両思いでなくても付き合うというのはアリなのか。
 考えてみれば当然のことかもしれないが、男女交際というものに縁のなかったわたしにとっては目から鱗の指摘だった。
 もちろん両思いでなくても、というのは前提条件として二人がその状態に合意している必要はあるだろうけど。少なくともわたしならそうしたい。まったく気がないのに自分も相手を好きだというふりをするのは相手に失礼というか……。そんな演技をするのは面倒だと思ってしまう。
 しかし相手をさほど好きでなくても付き合うというのは、付き合っていればそのうち相手のことを好きになれそうだという予感があってのことではないだろうか。
 わたしはそのうちにでもカイトのことを恋人として好きになれるのだろうか? わからない。好きか嫌いかでいえば間違いなく好きだけれど、この好きだという感情は家族愛でしかないような気がするから、いつか別の形の「好き」に変わるということが想像つかないのだ。
 と、いうのはひとまず横に置いておこう。
 恋人関係うんぬんで悩むのは、まずカイトが倒れた原因が何かということがはっきりしてからだ。あるいは、結局はっきりとはわからないという結論が出てから、だ。

 PCに戻らないで一日中過ごしてみよう実験六日目。夕ご飯を食べつつ恒例になった質問をカイトにしてみた。
「今日の体調はどうだった?」
「変わりありませんよ。いつも通り、俺は元気です」
「ま、まだ六日目だもんね」
「何かあるとしたらもう少し先ですよねー」
 のほほんと笑いながら、カイトはメインのチキンソテーの和風きのこソースをむぐむぐした。
「けど今日、料理中にちょっと考えたことがあるんですよね」
「ん、なあに?」
 わたしはデリ風カボチャサラダを咀嚼してから答える。
「俺がこれから数日後にまた倒れることが確定しているとして、それが日中で、外出している時だとか、料理中だったりしたらどうしようって。危ないですよね」
「それは……危ないね」
 外で倒れて救急車でも呼ばれたらまずいし、火をつかっている時に倒れて火事にでもなったら騒ぎなんてものでは済まなくなる。けれどいつ起きるかわからないことをどう予防すればいいのか。
「できることっていえば、倒れるのが実験開始から十日目と見積もると、あと四日後でしょ。四日だけなら外出は控えて、料理もしないようにするしかないんじゃないかな」
「やっぱりそれしかないですか」
 カイトははぁ、とため息をつく。
 気持ちはわかる。ただでさえやることが少ないカイトが散歩と料理、それと食材買いだしという仕事がなくなればさらに時間を持て余すことになる。外出中に倒れるかもしれないという懸念があるから、気分転換だろうとなんだろうと、外に出かけることはできない。けれど、他に方法はないだろう。
「四日くらいなら小次郎の散歩もご飯作るのもわたしがやるし。あ、ご飯って言っても朝はわたしがいるから今まで通りに作ればいいよ。いざって時でもさすがにすぐに気づくだろうからね」
 肩を落としていたカイトがそれを聞いて少し表情を明るくした。
「それならマスターがいるうちに夕食の準備もしてしまえば、夕飯に関しても何とかなりますね」
「あ、それはそうかも。わたしが帰ってから仕上げをしたっていいんだしね」
 となると問題は食料の買いだしと小次郎の散歩か。
「でもとりあえず後四日と考えれば、食材を買いに行くのは一回でも済みそうじゃない。あ、そういえば今冷蔵庫の埋まり具合ってどんなだっけ?」
「明日の分はありますけど、明後日以降は何か買わないと厳しそうです」
「そっか。でも明後日って土曜日じゃない。なら買い物もわたしが行ってくるよ。それかカイトも一緒にくればいいわ。もし倒れてもしょうがない、その時はタクシーを呼べばどうにかなるでしょう」
「え、でもスーパーまでの距離にタクシーなんて」
「そんなこと言っていられる場合じゃないでしょ。それに必ずしも倒れると決まったわけじゃないし」
「そうですけど……」
「それから、土日はわたしはバイトだからうちで夕飯を食べないわけだし、大量に作れるものを作ったら? 自分の夕飯分だけ作るのも面倒でしょ」
「確かに……。それならカレーかシチューか」
「あ、それならカレーにしよ。それで、お昼にカレーうどん食べたい。めんつゆで和風にしたの」
「じゃあ明後日はカレーですね。冬ですけど家の中は暖房で暖かいから、常温保管はやめておいた方がいいですよね」
「ずっとコンロに一番大きい鍋が出ているのもなんかイヤだしね。冷蔵か冷凍が無難じゃないの」
「じゃあ冷凍してもいいように、じゃがいもは入れないでおきます」
「いいよー。カレーうどんにするのに煮くずれたじゃがいもでドロドロのカレーはわたし、好きじゃないし」
 それから土日の小次郎の散歩はやはりカイトも一緒に行くことにして、その前後の平日はわたしだけで行くようにするという計画を立てた。
 なんだろう、この、家事分担を一時的に変えてみる感じの会話。共働き夫婦ってこんな感じなんだろうか?

 そんなこんなで土曜日は妙に慌ただしかった。小次郎の散歩、食料の買いだし、お昼ご飯、小次郎の二度目の散歩、アルバイト。
 平日に二度、小次郎の散歩に行くのはわたしには厳しかったので昨日は帰ってからの一度だけだった。けれどもう小次郎にとって散歩は一日二回が習慣になっているので、時間としては早いが午後の散歩も行った。カイトの実験結果が月曜日には出ますように。でないと小次郎の方もストレスが溜まりそう。
 そんなわけで珍しく歩きまくったせいか、バイトが終わる頃には足が痛くなってしまった。帰宅したらゆっくりお風呂に入ろう、と思っていたけれど、一度座ると立ち上がるのがおっくうになる。
 カイトに甘いミルクティーを作らせて、とりあえずとテレビをつけた。ザッピングをして何か面白いものをやっていないかと探すも特にない。しょうがないかと映画をやっていたチャンネルに合わせた。なんだっけこれ。見覚えがあるような気がするけど、会話のみで動きのないシーンだからなんだったのかわからないな。
 しかししばらくぼうっと眺めていると会話内容から何の作品か判明した。貞子が出てくるやつだ。
 貞子か。そういえば……。
「カイトが初めてPCから出てきた後、貞子みたいな出入り方法でなくてよかったって思ったっけ」
 懐かしいなあとしみじみしていると、隣で途中から一緒になって見ていたので内容をちゃんと理解していないであろうカイトが首をかしげる。
「サダコみたいな出入り、ですか?」
 わたしは横目でちろりと見やる。
「カイトって、怖い話、大丈夫? 苦手?」
「怖い話……幽霊とかですか?」
「そうそう」
 カイトは眉間にしわを寄せた。考え込んでいるようだ。
「いくつかネットで読んだことがありますけど、怖さがわかりません。幽霊って、本当にいるんですか?」
「わたしは見たことないけどね」
「俺もないです。それで、それがどうかしたんですか?」
「ん? この映画がホラー……幽霊ものだから。カイトってこういうの、大丈夫かなと思って」
「怖い話なんですか」
「上映していた頃はともかく、今はギャグネタにも使われていたりするけどね」
「それ、本当に怖いんですか?」
 わけがわからないという顔でカイトが言う。
「それだけ有名な作品だってことよ。……あふっ」
 座っていたら眠気が襲ってきた。わたしはあくびをしつつ伸びをすると、お風呂に入るために立ち上がる。映画はいいや。特に今観たいわけでもないし。
「わたし、お風呂入るから」
 残っていたミルクティーを飲み干し、空になったカップをキッチンに持っていく。
「ごゆっくりどうぞ。マスター」
 カイトはそのままテレビを見るつもりのようだ。ラストを見たらどんな反応するだろうか。後で感想を聞いてみよう。今からお風呂に入ると、あがってくるのは映画が終わった後になりそうだし。
 結局お風呂からあがったのは一時間近く経ってから。ふくらはぎのマッサージとかしていると、あっと言う間に時間が経ってしまう。
 案の定、映画は終わっていたようで、洗面所兼脱衣所を出るとテレビは消されていた。PCを使っていたカイトはわたしに気づくとこちらを向く。
「サダコみたいな出入りの仕方の意味がわかりましたよ、マスター」
「そう。どう思った?」
「あのやり方はいけませんね。周りのものを色々落としたり壊したりしてしまうじゃないですか」
「あ、やっぱりそう思った?」
 カイトはPCデスクの板面をこつこつと爪でたたく。それから少し背中を反らせてイスの前足を浮かせながら。
「それにマスターのパソコンの場合、引っ越し前は勉強机のところに置いていましたし、今はここでしょう? もし俺があんな風に出てきたら頭から床に激突してしまいますよ。きっと痛いですよね。毎日そんなことになるのはさすがに嫌です」
 ホラー映画に対して意味のない突っ込みであるとは思うが、真面目に恐がれるものでもなく、わたしはうんうんと頷く。
「貞子式の場合、わたしもあまり目撃したくないなぁ。いくら出てくるのがカイトであってもなんか気持ち悪いもん」
 するとカイトは少し遠い目になって呟いた。
「光りながら飛び出すパターンで良かった……」
「そうだね。なんでいちいち光るのかよくわかんないけどね。ところで光る必要性ってなんだろう」
 わたしが今更ながらのことに首をひねると、カイトもかすかに眉を寄せた。彼は真面目そうな顔にしてると、二割くらいは賢そうに見える。
「変身ヒーローや魔法少女のことから考えると、正義の味方の証じゃないですかね。正義の味方というほどではないにしても、悪者ではないということとか。適当に言ってますけど」
「本当、適当だね」
 なんだそれは、と思いつつも、こういう考え方もありかと、わたしは笑った。カイトも自分で言っていて面白かったのか、肩を揺する。ひとしきり笑いあうと、次の日のこともあるのでわたしは寝室にしている個室に引き取った。さあ、明日は早めに起きて小次郎の散歩だ! 今朝は寝坊しちゃったからちょっと遅かったんだよね。たまのことだし、頑張らないと。

♪・♪・♪

 ふと、目が覚めると部屋の中が暗かった。夜中に目が覚めることが滅多にない自分にしては珍しい。
 トイレに行きたいのかな?
 ふわふわした意識の中、自分で自分に問いかけるも、特にそういうわけではないという感覚があったので、起きあがるのはやめておいた。
 再び目を閉じれば即座にとろとろと眠りに落ちそうな気がしたのでまた瞼を閉じる。そしてなんの気もなく上掛けを引っ張ると、ぐんとした抵抗感があった。
(……何?)
 どこかに引っかかってしまったのだろうかとまた引っ張る。しかしやはり手応えは重く、上掛けは動かなかった。
(あーもう。面倒くさ……)
 蹴っとばしでもして床に半分以上落ちてしまったのだろうかと、わたしは腕を使って身を起こした。片側だけ布団が押さえつけられている感じがする。そして暗さの中にも隠れきれない青いものがあった。
「……カイト、あんたまた何やってるの」
 カイトはまたベッドに頭だけ乗せて座っていた。至近距離なので部屋が暗いとかそういうのはどうでも良いほど、はっきりとその存在を確認できる。 
 カイトはぴくりとも動かなかった。徐々に意識がはっきりしてきたわたしは、ごしごしと目をこすると、カイトの肩を揺さぶる。
「カイトー……。リミット来たの? 寝てる?」
 ゆさゆさ、ゆさゆさ。
「はうっ!」
「うわっ!」
 前回のことがあるので、揺すったところでまず起きないだろうと思っていたカイトは、しかしバネ仕掛けの人形よろしく勢いよく起きあがった。
「ま、まままますたー、あの……」
 暗闇の中でもカイトの青い目が動揺に揺れているのがわかる。
「あんたねー。寝そうなら寝そうだって、起こしに来なさいよ。なんのための実験だと思ってるのよ」
「いえ、そうじゃなくて……いや、はい、すみません」
 カイトはささっと正座になると頭を下げた。なにか変だな。
「寝ていたんじゃないの?」
「わ、わかりません。俺、別に寝るつもりはなかったんですけど……。えーっと、今何時だろう」
 時計を探してかきょろきょろとするも、ここには壁掛け時計はない。わたしは枕元の携帯を手にとって時刻を確認した。午前三時過ぎだった。消灯している部屋にはまぶしいくらいの画面をカイトに見せると、彼は小さく口を開ける。
「俺の記憶は二時くらいで途切れています……」
「ということは、やっぱり一時間くらい眠っていた状態だったんじゃない? それにしても今回はやけにあっさり起きたよね」
「それについては何とも……。夢らしきものを見ていた覚えもありませんし。ただ一時間ほど記憶が途切れているというだけで……」
 カイトは自信なさそうにうなだれた。わたしはあくびをかみ殺しながら答える。変な時間に起きたせいだろう、意識は妙にはっきりしているが、身体がだるい感じがするのだ。
「そんなの、人間だって毎日夢を見ているわけじゃないのよ。というよりも、聞いた話だけど、夢は毎回見ているけど、覚えていないだけだって」
「じゃあ、俺も覚えていないだけなんですかねぇ」
 納得いかないように、彼は首をかしげた。
「じゃないかと思うんだけどね。えーと今回の実験だと八日目で終了ってことか。前回より少し短いね。でも前回は倒れる二日くらい前から身体に違和感があったんだっけ。よそんちにいない分、安心感でもあったのかな」
「でも、俺、今回は特に疲れたとか身体が重い、みたいな感覚はなかったですよ。だから一時間記憶がないというのもすごく意外で」
「そろそろ身体が動かなくなるって思ったからこっちに来たんじゃなかったの?」
 お盆の時とついこの間の出来事から、マスターの匂いがあるところが安心するとかなんとかで、またベッドに顔を埋めにきたのかと思ったのだが。もちろん、普通「付き合ってもいない男」にこんなことをやられたら、怖いし気持ち悪いのだが、カイトだからだろう、そういう気は特に起きない。小次郎も子犬の時から使っている毛布がお気に入りで、もうボロボロだけれど捨てさせてくれないように、匂いに執着するというのはわかる気がするから。……犬と比べるのはひどいかもしれないが、でもカイトってやっぱりどこか大型犬みたいな雰囲気があるからなぁ。いや、それもこれも、カイトは「勃たない」らしいから、寝室に侵入されたところで危険はないと無意識に思っているからなのかも。
「カイト?」
 質問にいつまで経っても答えないカイトに呼びかける。すると彼はあからさまにびくっとした。この態度は……。
「あんた、なんかやらかした?」
 そういえば、寝に来たわけじゃない、って言っていなかったっけ? 寝起きだったから気づかなかったけど、つまりカイトは特に実験の結果が出そうだったけど、夜中にわたしを起こすと怒られそうだと思ったとかなんとかいうわけではまったくなく、寝室に入ってきたということ? カイトのことだからその理由は夜中に一人で起きているのが寂しいあたりな気がするが、それにしても挙動不審すぎる。
「カーイート」
「あ、あのー……。サダコが……」
「は?」
 ものすごくびくびくしながらカイトは言うも、口から出てきた単語の意外さにわたしはなんとも間抜けな声が出てしまう。カイトは目をそらしながらぼそぼそとしゃべった。
「あ、別に映画が怖かったわけじゃないんですよ。でも一人で起きているとつい思い出すというか……。あのー、リビングにいるとですね、テレビとかパソコンの画面に、俺が映るんですよ。映るようなところに俺がいるから当たり前なんですけど、なんかそういうのって、部屋が暗くてもぼんやり見えてしまうんですね。別に今日気づいたわけじゃなくて前から知っていたことですけど。映らないようにするにはリビング部分じゃないところにいないといけなくて。でもキッチンのところでぼーっと立っているのも退屈だし落ち着かないし、洗面所の方はさらに嫌だし、なのでちょっとだけマスターの部屋にいさせてもらえたらいいなって侵入しました。ごめんなさい」
「……うん」
 拍子抜けしたわたしは、脱力しながらも理解と納得を示して頷いて見せた。
 そうか。映画を見終わったカイトは飄々としていたから特に怖いとは思わなかったんだろうと思っていたけど……怖かったんだ、貞子。洗面所が嫌なのは鏡があるからだろうなぁ。わたしも時々あるもんね。うっかり怖い話を読んだりして、読んだ時にはどうとも思わなくても、夜に布団の中で思い出して寝付けなくなったりとか。そうか、カイトにもホラー系が怖いという感情があったのか。カイトの存在自体が未確認生命体みたいなもので、どちらかといえばオカルトやホラーみたいなジャンルに分けられそうなものだけど、カイト自身は別に幽霊じゃないもんね。カイトは実体可して二年未満。生後二年の人間の子供だったらと考えると、そりゃあ貞子は怖いだろう。見かけが大人だから普通に映画を見せてしまったけれど、これはわたしの配慮不足だったかもしれない。悪いことをしてしまった。
「あ、あのー、マスター?」
 こちらの顔色を伺うように、カイトは上目遣いになる。
「いや、ちょっと思いもかけない理由だったから驚いただけ。別に怒ってはいないから、そんなにびくびくしなくていいよ。夜中にカイトの頭がすぐ近くにあったからこっちもちょっと驚いたけど」
「すみません」
「いいって」
 と言葉をかけるも、恐縮しきっているのか背中が丸まったまま、不安げな表情をしていたので、カイトの頭をぽんぽんとする。わたしがベッドにいてカイトが床に座っていると、丁度いい位置にカイトの頭があるのだ。
 カイトは目をきょろきょろとして、まだ居たたまれなさそうにしていたけれど、しばらくしてやっと安心したのか、大きく息を吐いた。
 さて、今晩このカイトをどうしよう。怖い映画を見て不安がっているわけだし、ここはマスターとして夜が明けるまでついていた方がいいのだろうか。それができるならそうした方がいいだろうけど。幸い明日は日曜日なんだから。でもそうしたら明日……いや、もう今日か。今日の予定が狂うだろうな。小次郎の散歩くらいなら行けるだろうけど、その後が眠くてグダグダになりそう。でも、今回はしょうがないか、わたしも目が冴えちゃったし。
「カイト、電気つけて」
「あ、はい」
 わたしはつけそびれていた部屋の電気をつけてもらい、伸びをした。部屋が冷えきっていて寒いので、カーディガンを羽織る。
「朝まで何していよう」
「マスター、眠らないんですか。朝までまだ結構ありますよ」
 不思議そうに言うカイトにわたしはあっさり返す。
「だって、あんた一人が怖いんでしょ?」
「いえ、その、けっして怖いとかそういうわけでは」
 もごもごと口ごもるのをはいはいと受け流し、着替えようか朝まではパジャマのままでいようかということを考える。時間が時間だから結構寒いので、とりあえず暖房のないここは出よう。着替えはいいや、まだ夜だし。
 リビングに移動して電気と暖房をつけると、小次郎も起き出してしまった。妙な時間に起きてテンションが上がったのか、いつもより興奮気味になってわたしの膝に登ろうとする。カイトもやたらとわたしから距離を開けないようにしているのでソファは満員御礼状態だった。大きい弟と小さい弟に懐かれまくって、お姉さんは嬉しいですよっと。
「で、さあ、カイト」
「はい」
 小次郎をなでつつ、隣に座るカイトに話しかける。
「今回の件だけど、カイトとしてはどう考えている?」
 カイトはしばし沈黙した。
「一時間くらい意識がなかったのは確かです。どうしてそうなったのかはわかりません。マスターが寝ているところを邪魔していると知られたら怒られると思ったので、俺、マスターの部屋にこっそり入った時も、できるだけ早く出ようって思っていたんです」
 言いながら彼は後ろめたそうな顔になった。うん、やっぱり怒られるということはちゃんと考えていたんだな。まあ、理由が理由なので今回は不問にするけれど。
「でも、意識がなくなったんですよね……。マスター、身体が重いとか、疲れているなって思わなくても眠れるものなんですか?」
 カイトの問いに、わたしははっとなる。
「もしかしてカイト。人間が寝るのって、毎日毎日くったくたに疲れているからで、そういう理由がなければ寝なくても平気だって思っているの?」
「いえ、そんなことはないですよ。睡眠不足は色々身体に悪いらしいことは知っていますし。肌が荒れたりとかもするんですよね。テレビで見たことがあります。マスターもお肌のことは気にかけてますから、覚えています」
「いや、そうじゃなくて……」
 カイトの真面目だが微妙に的外れな返答に肩を落とす。そうだ。わたしは気づいたんだ。今回のことについて。いや、今回のことは最初の思いこみがそのまま続いたことから起きたことだった、ということについて、だ。
「人間が毎日眠るのは、もちろん疲れているからということもあるけど、それ以外の理由もあるのよ。疲れを溜めすぎないようにするため、とでも言えばいいかな。一日のうちで睡眠時間をとることで体調を維持するの」
 カイトは真剣な顔でこっちを見つめる。
「だから特に眠気を感じていなくても眠ることはできるのよ。毎日同じ時間に眠るようにしていると、身体がそういうものだと判断して眠れるから。もちろん日によってもっと寝たいとか今日は眠れないとかはあるにしてもね」
「じゃあ、全然眠くなくても眠れるんですね、人間は。その場合でも、横になっていればそのうち眠くなるということでいいんでしょうか」
 カイトは確認してくる。
「そうだね。お布団に入って目をつぶっているとその内寝ちゃうのよ。毎日同じことをしているから習慣になっているのね。だからといって眠くなければ寝なくていいというわけでもないけど。何度か徹夜したことがあるけど、体調が狂うし、前日寝なかった分だけ余計に眠れるってわけでもないもの」
「そういえばそうですね」
 何度かわたしの徹夜につきあっているカイトは納得して頷いた。
「それで、今回の実験って、結局カイトが徹夜を続けていたら倒れた。その原因はなんだってところから始まったでしょう」
「そうですね。マスターのご迷惑になることもあるので、原因は突き止めたいです」
「じゃーなくて!」
 殊勝に言うカイトに思わず声を荒げる。カイトと小次郎は同時にびくっと身を強ばらせた。いけない、夜中だっていうのに。わたしは口元を押さえて音量を下げた。
「ごめん、興奮した。そうじゃなくて、そもそもその実験をすることになったのって、結局わたしやジョーさんに思いこみがあったからだと思うのよ。カイトたちはPCからでてきたものだから、根本的にわたしたちとは違うものだと思ってしまった、ってところかな。どちらかというと生物よりも機械寄りだというか……」
 機械じゃない機械じゃないと言いつつも、無意識のうちにでもやっぱり人間より機械に近いものだと思っていたのだろう。なんていってもPCソフトなんだし。
「カイトが最初に出てきた日にわたしが気にかけたのって、お父さんやお母さんからどう隠すかってこともあるけど、それ以外だと食事のことだったよね。だって、動物だろうが植物だろうが、摂取するものが違うだけで生存するためには何らかのエネルギーがいるはずなんだもの。それはカイトたちにもちゃんと当てはまっていたのよ、きっと。PCにいる間はあんたたちにとって必要なものは多分電気で賄われている。でもその外に出たら外で活動するのに必要なものは外で賄わないといけない。活動エネルギーとか休息とか、他にもあるならそれらも。エネルギーに関しては、どうやら人間と同じ食べ物で大丈夫なようだから、それはラッキーだった。そうでないと何が必要か探しまくらないといけなかったからね」
 工業製品とかで一般の人には入手しずらいものだった可能性もあるもんなぁ。劇薬とか毒物とか。いけない。こういう考え方がボーカロイド=機械という思いこみにつながってしまうんだ。……となると、カイトやローラは外に出ている間は人間となんの変わりもないのだろうか。この白い皮膚の下には、人と同じ骨格があり、内蔵があるのだろうか?
(でもトイレには行かないしなぁ……)
 疑問もまだ残るが、しかし、つまり、わたしは……。
「結局、わたしがするべきことは、カイトが外に出ている間は人間と同じような生活スタイルをしなさいってことを教えることだったんだと思う。ご飯は毎日食べなさいとか、夜は寝なさいとか」
 食事量は現代人の場合、三食きっかり取るとカロリーオーバーになる場合もあるようだから三食きっちりにしなくても良いにせよ、わたしが帰省していていなかったからといって何も食べない日が続いているのはやはり良くなかったのだ。カイトはそれをちゃんと知っていたわけではないけれど、体調として感じ取っていたのだ。睡眠にしても同じことだ。
 長々とまくしたてたせいで目を白黒させていたカイトだが、わたしが話終わると目を閉じてじっくりと考えを巡らせているようだった。
 五分、十分と時間が過ぎていく。まだ深夜と言っていい時間帯は、時折外を走る車の音と電化製品が低く唸る音以外、聞こえない。その静けさの中でわたしはカイトの言葉を待った。
「マスターの言っていることは、まだ予想でしかないんですよね」
「そうだね。でもわたしはこれが正しいんだっていう確信があるよ。それだって、気のせいだと言われればそれまでだけど」
「食事をしたり眠ったりですけど、それを数日しなくても平気というのは、それだけ人間から遠いということでしょうか」
「ん? どうだろう。全く同じとは思えないけど、もともとわたしが思っていたほど遠かったわけじゃないって、今はむしろそう思ってる。人間だって、というか動物は、かな、食事は毎日取らないとお腹は減るけど、でも一日抜いたからってすぐに餓死するわけじゃないのよ。睡眠もそう。徹夜はきついけど、睡眠不足で死ぬのは、何日も寝ていない場合だからね。あ、水分不足の場合はわりと簡単に命の危険につながる場合があるけどね」
 脱水症状には気をつけましょう。……良かった、お盆帰省の時にカイトが熱中症を起こさなくて。
「そういえばカイトって、暑い寒いは感じるけどだからどうしたって感じのようだし、空腹感も眠気も感じにくいようだけどでも必要かそうでないかで言えばどっちも必要だったり……。これ、人間で言えばなんていうんだろう、どこかの神経が脳とちゃんとつながっていないみたいな、そんな感じに思えるなぁ」
 ドキュメンタリーで痛覚がない病気の人のことを見たことがある。痛みを感じないので無茶なことをして怪我をしたり、怪我をしていても出血に気がつかないで放置してしまい、命の危険が起きたりとか……とにかく大変そうだった覚えがある。カイトって、それに近いような……。
 カイトは青い目をきらめかせ、ゆっくりとしゃべった。
「俺の脳と神経がどうなっているかはともかくとして、マスターの考えでは毎日人間と同じ生活をすれば、俺は夜になったら習慣として眠れるようになるということでいいんでしょうか。お腹が減っている感じがなくても毎日食事をしていれば、エネルギーが補給されて、エネルギー不足で倒れたりすることはない、それと同じように睡眠を取ることで身体にかかっている負荷を解消することができると。俺自身は空腹感にしろ眠気にしろ、感じにくい体質をしているから、意識的にそれらの行為を行わないといけない」
 わたしはしっかりと頷く。
「と、個人的には考えているよ。どっちも怠るとやっぱり最終的には外の世界で実体を保てなくなるってことになるんじゃないかって。それが強制的にPCに戻されるということなのか、戻ることすらできずに消滅するのかまではわからないけどね」
 消滅はさすがに嫌だなぁと思っていると、カイトはかすかな笑みを浮かべた。
「じゃあ、次の実験はそれですね」





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