「……」
 じいっと、あたしはPCを見ていた。
 あれは、夢だったと思いたいんだ。カイトがモニタから出てきた、なんて。
(どうしよ……)
 ため息をつきながら腕を組む。
 帰宅したあたしは、制服から着替えてPCの前に立ち尽くしていた。学校に行って退屈な授業を受けたり、友達と馬鹿みたいなことで騒いだりしたら、昨日の出来事が白昼夢かなにかのように思えてきたのだ。
 ありえないよね、普通。うん、ありえない。
(でもなー、夢だとしたら、今朝つきっぱなしだったPCの電源はどう説明したらいいんだ)
 とんとん、と指で額をつつく。
 いつものことだけど、あたしは朝はぎりぎりまで寝ているので、出かけるまでばたばたしていたのだ。カイトのことを思い出したのは、制服に着替えるという段になってようやく、PCの電源ランプがついていることに気がついてからだ。しかし登校時間が迫っていたので、普段はやらない強制終了をした。一応、「電源落とすよ」と呟いて。
 あれが夢だったとしたら、ただのPCに話しかけたあたしは激しく馬鹿みたいだ。が、夢だったかどうかは、今電源をつけてみれば簡単にわかること。でも、確かめるのが怖い。昨日のあれが実際にあったことなら、これから半年以上もお父さんやお母さんにカイトのことを隠し続けなくちゃいけないことになるわけで……。それも自分の将来の幾ばくかがかかっている時期に。
 無茶だ……。どっかで絶対にばれる……!
(思えば昨日のあたしの冷静っぷりは、あまりの事態に脳みそが深く考える事を拒否していたんだとしか思えないよね。なんであんなにカイトがいることに前向きだったんだ、昨日のあたし……)
 遠い目になるも、このまま何もなかったことにするわけにもいかない。あたしのPCなのに使えないなんて嫌だし。
 覚悟を決めて、あたしは電源スイッチに指を伸ばす。しかしスイッチに触れる直前で思い出した。そういえばカイトは自力でPCを立ち上げられるかどうかを気にしていたっけ。実験してみたのだろうか。聞いてみよう。
「カイトー。聞こえるー?」
 数秒待つも返事はない。というか、何も変化がない。
 えーと、これは自力では電源をつけられないということか、単にあたしが明確に命令しないせいなのか、はたまた昨日のことはやっぱり夢だったのか。
 もう一度考え直して、あたしは再び声をかけた。
「電源、点けられるか試してみた? 点けられるなら、点けて良いよ」
 傍から見たらPCに話しかけるあたしは十分に変な人だろう。だが家には自分一人しかいないので気にしないことにする。
 このまま何も起こらなければいいなぁと思っていると、ぶぅん、という小さな音と共に、電源ランプが点灯した。
(う、わ……)
 モニタが光る。いつもの立ち上がるまでの画面が次々と現れては消えた。そして。
「〜〜〜〜!」
 カイトのアップ顔が映し出される。なにか叫んでいたが、消音状態なので何を言っているかは不明だ。多分、唇の動きからして「マスター」とかその辺だと思うが。
 口をぱくぱくさせていたカイトは、メモ帳を縮小サイズで開くと、『おかえりなさい、マスター!』と表示させた。一歩下がってバストショットくらいの大きさになると、自分でメモ帳を両手で持っているような感じにする。
「うん、ただいま……」
 とりあえず返事をすると、カイトはにこにこしながら手を振ってくる。
『マスター、ミュート解除していい?』
 続けてメモ帳に記される文字。筆談も面倒だしね、とあたしは軽く頷いた。
「マスター、良かった、今日もパソコンつけてくれて。ずっと放置されたらどうしようかと思っていました」
 ほっとしたような声がスピーカーから流れてくる。
 放置……。ちょっとそうしたいとは思ったんだけど、確認しないのも怖いので呼びかけざるをえなかっただけなんだ。などと言えるわけもなく、あたしは乾いた笑いを浮かべながら適当に誤魔化した。
「電源、点けられるんだね」
「はい、大丈夫でした! 思っていたよりも難しくなかったです」
「そう……。良いんだかどうだかわかんないけど……良かったね」
「はい!」
 はきはきとカイトは答える。それから一変して「マースター」と言いながらおずおずと上目遣いで見上げてきた。見た目はあたしより年上なのになんでこんなに可愛いポーズが似合うのだろうか。やるせない思いにかられたが、口に出すのもあほらしいので、あたしは沈黙する。
「あの、そっちに行っても良いですか? マスターのお邪魔はしませんから……」
「え? あー……」
 昨日のことを考えると、承諾するのはためらわれる。中間テストは終わったとはいえ、来週は模試があるのだ。カイトのペースに巻き込まれたら、どんどん勉強しなくなりそうで、それが怖い。
 しかしモニタの向こうからじいっと期待と不安の混じった表情で見つめられると、強く拒む事もできなかった。
「……アイス食べる?」
 観念したあたしは、彼に問うてみる。
「はい!」
 満面の笑顔を浮かべて、カイトは答えた。

「ところで、身体の具合はどう? 一応、人間の食べ物食べたあとなんだし……」
 出てきたカイトにあたしはたずねた。何か変化があったりしたら、あげるのをやめようかとも思ったのだが。しかしカイトは、
「絶好調です!」
 と拳を天に突き上げながらテンション高く答える。
「そう。それは良かったね……」
「マスターは疲れてます? 元気、ないみたいですよ?」
 ひょいと身をかがめてカイトはあたしの顔をのぞきこむ。ああ、綺麗な青い目をしているなぁ。眉毛と睫毛も青いんだ。目よりは濃い色をしているけど。
「いや、これが普通。昨日のが異常なの」
 ぱたぱたと手を振ってあたしは答える。
「そうなんですか? どうして?」
「どうしてって、あんた……」
 普通ありえないことが起こったからに決まっているじゃないか。
「マスター?」
「なんでもない。行くよ」
 ふっと息を吐くと、あたしはカイトを手招きした。
「はーい?」
 不思議そうに首をかしげながらも、いそいそと彼は後ろをついてくる。リビングに出ると、小次郎が尻尾をふりふり駆け寄ってきた。
「わーい、コジローさん、今日も会えたねぇ」
 かがんで小次郎をなで回すカイト。小次郎も昨日カイトに吠え立てたことなんて忘れてしまったかのようにじゃれついていた。なんて順応性が高い子たちなんだろう。
「ちょうどいいや、少し小次郎と遊んでてよ。そっちにアイス持って行くから」
「あ、手伝いますよ、俺」
 さっそく小次郎を抱っこしながらカイトは立ち上がった。
「たいした手間じゃないからいいよ」
「そうですか? じゃあ待ってます」
 カイトと小次郎をリビングに置いて行くと、あたしはキッチンに向かった。冷凍庫からアイスを、冷蔵庫からはジュースを取り出す。
「お待たせー」
「わーい、アイスだー!」
 万歳ポーズを取りながら、カイトは喜びを示した。そんなに良かったのか、アイス。
 テーブルにガラスの器とコップを置くと、あたしはテレビをつけた。夕方なのでたいして面白い番組をやっているわけではないけど、音がないと寂しいのでなんとなく。
 リビングのソファは、三人くらいがかけられる大きいものと、一人用の小さいものがある。あたしは本とか漫画を読むときには一人用を使うけど、それ以外のときには大抵大きい方に座っていた。なのでいつものように大きい方に座ると、カイトも当然のように隣に座ってきた。
 うん、まあ、二択しかないからこっちに座ってもいいんだけどね。なんでそんなにくっついてくるんだ。
「もうちょっと離れてよ」
「ええー?」
 カイトは不満そうな声をあげる。
「つか、邪魔。暑苦しい。もっと端にいって」
「あうう……」
 しょんぼりと肩を落として彼は言われたとおりにした。ちょっと言葉がきつかったかもしれない。カイトの眉はへにゃりと下がり、今にも涙が浮かびそうになっている。
 が。
「おいしい〜」
 アイスを一口食べた途端、あっさりと幸せそうな顔になった。
(単純だなぁ)
 そんなことを思いながら、あたしはジュースをごくりと飲んだ。
「マスターはアイス食べないんですか?」
「うん。毎日食べるとさすがに飽きるしね」
「そうなんですか? おいしいのに」
 ぱくりとスプーンをくわえる。昨日とは違って、今日はゆっくり食べるようだ。
「マスターのそれは何ですか?」
「ん、これ? オレンジジュースっていうの。リンが好きかもね」
 彼女の好物は一応、みかんみたいだけど、みかんもオレンジも似たようなものだろう。
「飲んでみる?」
 聞くと彼は一瞬真顔になり、続いて首を振った。
「俺はアイスがいいです」
「そんなに気にいったんだ」
「それはもう!」
 カイトはぐっとスプーンを握りしめて力一杯答えた。
「えーと……。良かったね」
 食べさせた甲斐があった、というべきなんだろうか。しかし喜びが激しすぎてこっちは困惑してしまう。
「コジローさんには何もあげないんですか?」
 ソファとテーブルの間をちょこちょこと動き回る小次郎をカイトは見やる。
「小次郎のおやつは散歩が終わった後なの。それと、人間の食べ物は塩分とか糖分が多くて食べさせすぎると病気になるから、普段はあげてないんだ」
「そうなんですか。コジローさんはアイスの味を知らないんですね。もったいないことです」
 しみじみとカイトは呟く。いや、小次郎もバニラアイスの味しか知らないカイトには言われたくないと思うぞ、とあたしは心の中で突っ込んだ。
「そういや、あたしがいない間、何してたの?」
 いい加減アイス談義にもうんざりしてきたので、あたしは話題を変えた。
「特には何も。少しネットもしましたけど、どう探せば面白いものが見つかるかわからなくって……」
「最初はそんなものかもね」
「だからマスターが呼んでくれるまで、ちょっと退屈でした。でも今はすっごく楽しいです。アイスももらえましたし」
 にぱっとカイトは笑う。
「マスターは、何をしていたんですか?」
 興味津々と彼はあたしを見つめた。
「あたし? だから学校。今日は戻ってきたテストの答え合わせがほとんどだったから、楽といえば楽だったかな」
 楽というか、かったるかったかな。体育もあったし。あたし、運動はあんまり好きじゃないんだよね。
「そのテストっていうのも、受験に必要なものなんですか?」
「テスト自体は特に受験とは関係ないよ。どれだけ学んだことを覚えているかってことを確認するためのものだし。でもまったく無関係というわけでもないんだ。受験するなら内申書も大事だからね。推薦を受けるならそれこそ普段の成績が悪かったらお話にならないし」
「ないしん……? すいせん……?」
 カイトは首をかしげる。
「一から説明するの、面倒。あとでググって」
「ググってって……?」
 通じないのか、ググれが。意外だ。
「検索してみなさいってことよ。調べものでもしとけば、少しは時間つぶしにもなるでしょ」
「あ、はい。やってみます。あの、それと、マスター」
「ん?」
 質問が多いな。まあ、カイトにとってはこっちの世界はわからないことだらけだろうから、しょうがないか。
「あの、受験のことなんですけど」
「だからググれってば」
「そうじゃなくて、あの、それって、いつになったら終わるんですか?」
 真剣な顔でカイトはぐっと身を寄せてくる。
「いつって言われても」
 そんなの、あたしが決めることじゃない。早く終われるのならそれに越した事はないけれど。
 あたしの場合、推薦も視野に入れているから、早ければ秋。遅ければ来年の三月……。あ、考えたらなんか憂鬱になってきた。できれば一月中には結果を出したいものだ。
「昨日、マスターとお母さんがお話ししていたじゃないですか。マスターが一人暮らしするって。それって受験が終わったあとのことなんでしょう?」
「ああ、そのこと。そうだよ」
 あたしは軽く頷くと、カイトは切羽詰ったようなまなざしで見つめてきた。
「俺も連れて行ってもらえるんですよね?」
 アイスの入っている器を置いて、わきわきと両手を動かして迫ってくる。なんだ、その妙なモーションは。
「PCは持っていく」
 わざとぼかして答えると、カイトはほーっと息をはいた。
「良かったぁ。それでそれで、マスターのおうちの人がいないわけですから、俺、ずっと外に出ていてもいいですか? いいですよね?」
 勝手に決めるなと反射的に答えてしまいそうになるも、ふと考え直す。それって悪くないかもって。
「家のこととか手伝ってくれるなら、いいよ」
「はい、頑張ります!」
 しゅたっとカイトは手をあげる。
「手伝いって、どういうことをすればいいんですか?」
「うーん、まあ、御飯作るとか、掃除するとか? やってくれる人がいるなら、それに越した事はないからね」
 その分あたしの時間ができればカイトの調教だってできるのだから、悪い話ではないだろう。
「わかりました! それで、いつになったら一人暮らしするんですか?」
 わくわくと顔を輝かせながらカイトはたずねる。うっわー、すっごい期待してるなぁ。
「来年の四月。上手いこと志望校に合格したらの話だけど」
「じゃあじゃあ、俺、マスターが合格するように応援しますね。何をすればいいですか?」
「そうねぇ」
 ちろり、とあたしはカイトを見やった。
「とりあえず、勉強の邪魔になるからやたらと構ってほしい的な態度はとらないで。こっちがストレスとかプレッシャーとかでカリカリしているときに、そばでうだうだねだられるとすっごく腹立つから」
「マスター、厳しいですぅ」
 ついさっきまでの勢いはどこへやら。カイトは大げさなくらいしょんぼりする。
「だからそういう態度が腹立つんだと……」
「うぅ……。改めます……」
 涙目になりながらも、彼は頷いた。

 おやつを食べ終わると、あたしは自室に戻った。小次郎の散歩に行く前に、明日までにやらなくてはいけない課題だけでも片付けてしまうつもりで。その間、カイトには家の中で好きに過ごしてよいと言っておいた。ただし動かしたものは元の場所に戻しておく事と、使い方がわからないものは無理に使おうとしないこと――壊れてしまうかもしれないからね――、それとお父さんとお母さんの部屋には入らないことだけはしっかりと約束させて。あたしとしてはテレビでも見ながら小次郎と遊んでいてもらえると助かるな、と思っていたのだが、あにはからんや、カイトは五分もしないうちにあたしの部屋に入ってきたのだった。
「マスター、ここにいていいですか?」
 青い頭をのぞかせて、カイトはたずねる。
「やだ。あんたと話してると、進むものも進まなくなるもん」
 こっちがやりたくもない課題をやっているっていうのに、後ろでうろうろされると集中できないもんね。
「し、静かにしてますからぁ〜」
「えー……」
 両手をお願いポーズに組むカイトに、あたしは嫌そうな顔を向ける。
「でも、ここにいたって何もすることないんじゃない?」
「構いません。俺はマスターの近くにいられるだけで嬉しいんですから」
 くそう。さらりと殺し文句をいうんじゃない。
「あ」
 カイトはあたしの本棚を指さす。
「マスター、ここにあるの、マスターの好きなものですよね?」
「まあね」
 マンガとラノベが大半の本棚は、上から下までみっしり詰まっている。
「見ても良いですか? マスターの好きなものを俺も好きになりたいです」
「好みってものがあるんだから、無理して好きになってくれなくてもいいけどね。でも読みたいなら読んでもいいよ。ただし、綺麗にね。そこにあるのはお気に入りばかりなんだから」
「はい!」
 やれやれ。まあ小説にしろマンガにしろ、本を読んでいるならたいしてうるさくもないか。あ、そうだ。
「ヘッドフォンするなら、CD聞いてもいいよ。操作はわかる?」
「しーでぃーですか? あ、これですね。えっと……はい、大丈夫です」
「んじゃ、そういうことで。静かにね」
「はい」
 囁くような声で、カイトは答える。コンポの近くに置いてあるヘッドフォンを取り上げると、ぺたりと床に腰を下ろした。さて、と。これならなんとか集中できるか?
 あたしは開いたまま未だ一問も解いていない――カイトが入ってきたからだ――数学の問題集に取り掛かった。基本となる計算をもりもりとこなし、応用問題に頭をひねる。取り掛かるまでに時間はかかるが、一度調子がつけば、これほどさくさく進む教科もない。
 どれくらい時間が経ったのか、つんつんと後ろからつつかれて、あたしは我に返った。邪魔すんなって言ってるのに!
「カイト!」
「あ、あの、マスター。この字が読めません」
「あん?」
 いつのまにやら音楽鑑賞から読書――マンガだが――に変更していたカイトは、手にしている雑誌の一部分を指さす。これに掲載されているものは、ちょっと難しめの漢字だけにはルビが振っているのだが、カイトの指している字は、そのルビがないもの。とはいえ小学校レベルの学力があれば読めるであろうというものだった。
「……うつくしい」
「ふつくしい?」
「う」
「う、ですね」
 ぺこりと頭を下げると、もそもそと元の位置に戻ってゆく。
「……」
 釈然としない。あたしはしばし問題に手をつけるどころではなくなった。
 あれ? カイトって、漢字読めなかったの? でもさっき漢字まじりで普通に文章打ってたと思ったんだけど。昨日だってそうだったはす。それに、そうよ、一緒に動画見てたじゃない。笑ってたから内容を理解しているものだと思ってたんだけど……違ったの?
 つんつん。
 混乱しているあたしを、再びつつくカイトの指。声に出して呼ぶとうるさいと言われるからだろうけど、つつかれるのもこそばゆい。
「……何?」
「この字はなんて読むんですか?」
「……すべて」
「すべて、ですね」
「カイト」
「はい」
「漢字、読めないの?」
「難しいものはわかりません」
「でも、さっき漢字交じりで文章打ったじゃない」
「でもあれは、ひらがなで書いて変換しただけですから……」
「ああ……」
 わかっていてやっていたわけじゃないんだ。
「動画とか見て笑ってたのは?」
「音と動きを見ていればどういうことをしているか、わかりましたので」
 読めない字は飛ばしていたと。
「わかるのはひらがなとカタカナくらい?」
「そうですね。あと、少しは漢字も覚えましたよ。この本の中に読み方がついているのもありましたから」
「英語、というかアルファベットは?」
「何ですか、それ?」
 あたしは英語の教科書を取って適当なページを開いた。
「こういうの」
「マスター、こんなのが読めるんですね。すごいです!」
 尊敬のまなざしで見られてしまったよと、あたしは愕然となる。
 そうか。カイトは本当にものを知らないんだ。でもそうだよね。カイトは日本語対応のソフトだもんね。ひらがなとカタカナが読めるだけましなのかもしれない。
 ……あれ? でも。
「あんた、『KAITO』って書いてあるフォルダが自分の名前だってわかってたじゃない」
「そりゃあ、自分の名前くらいわかりますよ」
 そ、そういうもんなの?
「あんたのエディタにも使われてるよね」
「あ、そういえばそうかもしれませんね。このパラメータを動かせばどう変化するかとかならわかりますよ。でもその名前まではそういえば知らないなぁ。俺のパラメータを動かすのは俺じゃありませんからね。俺は知らなくても問題ないです。マスターはわかるんでしょ?」
 あっけらかんと答えるカイトに、あたしは開いた口が塞がらなかった。
「カイト」
 がしっとあたしはカイトの肩に両手をおいた。
「明日、漢字ドリル買ってくるから、それ、やろう? あたしがいない間、外に出て机使っていいから」
 とりあえず小学校低学年向けからだな。ああ、またお金がなくなってしまう……。
「ドリル?」
「えっと、つまり、あんまり人間の世界のこと知らなさ過ぎるのは色々困るから、勉強してほしいってこと。このままじゃ、怖くて何も任せられない」
「勉強……。はい、やります。マスターとおそろいですね」
 おそろいって……。まあ、やる気があるのはいいことだから、いいか。
 あたしはなんとなく小次郎にするようにわしゃわしゃと頭をなでると、気を静めようと机に向き直った。
 ううむ。思っていた以上にカイトって手がかかるなぁ。人型しているんだから、もうちょっと能力が高いものだと思っていたんだけど……。これのフォローをしつつ自分の勉強もしなくてはいけないのか。……大変だなぁ。
 と、そんなところに。
「マスター」
 またもやつんつん。
 頼む、少し放っておいてほしい。このままではあたし、イラつくあまり、あんたのこと殴ってしまいそうになるから。
「この字はなんて読むんですか?」
 あたしは無言で漢字辞書を渡した。
「なんですか、これ」
「読み方調べてって……読み方がわからないのか。なら画数数えてそこからわかんない字と同じ形の字をみつけて、その字の下に書いてあるページを開いてみなさい」
「か、かくすう?」
 カイトは困ったように眉を下げた。
「画数っていうのは〜」
 と画数について説明するも、漢字初心者のカイトには画数を正確に数えるのは無理だと判明する。どうしたものかと考えていると、目に入ったのはスタンバイ状態の便利な箱――。
 あたしはIMEパッドを起動して、使い方をカイトに教える。それでわからない字を書いて確定すれば読みはわかるから、読みだけ調べたければそれでよし。意味も調べたいのなら今度は調べた読みから辞書を引けばいい。なんだったらオンライン上の辞書を使ってもいいんだし。
 正直、PCで作業されると、すぐ隣で勉強しているあたしは大変不便だ。集中力が乱れる。だが何度もつんつん攻撃をされるのも困るのでそこのところは我慢することにした。
 カイトは機械の使い方についてはさすがにすぐに慣れるようで、今度は理解できたらしい。じゃあ今度わからない字がでてきたらそうします、とまた本棚のそばに戻った。棚に背を預けて、体育座りでマンガを読み進める。やれやれ、次に動くのは何分後だろうか。
 そんなことを思いながらなんとか集中を取り戻そうとしていると、ふいに、モニタの中で何かがが動いた気がした。何だろう、と思いながら画面を見ると、IMEパッドの手書き用画面にあんまり上手じゃない字が書かれつつあった。
(自動で動いてる……)
 振り向くと辞書を片手にページを繰っているカイトの姿があった。
「カイト、あんた、そこにいてもPCが動かせるの?」
「ええ。マスターの隣で作業をしたらお邪魔になるかと思って。俺、外に出ていてもマスターのパソコンとつながっている感じはするんですよ。だったらここにいたまま操作できないかなぁと思ってやってみたら、できました」
 にっこりと笑うカイト。
「そういうところは高性能なんだね、あんた……」
 無線接続ができるのか。そして結構まともな気遣いができるんだな……。
「わぁい、マスターに褒められた〜」
 さっきはちょっと格好良かったのだが、あっという間に表情は崩れてへたれ顔になる。しかしIMEパッドと辞書を駆使すれば漢字が読めるようになるのであれば、漢字ドリルは不要かな。ああ、それよりも社会とか理科とか算数とかの方がいいかもしれない。算数は、機械なんだし、なんだか強そうな気がするんだけど、最初はまっさら状態みたいだから、今はまだ知らないのだろう、多分。けれどせめて一般常識と小学校レベルの知識は教えておかないと、どこかで盛大にヘマをやらかしそうで怖い。一緒に暮らすとか、それ以前の問題だ。
 ああ、小さい頃には不満で仕方がなかったけれど、両親が仕事人間なのはこの場合幸いした。学校が終わったあとでもそこそこ時間はあるから、なんとかカイトを仕込む事はできるだろう。しかしあたしがそこまでやらなきゃならないのであれば、実体化なんかしてくれなくて良かったのに。
 早まった、という思いが頭を駆け巡る。
 安いものには訳がある、とはいうけれど、まさかあのリサイクルショップ店の人、わかっててあの値段にしたわけじゃない、よね……。
 前のマスターさんにしても、このカイトがこーゆーカイトだと知ってたから売ったわけじゃない、よね……。
(頭が痛い)
 あたしは開きっぱなしのノートの上に、ばたりと倒れこむのだった。





これを書いている間に、管理人のPCにもKAITOが住むようになりました(笑)
割と真面目に構うつもりでいるけど、どうなるかはさっぱりわかりません。




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