル夫妻ならば、変な男が彼女に近付かないように見張ってくれるだろうから。 ジュディたちは、以前私と共に登ったスカイ山にまた登ったのだそうだ。あの時作った焚き火の跡も残ってい て、私―ジャーヴィス―のことを思い出してくれたようだ。私がいないことを寂しいと思ってくれたのは、期待をし て良いということだろうか。たとえ、私のことを考えたのが、ほんの少しの間だとしてもだ。 それからここのところ停滞していた執筆作業だが、再び創作意欲に掻き立てられ、新しい作品を書き出し始 めたそうだ。 以前、私はこうアドバイスをしたことがあった。創作をするにおいても、まずは自分のよく知っている事柄を 書いた方が良いと。そうすればある事に対してどのように感じ、どのような行動をすればよいかが自ずから わかるからだ。 小説はドキュメンタリーではない。だから、経験したことのないことでも成立するわけだが―例えば推理小説 などだ。推理小説作家が皆、探偵業をしたことがあるわけでも、人殺しを犯したことがあるわけではあるまい― まずは地に足のついた作品を書くのが良いと思ったのだ。そうすれば自分が何をどの程度理解しているか、 足りないものは何かがわかるだろうと。 それを理解した上でなら、幻想的な作品や、おどろおどろしい作品に取り込んでみてもよいだろう。 とにかく、自分が知りもしないことをさも知っている風に書くことほど、滑稽なことはない。そんな作品は読めば すぐにわかる。大抵は上滑りなだけで感動を呼び起こさない文章だからだ。 ジュディがそのことを理解してくれたようで、私も嬉しい。 今度の題材は孤児院のこと…ジュディが長い年月を過ごし、隅から隅まで知り尽くしたジョン・グリアがモデル になっている。 ジュディの意欲は高い。この作品は必ず完成し、出版されるだろうと希望に満ちていた。 私も完成を楽しみにしていよう。機会があれば、出版社に送る前に読んでみたいのだけど…時間が上手く作れ るかわからないので、あまり思いつめないようにするつもりだ。 |