ゴールデンウイークも過ぎ、暑くもなく寒くもない、気持ちの良い時期に入った。カイトと小次郎と過ごす日々も当たり前になりつつある。
「マスター、早くー」
 すでに玄関に出たカイトが声を弾ませ呼びかけてくる。
「もう、急かさないでよ」
 あたしは薄手のパーカーを羽織りながら洗面所を出た。スニーカーに足をつっこむと、小次郎が自分も連れていってくれるのだろうかとそわそわと見上げてくる。その小さな頭をなでて、散歩は夕方ね、と笑いかけると、ただの人間のおでかけだと理解してか、ちょっと尻尾を下げた。
「いい天気で良かったですね」
 ラフなTシャツ姿のカイトがにっこりと笑いかけてくる。
「そうね。傘持って買い物行くのも、結構面倒だもんね」
 ここ数日、天気は崩れがちだったが、今日は清々しい晴天だった。カイトの髪と空の色はどちらも負けず劣らす青々としている。
 あたしたちは家から二番目に近いスーパーに歩いて向かった。品ぞろえや価格を比べた結果、ここをメインで利用する店にしたのだ。
「ようやくアイス解禁日になったんですね。この半月、本当に辛かった……」
「まあ、自業自得だし?」
 全身から喜びの気配を発して歩くカイトに、あたしは冷静に答えた。
 いつものカイトならここで頬を膨らませるとか唇を尖らせる等の、子供かお前は、な仕草の一つもしていただろうが、今日はひたすらにこにこしている。
 半月の間、アイスが食べられないはめになったのは、来るなと行っていた新歓コンパ後の迎えを勝手に実行したからだ。それも携帯のGPSを悪用するようなことを、悪いとわかっていてやったのだからタチが悪い。
 だが、あたしが追加でお仕置きをしなかったのは十分感謝されてしかるべきことだと思う。
 それというのも、あの事件があってから、あたしはサークル関係者には従兄と親公認で同棲していると思われてしまったのだ。このアホが考えなしに『家庭の事情』だの、『父に頼まれて〜』だのと言ったものだから、否定したのに信じてもらえない。カイトがどれだけやっかいな性格をしているのか力説したが、この男の顔の良さと物腰の柔らかさもあって、なにが不満なんだのろけるなと逆ギレされて終わった。というよりも、あのストーキング的行動が一部に女子たちに一途だと解釈されたのだから、こっちはひたすらやるせないのである。
 さすがに皆それなりに大人なので、殊更からかわれたりすることはないけれど、大学に入ったら恋人の一人もできるんじゃないだろうか、なんていう淡い期待はどうも現実のものにはなりそうにない。サークル内ではそれなりに恋の鞘当て的なものはあるようなのだけど、あたしは見事にその輪の中から閉め出されている。付け加えれば、同級生男子はまだ顔と名前が一致している人が少なかったりするので話にもならないし。授業ごとに教室がかわるものだから、ほとんど会わない人もでてくるのだ。
 どちらにしても、特に気になる人がいるわけじゃないので問題はないといえばないのだけど……。釈然としない。
 あたしの表情が浮かないからだろう、ひたすらご機嫌だったカイトが不安げに眉を寄せた。
、なんだか不満そうですね。まさかと思いますが、アイス禁止期間を延長するとか……!」
「しないって」
 こいつの思考はアイスにしか向かないのだろうか。微妙に疲れを覚えたが、こんなことをカイトに言ってもしょうがないので、あたしは別のことを言って誤魔化すことにした。
「喜びすぎてスーパーで奇声をあげられたら困るなあって、思ってたのよ」
「そんなことしませんよ」
 カイトは不満げにぷう、と頬を膨らませた。
 そんないつも通りのやりとりをしながらスーパーに到着すると、買い物かごを手に売場を巡る。メモを片手に目的の商品をかごに入れたり、新製品のお菓子をチェックしたりする――興味はあるけど、お菓子類で食費を圧迫するわけにもいかないので、買うのはあきらめた。体重も気になるしね――。
「あ、 、ちょっと待って」
 そして最後にアイス売場に向かうかと思いきや、カイトはその手前の冷凍食品売場で足を止めた。
「何か買うの?」
 予定はなかったはずだけど。問うとカイトは頭を振る。
「ちょっとお弁当のおかずの参考にしようかと思って。冷めてもおいしいおかずって、結構難しいです」
「ああ、そういうこと」
 あたしは了解してゆっくり歩くカイトにペースを合わせた。
 両親から送られてくる生活費はあたしと小次郎の一人と一匹分だ。しかし実際には二人と一匹で暮らしているわけなので、どうしても生活費は足りなくなりがちになる。
 色々節約しているけれど、やはり効果的に切り詰められるのは食費だ。特に食べなくても平気なカイトに食事をさせるのをやめさせれば十分だろう。けれどあたしはそれをやりたくない。カイトは人ではないけれど、家族なのだから。
 ということで、カイトに節約メニューを調べてもらったりする傍ら、あたしの昼食をお弁当に切り替えることにしたのだ。学食の料金は一般の飲食店に比べれば安いのだけど、お弁当にかかる費用はもっと安いし、味にも不満は特にない。
 カイトは時折足を止めてパッケージを指差しながら、こういうのは好きか、こっちはどうだと聞いてくる。あたしはそれに相槌を打ったりしながら、
「はりきりすぎて後が続かないとか困るから、ほどほどにね」
 と忠告する。
 するとカイトは振り返って胸を張った。
「大丈夫です。考えるのは大変だけど、作るのは面白くなってきていますから」
「いや、だからそれがほどほどにってことなんだけど……」
「え?」
 カイトはきょとんとする。
「もうちょっと、普通でいいんだよ」
「普通じゃないんですか、あれ?」
「せいぜい小学生向けの飾りつけよ、あれは」
「そうですか? 可愛いと思ったのに」
 カイトは納得いかないように首をひねる。
「可愛さはそんなに追求しなくていいんだよ……」
 あたしはカイトの背中をぽんと叩いた。楽しんでやってくれているのがわかるので、殊更強く禁止するのもためらわれる。しかしカイト作のお弁当は星型とか花型に食材を成形してあるものが必ず一つか二つは入っているのだ。それにご飯の上に海苔で顔文字状のものをつけていたりする。顔文字は単純なものだからまだましだけど、エスカレートしてそのうちキャラ弁化するのではないだろうか。
 昼食をお弁当にすると決めた時、――当然のごとく、カイトは自分が作るものだと思っていた。まあ、その通りなのだけど――桜でんぶでハートの形にするのは禁止だと言っておいたのだけど、禁止しておいて正解だった。あたしとしてはお弁当のお約束ネタのつもりでしゃべっていて……つまり冗談だったのだけれど、禁止していなかったらあれも本当にやられていたことだろう。卵そぼろでお星さま型はすでにやられているし。お昼はサークルの友達と食べることも多いから、そんなものを見られた日には何を言われるかわかったものではない。
 満足するまで観察したらしいカイトは、次のコーナーに進む。途端に口元が緩んだ。その視線の先には、予想するまでもなくアイス売場がある。
「あ、新製品が一杯ある! どれにしようかなぁ」
 冷凍ケースをのぞき込み、きらきらした目でアイスを見つめる。アイスが買えない期間は見ると我慢ができなくなるというので、ここの売場は避けていたのだ。
 口元には押さえきれない笑みが浮かび、期待と幸福に満ち満ちている。思わずあたしもケースをのぞき込んでしまう。なんだかどれもすごく美味しそうに見えてくるのだ。
 しかし流されるままカイトと同じようにアイスを食べたりしたら、体重がどんなことになるかわからない。自重しないと、とあたしは自分に言い聞かせた。

「マスター、あの、ちょっとこれ見てください」
「うん?」
 のんびりした休日も終わり、ソファに座って食後のアイスを食べていたカイトはその空き袋を渡してきた。
「これがどうかした?」
 このアイスはあたしが小さい頃からある定番のものだが、味が季節限定のものである。なんだろう、いまいちだったとか?
「このギフト券なんですけど……」
「ああ、これ」
 最近よく見かけるタイプの、携帯かPCでサイトにアクセスし、商品についている番号などを打ち込むと、すぐに当たったかどうかわかるタイプの懸賞をやっているようだ。これには当たりが出たらギフト券千円分プレゼント、とある。
「やってみたいの?」
 識別番号の書かれているシールはすでにはがされている。このギフト券はたしかスーパーでも使えるはずだし、もし当たったらアイスが買えるな、とか思ったのだろう。
「いえ、そうじゃなくて……」
「じゃ、何?」
 カイトがちらりとPCを見やる。つられてあたしもそちらに目を向けた。スタンバイ状態になっていたそれが起動し、モニタが画像を映し出す。カイトの仕業だ。
「もうやってしまいました」
「早いよ。まあ、いいけど」
「で、当たっちゃったんです」
「え!?」
 そこに映し出されたのは当選者用のページだ。あたしは立ち上がってモニタをのぞき込む。
「本当だ……。へえ、こういうのって、本当に当たりが出ることがあるんだ」
 偏見だろうけど、こういうのって、興味を持たせてサイトにアクセスさせるのが目的であって、当たりがでることはまずないのだと思ってたんだよね。
「す、すみません。まさか当たるとは思わなくって。どうなるのかなってちょっと思っただけなんです!」
 すっかり焦ったカイトが背後で小さくなって言い訳をする。あたしはその狼狽ぶりにため息をつき、振り返る。
「別にこんなことで怒ったりなんてしないって。当たったんなら素直に喜べばいいじゃない」
「う、嬉しいには嬉しいんですけど、これをもらうためには送り先を記入しないといけないんです。だから……」
「ああ……」
 カイトには個人情報を勝手に教えてはいけないと言い聞かせている。それとはちょっと違うけど、つい最近プライバシー面に関わる問題を起こしたものだから、カイトはあたしに怒られると思ったようだ。
「確認するけど、カイトはこのギフト券がほしいの? いらないの?」
「もらえるのならほしいです」
 カイトは即答する。
「なら記入すればいいじゃない」
「いいんですか?」
「いいよ。ここ、有名な食品メーカーだもん。そうそう悪用したりしないでしょ」
 企業イメージに関わるのだから。とはいえ流出の方は心配だけど。たまにニュースになっているもんね。だけどクレジットカード番号とかならともかく、名前や住所だけならどうってことない……と思うのは甘い考えだろうか。
 そういうとカイトはほっとしたように肩を落とす。と、にこやかに顔をあげたと思ったら、瞬く間に必要事項が埋められていった。手を使わずにPC操作ができるのはカイトの得意技だ。
「これで大丈夫ですよね、マスター」
 目で追いきれないでいるうちに、次のページに移動されてしまったが、次のページは確認ページだった。
 名前と住所、電話番号。簡単なアンケートも兼ねているのか、性別と年代、職業も選択するようになっていた。後者の方は任意のようだが。
 あたしは間違いがないか確認すると、カイトを振り返る。
「なんであたしの名前で記入してるのよ」
「え、だって……」
「当たったのはあんたじゃない」
 カイトは戸惑う。
「でも、俺、人間じゃないし……」
「応募できるのは人間だけです、なんて書いてないよ」
 くすりとあたしは笑った。もちろん、そんな妙ちくりんな応募要項がある懸賞なんてあるわけがない。せいぜい、応募者は国内在住者に限る、とかだろう。
「でも……怒られませんか?」
「誰に?」
「その会社の人とか……」
 あたしよりも頭が高い位置にあるのに、上目遣いになっている雰囲気を漂わせカイトはぼそりと言う。
 あたしは手をひらひらと振ってみせた。
「こういう懸賞ならどんな人が当たったのか、わざわざ確かめにきたりはしないよ。ものだって普通に郵送されるだけだろうし、それを受け取るのに身分証明書が必要ってこともないし」
「そうなんですか」
 ようやく安心したようでカイトは小さく息を吐くと、名前のところを書き換える。 海人、と。
「良かったね」
 送信ボタンが押されたのを確認してあたしは声をかける。
「はい。俺宛に郵便が来るのも初めてなのでドキドキします。いつ頃届くんでしょうね」
 照れたようにカイトは微笑む。
「どうだろう。あたしは懸賞に当たったことがないからわからないな」
 応募者全員サービスくらいならやったことがあるけれど。
「そうなんですか。じゃあ、届いたらマスターにも見せますね」
「そうだね、楽しみにしてるよ」

 そんなやりとりをしてから一週間程でギフト券は届いた。その日カイトはこの上なく浮かれていて、落ち着かせるのにあたしは一苦労した。
 早速次の買い物で使うのだろうと思っていたけれど、そもそも持ってきてもいなかったようで、あたしがどうして? と聞くと、大事な日に使うからだという答えが返ってきた。大事な日って何と聞くと、カイトははぐらかすように笑った。
 カイトの大事な日って、なんだろう。誕生日はとっくに過ぎたし……。
 気になってはいたけれど、それからしばらくしてもっと気がかりなことが起きていたので、それどころではなくなった。
 カイトがアイスを食べなくなったのだ。
 まったくではないけれど、目に見えて減っている。アイスが動力源ではないのかと思うほどアイス好きのカイトがアイスを食べないのだ。どこか調子が悪いのではないかとあたしが心配するのも当然だろう。
 しかしカイトは、最近は他の食べ物にも興味がでてきたから、アイスばかりに執着しなくても良くなってきている、と言うのだ。この嘘付きめ。だったらアイス売り場で未練たらたらにしているのはどういうことだ。
 けれどカイトはガンとしてその事実を認めない。あたしには言えないことなのだろうか。相談の一つもしてもらえないなんて、まったくもって、あたしはマスター失格だ。
 だけどこのことをのぞけば他に問題はなく、カイトは日に日に人間世界の暮らしに馴染んでいった。
 ここまで慣れれば通常の生活をするのにあたしの付き添いはいらないだろうと、六月になったのを期に一人で外出をしても良いという許可を出す。といってもカイトが出かける先など、スーパーとコンビニと、近所の公園くらいのものだけど。

 それからしばらく経ち、もうじき梅雨に入るという予報が聞こえるようになったある日のこと。
 学校から帰ったあたしは夕食ができるまでソファでごろごろしながらバイト探しをしていた。カイトのフォローをすることが少なくなったので、いい加減動き出さないといけない。このままでは安心して趣味のものの一つも買えなくなってしまう。
 今夜のメニューは煮込みハンバーグだということで、キッチンから漂ってくる良い匂いをかぎながら、あたしは情報誌をめくる。
(ピンとくるものがないなぁ)
 ネットで検索をかけたりもしたけれど、やってみたいと思うものはなかなかでてこないものだ。小売りや飲食は多いけど、どうせだったら就職に役立つスキルとか覚えられそうなところがいいのだけど。だがそんなのそうそうあるものじゃないだろう。最初は無難なところにするしかないようだ。あとは家からあまり遠くなくて、時給が安すぎないところにしよう。
「マスター、ご飯できましたよー」
「わかったー」
 カイトの呼びかけに、情報誌を閉じる。
 お皿を両手に持ってカイトがこっちに来たので、テーブルの上を片づけた。
「いつもより豪華っぽい盛りつけだね」
「はい。ちょっとがんばってみました。気に入ってもらえましたか?」
「うん、いいじゃないの。おいしそう」
 白い皿の中央にハンバーグが鎮座し、その上からたっぷりのソースがかかっている。さらに生クリームが周囲に回しかけられており、お皿の縁側にはブロッコリーが飾られていた。
 次に運ばれてきたのはトマトとチーズのサラダだ。あしらいにバジルが添えてある。さらにコンソメのスープと、薄く切ったフランスパンがレースのような模様のついている紙ナプキンを敷いた皿に盛りつけられて出てきた。
「なにかのお祝いみたいだね。どうしたの?」
 そして随分材料費がかかっているように見えるのだが。
 問うと、ナイフやフォークを用意していたカイトが苦笑する。
「やっぱりマスター、覚えていないんですね。今日は記念日ですよ」
「記念日? なんの?」
 はて、とあたしは首をかしげる。六月は誰の誕生日でもないし、祝日もない。
「もう、マスターったら。今日は俺とマスターが出会った日ですよ。一周年記念日です」
「え?」
 言われて思い出したが確かにそうだ。去年の今日、中間テストの最終日、激安中古価格であたしがカイトを買ったのだ。まさか本人がモニタから出て来るとも知らずに……。
「そうか、あれから一年経ったんだ」
 時間の流れはなんて早いのだろう。感慨深くあたしは呟く。
「はい。色々なことがありましたよね」
 青い目を伏せて、カイトも静かな声で告げる。その脳裏に浮かんでいるのはどんな想いなのだろうか。
 カイトは音を立てずにあたしの向かいに腰を下ろし、はにかみながらもまっすぐにこちらを見つめた。
「俺はこの一年の間、とても幸せでした。……あの、本当なので、そんな疑いの目で見ないでください。マスターは厳しい人だけど、俺のことをちゃんと考えてくれています。……もうちょっと、小次郎さんにするくらい俺のことも甘やかしてくれるといいなぁ、とか思うこともありますけど」
「……正直者め」
 しかし、幸せだった、か。疑いたくはないけど、ちょっと信じられないところはある。あたしのカイトの扱いはかなり粗雑だったと自分でも思っているし。
 その考えが表情にも現れてしまったのだろう、カイトは困ったように眉を下げる。だが視線は反らされることなくあたしに向けられ続けた。
「もうすぐ一年経つことに気がついた時、感謝の気持ちを伝えたいと思ったんです。プレゼンとを贈るとか……。だけど俺、お金ないし。何贈ったらいいのかもわからなくて。料理なら結構できるようになってきたから、ケーキとか焼いてみようかなと思ったりもしたけど、俺たち二人じゃホールケーキは食べきれないだろうし、マスターが体重を気にすると思って、普段よりちょっと豪華な夕食にしてみたんです」
 確かにあたしならそういう反応をしそうだと、ケーキのくだりで吹き出すと、カイトもつられて笑い出す。
「その判断は上出来だと思う。せっかく作っても食べきれなくて捨てることになったらもったいないもの」
 言葉が途切れ、ふいに静寂が訪れる。
 あたしは向かいに座るカイトを黙って見つめた。青と白のコートを着ていなければ、マフラーも巻いていない。ぱっと見はただの髪の青い青年。でもヒトじゃない。本当ならこんな風にしゃべったり笑い合ったりすることなどできるはずもなかったアプリケーションソフトウェアだ。
 そのカイトと一年を過ごしたのか。両親から隠したり、ヒトの世界のあれこれを教えたり、思えば毎日、夢中だった。
「あの、マスター」
 じっと見られていて居たたまれなくなったのだろう。カイトはもじもじしだした。
「あ、ごめん。なんでもないの。……じゃなくて、覚えてなくてごめん。それと夕飯をありがとう。すごく嬉しいよ。せっかくだからあたしも何かしたいな。ねえ、何かほしいものとかある?」
「そんなの……! いいんです。俺が勝手に盛り上がっただけなんですから」
 声を裏返させながらカイトは強く頭を振る。
「いやでも、記念なんだし」
「本当にいいんです。でも、あの……一つだけ……」
 カイトはすっくと立ち上がるとすたすたとキッチンの方へ行く。シンクの上にある収納棚を開けるとなにやら取り出した。
 それを隠すように後ろ手で持つと、あたしの目の前に来て膝をつく。
「これを……受け取ってください!」
 差し出されたのは、お花。サーモンピンクとオレンジのガーベラが一本ずつ。その脇に白いマーガレットがちょこんと顔を出し、花たちの周りを鮮やかなグリーンの葉――名前はわからない――が囲んでいる。手のひらに乗るようなサイズの小さな花束だ。
 呆然とあたしがそれを見つめていると、顔を真っ赤にしてカイトが早口で説明しだす。
「ほ、本当はもっと立派なものをあげたかったんです。洋服とかアクセサリーとかの素敵なものを。でも俺からものをもらうの、マスターは迷惑かもしれないと思ったから、形に残らない方がいいかなって。だからお花なんです。それだって、もっと大きくて綺麗なものをあげたかった。でも俺のお小遣いだとこれが限界で……。あ、あのギフト券を夕飯の材料費に回せたんで、それがなかったらこれも無理だったんですけど……」
 カイトはほとんとおじぎをするように上半身を床と水平にして、腕だけ上げて花束を捧げるようにする。
「で、あの……受け取るだけでいいので、受け取ってください」
 小さな花束を包む両手はぷるぷると震えている。あたしはそれをそっと受け取った。手の中で花を包むセロファンがかさりと音を立てる。
「お花なんて、卒業式の時に後輩からもらったことしかなかったよ」
 それだって卒業生には全員渡されていたから、義理的なものとしか思ってなかった。でもこれは違う。
「結構嬉しいものなんだね」
 ありがとう、と言うとカイトは目を潤ませる。
「マスター……」
「あんたったら、必死すぎ。お花もらって嫌がる人なんて、そうそういないよ」
 そういうあたしも、なんだか泣いてしまいそうだ。カイトのお小遣いというのはつまりアイス代のことだ。あのカイトが大好物を我慢してまで今日の用意をしてくれたなんて……。きっと大変だっただろう。
「母の日のお祝いをしてもらえるなんてまったく期待していなかったお母さんがサプライズでお祝いしてもらえた時ってこんな気持ちなんだろうな」
 そう言うと、カイトは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になった。
「えー、母の日ですか。マスターはマスターなのでお母さんではないですよ。それに母の日は五月です。だから今日はマスターの日にします」
「なにそれ」
 またおかしなことを言いだして、とあたしは吹き出す。だけど、毎年お祝いしていきましょうね、とカイトは微笑んだので、あたしも素直に同意した。

 その後、カイトは暇つぶしとお小遣い稼ぎも兼ねて懸賞趣味に目覚めてしまった。
 食品関係についているものを中心に、応募できるものは片っ端から送っているようである。下手な鉄砲も数打ちゃ当たるというもので、それなりに当選もしているのだからよけいに加速しているようだ。
 それはいいのだけど、特に欲しくないものまで応募できるからという理由で送っているものだから、たまに『当たったけどこれどうしよう』というものが届いてしまうこともある。……困ったものだ。









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