日々暑さを増しているような、八月。
 夏休みに入り、あたしは夏期講習通いを始めた。いつもとは違う通い道を汗だくになりながら往復し始めて既に二週間が経つ。
 早いもので、もうじきお盆だ。我が家では毎年この時期には父方の実家に帰省する。場所は結構田舎で、到着するまでは時間もかかる。高速道路の渋滞に巻き込まれるのも、もはや恒例行事だ。
 あたしとしては、せっかく両親とも休みをとれるのだから、海外旅行なんかに連れて行ってくれたらいいのにとか思ったりもするのだが、どうやら父の中ではこの時期だけは実家に帰るのが当然となっているようで、今のところ、その願いは一度も叶っていない。旅行するならゴールデンウィークなのよね、うちって。
 とはいえ、祖父母の家に行くのは、嫌いじゃない。周りは田んぼや畑だらけだけど、家は広いし滅多に合えない従兄弟たちにも会えるし、おおっぴらに勉強しなくてすむしで、結構楽しくやっている。あ、最後の勉強しなくていいっていうのは……あたしたちが祖父母の家に行くのは、せいぜいお盆とお正月の時だけで、父の兄妹たちも揃うから、結構大人数が集まる。となると、大人は酒盛りするし、子供は騒ぐしで、静かに勉強に打ち込むなどとてもできないからだ。なので、このときだけは勉強道具を持っていかなくても、父も母もうるさいことは何も言わない。むしろ、持っていこうとしても、荷物になるだけだからやめておけとたしなめられる始末だ。
 そんなわけなので、今年受験生である身のあたしが祖父母の家に行くのを拒否したのは、ある意味では当然のことだといえよう。最初に切り出した時には父も母もそこまで根を詰めなくても、と気が進まないようだったが、あっちは勉強できないのが確定しているような環境だということは二人とも先刻承知。
 自信がないわけではないけれど、受験に絶対はない。もしも後悔するような結果になった時に『ああ、あの時あれをしておけば良かった、これをしなければ良かった……』などと言わないためにも、あたしはできるだけのことをやりたいのだ。そう説得したら簡単に折れた。受験生という三文字はなんて便利なんだろう。本当の理由などとても言えないので、大助かりだ。
 両親を見送るとあたしは伸びをして、軽く腕を回した。あたしが残るということで、洗濯や朝食の片付けとか、みんな押し付けてくれていったのよね。ああ、面倒。
 でも今日は土曜日で予備校はお休み。時間がないから、という言い訳ではできない。しょうがない、さっさとやってしまおう。
 洗濯機を回している間に食器を洗う。それから家中の床にモップをかけた。自分の部屋に入ると、スタンバイ状態になっていたPCが立ち上がり、鼻から上だけ出ている状態のカイトが映し出された。出たな、本当の理由め。
「あ、カイト。お父さんたちいないから、出たいなら出ても大丈夫よ」
「やっぱりそうだったんですか」
 ほっとしたような表情を浮かべると、カイトは目を閉じた。モニタが光る。カイトの登場するシーンは相変わらず幻想的だ。光の粒をまといながら、彼は穏やかな笑みを浮かべる
「さっきから誰の声もしないので、もしかしたらそうじゃないかとは思っていたんですけど……珍しいですね」
 うちは基本的に両親とも土日祝日は休みだ。外出する時もあるけど、いつ帰ってくるかわからないし、買い物とかだったらあたしも一緒に行くので、それらの日にはカイトは外に出られない。
「お盆だからね。帰省してるのよ」
「お盆……? ああ、高速道路が混んで大変な日ですよね。どこかに行かれたんですか?」
 いや確かに高速道路は混むが……。なんか違うぞ、それは。でもそういえば、お盆時期って、どれくらい人が移動したかがよく取りざたされるけど、行った先で何をしたのかはそんなに重要視されていないような気もするな。まあ、人それぞれなんだろうから、当然かもしれないけど。
 とりあえずお盆というのはどういう日なのかを後で調べておくようにカイトに言うと、あたしはさっさと掃除をすませてリビングに戻る。カイトも一緒についてきて、小次郎と遊び始めた。
「お父さんたち、いつ頃帰ってくるんですか? それまで俺、出ていていいんですよね」
「もちろん、好きにしていいよ。それからお父さんたちが戻ってくるのは来週の土曜日だから」
「……ら、来週?」
 目を丸くしてカイトは聞き返す。
「そう。なんでも会社規定のお盆休暇があるんだけど、今年って土日に挟まれているから、一日だか二日だか仕事して、またすぐ休みになるじゃない。だから有給使って九連休にしたんだって。大人っていいよねー」
 こっちなんて、長い長い夏休み、などと言われているけれど、少しも休んでいる気がしない。結局なんだかんだいってやらなければならないことがあるのだ。
「ま、マスター、俺、どうしよう」
「どうしようって、何が?」
 おろおろと、焦ったようにカイトは身をよじる。それはいいが、小次郎を抱っこしたまま振り回すんじゃない。
 あたしが指摘するとカイトは小次郎を床に降ろした。
「だって、そんな、急すぎて、心の準備ができてません。今日は土曜日だから、マスターお家にいるんですよね」
「あ、ご飯の買い出しくらいはいくよ。他には特に用事はないけど」
「でも、今までで一番、マスターと一緒にいられるんですよね? どうしよう、嬉しいんですけど、とっても嬉しいんですけど、こんないいことが起こるなんて、どこかに落とし穴があるんじゃないでしょうか。……俺、フリーズしたらどうしよう」
 こんなことくらいでテンパるなんて、不憫な。普段どれだけ不自由しているのか偲ばれる。
「その時は再起動かけてあげるから」
 そっと涙を拭う真似をして、あたしはカイトに笑いかけた。カイトはよろしくお願いしますと真顔で答える。
 頭を抱えるはめになる反応をされることも多いが、基本的に可愛いんだよね、カイトは。これであたしより小さかったら抱っこして頭なでなでするんだが……。残念だ。
「それで、マスターはこれから何をするんですか」
「んー……とりあえず、昼まで勉強、かな。小論文対策しないと」
 苦手なんだよね、あれ。でもやらないわけにもいかないし。
「そうですか、やっぱり勉強ですか。では俺はマスターの部屋で本読んでます」
 微妙にイラっとくる表情でため息をついたものの、カイトはそれ以上ごねなかった。しかし、
「悪いんだけど、駄目」
 あたしはパス、と腕をバッテンにする。
「どうしてです?」
 不服そうにカイトは唇を尖らせた。
「あたし本当に小論が苦手なのよ。とにかく数こなさないとどうにもなんない」
 そして書いたものは月曜日になったら予備校の先生に添削してもらうのだ。これ系の授業も取っているけど、いまいち身になっている感じがしない。やり方が悪いのかもしれないが、自分ではさっぱりだ。
「試験形式みたく、時間通りにやりたいのよ。集中したいからPCの電源は落とすし。そうなるとあんた、字を調べられなくなるでしょ」
 カイトは最初の頃に比べればずいぶんものを覚えたが、それでもまだまだだ。IMEパッドなしでは本を読み進められないだろう。他にもあたしが大変な思いをしているというのに、後ろで楽しく過ごされるのはムカつく、という理由もある。
 えー、でもーと言い募るカイトにあたしはわざとらしいくらいにこやかな笑顔を向けた。
「あのね、カイト。小論文は一般入試だけじゃなくて推薦入試にも必要なのよ」
「はあ、そうですか」
 だからなんだと言いたげに、カイトは口をへの字にする。
「もし推薦で受かったら、あたしは十月中に自由の身になれるのよね。駄目だった場合、二月くらいまでかかるけど」
「勉強、頑張ってくださいね、マスター。あ、終わったらアイスティーかなにか持っていきましょうか?」
 清清しいほど表情を一変させて、カイトはにこやかな笑みを浮かべた。
「氷は少な目。それとガムシロップつけてね」
「はい。あと、俺にできることはなにかありませんか?」
「そうねー……」
 部屋から出てもらうとしても、あんまりうるさくしてほしくないし。あ、そうだ。
「やりかけのRPGがあるじゃない。あれのレベル上げをしておいてよ。でもイベントは進めないでね。あたしがやりたいから」
「……はい」
 頬をひくつかせたものの、まだ笑顔を浮かべたままカイトは答えた。
「あ、それから、テレビの音が聞こえるの嫌だから、ヘッドフォンしてね」
「了解です……」
 よーし、これで息抜きは確保できた。あのゲーム、続きが気になっていたんだけど、もうちょっとキャラを育てないと先に進むの、きつい感じなのよね。でもしっかり育てるには時間がかかりそうだったし。いやあ、カイトがいてくれて助かった。
 目の前ににんじんをぶら下げられた馬みたいだが、こうでもしないとやる気が持続しそうにない。あたしはひっそりと肩を落としているカイトと、可愛らしい目でこちらを見つめている小次郎を残して自分の部屋へと戻った。
 そうと決めたら、さっさとやってしまおうっと。

 苦闘すること六十分。
 出来はとても合格レベルに達しているとは思えないが、とりあえず規定文字数は埋めた。制限時間内にまとめきれなかったり書き切れなかったりしたことを思えば、多少は向上しているだろう。そうとでも思わないとやってられない。
 思いっきり頭を使った後の虚脱感と清清しさが抜けきらないまま、あたしはリビングによろめき出た。テレビはつけっぱなし。カイトはいない。
 トイレかな、と一瞬思ったが、あたしの知る限りカイトはトイレに行ったことがなかった。食べたアイスはどこへ消えているのだろうとは常々思っている。
「お疲れ様でした、マスター」
 軽やかな足音とともに、カイトがキッチンから出てくる。
「ご希望のアイスティーですよ。それとクッキーかなにか、食べますか?」
 トレイにグラスとガムシロップ、それとご丁寧にストローを添えて持ってきたそれらを、テーブルに置く。
「もうじきお昼になるからいいや」
ストローをグラスに差し込んで、さっそく啜る。あー、甘くておいしい。生き返る。
「レベル、どれだけ上がった?」
「うーんと、だいたい6くらいですね」
「あんまり上がってないなぁ」
 次のイベントをこなすには十分だろうけど。
「仕方ないですよ、イベントを進めないと次の場所に行けないんですから。もうあのあたりにいる敵だと弱くてお話になりません。あ、それと、装備品も全部あの辺りで買えるもので一番高いものにしちゃいましたけど、いいですよね」
「それはもちろん」
 雑談を交わしつつ、あたしは時計を見やる。
 十一時半か……。お昼には早いけど、夕飯の買い物もかねて今のうちに出かけてこようかな。外、だいぶ暑そうだけど。うう、エアコン効いている部屋から出たくないよ……。
 迷った挙句、お昼は結局コンビニでサンドウィッチとサラダを買って簡単にすませることにした。食後は、あたしは英語と格闘し、カイトは再びレベル上げをする。
 問題集とにらみ合うことしばらく、ふと部屋が暗くなってきていることに気がついて、あたしは窓に目を向けた。うわ、また荒れそうになってる。
 窓の外の雲は黒に近い色を帯びて急速に広がっていた。観察している間にも風が窓を叩き、雨が降りだす。集中が途切れたこともあってぼんやり眺めていると、雲間を切り裂く鋭い光が空を彩った。しばしの静寂のあと、低い轟音が轟く。
 やっぱりきたか。この時期って多いよね、雷。
 なんだか落ち着かなかったので、休憩をすることにした。もう一時間以上問題解いているし。
 再びリビングに行くと、カイトはレベル上げの真っ最中だった。さっきより三つくらいは上がっているみたい。
 青い頭が振り返ってくる。
「あ、マスター。休憩ですか、用事ですか」
「ん、休憩する。雷鳴り出したから気になってしょうがない」
「そうですよねー。あ、俺いま動けないので、もし何か用事があるのでしたらご自分でお願いします」
「は?」
 苦笑するカイトにあたしは首をかしげる。カイトの座っているソファに回り込むと、膝の間に小次郎がすっぽりとはまっていた。
「小次郎、雷苦手だからなぁ」
 あたしも苦笑した。
 脅えて吠えることはほとんどないのだが、落ち着きがなくなるのだ。小次郎はカイトの右腕に頭を乗せ、じっとしてはいるものの、お腹は激しく上下している。そしてふさふさの尻尾はすっかり垂れ下がっていた。目もどことなくどんよりしている。
「小次郎、おねーちゃんとこ、おいで」
 両手を広げると、カイトは小次郎を渡してくれた。並んで座って、雷の音を時々聞きながら、あたしたちはのんびりすごす。
 こういうのって、初めてかもしれない。アホなことをされて脱力したり、馬鹿なことをされて怒らなくていいというのは素晴らしいことだ。カイトもようやく人の世界に慣れてきたということなのだろう。この調子で成長してもらいたいものだ。
「すごい音ですよねぇ」
 一際大きな音が鳴り渡る。コントローラーを握りながらも窓に目を向けて、カイトは呟いた。
「そういやカイトは雷平気?」
「平気ですよ。光って音が鳴るだけですから」
「いや、直撃くらうと死ぬ事もあるんだけど……」
「そうなんですか……。それはちょっと嫌かもしれません。でも家の中にいれば平気ですよね?」
「まあ、そうなんだけどね」
「マスターは雷平気なんですか?」
「むしろ楽しい。家の中にいる場合に限るけど」
 外で遭遇したらさすがに怖いけどね。
「雨が止んだら少しは涼しくなるよね……。その隙にスーパー行こうかなぁ」
 ついでに小次郎の散歩もしようか。道路が濡れているから毛が濡れるけど、暑いよりはましだし。
 あたしは母から食費として一万円もらっている。余った分は留守番代としてくれるというから、できれば節約したい。そして節約といえば自炊だろう。
 あたしはテーブルに置きっぱなしになっている新聞を取った。二つ折りにされた間には、挟みこまれた広告がある。近所のスーパーのちらしを探して広げた。
「何作ろうかなぁ」
「マスター、なぁに?」
 カイトがのぞきこんできたので、顔を押しやった。髪が邪魔だ。
「夕飯、何食べようかと思って」
「マスターが作るんですか?」
「他にやれる人、いないでしょう」
「俺、やりますよ?」
「包丁を握ったこともないくせに、何を言ってるの」
 カイトはコーヒーや紅茶の入れ方とレンジでチンする方法しか知らない。食事は必要ないみたいだし、あたしは普段夕方にならないと帰らないので、料理を覚える時間も機会もないからだ。とはいえ、いずれ覚えてもらうつもりではいるけれど。……あ、ならその機会は今日でもいいじゃないか。
「せっかくだし、何か簡単なものに挑戦してみる?」
 話を振ると、カイトは嬉しそうに頷いた。
 そして本日の夕食は、カレーとサラダになった。初心者に作らせるメニューとしてはオーソドックスなものだろう。皮はピーラーで剥けばいいし、あとは適当な大きさに切るだけ。失敗するのも難しいくらいだ。
 そうはいうものの、やっぱり初めて包丁を握る人物の監督をするというのはなかなか大変だ。カイトは不器用ではないのだけど、やはり勝手がわからないようで、何をするにもまどろっこしい。材料に手を添えて、包丁を降ろすだけでもずいぶんと時間がかかる。この大きさでいいのと何度聞かれたことか……。あたしはたいして料理ができるわけではないけれど、それでもあたしが一人でやった方が早い。『そこをどけ、あたしがやる!』と言いそうになったけど、それではカイトが覚えられなくなるのでぐっと堪えた。
 できあがったものは、使う材料もルーも同じなのに、どこかいつもと違う味のカレー。
 まずいということは全然ない。普通にカレーになっている。でも、やっぱり何か違うんだよなぁ。不思議。
 あたしがカレーを食べている向かいで、カイトはダッツを楽しんでいた。カイトにダッツをあげるのは初めて。やっぱり、高いからね。……別にねだられたわけではないし、カレーを作るご褒美、というわけでもない。ちょっとしたお小遣い――食費だけど――が入ったし、アイス四割引きをしていたから、買ってみようと思っただけだ。ちゃんとあたしの分も買ってあるし。カイトにだけ、なんてことではない。
 食事が終わって後片付けをして、シャワーを浴びて、さあ後はゲームするだけだとあたしは張り切る。
 さすがに両親がいると、こんな時間にゲームはできないからね。ああ楽しみだ。
 カイトが手伝ってくれたお陰で、レベルは15くらいあがっている。これならイベントも結構こなせそう。
 とか思っていると、電話が鳴った。受話器を取ると、お母さんの声が聞こえる。ご飯は何を食べたのかとか、向こうの様子といった四方山話をした。お母さんの背後から、賑やかな声が聞こえる。あーあ、すでに酔っ払っているな、お父さんたち。
 じゃあね、と電話を切るとゲーム機の電源を入れる。
「さっきの電話、お母さんですか?」
「うん。あたしがちゃんと家にいるかどうか、確認したかったんだろうね、あれは」
 夜遊びは絶対に許してくれないからね、うちの親は。
「そんなひねくれた捉え方をしなくてもいいじゃないですか。普通にマスターが一人で寂しくしていないか、心配だったんでしょう」
 でも俺がいるので、マスターは一人ではないんですけどね、と付け加えると、当然のようにカイトはあたしの隣に座ってきた。
「わかったようなこと言っちゃって」
 生意気、と鼻の頭を弾くと、カイトはすねたような表情を浮かべてそこをさする。
「少しはわかりますよ。お父さんもお母さんも、俺のことは知らないですけど、もう二ヶ月も一緒に住んでいるんですから」
 二ヶ月か……。もうそんなに経ったのかという思いと、まだそれしか経っていないのかという思いが交錯する。
 実体化したソフトと同居なんて、不安で仕方がなかったけれど、それでもどうにかなるものだ。最初の頃なんて、近くにいられるだけでも拒絶感があったものだけど、慣れれば慣れるもので、今ではなんとも思わないもの。いるのが当然だとも、思っているし。
 あたしは一人っ子なので想像するしかないのだけど、兄弟がいるというのはこんな感じなのかもしれない。いるのが当然だと思うのは、両親に対してもそうなのだけど、カイトはなんというか、違う。うちは親子関係は良好な方だとは思うけど、それでも両親にはなんでも話せるわけじゃない。あたしにも見栄や意地はあるし、反発することもある。その反発心は、後から考えればなんの根拠もないものであったりもするのだが。でもカイトには結構話せるのだ。むしろ愚痴を聞いてもらってストレス発散をしているような感じで。
 ここで、横暴な姉とこき使われる弟、というフレーズがぱっと思い浮かんだ。
 思わず隣に目を向けると、カイトと視線が合う。カイトはどうしたの、というように軽く頭をかしげた。
(うーむ……)
 あたしはカイトを弟だと認識していたのか。兄弟がほしいと思ったことはあるけれど、どうせだったら頼れる兄が良かったのに……。でなければ、話の合う姉妹だ。
 見た目だけならちゃんとお兄さんには見えるが、カイトに何か頼るというのは、難しい。レベル上げを頼むのとは次元が違うもの。
「マスター、どうしたの。ゲームしないなら俺と遊びません?」
 あたしはがっかりして肩を落とした。遊びません? って……。小学生が「ちゃんあーそーぼー」とやってるのと同じレベルだぞ。
「ゲームするから遊ばない」
 ぷいっと顔を背けると、横でカイトが頬を膨らませている気配がした。

 さくさくとイベントが進むので、やめ時を見失ってしまったが、ふと時計を見ると十一時を過ぎていた。去年までならもっと夜更かしもしたけれど、今は身体が資本だ。休み明けにはまた予備校に行かなくてはいけないのだし、もう寝よう。
 テレビとゲーム機の電源を消すと、リビングはしんと静かになった。小次郎はもう寝ちゃったし、カイトは途中でいなくなった。パソコン使いますね、と言い残して。
 玄関の鍵をチェックして、リビングの電気を消す。自室に入るとカイトは動画を見ていた。
「あたしもう寝るから。それ終わったら電源消してね」
 まだ見足りないなら、PCに戻って続きをしてと、暗にあたしが言うと、
「すぐに終わります。おやすみなさい、マスター」
 ヘッドフォンを外してカイトは答える。
「うん、おやすみ」
 あたしはひらひらと手を振ってベッドに入った。
 一人暮らしを始めたら、こんな風に毎日を送るのかなぁ。一人暮らしといいつつ、二人いるのがなんだけど。
 なんてことを考えながら、もそもそと夏掛けを被る。電気がついているのが気になるけど、すぐに消えるだろう。
 しばらくするとふっと部屋が暗くなり、終了音がかすかに聞こえた。あぁ終わったんだ、と思っていると、ぎしり、とベッドがきしむ。
 んあ?
 なんだ、と思っていると、
「マスター、もうちょっと奥に行ってくれますか」
 と耳元で囁かれ――
「……っ!」
 がばっと起き上がると、コートの襟元をくつろがせたカイトが当たり前のような顔をしてベッドにもぐりこもうとしていた。
「あ、あんた、何考えてるの!?」
 思わず大きな声が出る。
「何って……。マスターが寝るというので、俺もご一緒しようかと」
 マスターが起きていないと、暇ですし。ときょとんとした顔で返された。
「……PCん中戻って寝ればいいじゃん!」
 カイトには人間的な意味での睡眠が必要なのかは知らないが。
「だって、せっかくずっと外に出てていいのに、そんなのもったいないじゃないですか」
 悪びれもせずにカイトは反駁する。これは、悪い事だと思っていないのだろうなぁ。
 しかしいくら認識が弟でも、見た目はあたしよりも年上だ。そしてあたしのベッドはシングルサイズだ。物理的に狭い。そして心情的には冗談じゃない、だ。
「ハウス」
「え?」
 カイトは眉をひそめる。
 あたしはPCを指差した。
「ハウス! 戻れ! PCに行け! でなければリビングに朝までいなさい!」
「え、ええ? どうして?」
「どうしてもこうしてもない! このバカイト!」
「ええ〜〜!?」
 すっかり涙目になったカイトはあたしがどうして怒っているのか理解できないように小刻みに首を振った。
「なんでですか!? せっかくマスターと一日中一緒にいられると思ったのに。一緒に遊んで一緒になにか食べて一緒に眠れると思ったのに」
 その言動に、あたしは気が遠くなりそうになった。まさか今朝の心の準備がどうのこうのって、そういう意味だったのか……? それよりも彼には人並に性欲とかあるのだろうか?
 いや、とあたしは心の中で頭を振った。
 カイトの様子からすると、この『一緒に寝る』というのはそれこそ小学生レベルの「お友達の家でお泊り会だ、わーい」というノリのようだ。文字通り、一緒のお布団に入るだけ、というもの。だからといって同衾を了承するわけにもいかない。そして一応見た目はお兄さんなのだから、少しは自分の行動が傍目からどう見えるのか、もう少し自覚してほしい。
「カイト、宿題を出します」
「宿題?」
 頬がひきつる感じがする。それでもなんとか落ち着いた声を出そうとあたしは努力した。ぐすり、とカイトは鼻をすする。
「セクシャルハラスメントという言葉の意味とか事例を調べること。一晩あれば十分でしょう」
「……はい、わかりました」
 しぶしぶと立ち上がると、カイトはPCを立ち上げる。光の粒子を残して、カイトは消えた。ややあって、電源が落ちる。
 それを確認したあたしは、仰向けかつ大の字になってベッドに倒れた。
 ……今日は良い感じに終われると思っていたんだけど、な。まだまだだ。
 しかし一人暮らしを始めてもこんな毎日を送らなければならないとなると、なんだかとっても大変そうな気が、する。

 翌朝。
「マスター、俺知りませんでした。俺はマスターからDVというものを受けていたんですね! ひどいですよ、マスター。俺がひとじゃないと思ってぇ」
 一つお利口になったとばかりに、無駄にきりっとした顔で、カイトはあたしに詰め寄ってきた。
 認識してほしかったのは、そっちじゃない!

 朝一番にあたしの怒声が部屋に響き渡った。






Episode 5へ   目次   Episode 7へ