次の日、日課の小次郎さんの散歩ついでにいつもの公園へ行くと、いつも通り犬の飼い主仲間の人たちに会った。時間を合わせているわけではないので、その時々で顔ぶれは違う。今日は三人プラス三頭のようだ。
「おはようございます」
 挨拶をすると次々と声がかかってくる。小次郎さんは友達の方へ早く行きたいと、リードを引っ張った。はいはい、急ぎましょうね。
「カイトくん、何かあった?」
「何か、ですか?」
 いきなりマルちゃんのママさんに聞かれたので、俺は首を傾げる。
「なんだかうきうきしているみたいに見えたから。いいことがあったのかなーって」
「あ、はい。いいことならありました」
 俺は勢い込んで答える。普通にしているつもりだったけど、やっぱり思っていることがバレてしまうようだ。知られて困るようなことではないけど、少し恥ずかしい。
「今度旅行に行くことになったんです。俺、旅行って初めてだからすごく楽しみで」
 言うと、驚きの声があがった。あ、いけない。旅行に行ったことがないのって、ちょっと変だったかな。……あ、これはきっとあれだ。この人たちは俺が不幸な生い立ちを送っていたと思っているから、旅行には興味がないから行かなかったとかいうよりも、行きたいのに連れていってもらえなかったとか、思っているんだろうなぁ……。
 こういうことがあるからこの人たちとの会話は慎重にしないといけないと思っているのに、余計なことまで言ってしまったことに気づくのは、いつも相手の反応が返ってきた後なのだ。しかし訂正すると余計に話がこじれそうなので、そうすることもできない。今回のこともマスターに知られたらまた文句言われそうだ、はぁ。
 なんて、俺が心の中で落胆していると、どこへ行くのとか、誰と一緒だとかの質問が次次と飛んでくる。
 行き先はこれから決めることと、マスターと小次郎さんと行くのだと答えると、ラッキーくんのママさんが心配そうに眉を寄せた。
「カイトくんかちゃん、免許持っていたっけ?」
「免許ですか? えっと、車のって意味ですか?」
「そう。車は持ってないみたいだけど、免許があればレンタカーが借りられるからね。行き先次第では電車より車の方が移動が楽なこともあるのよ」
「二人とも持っていないです。それに車がなくても電車とか飛行機とかがあるでしょう?」
 これらの乗り物はちゃんと手続きを取れば小次郎さんも乗れるのだとマスターは言っていたから問題はないと思っていたのだが。
「大まかな移動自体は大丈夫。宿も最近はペット可のところが増えているからそこを選べばいいの。でもそれ以外では結構大変よ」
 ケンタくんのママさんも同意する。
「車があればペットが入れない場所を観光する時にも車の中でお留守番してもらうってこともできるけど、そうでないなら食事するのも交代でしないといけなくなるのよ。外につなぐのも連れ去りが怖いし、犬が嫌いな人もいるからねぇ」
 マルちゃんママさんがだめ押ししてきた。
「そうそう。カイトくんたち二人で行くんでしょう? せっかく初めて旅行するのに、別行動が多かったら楽しめるものも楽しめないじゃない」
 そんな風に言われたら、旅行なんて行けないじゃないかという気になってきた。だからといって車なんて、俺に買えるわけがない。免許だって取れないのだ。だって俺には戸籍がないんだから。
「みなさんは旅行に行くときはやっぱり車で行くんですか?」
 とりあえず、参考になるかどうか、話を聞いてみる。
 ここにいる三人の家には全員車があるそうだけれど、ペット連れが難しい時にはペットホテルに預かってもらったり、実家に預かってもらうなどの対応を取っているようだ。それから旅行といったらもっぱらキャンプだという人もいた。キャンプなら犬連れでも大丈夫だからって。
「そうですか……。それならやっぱり小次郎さんが一緒だと色々大変そうですね……。でも俺、小次郎さんも一緒に行くんだと思っていたからなぁ。だってきっとそう思っているだろうし」
 初めての旅行だ。目一杯楽しみたい。でも小次郎さんを連れて行くなら、行き先はかなり限定されそうだ。
 嬉しさで膨らんでいた心が少ししぼむ。それでも旅行に行けないわけではないと自分に言い聞かせた。行けるところで楽しめばいいのだと。
 でも……同時に少し、思ってしまった。
「あの、聞くだけですけど、本当に聞くだけで、使うことはないと思うんですけど、ペットホテルのこと、聞かせてくれませんか?」
 小次郎さんは家族だ。本当に本当に大事に思っている。でも俺だってたまにはマスターと二人きりになりたい。マスターの関心を独り占めしたい。
 ママさんたちは次々と利用したことのある施設のことを教えてくれた。それに俺達さえ良ければ小次郎さんを預かってもいいとまで言ってくれた人もいる。なんて良い人たちだろうと感激しながら話を聞き、他にもたくさんの忠告をもらう。マスターが帰ってきたら言うだけ言ってみようと俺は決意した。


 だけどどうやら、俺が話すまでもなかったようだった。
 学校から帰ってきたマスターは、半ば目をすがめて呆れたように言う。
「あんたってばママさんたちを味方につけてこっちを思い通りに動かそうとするのはやめてよ」
「別にそんなつもりはないんですが……。どなたかと会ったんですか」
 マスターは頷く。
「ラッキーくんの飼い主さんに帰りに会ってなんだかすっごくお願いされた。初めての旅行に行くカイトくんに楽しい思い出をいっぱい作ってあげてって。で、ペット連れ旅行の良いところと難しいところをかなり長々と聞かされた」
「……それは……すみませんでした」
 マスターは参ったというように腕をあげると、ソファにぽんと座る。それからぐったりと寄りかかった。
「話を聞けたのは良かったよ。そこまで考えていなかったっていうところまで教えてもらえたから」
「マスターが実家にいたことにはどうしてたんですか?」」
 無造作に足を組みながら、マスターは答える。
「お祖父ちゃんの家に行くときは車だったから、普通に連れていったよ。そうじゃない旅行の時で犬連れが無理な時には隣の市に住んでいる従兄弟の家で預かってもらってたのよ。あっちにも小次郎の兄弟犬がいたものだから頼みやすかったんだ」
「へえ、小次郎さんは兄弟が多いんですか?」
「そうかも。お祖父ちゃんとこで生まれた子犬が何匹か親戚にもらわれていったからね。で、旅行のことなんだけど、まず小次郎を連れていくかどうかから検討しないと行き先の一つも決められないってわかったから……。カイト、あんたはどうしたい?」
「どうって、連れていかないのは可愛そうでしょう。だから連れて行きましょうよ」
 そう言いつつも、本心では別のことを考えている。疚しい思いがばれてしまいそうで、そっと視線を逸らした。
「ふうん」
 マスターの視線を感じつつもじっとしていると、やがてマスターが笑った気配がした。つんつんと足の先で脛を突付かれる。
「カイトがそれでいいならいいよ。でもこっちとしては今回はカイトの意志を優先したいと思っているの。小次郎はこれまでに何度か旅行をしているからね。っていっても、小次郎が旅行を楽しいと思っていたかはわからないけれど」
 さすがに犬だからなあとマスターは苦笑する。
 それからこっちを向けと促され、俺はようやく彼女の方を向いた。座れとソファの開いているところをぽんぽんとされたので、肩を縮めて隣に座る。
「で、どうする?」
 改めてマスターは聞いてくる。意地を張っていることを見透かされているようだ。ついでに甘えたくなっていることにも。
 俺は彼女の肩に額を預けた。腕を回してぎゅうと抱きしめる。
「すみませんマスター、訂正します」
 あなたと二人になりたいです。




 いよいよ出発の前日という日になり、珍しく俺は慌しい日を過ごした。
 荷造りをして、小次郎さんを預けに行く。預け先はさんざん迷った末に、マルちゃんの家に決定したのだ。知らない人や動物たちばかりのところよりも、見知った人や友達がいるところの方がいいだろうということで。もちろん出発前に一度マルちゃん宅に小次郎さんを連れていってみて、大丈夫そうかの確認はしている。それにマルちゃんと小次郎さんは行きつけの獣医さんも同じだから、万が一のことがあっても安心だ。
 それからマスターの帰宅を待って、速攻で寝かしつける。稼ぎは出来るだけ減らしたくないと、翌日の出発が早いというのに彼女はシフトを入れていたのだ。
 朝になってマスターを起こすと、やっぱり彼女は眠いようで、船をこぎながら濃いめのコーヒーをすすっている。この調子で大丈夫か少し心配になったけれど、なんだったら新幹線に乗ったら眠ればいいのだからと、マスターはねぼけた声で答えた。
 出発前の家の片づけ、それに荷物の最終点検をする。
 そして準備がすべて整い、しっかりと戸締まりをして、俺たちはアパートを出た。予約していた新幹線に乗り、定刻通りに出発すると、俺の期待はこれ以上ないというほど高まる。
 マスターが帰省するときには毎回新幹線を使うので見慣れてはいるのだけど、自分が乗客になるのは初めてなのだ。
。新幹線ってすごい。早いのに、揺れない!」
 電車に乗ったことは何度もあるけれど、それより早いはずの新幹線がこんなに静かだなんて。あまりの違いにびっくりする。
 それでも周りの人達は話をするにしても声を抑えているので、俺も叫ぶのはこらえながら興奮をマスターに伝えた。ようやく目が覚めたらしいマスターは、にこっと笑うと、相槌を打ってくる。
 窓の外の景色は電車よりずっと早く流れる。高い建物が近づいたかと思ったらすぐ後ろに消えて見えなくなってしまった。
 そうしてしばらく外を凝視していたら、だんだん目眩がしてきてしまった。何度か瞬きをしつつ車内に視線を戻すと、マスターが微笑みながら窓側に目を向けていた。
 そして気がつく。
「俺ばっかり景色を独り占めしてすみません。マスターも外が見たいですよね。席、変わります」
 素に戻って腰を浮かせかけるも、マスターはそれを押しとどめた。
「いいよ、わたしは何度も見ているから。カイトは初めてなんだから、楽しみなさいよ。それにわたしは通路側の方がトイレに行きたくなったときに行きやすいからこっちがいいの」
「そうですか。じゃあ、あの、トイレに行きたくなったら言ってくださいね」
「うん……?」
 マスターが軽く首を傾げるも、俺は説明をするより先にマスターの手を取った。ちょっと握ってから指を絡める。
「こうしていてもいい?」
 顔を寄せてそっと囁く。マスターの顔は一気に赤くなった。
 家ではともかく、外でこういうことをするとマスターはやたらと恥ずかしがるのだ。だからいきなり手を出すと、高確率でカウンターアタックされてしまう。でもここなら通路を歩く人がいない限り、見られることはない。早朝のせいか、隣側には乗客も乗っていなかった。
 マスターはあーとかうーとか目を泳がせつつ呻き声をあげていたが、やがてそっぽを向いてしまった。
 駄目だというわけではない。むしろ返答はその逆。
 彼女は俺の手をぎゅっと握り返してきた。耳まで赤くなっているのがたまらなく可愛くて、思わずキスしたら速攻で肘打ちをくらってしまった。これがなければ最高なんだけどなぁ。
 それから外の景色を眺めたり、マスターを見つめてにやにやしたりしているうちに、降りる駅に到着する。
 途中で車内販売のアイスを買ったら、信じられないほど堅くてスプーンが折れてしまった以外は新幹線では滞りなく過ごせた。
 さあ、目的地まであと少し。
 俺たちが勝手につけたツアー名『冬浪漫☆ カニ食べ放題 雪祭りツアー』はこれからが本番だ!



アンケートの結果



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