夏休みまで、あと一週間――。

、いるか?」
 教室の外から呼ばれたので、あたしは声がした方を見やった。
「いるよー」
 誰かと思ったら所属クラブの部長だった。クラスが結構離れているので、顔を合わせるのも久しぶりだ。
「ちょっといいか?」
 部長は指で廊下を示す。
「いいよ」
 あたしは友人達に断ってから外に出た。
「何さ」
 行き交う生徒たちの邪魔にならないように、あたしたちは廊下に並ぶ。
「何さじゃないって。お前、もう一ヶ月くらい部活出てないじゃないか。いっくらうちが規則に緩いからってあんまりじゃね? 後輩に示しつかないんだよ」
 部長は最後に大げさなため息をついた。
 やっぱ、その話か。あたしは乾いた笑みを浮かべる。
「……ごめん。ちょっと忙しくて」
 あたしの所属する書道部は、定期的に課題を提出すれば、出席状況はあまり気にされない。校則で生徒は必ずとこかの部に入らないといけないことになっているが、運動部で熱血するのは性にあわないし、文化部にだって特にやりたいものはなかった。そこで出欠に緩く、小学生の頃お稽古に通っていた書道を選んだわけなのだけど、これが実にまったりとしていて居心地が良かったのだ。入部当初は課題だけ提出する幽霊部員になろうと思っていたけれど、これまでの二年とちょっと、週に三回くらいは顔を出していた。
 ……アレが出てくるまでは。
「まあ、俺たちも三年だし、わかんなくはないけど、一応文化祭までは活動することになってるんだからな」
「わかってるって。夏休み中になんとか先月分と今月分の課題はあげとく。でもとにかく今は放課後になったら、即効で帰らないとならない状況なのよ」
「予備校にでも行き始めたのか? 夏休み入ってからとか、前に言ってたような気がしたけど、成績やばいの?」
「成績ねー……。悪くはなってないけど、良くもなってないからちょっと焦ってはいる。けどま、合格圏内だし、時期が中途半端すぎるから、やっぱり予備校は夏期講習からだよ。部長もどこかに行くんでしょ?」
「まあな。さすがに自主勉だけだとモチベ持続しなさそうだし、そういう意味でも行くけどさ」
 うちはそこそこの進学校だ。夏休み直前の現在で三年間で覚えるべき教科書のほとんどが終了している。そして夏休み明けからは受験一直線。なので祭りとかしている場合ではないのではないかと思うのだが、そんな学校であっても文化祭は秋にある。毎年、たいして盛り上がらないけれど。
「んで? 出れない理由ってなに? 家庭の事情とかならあんまり突っ込んでは聞かないけど」
「家庭の事情といえば事情だけど、多分、家庭の事情と聞いて想像するような深刻な問題じゃないのよ、残念ながら……」
「は?」
 部長は怪訝そうな顔になる。
「犬が……増えたのよ」
 あたしは無駄に真面目な顔で告げた。
「犬?」
 彼は眉間にしわを寄せ、
「そういや んち、犬飼ってたっけ。子犬でも生まれた?」
 あたしの携帯待ち受けは小次郎だ。部長にも見せたことがある。というか、知人全員に見せまくったのだ。ああそうとも、あたしは犬バカだ。
「小次郎はオスだから、子犬は産めないよ。そうじゃないの、事情があって引き取らざるを得なくなったのがいて、それが大型な上にかなりアホだからしつけが大変で」
 もちろんその犬とはカイトのことだ。友達からつきあいが悪くなったと文句を言われたときに、カイトを犬に例えて説明したらすんなり納得されたので今回も利用するつもりでいる。
「ふうん」
「ようやくなんとかなってきたけど、世話を始めた頃はすっごく大変で……。身体がでかいのに全力で突進してくるし、声も大きいし。闘牛士ってこんな気分なのかなって思ったわ」
「なんで闘牛士?」
 噴き出しながら部長はたずねてきた。
「いやだからね、でかいのに全力でこられたら、あたし程度じゃ完全に当たり負けするのよ。だから避けないと身がもたないのよね。とにかく興奮しやすいたちで、落ち着いているときにはまだ言うこと聞いてくれるんだけど、ちょっとパニック起こすともう駄目。教えたことみーんな、忘れちゃう」
「大変みたいだなぁ」
「本当に大変だよ。静かにしていても目で訴えてくるし。遊んで、構って、相手して、こっち見て見てって! テンションもやたら高くて、普通に接してるだけで疲れるし!」
 思わず叫んでしまったあたしに、廊下を行きかう人たちの視線が集まる。うわ、恥ずかしい。
「……ドンマイ」
 ぽん、と部長はあたしの肩に手を乗せた。
「どうも。とりあえず、夏休み明けにはまた部活、出るようにするから」
 あたしは遠い目になりながら、あまりココロのこもっていない励ましに答えた。

「…………?」
 なんか、違和感がある。
 帰宅したあたしは、自分の部屋に荷物を置きに入った。しかし中に一歩踏み入ったとき、説明のつかないもやもやしたものを感じ、足を止めた。
 部屋には誰もいない。そして物の配置などは特に変わっていない。だが確かになにかおかしな感じがする。
「……カイト?」
 原因があるとしたら、コイツしか思い当たらない。またあたしのいない間に何かやらかしたんだろうか。
「マスター?」
 小さいがはっきりとしたカイトの声。しかしそれはスピーカーから聞こえたものではないように感じた。PCに目を向けると、本体は電源がついていないことを示している。
 きい、と椅子が動いた。その下から白い手が伸びている。
 あたしは机の前に回り、身をかがめて下をのぞきこんだ。するとそこには――。
「お帰りなさい、マスター」
 一生懸命机の下で丸まっているカイトがいた。
「……何やってんの?」
 頭が痛い。なぜそんな狭いところにいるんだ。というか、さっきの違和感はカイトの気配か。意外にわかるものなんだなぁ。
「えっと、その……。この間、お母さんが電気代が妙に増えてるって話していたのを聞いたんですよ。多分マスターのパソコンを俺がよく使っているせいだと思って、それで俺、外に出た後、電源消したんです。そしたら今度はマスターが言っていた、誰かが帰ってきたらとりあえず一度パソコンの中に戻れっていうのを、実行できなくなっちゃって……」
 立ち上がるまでちょっと時間がかかりますからねぇ、と真面目な顔でカイトは言った。
「それで……机の下に隠れていたと?」
「はい。ほとんどの場合、この時間なら帰ってくるのはマスターですし、もしマスターでないとしても、いきなりマスターの部屋には入らないでしょうし……。もし入られても、机の下ならすぐには見つからないと思いましたので」
 あたしの机は、扉のある壁側にあるので、たしかに机の下に潜っていればすぐには見つからないだろう。カイトなりに考えて行動していることも理解できる。しかし目の前のあまりにも間抜けな光景に、あたしはただ力が抜けるだけだった。
「とりあえず、出なよ……。狭いでしょ」
「はい、とても。潜る時に頭ぶつけちゃって……あ痛っ!」
 もぞもぞと這い出してきたカイトは、言ってるそばから頭をぶつけた。ごすっと鈍い音が響く。
「うぅ〜〜」
 中途半端に這い出した状態でうつ伏せになりながら、カイトは頭を押さえる。青い目のふちにはうっすらと涙が浮かんでいた。
「まったくあんたは……。本当に手間がかかるんだから」
 しかし痛そうな音だった。あたしは思わず腕を伸ばして、カイトの頭をなでる。こぶでもできたかな。しかしカイトにはこぶとかできるんだろうか。
「す、すみません」
 大人しく頭をわしわしされながら、カイトは言った。
「あ、そうだ。アイス買ってきたから。冷凍庫に……」
 入れてあるからね、といい終わる前にカイトはがばりと起き上がる。
「アイス!」
「ひゃ……」
 あたしはその反動で尻餅をついた。
「ああっ、マスターごめんなさい!」
「まったく、あんたはー!」
 叫ぶと、カイトは身をすくめてすみませんすみませんと何度も謝った。
「お尻、大丈夫ですか? 俺がなでてあげましょうか?」
「それはセクハラっていうのよ、カイト」
 伸びてきた手をべしりと叩き落とし、あたしは立ち上がる。カイトはセクハラって何だろうという顔をしながら首をかしげ、叩かれた手の甲をなでていた。
「外出て行って。あたしは着替えるから」
 リビングのある方を指さすとカイトはようやく立ち上がる。
「アイス食べてていいですか?」
「いいよ」
「はーい」
 さっき泣いたのも怒られたのも忘れたように、スキップでも踏みそうな足取りでカイトは出て行った。
「やれやれ……」
 また帰宅そうそう疲れてしまった。部長には大丈夫とか言ってしまったけれど、あたしはもう引退した方がいいかもしれない。
 今後のことを考えてちょっと憂鬱になりながらも、あたしはブラウスのボタンを外した。
「マスター、大好きー!」
「いきなり入ってくるなぁ!」
 扉をばしんと開け、飛び込んできたカイトに、あたしは手近にあったぬいぐるみを投げつけた。ぼふっという音とともに、カイトの顔面にヒットする。
「ふ、ふいまへん……!」
 ぬいぐるみは柔らかいが、結構衝撃が大きかったらしい。カイトは一瞬よろめきながらも再び扉を閉める。
(あ、の、ア、ホー!)
 あたしは心の中で絶叫し、むしゃくしゃが収まらないのでぬいぐるみを扉に叩きつけた。「ヒッ」と小さく悲鳴が聞こえたような気がしたが、きっと気のせいだろう。
 着替えを終えてリビングに行くと、部屋の隅で肩を縮めて不安げな顔でこちらを見ているカイトと目が合った。
「アイス食べないの?」
 そんなところで突っ立って、何をしているのだ。
「で、でも……」
「いらないんなら、今日の分はあたしがもらうけど」
「え……っ」
 カイトの頬が引きつる。あ、なんだか葛藤しているな。
「反省して自分から禁アイスをするなんて、感心ねー」
 あたしは気づかないふりをしてにっこりと笑った。
「いやあの……」
 あわあわするカイトに、あたしは顎をしゃくる。
「さっさと持ってきなさい。じゃなかったら本当にもらうよ」
 買ってきたのはあたしだけど。
「い、いただきます!」
 涙目になりながらもアイスを確保するためにキッチンに行くカイトの後ろ姿を見送りながら、あたしはふん、と鼻を鳴らした。
 最初から素直に行動していればいいのよ。どうせアイスを我慢するなんて、できないんだから。
 やれやれ、とソファに移動する。カップとスプーンを持ってきたカイトは、釈然としない様子であたしの向かいに座った。
「俺思ったんですけど」
「何?」
「マスターの愛情表現はわかりにくいです」
 また変なことを言い出した。愛情表現などした覚えはないのだが。
 そう答えるとカイトはぷうと頬をふくらます。そういうのが似合う外見年齢二十代前半の男ってどんなもんだろうとか思ったが、今更なので何も言う気にはならなかった。
 カイトは不服そうな顔でアイスをすくうが、口に入れた途端、頬が緩む。これもいつものことだが、アイスで機嫌が直るなんて、安い男だなぁ。
「じゃあ、どうして俺の食べたいアイスがわかったんですか? 俺、マスターには言ってないですよ。これは愛じゃないんですか?」
「たまたまでしょ」
 今日はスーパーで特売していたので、十個ほどまとめ買いしたのだ。全部同じというのも飽きるかと思って味や種類は別々にしたけれど。ということをしていたら、そりゃカイトが食べたいと思っていたものの一つとも被るだろう。
「えー……。そこは愛だと言ってくださいよ」
「図々しい。なんであたしがそこまで気を使わなくちゃいけないの」
 カイトのアイス代だけで、あたしが毎月どれだけ負担を強いられていると思っているんだ。アイスばかり買うあたしをお母さんはさすがに不思議に思っているようだけど、アイスがマイブーム中だと説明したので、それ以上詳しくは聞かれないですんでいる。そして時々お母さんもホームサイズのものを買ってくれたりするのだ。なんてありがたい。
 もっとも、あたしがアイスを頻繁にあげているのは、ひとえにアイスを切らした時のカイトがあまりにも鬱陶しいからだ。じとっとしたまなざしでじーっとこちらを見つめながら時折やるせなさそうにため息をつく。ハイテンションで飛び掛ってこられたら、あたしだって反射的に強く打ち返すこともできるけど、こういう時にはそれもできない。態度はともかく、一応静かに大人しくしているわけなのだから、そんな時には蹴るのもつねるのも勇気がいるのだ。DVがいけないことくらい、あたしだって理解しているんだから。
 ……さっきぬいぐるみをぶつけたのは、カイトの方が悪いんだから問題はないのよ!
「ねー、マスター」
「今度はなに?」
 アイスをぱくつきながら、カイトは緊張感のない顔で切り出してきた。
「もうすぐ夏休みなんですよね」
「そうね」
「夏休みというのは長いお休みなんですよね」
「うん」
 期待を込めたまなざしで、カイトはあたしを見つめる。
「その長いお休みを利用して、ちょっと俺に歌を教えてみようとか思いません?」
「生憎学校は休みでもあたしは暇じゃないの」
「知っていますよ。予備校っていうところに行くんでしょう。でも学校が終わるのよりも早く帰ってこれますよね」
「なんでそんなこと知って……。ああ、パンフレット見たの?」
「はい」
 アイスを食べ終えたカイトは、両手を膝に乗せてこくんと頷いた。
「いい加減諦めてよ。受験終わるまで無理ったら無理。何度同じこと言わせるの?」
「でもぉ。息抜きも大事って、マスターよく言ってるじゃないですか」
 不満そうにカイトは唇をとがらす。だからそういうのが似合う二十代男というのは……。もういいや、はぁ……。
 カイトが最近かなり図太くなってきていると思うのは、あたしの気のせいではないだろう。出会った頃こそ、始終あたしの顔色をうかがって、あたしの言う事は逆らわないようにしていたものの、それは長く続かなかった。マスター命令に反している、という意識はあるようだが、歌うことを至上命題として作られているカイトは、歌わせてほしいということを言葉で、態度で表すようになった。受験が終わるまでは無理だと、何度も言っているにも関わらずに、だ。
「自分にとってやり慣れてるものじゃないと息抜きにはならないでしょう。DTMなんてやったことないんだから、息抜きにならないって」
「慣れれば平気ですよ」
「そうなるまでどれだけ時間がかかると思ってるの? あんたを使うのは難しいって、評判じゃない」
「うぅ〜〜」
 このやり取りも何度目なんだか。
 ああ、そうだ、思い出した。あたしがアイスを切らさないようにしているのは、懐柔するためでもあったんだ。歌う事は、カイトの存在意義と同じ。それをさせてあげられない罪悪感を、アイスを与える事で宥めている。これで歌を歌わせずにアイスも与えないとなったら、なんか怖いことになりそうだった、ということもちょっとある。あたしがアンインストールされるとかは絶対に御免だ。
(ん、ちょっと待てよ?)
 ふと思いついてあたしはカイトを見やった。
「カイト、そんなに歌いたいの?」
「そ、そりゃぁ……。でも、無理なんでしょう?」
 ふい、とそっぽを向いてカイトは答える。
 この馬鹿、ここは元気良くはいと答える場面だろうが。さっきは自分からねだったくせに、どうしてあたしが話を振ると引くんだ。
「だったら自分でやったら?」
「……はい?」
 まあいいや。カイトに空気が読めなかろうと、困るのはカイトだし。……あたしにもとばっちりが来そうだけど。
 そのカイトはあたしの提案が理解できないと、首をひねっている。
「だからさ、せっかく身体があるんだし、自分で自分の好きな歌を覚えたら?」
「……俺が俺のエディターをいじるんですか?」
「そう。自分のことなんだし、あたしがやるより上手にできるんじゃない?」
 あたしは自分の思いつきに気をよくして、カイトに笑いかける。カイトはわずかに俯いてしばし黙り込み、ややあって「嫌です」と答えた。
「なんで? 歌いたいんでしょう?」
「そうですけど、歌えれば何でもいいわけじゃないんです。どうしてわかってくれないんですか?」
「あたしとしては、全然歌えないよりはずっとましだと思うけど……」
 何が不満なんだか、さっぱりわからない。
 カイトは悲しげに眉をひそめて、ゆるゆると頭を振った。
「俺は……俺たちはマスターの望む歌を歌うためにいるんです。たしかに今の俺なら自分で自分のパラメータをいじることはできるでしょう。でもそれで出来上がった歌は、マスターの望んでいるものとは違う出来になってしまう。そうでしょう?」
「……いや、そんなこと、気にしないけど」
 それに選曲くらいならやるし、出来上がったらちゃんと聞くつもりだ。
「そういう問題じゃないです!」
 顔をあげて、カイトは睨んだ。
「俺はあなたの望む形の歌が、聞きたい歌が歌いたいんです。それ以外の歌なんて、いらない!」
 珍しく吐き捨てるように言う。あたしは呆気にとられてまじまじとカイトを見つめた。わかるようなわからないような、いややっぱりわからないが、とにかく自分で調教するというのは、カイトの選択肢にはまったく入ってないことだということだけは理解した。
「そういうことなら……。何度も言っている通り、無理よ。あんただってわかってるでしょ。あたしとしてはそれを理解しているのに、なんでしつこく歌わせろと言ってくるのかを問いたいんだけど」
「それは……」
 一瞬の強気の態度もどこへやら。カイトは俯いて膝の上で拳を握る。
「言ったらきっとマスター、怒る」
「言わなかったらそれはそれで怒るから」
 即答すると、カイトは情けなさそうに眉を下げた。
「どっちも怒られるんじゃないですか」
「うん。だからどうせ怒られるならどっちがましか考えるのね」
 さらっと返すと、今度は難しい顔になる。マスターのいじわるとか聞こえたけど、聞こえなかった振りをした。
「受験が終わるまで待っていたら、俺を使う気がなくなるかもしれないじゃないですか」
 しばらくして、ぽつりとカイトが呟いた。
「……ああ、なるほど」
 それを心配していたのか。あたしは一つ頷いて、納得したとぽんと手を打つ。
「マスターの部屋に、開封してないゲームがありますよね」
「あるね」
「なんでやらないのかって俺が聞いたの、覚えてます?」
「うん。買ったときにはやるつもりだったけど、色々予定が入っちゃって、そのうちやる気がなくなったから」
 そのときの答えをあたしは繰り返した。
「俺が同じ目に遭わないって、断言できますか?」
「できるよ」
「ほらやっぱり……って、え?」
 一瞬声を荒げたが、すぐに虚を突かれた様子で、カイトは目を丸くする。
「で、できるんですか?」
「当たり前じゃない。そんなこともわからないの?」
「だ、だって……人って、自分がほしくて買ったものでも、使わないこととか、ありますし……。使ってもちょっとだけ、とか。すぐに飽きるとか……」
 人間一般のこととして話しているし、あたしのゲームのこととかを持ち出してはいるけれど、カイトが言いたいのはきっと自分のことなのだろう。
 カイトは最初のマスターに売られている。
 だけどその人だって何もカイトをちょっと使ったらすぐに売り払うつもりで買ったわけではないはずだ。いやまあ、最終的には売ればいいや、みたいな気持ちで買ったかもしれないけれど、その人とは面識のないあたしにはそんなこと、わかるはずもない。そして人間であるあたしには、その人の行動をひどいと糾弾することは、できないのだ。
 そして次のマスターであるあたしはといえば、買ったものの当面使わないと断言しているわけで、これではカイトが不安に思ってもしかたがないだろう。
 うん、こうして考えるとこのカイトはマスター運が悪いといえるだろう。その点では同情できなくもない。
 とはいえ。
「あんたってやっぱり馬鹿なのね。前々からそう思ってはいたけど」
「わ、悪かったですね。俺だってもっとしっかりしていて頭のいいKAITOになりたかったですよ!」
 すねたようにカイトはそっぽを向いた。
「だいたいねー、未開封のゲームはあたしが放っておいても文句なんか言わないけど、カイトは言うじゃない。今はまだこの程度ですんでる……というか、そもそも受験終わるまで無理だって言ってるのにねだってきてる時点で約束が違うじゃないかとか思ってるけど」
「うう……」
 そっぽを向きつつも、カイトは身を縮こませた。
「そのことについては置いとく。で、実際に受験が終わってもまだあんたのことを使わないでいたら……どうせ今以上に文句言ってくるんでしょ?」
「…………」
 その時のことを想像しているんだろう。カイトはふと動きを止め、遠い目になった。
「言いますね、きっと」
「でしょ? んで、そんな状況で実際に使わないでいるのって難しいと思うのよ」
「で、でも……」
 反論しかけるカイトを、あたしは睨んで制した。
「だいたい、使うつもりがないなら、実体化したソフトなんていつまでも置いておくわけないじゃない。ましてアイス買うとか、あるわけないでしょ」
 それだけじゃない。隙を見て消している。アンインストールだ。この言葉を口にした途端、カイトがパニックを起こすのはわかっているから、あえて言葉にはしないが。
「急かされてやるのは好きじゃないの。だから例えあんたを使ったとしてもずっと使い続けられるか、それは保障できないよ。でも詳しいのが近くにいて教えてくれるっていうのなら、あたしとしては謙虚に教えを請おうとするくらいの気持ちはあるのよ」
「でも詳しい人なんていないんじゃあ。マスターのお知り合いにもDTMをやっている人はいないって……」
「あんたがいるじゃない」
「お、俺ですか?」
 あからさまにぎょっとしたように、カイトは身を強張らせる。
「そうよ。自分の中身くらい理解しているんでしょ?」
「そ、それはそうですけど。でも俺は本当に俺のことしかわからないですよ。それで、俺だけだとアカペラの曲しかできないから……」
「あんたは自分を使ってほしいんでしょ?」
「そ、そうです」
「だったら、伴奏とかは二の次でいいじゃない。あたしだって最初から全部やれるなんて思ってないもの」
「は、はぁ……」
「大体さあ、あんたの取説読んだけど、何書いているんだかさっぱりだったのよね。日本語で書いてほしいわ、まったく」
「え? ちゃんと日本語で書いてますよ?」
 きょとんとカイトは首をかしげた。うん、確かに表記言語は日本語だった。でもそういう意味ではなくてね。
「書いてる内容が理解できないのよ。専門用語ばっかで。もっとかみ砕いてくれないとわかんない」
「そ、それは俺に言われても……」
 もともとKAITOはDTMが趣味だという人たち向けとして作られている。素人がいきなり始めようとするのがまず無理なのだ。そのことはわかっていて買ったので、これは八つ当たりのようなものなのだが、そんなことには気づかないカイトはおろおろしている。
「というわけで、わかりやすい説明を要求する」
「えー!」
 カイトは困惑の叫びをあげた。無茶振りをしている自覚はあるけど、あたしのペースで進めていたら、本当に始めてすぐやめる、ということもありえるのだ。せっかく身体があって声を出せるのに、それを有効活用しない手はないんじゃない?
 あたしは立ち上がってカイトの近くまで行き、肩を叩いた。
「期待してるよ」
 それで我に返ったのだろう。カイトははっとして顔をあげると、がしりとあたしの手を掴む。って、おい。
「はい! 頑張ります、マスター!」
 カイトは力いっぱい返事した。それはあたしの好きな元気の良いものだった。






ちなみに、DTM? なにそれおいしいの? な状態でKAITOをお迎えした春日の場合ですが、KAITOは基本的な操作(すっぴん調教と呼ばれるもの)はむしろ簡単なんじゃね? と感じました。
なのでこのマスターにはさっさと使ってみるように強く勧めたいです(笑)
……上手に歌わせるのはやっぱり難しいですけど。パラメータがいっぱいあるから、用途を覚えるだけで大変だった。というか、まだ全部覚えてない^^;




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