「雪だー」
 駅を一歩出ると、白い世界が広がっていた。建物も道路も街路樹も、どこもかしこもきらきらした白で覆われている。
「寒っ。風が痛い感じね」
 マスターはコートの前で両手を合わせて身体を震わせた。俺もマスターも、口を開くたびに白い煙が一瞬立ち上る。
 確かに吹き付けてくる風は冷たかった。青空が広がっているのに、電光掲示板に表示されている現在の気温はマイナス二桁目前だ。
、俺のマフラーを使って」
 俺はどうやら人間に比べて暑い寒いというものに行動や体調への影響を与えられにくいようなので、暑いからといって夏ばてを起こしたりはしないし、寒いからといって手がかじかんで上手く動かないということもない。気温が高い、低いということは感じ取れるのだが、それだけだ。
 そんな俺だからこの気温でも半袖で過ごしたところでどうってことはないのだろうけれど、奇異の目で見られることはわかっているのでちゃんとコートやマフラー、手袋などは装備している。マスターも同じだ。もっともマスターは人間なので、こういった格好をしていないと寒くて観光どころではなくなるのだろうが。
「ありがと。でもいいよ。冷たいのは顔だから、マフラーじゃどうしようもないし」
 マスターは手を振って笑顔を浮かべる。
「ああ、目と鼻と口のところだけ開いている帽子みたいなの、ありますよね。それ買います?」
 この寒さだから、この地域の店にだったらありそうな気がする。
 しかしマスターはあからさまに顔をしかめた。
「強盗みたいに見えるから、やだ」
「じゃあ、代わりに」
 俺はひょいとマスターの手を取った。
「ちょっとは暖かいでしょ?」
「手袋しているから、手はもともと冷たくないよ」
 するとこんな素っ気ない返答が返ってくる。
「気分の問題ですよ」
 俺は振り払われないように少し力を込めて彼女の手を握る。マスターは一瞬何か言いたそうに口を開いたが、ふうっと息を吐いて肩をすくめた。
「じゃ、行きましょう。先にホテルに荷物を預けるんですよね」
 ホテルは駅からほど近く、事前に調べたところ駅からは地下でつながっているようなのだが、せっかくの雪景色を見ないなんてもったいないと、俺たちは外を歩いて行くことにした。
 改めて着替え入りのバッグを肩に掛け直し、いざ出発と足を踏み出す。
 だが。
「うわあっ」
 踏み出した途端、足を滑らせた。
 道を覆っている雪は柔らかく、足跡がいっぱいついている。踏み固められていないということは、夜から明け方にかけて雪が降ったのだろうと思うが、その柔らかい雪の下は凍っているのだ。なんとか踏みとどまれたものの、これではまともに歩けるものではないだろう。
「カイト、やっぱりただのスニーカーは無謀だったんじゃない?」
 俺が手をつないでいたので身体を引っ張られながらも、やはりなんとか踏みとどまったマスターが困惑したように言う。
「わたしのブーツでも結構滑る感じがするし。どうしよう、お金もったいない気がするけど、安全のためにこっち仕様の冬靴買おうか」
「やっぱりそうした方がいいかもしれないですね……」
 俺はスニーカーの先で歩道をつんつんとつついた。そうすると柔らかい雪だけが脇に寄せられて、でこぼこに固まった雪の層がでてくる。こっちの雪事情は調べてはいたけど、二泊三日のためだけに普段は履くことはないものを買うのはどうだろうと思っていたのだ。だがこのままでは楽しめるものも楽しめなくなりそうだ。このまま強行しても、足下ばかりに気を取られることになるのが目に見えている。
「じゃあ、行こう」
 マスターは駅の方を指差した。俺も頷いて荷物を抱えなおす。
 駅と連結している商業施設があるのでそこで靴を探し、それからホテルへ行って荷物を預かってもらった。予定外のことに時間をとられてしまい、ようやく行動開始できたのはお昼近く。アクシデントも旅の醍醐味というけれど、なかなかどうして、大変だ。


 先に昼食をとってから雪祭り会場へと俺たちは向かった。近づくにつれて大きな雪像が少しずつ姿を現す。滑り止め付きの靴に履き替えたのでずっと歩きやすくなったけれど、やっぱり油断しているとつるりと行ってしまうので、急ぎたいけれど急げないというもどかしさを感じた。
 会場は入り口付近から混雑がわかるほど人が大勢いた。周辺には屋台が並んでいる。すれちがう人たちはみんな楽しそう。俺もわくわくしていた。
「大きいー」
「すごいねー」
 何カ所かにわかれている会場のうち、大きな像があるところからまわる。外国の有名な建物を模したという雪像がひときわ目を引いた。実物とちがって、こっちのは白一色。他にも雪ではなく氷でできているものもあった。半透明の氷はうっすらと青みを帯びている。
 どちらも日の光で輝いていてとても綺麗だった。だけどこんなに晴れているのに、溶けたりしないのだろうか。寒いから平気なのかな。
 感想を言い合いながら俺たちは気が向くままに進んでいく。興味を引いたものを見つけた方がもう一人を先導するように。
 いつもは腕を組むどころか手をつなぐことすら恥ずかしいからと断られることが多いけれど、あっちへ行ってみようこっちへ行ってみようとやっているうちに、しっかり指が絡む恋人つなぎになっていた。マスターは気付いているだろうか。気付いていなかったとしたら口にしたら最後、振り払われてしまうだろうから、あえて言わないでおく。
 手袋越しの指の感触は素手とは少し違っていて、でもほのかに体温も感じられて、ああ、俺はいまマスターと観光地をデートしているんだという実感がわいてきた。


 会場から会場を渡り歩いているうちに、小さめの像が並んでいるエリアに出た。
 大きすぎる像では全体を写すのも大変だったけど、手頃な大きさのこちらは近くに並んで記念写真を撮りやすい。俺とマスターは代わる代わる写真を撮ったり撮られたりした。時には通りかかった人にお願いしてツーショットもしてみたり。
 マスターの携帯にもカメラ機能はついているし、これで十分じゃないかと思っていたけど、思い切ってカメラを買って良かった。なんだかとっても旅行しているという気分になってくる。
 たくさん歩いて色々な雪像を見ている間に夕方近くになってきたので、暖まるのを兼ねてコーヒーショップで休憩することになった。
 窓際の席で外を眺めていると、空はオレンジ色から紺色へと徐々に色を移し変えていく。地上ではイルミネーションの光が太陽の代わりに目立ち始めていた。
、疲れた?」
「さすがにね。歩いている間は夢中だったけど、一回座ると立ちたくなくなる。雪道だからいつもより神経使ってたみたいだし。今すごくふくらはぎがだるい」
 明日は筋肉痛かもと彼女は苦笑した。
「そうですか……」
「でもどうして?」
「夜になったらイルミネーションが綺麗だろうなって思って。あの大きな雪像があった会場もライトアップしているっていうから、夕飯を食べたあとはそこを通って帰りたいなと。でも疲れているならホテルに戻る時はタクシーにしましょうか」
 するとマスターは笑顔で頭を振った。
「なんだ、それならわたしも見たいから、歩いて帰ろうよ」
「でも大丈夫ですか?」
 まだ明日と明後日も予定があるのに、一日目で体力を使い果たしたら元も子もないのではないだろうか。
「それくらいでバテたりはしないわよ。それに、どうしても歩くのが無理そうなら、カイトにおぶってもらうから」
 あはは、と彼女は笑う。
「あ、そうか。そうですよね。わかりました、いざと言うときは俺がおんぶしますね。お姫様だっこでもいいですよ!」
 どんと胸を叩いて頼ってくださいアピールをすると、マスターは笑顔のまま表情を凍らせた。
「……冗談だったんだけど」
「この手の冗談は俺には通じませんよ」
 言ったからには実行させていただきます。それが嫌ならよけいなことを言って煽らないことです。
「……本気?」
 マスターの頬が引きつったけれど、俺は見なかったことにした。




カニ食べ放題編まで書けなかったので、一回切ります。



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